第51話 黒い翼の男
バギィィィンッ!!!!
凍てつく氷の城のステンドグラスが、けたたましい破壊音とともに粉々に砕け散った。
氷片がキラキラと舞い散る玉座の間へ、不吉な黒い突風を巻き起こしながら、大きな漆黒の翼を広げた一人の男が舞い降りた。
鋭い眼光をぎらつかせ、肩を怒らせて玉座を見据えるその男は、禍々しい闇のオーラを纏いながら傲慢に笑みを浮かべていた。
???「そこまでだ……ッ。クリスタ、良くも手こずってくれたようだな……ッ!!!」
大仰な名乗りとともに降り立った男を見上げ、床に座り込んでいたペイジンは、ぽかんと口を開けて人差し指を向けた。
ペイジン「なにあいつ。」
クリスタ「私も知らない。」
間髪を入れず、しかも感情のこもっていない冷淡なトーンでバッサリと言い放つクリスタ。
黒い翼を広げてポーズを決めていた男の顔が、ピキリと引き攣った。
キャデラック「……は?……まぁ、いい。俺はキャデラックだ。オラ、そこのピンク頭思い切りグーパンチされたくなければそこからどけな。」
キャデラックは自らの黒い革手袋をパキパキと鳴らし、拳を握り込んでペイジンを威嚇した。その禍々しい視線が、かつて自分たちの作戦を乱したのか、あるいはただの標的なのか、玉座の前のクリスタへと向けられる。
クリスタ「……ッ!!!!!」
思わぬ乱入者の危険な気配と不躾な殺意に、クリスタは氷の杖を握り直して警戒を露わにする。
だが、そんな一触即発の空気の中、グーパンチと脅されたはずのペイジンが、むくっと立ち上がってキャデラックの前に立ちはだかった。
ペイジン「クリスタをどうする気なの!??」
ニィ「ちょっ、ペイジン!?さっきまでニィたちを凍らせて殺しかけてた張本人をなんで庇おうとしてるんだニィッ!?」
突然現れた謎の侵入者キャデラックを前に、氷の城の玉座の間はさらなる混沌の渦へと巻き込まれようとしていた。
キャデラックの黒い瞳に、苛立ちの影が走った。
キャデラック「邪魔だと言ったはずだぜ、小娘がァッ!!」
漆黒の翼を背中で激しく打ち鳴らし、キャデラックの巨体が爆発的な初速で踏み込んだ。
足元の氷の床を粉砕しながら疾走するその姿は、肉眼では捉えきれないほどの残像と化す。一瞬にしてペイジンの目前へと肉薄したキャデラックは、黒い闘気を凝縮させた右拳を極限まで引き絞った。
空気を切り裂く轟音が玉座の間に響き渡る。
ゴオオッ、ドバアアアンッ!!!!
大岩をも一撃で粉砕するほどの凶悪な怪力を宿したグーパンチが、無防備に立ちはだかっていたペイジンの腹部へと正確無比に叩き込まれた。
ペイジン「ぐ……っ、ぶはっ……!?」
衝撃波が背中を突き抜け、肺の中の空気が無理やり絞り出される。
信じられないほどの重い衝撃が内臓を揺らし、ペイジンの小柄な身体はまるで弾丸のように後方へと吹き飛ばされた。
ドガガガガッ、バリンッ!
幾重にも隆起していた氷のつららを何本もへし折りながら、ペイジンは床の上を派手にバウンドして転がり、玉座の階段の下でぐったりと倒れ伏した。
ニィ「ペイジーンッ!!!」
ニィが悲痛な叫び声をあげて駆け寄ろうとするが、キャデラックの放つ暴力的な気圧に阻まれて近寄ることすらできない。
キャデラックは煙を上げる拳をゆっくりと下ろし、冷笑を浮かべながら床に伏すペイジンを見下ろした。
キャデラック「口ほどにもねぇ。さあ次は貴様だ、クリスタ」
キャデラックの黒い翼から、ドス黒い不気味な靄が立ち昇り、玉座の間の冷気を侵食していった。
男は狂気じみた笑みを浮かべ、両手を広げてクリスタへ向けて禍々しい黒い光条を放つ。
キャデラック「クリスタアアア!!!ペイジンを串刺しにして倒せええッ!!!!」
クリスタ「……ッ!? あ、頭が……身体が、言うことを……っ!」
クリスタの氷色の瞳から光が失われ、淀んだ漆黒の紋章が両眼の奥に浮かび上がった。苦痛に顔を歪めていた魔女は、完全にキャデラックの黒い呪縛に意識を乗っ取られ、操り人形のように虚ろな表情へと変貌した。
ギチギチギチッ、ゴオオオオッ!
