第50話 絶望の末
氷の檻の奥で、吹き荒れる猛吹雪と冷気の煙を背負いながら、クリスタが狂気を孕んだ双眸をぎらりと輝かせた。
天を仰ぎ、凍てつく両腕を広げる魔女の姿は、まるで自らこそが絶対的な救世主であると狂信しているかのようだった。その張り裂けんばかりの絶叫が、氷の城全体をビリビリと震わせる。
クリスタ「……ペイジンと言ってたな?……お前は主役じゃない……世界を救うのは……私だアアア……ッ!!!!!」
耳をつんざくような叫びが玉座の間に反響した。
床に手をつき、突き出た鋭利なつららに囲まれて震えていたペイジンは、あまりにも予想外すぎる言葉に目を丸くした。
ペイジン「……エッ!??」
思わず寒さも痛みも一瞬だけ吹き飛んだかのように、ぽかんと口を開けてクリスタを見つめ返す。
ニィ「な、何言ってんだニィコイツはぁぁぁっ!?世界を丸ごと氷漬けにして滅ぼそうとしてる張本人が、どの口で世界を救うなんて寝言をほざいてるんだニィッ!?」
ニィが毛を逆立てて悲鳴混じりのツッコミを飛ばすが、クリスタの瞳には一片の迷いもなかった。
クリスタ「愚かな者共め……!争いも、苦しみも、滅びゆく時間の痛みも……すべてを絶対零度で凍結させ、永遠の静寂の中に閉じ込めてやることこそが唯一の救済なのだ!この星を美しき完全な氷の彫刻へと変え、永遠の平穏を与えるのは私だッ!!」
クリスタの歪んだ正義と狂気じみた信念が爆発した瞬間、城を包む氷の茨とつららがさらに獰猛に牙を剥き、逃げ場のないペイジンとニィへと一斉に迫り出していった。
吹き荒れる猛吹雪の音をかき消すほどの慟哭が、凍てつく玉座の間に響き渡った。
クリスタの瞳に宿っていた冷酷な仮面が剥がれ落ち、そこから覗いたのは、癒えることのない怨嗟と深い絶望の炎だった。
クリスタ「教えてやろう……ッ。私たち人類はかつては緑と桜色に包まれた大地とお花畑を見ていた……ッ。しかし、いつからか、他の人間たちが荒らして過激宗教組織が……私たちの村をすべて焼き尽くしたんだアアア!!!!」
胸元を爪が食い込むほど強くかきむしりながら、クリスタは血を吐くような叫びをあげる。
クリスタ「……だから私たちは追われ続けていた。私と妹のふたりだけが生き残った……ッ」
凍てつく記憶の奔流が、彼女の氷の魔力を狂乱させ、城の床や壁がギチギチと激しい軋み音を立てた。
クリスタ「次の日に戻れば……そこは村の片鱗もない跡形なき真っ黒と灰だけの大地へと変わり朽ち果ててしまっていた……ッ!!!!」
愛する故郷の、美しかった緑と桜の花びらは、ただ一度の業火によって無慈悲な灰燼へと帰した。すべてを奪われ、世界の底へ突き落とされた幼き日の光景が、クリスタの脳裏を今も焼き焦がし続けていた。
クリスタ「光などいらない……吹雪の中だっていい……私は氷の力にその時目覚めたんだ……ッ!!!」
カチコチと音を立て、クリスタの足元から青黒い氷の結晶が毒々しく広がっていく。
クリスタ「……お前らになにがわかるって言うんだ……ッ!!!私たち、そしてそれを背負ってきた仲間たちのなにがわかるんだ!!??お前らの先祖一族が全て私たちを過激に殺し過激に跪きかせたァ……ッ!!!もうこの世界は私たちにとって天敵でしかないんだアアア!!!!」
憎悪と悲痛に満ちた絶叫とともに、玉座の間の冷気は臨界点を突破し、すべてを呑み込まんとする嵐となって吹き荒れた。
床に手をついたままのペイジンは、突き刺さるようなその悲痛な叫びを、ただ息を呑んで見つめていた。
クリスタの冷たく見開かれた瞳の奥に、かつての地獄の光景がまざまざと蘇る。
燃え盛る故郷の炎、黒煙を上げて崩れ落ちる家々、そして過激宗教組織の無慈悲な足音と罵声。