操られたクリスタが杖を振り上げると、先ほどとは比べ物にならないほど凶暴な氷の殺意が部屋全体を埋め尽くした。
床の氷が波打ち、何十本もの太く鋭利な氷の槍が、倒れ伏すペイジンへ向けて一斉に切っ先を向ける。
ニィ「まずいニィッ! クリスタがアイツに操られちまったニィッ! ペイジン、逃げるニィッ!」
ペイジン「う……っ、うぅ……っ!」
キャデラックの怪力パンチを腹部に受けて激痛に悶えるペイジンは、必死に立ち上がろうとするが、足に力が入らない。そこへ容赦のない氷の槍の雨が、音を置き去りにして襲いかかってきた。
ドガガガガガッ、バキィィィンッ!
ペイジン「きゃあああっ!?」
咄嗟にスリーピィステッキを掲げて防壁を展開するものの、操られてリミッターの解除されたクリスタの魔力は桁外れだった。突き出される無数の氷の槍がパステルの結界を強打し、ビキビキと亀裂を広げていく。
ペイジン「つ、強い……っ! クリスタ、目を覚ましてよぉ……っ!」
氷の槍が結界を突き破り、ペイジンの衣服の端を切り裂き、頬を掠める。完全に防戦一方へと追い詰められ、後退するごとに床の氷壁へと追い詰められていく。
キャデラック「ハハハッ! そうだ、足掻け! そのまま串刺しになって死に晒せェッ!!」
高笑いするキャデラックの影で、冷酷な氷の刃が、いよいよペイジンの急所を貫こうと完全に包囲網を完成させていた。
虚ろな漆黒の紋章を両目に浮かべたクリスタが、感情の消え失せた冷徹な声で小さく唇を動かした。
クリスタ「哀れだな……ッ」
その無慈悲な宣告と同時に、クリスタが氷の杖を床へ向けて強く突き立てた。
ゴギギギギギッ、ドカアアアアンッ!!!!
玉座の間の天井、壁、そして足元の床の全方位から、まるで天変地異のような激しい地鳴りが鳴り響いた。大気を一瞬で凍結させる絶対零度の冷気が爆発し、視界を埋め尽くすほどの無数の巨大な「絶対零度の氷柱」が、凶悪な牙を剥いて一斉に隆起した。
一本一本が巨木のように太く、先端は鋼鉄をも容易に貫くほど鋭利に研ぎ澄まされた氷柱の群れ。
それらは逃げ場を完全に奪われたペイジンの頭上から、足元から、背後から、一切の隙間を残さず殺到した。
ペイジン「うそっ……!? こんなの、よけきれないよぉ……っ!」
ニィ「ペイジーンッ!! 上からも下からも全部来るニィッ!!」
キャデラックの強烈なパンチの痛みが残り、万全に動けないペイジンに向けて、絶対零度の氷柱が無慈悲な白銀の檻となって四方八方から迫り来る。
かすり傷ひとつ負うだけで細胞の芯まで凍結させる極限の冷気。
ガギィィィンッ! ドカカカカッ!
氷柱が交差し、ペイジンの退路は完全に断たれた。鋭い切っ先が肉薄し、まさに彼女の全身を串刺しにせんと大気を切り裂いた。
逃げ場を完全に塞がれたペイジンを見下ろし、操られたクリスタは冷徹に杖を両手で天へと掲げた。
玉座の間の天井を突き破るようにして、城の氷塊すべてを凝縮させたかのような、規格外の超巨大な絶対零度の氷柱がその虚空に形成されていく。先端は禍々しい青黒い光を放ち、落下すればペイジンどころか広間ごと粉砕するほどの質量と冷気を宿していた。
クリスタ「終わりだ……永遠の沈黙に沈め」
クリスタが腕を振り下ろした瞬間、巨大な氷柱が轟音とともにペイジンの頭上めがけて垂直に急降下した。
ドゴオオオオオオッ!!!!
あまりの質量とスピードに、床にへたり込んだペイジンは目を見開いて動くことすらできない。
その時だった。
ペイジンの頭上をずっと飛び交っていたほうきちゃんが、迷うことなく全速力でその間へと割って入った。
キィィィィンッ!
ほうきちゃんは自らの小さな身体を盾にし、落下してくる巨大な氷柱の切っ先へと正面から激突した。
バギィィィィィッ、ドガアアアアンッ!!!!