幼かったクリスタは、震える妹のフリスの小さな手を痛いほど強く握りしめ、泥と灰にまみれながら夜の森を必死に駆け抜けていた。
追手たちの松明の火が、暗闇の木立を不気味な朱色に照らし出し、背後から放たれた矢が容赦なく二人の足元を掠めていく。
フリス「お姉ちゃん……っ、こわいよぉ……っ! あしが、もう動かないよぉ……っ!」
涙をボロボロと流し、冷たい雨に濡れそぼりながら転びそうになるフリス。
クリスタ「走るのよフリス! 前だけを見て! 絶対に、絶対に私があなたを守るから……ッ!!」
息が肺を焼き、手足の感覚が麻痺しそうになりながらも、クリスタは幼い妹を決して離さなかった。
どれほど逃げ惑い、どれほど祈っても、救いの手などどこからも差し伸べられなかった。信じていた温かな世界は、ただ人間たちの身勝手な信仰と狂気によって一瞬で焼き払われ、自分たちをただの標的として追い詰めてくる。
恐怖と絶望が限界に達したその時、クリスタの胸の奥で、カチリと何かが音を立てて凍りついたのだ。
温もりなどあるから奪われる。命が脈打つから傷つけられる。
ならばすべてを――凍りつかせてしまえばいい。
妹を抱きしめた幼きクリスタの身体から、突如として噴き上がった絶対零度の氷の奔流。それは迫り来る追手たちを一瞬で物言わぬ白銀の氷像へと変え、燃え盛る業火をも完全に鎮火させ、世界を死のような静寂へと塗り替えた。
あの吹雪の夜から、クリスタの時間は止まったままだった。
クリスタ「……そう、温もりなど最初から幻想に過ぎなかったのだ……ッ!」
過去の記憶から現実へと引き戻されたクリスタの瞳は、狂気と哀しみの青白い光を宿し、冷酷にペイジンとニィを見据えていた。
吹き荒れる猛吹雪の中、クリスタの絶叫が冷たい氷の城を震わせた。
クリスタ「……だからッ!!!こんな世界はァ……いらないッ!!!!!」
世界を丸ごと凍結させんとする殺意の風が逆巻く。しかし、鋭利なつららに囲まれて床に膝をついていたペイジンは、怯えることなく、その瞳を静かに伏せて小さく息を吐いた。
ペイジン「わかるよ……ッ。人と人なんてすれ違い会えないことばかりだからさ……ッ。私も同じことがあったの……。」
ニィ「ペイジン……ッ?」
相棒の思わぬ言葉に、ニィが丸い目を瞬かせた。
クリスタ「……なにがわかるって言うの……?」
冷たく細められたクリスタの瞳に、激しい疑念と苛立ちが滲む。
ペイジン「……わかるか?」
クリスタ「わかってるわよ!そんなことォ!」
叫び返すクリスタの怒りを受け止めながら、ペイジンはゆっくりと顔を上げた。
ペイジン「少しお話していい?ニィ。」
ニィ「ペイジン……。ああ、話すニィ。お前の過去のこと、ニィもちゃんと聞くニィ。」
凍てつく風の音が、ほんのわずかに凪いだ。
ペイジンは遠くを見るような瞳になり、自らの生まれた故郷の記憶を手繰り寄せるように語り始めた。
ペイジン「わたしの故郷はね、ここよりもずーっと遠い銀河の国の一群……リリコム郡にある場所なの。そこには、砂漠も青い海もぜんぶ浮かんでいる、とっても大きな空中大陸があったんだよ。」
その空中大陸の名は、エレファム。
和風の美しい街並みが連なる都市と、どこまでも色鮮やかな花々が咲き誇る深い谷が共存する、穏やかで幻想的な花の国だった。
ペイジン「わたしね、そのエレファムの国で、赤ちゃんの女王として生まれたの。」
当時のペイジンは、頭の上でお団子を結び、ふわりと揺れるショートロングの髪をなびかせていた。
女王という仰々しい立場でありながら、その性格は底抜けに天真爛漫で、天然でお転婆そのもの。宮殿の堅苦しい決まり事などお構いなしに、毎日お城を抜け出しては城下町を元気いっぱいに駆け回っていた。