耳を劈く凄まじい衝突音。
絶対零度の超質量を受け止めたほうきちゃんの柄が、耐えきれずにビキビキと激しい亀裂を走らせ、瞬く間に根元から真っ二つにへし折れた。それだけに留まらず、氷柱から吹き荒れた猛烈な冷気がほうきちゃんの全身を一瞬で飲み込み、粉々に砕け散った木片の端々にまで分厚い氷の膜を張らせ、無惨な残骸となって床へ叩きつけられた。
ペイジン「……ほうきちゃんッッ!!!」
ペイジンの絶叫が、凍てつく玉座の間に響き渡った。
身を挺して自分を守り、砕け散って冷たい床に転がる大切な相棒の姿に、ペイジンの琥珀色の瞳から涙がボロボロと溢れ出す。
ニィ「ほうきちゃん……ッ! そんな……ニィたちを庇って……ッ!!」
ニィが涙を流して砕けた柄に駆け寄る中、操られたクリスタは感情の欠片もない冷酷な足取りで、ゆっくりと歩み寄ってきた。
冷え切った両眼の奥で漆黒の紋章を怪しく明滅させながら、足元に転がるほうきちゃんの残骸を一瞥し、ペイジンへと冷たい杖の先を向け直す。
クリスタ「……バカなやつのようだな……ッ。そのままくたばらせてやろうか?」
クリスタの氷の刃のような声が、絶望に暮れるペイジンを無慈悲に見下ろしていた。
操られたクリスタの双眸が漆黒の紋章を怪しくぎらつかせ、感情を一切削ぎ落とした氷の杖を水平に構え直した。
クリスタ「哀れな命の塵どもが。その無駄なあがきごと、絶対零度の風に呑まれて消え失せろ」
ゴオオオオオオオオオッ!!!!
クリスタの身体を中心に、先ほどまでとは桁違いの質量を持った超絶的な猛吹雪が爆発的に解き放たれた。それはもはや気象の域を完全に逸脱し、大気そのものが白銀の牙となって襲いかかる氷の津波だった。城の床を削り取り、巨大な氷柱を粉々に粉砕しながら、視界のすべてを飲み込む絶対零度の激流がペイジンとニィへ向けて猛スピードで押し寄せる。
激突と殴打のダメージで全身を軋ませ、床に崩れ落ちていたペイジンは、迫り来る白銀の嵐を前に目を見開いた。
ニィ「ひ、ぎゃあああっ!? この規模の吹雪をモロに喰らったら、一瞬で細胞の芯まで砕け散るニィッ!!」
ニィが必死に短い腕で頭をかばい、恐怖に凍りつく。
その瞬間だった。
折れかけ、ヒビだらけの傷だらけになりながらも、床に転がっていたはずのほうきちゃんが、最後の力を振り絞るように青白い光を帯びて宙へと飛び上がった。自らの身体を投げ出すようにして、ペイジンとニィの真正面へと滑り込む。
ペイジン「だめっ、ほうきちゃん、逃げてぇぇぇっ!!」
ペイジンの悲痛な叫びも虚しく、絶対零度の猛吹雪が正面からほうきちゃんを呑み込んだ。
バキバキバキッ、メキメキメキィィィッ!!
耳を劈く破壊音が響き渡る。猛烈な冷気と風圧がほうきちゃんの柄を容赦なく軋ませ、残された木製のボディをたちまち白銀の霜で覆い尽くしていく。ほうきちゃんは必死に二人に吹き付ける風を逸らそうと魔力の盾を広げたが、狂乱したクリスタの絶対零度に耐えられるはずもなかった。
ピキィィィンッ――ドガアアアンッ!!!
限界を迎えたほうきちゃんの身体が、悲鳴のような澄んだ音を立てて粉々に砕け散った。木片の一片一片までもが極寒の冷気によって凍結させられ、ガラスのように脆くなった残骸が、ダイヤモンドダストのような無数の氷粒となって玉座の間の虚空へと激しく舞い散っていく。
激しい吹雪が掻き消えた後、目の前に残されていたのは、かつて一緒に空を飛び、旅を続けてきた愛らしい相棒の、無残に砕け散った氷の破片だけだった。
床に手をついたペイジンの瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ落ち、凍える床の上へと滴り落ちていく。
胸を掻き裂くような激痛と喪失感が、少女の小さな身体を貫いた。
ペイジン「……ほうきちゃあああああああああんッッッ!!!!」
喉が張り裂けんばかりの絶叫が、冷酷な氷の城の静寂を切り裂いて木霊した。
あまりの悲しみに震えるペイジンと、呆然と涙を流すニィを見下ろしながら、操られたクリスタは杖の先から冷たい冷気の煙を立ち昇らせ、一歩、また一歩と無慈悲に歩み寄っていた。