つまずいて転んではおどけて見せ、街の人々に笑顔を届け、市民のみんなを心の底から大笑いさせていたのだ。
ペイジン「みんなが笑ってくれるのが、だいすきだった。毎日が花畑みたいにキラキラしてて、温かくて……ずっとその時間が続くって、信じてたんだよね。」
静かに語るペイジンの横顔を、ニィも、そして憎悪に燃えていたはずのクリスタも、言葉を失ったまま見つめていた。
ペイジン「でも……私も過激宗教組織から追われたの。街のみんなも焼き尽くされて妹もどこかへ消えてしまって……ッ。私は国宝を奪ってしまいそのまま組織の手下達から何とか逃げることができたの。そのまま何も持たずに1万メートル下へと落ちて……ッ。もう死んでしまったのかと思ってた……ッ。でも私は……」
冷たい床に膝をついたまま、ペイジンは胸元をぎゅっと握りしめた。
いつも能天気で笑ってばかりの少女の口から語られる、あまりにも過酷な真実。
天真爛漫に花畑を駆け回っていた日々は、ある日突然、狂気じみた過激宗教組織の炎によって焼き尽くされたのだ。美しい和風都市も、咲き誇っていた花々も、市民たちの笑顔も、すべてが赤黒い業火の海へと呑み込まれた。
幼い妹の手は混乱の中で離れ、どこかへ消え去ってしまった。女王としての責務か、あるいは必死の抵抗だったのか、国宝を抱えて組織の追手たちから命からがら逃げ延びたペイジン。
しかし、逃げ場のなくなった空中大陸の果て――切り立つ断崖絶壁から、彼女は虚空へと投げ出された。
雲を突き抜け、果てしない風の唸りを聞きながら、1万メートルの遥かなる大地へと真っ逆さまに落ちていったあの瞬間。冷たい風に涙が凍りつき、すべてが終わったと、誰もが死を確信したはずだった。
ニィ「ペイジン……お前、そんな無茶苦茶な過去を背負ってたのかニィ……ッ」
ニィが息を呑み、ショックを隠せない様子で立ち尽くす。
クリスタもまた、氷の杖を握る指先をかすかに震わせていた。
自分と同じだったのだ。狂信者たちに故郷を焼き尽くされ、愛する者を奪われ、絶望の底へと叩き落とされたその境遇が。
ペイジン「でも私はね……そこで終わりにしたくなかったの。落ちていく真っ暗な空の中で、泣いて、叫んで、いっぱい痛い思いをしたけれど……それでも、みんなの笑顔の温もりだけは、どうしても忘れられなかったんだよ。」
琥珀色の瞳をまっすぐに向け、ペイジンは凍てつく玉座のクリスタを見つめ返した。
重苦しい静寂が凍てつく玉座の間を包み込み、クリスタさえもが同じ痛みを背負うペイジンの言葉に息を呑んでいた、まさにその瞬間だった。
ペイジンはふにゃりと眉尻を下げると、両腕を頭の後ろへ回して豪快に大きなあくびをひとつ噛み殺した。
ペイジン「……あー、眠い。そろそろお話やめない?寝たいんだけど……ッ?」
ニィ「ペイジーンッ!!!(泣)絶対攻撃されるニィー!!!!」
あまりの急転直下に、ニィは四肢をバタつかせて絶叫した。感動的な過去語りから一瞬でいつもの超絶マイペースへと舵を切った相棒に、全身の毛を逆立てて涙目で飛び跳ねる。
激しい憎悪と哀愁の狭間で張り詰めていたクリスタの表情も、完全に凍りついた。
眉間をピクピクと痙攣させ、冷徹な仮面をかなぐり捨てて、呆れと怒りの混ざり合った視線をペイジンへと突き刺す。
クリスタ「……なんでこんな時にそんな悠長なこと言ってられるの?」
ペイジン「え〜、だって真面目にお話ししてたら頭使って眠くなっちゃったんだもん。それにクリスタの氷、ひんやりしててちょっと枕にちょうど良さそうだしさぁ……」
クリスタ「枕にする気かッ!!!」
あまりの噛み合わなさに玉座の間の空気が激変する中、城の外の凍てつく空で、蒼い翼を羽ばたかせる少女の気配が静かに近づいてきていた。




