第49話 氷の城の完成
深い暗闇の底から、冷たい意識がわずかに浮上する。
落とし穴の底で氷の茨に締め上げられ、急速に体温と感覚を奪い去られたあの瞬間から、どれほどの時間が流れたのか。
ふっと開かれかけた視界の先に広がっていたのは、鬱蒼としたクロノスの森の風景ではなかった。
かつて時を刻み続けていたはずのクロノスの街の頭上を覆い尽くすように、そこには本来存在するはずのない、威容を誇る巨大な「絶対零度の氷の城」が聳え立っていた。天を衝く白銀の尖塔、透き通る氷晶のステンドグラス、そして大気を永遠に凍結させる冷気の結界。
すべては、魔女クリスタの冷徹な魔力によって一瞬にして顕現させられた、氷の帝国の中枢だった。
その城の最深部、底冷えのする巨大な玉座の間。
青白い氷が幾重にも敷き詰められた広間の中心、ひときわ高く聳える玉座の足元に、その二つの彫像は鎮座させられていた。
ペイジンとニィの姿だった。
ピキピキと音を立てる冷気に包まれ、二人は指先ひとつ動かすことすら叶わない、完全な「カチコチの氷塊」となって玉座の前に晒されていた。
ペイジンは氷の茨に拘束され、驚きと凍結の衝撃に目を見開いたポーズのまま、衣服もピンクのフードも髪の毛の一筋までもが分厚いクリスタルの層に閉じ込められている。琥珀色の瞳は光を奪われ、冷酷な白銀の膜に覆われて虚空を見つめたまま完全に凍結していた。
その足元では、ニィが短い手足を茨に絡め取られ、逃げようともがいた形のまま、毛並みの一本一本まで氷漬けにされて小さな置物と化している。
二人の周りには、森で絡みついた氷の茨が玉座の絨毯のように美しく装飾され、逃げ場のない完全な敗北の証として冷たい輝きを放っていた。
玉座に静かに腰掛け、冷酷な双眸で見下ろすクリスタの氷色のドレスが、絶対零度の風に静かに揺らめいていた。
巨大な氷の城が街の空を白銀に閉ざす中、遥か眼下の凍てつく路地の片隅に、静かな奇跡のような光が宿っていた。
屋根の庇に積もった雪の影から、そっと城の尖塔を見上げる一つの小さな影があった。
背丈は、氷の彫刻にされて囚われているペイジンと同じくらい。その背中には、透き通るような美しい蒼い光の粒子を撒き散らす、まるで天使のそれのような柔らかな翼が二対、静かに羽ばたいていた。
純白と淡い蒼のグラデーションに染まる柔らかなローブを纏い、澄み切った清らかな瞳が、玉座の間でカチコチに凍りついているペイジンとニィの姿をじっと見つめている。
その少女が纏う空気はどこまでも穏やかで、邪気の一片すら存在しない。
絶対零度の吹雪が街のすべてを凍てつかせようとする中で、彼女の周囲だけは、まるで聖域のように優しい静寂と温もりを保っていた。怒りや恐れではなく、ただ囚われた者たちを深く案じる、慈愛に満ちた眼差し。
???「あの凍てついた氷の奥で、まだ小さな魂の鼓動が消えずに震えています……」
鈴を転がしたように清らかで、透き通った声が、凍える風の中に小さく溶けていく。
???「待っていてくださいね。今、冷たい夢から助け出してあげます」
蒼い翼の少女は、胸の前で小さな両手を優しく重ね合わせ、祈るように瞳を閉じた。その手のひらの間から、クリスタの絶対零度とはまるで異なる、氷をそっと包み込んで溶かすような淡い蒼い光の波紋が、静かに夜空へ向けて広がり始めていた。
玉座に腰掛けていたクリスタの冷たい双眸が、足元でカチコチに凍りついたペイジンとニィを見下ろした。
クリスタ「……美しき氷像のまま大人しくしていればよいものを、いつまでも鬱陶しい命の残滓を燻らせおって」
冷酷な宣告とともに、クリスタが氷の杖を床へ向けてトンと叩き鳴らした。
ゴオオオオッ!
床から伸びた極寒の氷の茨が生き物のように跳ね上がり、固まったままのペイジンとニィを、分厚い氷の塊ごと空高くへと乱暴にすくい上げた。そして、絶対零度の暴風を背負った茨の鞭が、玉座の真後ろにそびえ立つ分厚い氷の壁へ向けて、二人を勢いよく投げ飛ばした。
ドッガアアアアアンッ!!!!
凄まじい轟音が玉座の間に木霊した。
強固な氷壁に背中から思い切り叩きつけられた瞬間、ペイジンとニィを覆っていた頑丈な氷の檻が、蜘蛛の巣のようにビキビキと亀裂を走らせ、粉々に破裂した。
ペイジン「がはっ……!? げほっ……!」
ニィ「ぎゃあああああっ!!」
容赦のない激突の衝撃が、氷の破片の爆発とともに二人の無防備な身体を正面から貫いた。
骨が軋み、肺の中の空気が一瞬で吐き出されるような激痛。全身を強打されたダメージに加え、砕け散った無数の鋭利な氷片が刃となって吹き荒れ、二人の肌や衣装を情け容赦なく切り裂いていく。
ドササッ……!
拘束していた氷の塊が完全に割れて剥ぎ取られ、激しいダメージを負った二人は、床の冷たい氷の上へと力なく転がり落ちた。
あまりの衝撃に、ペイジンは床に手をついたまま激しく咳き込み、視界をチカチカと明滅させながら苦悶の表情を浮かべる。
ペイジン「う……っ、いたたた……! な、なにするのよぉ……っ!」
ニィ「い、痛いニィ……腰の骨が砕けたかと思ったニィ……ッ!」
ニィもまた全身をさすりながら涙目でうずくまり、あまりの強烈な一撃に激しく息を乱していた。
氷の拘束こそ砕け散ったものの、激突の衝撃と冷気によるダメージは深刻で、立ち上がることすらままならない二人の前に、クリスタが冷たい刃のような視線を向けて静かに立ち上がった。
壁に激突させられ、痛みに喘ぐペイジンとニィを見下ろしながら、クリスタは感情の欠片もない冷酷な足取りで一歩を踏み出した。
床に散らばる氷の破片を踏みしめるたびに、冷たい音が玉座の間に響き渡る。
クリスタ「そこで見ていろ。動けないお前らではこの状況すら変えられないだろう……ッ。」
杖の先を虚空へ掲げると、城全体が激しく鳴動し、城のステンドグラスを突き破って外の吹雪が一層の狂気とともに吹き荒れ始めた。
クリスタ「……私がこの世界を丸ごと氷の星にするところを見ているといい……ッ!!」
絶対零度の魔女の叫びとともに、天を衝くほどの青白い冷気の奔流が、彼女の身体から螺旋を描いて立ち昇った。
その凄まじい魔力に呼応するように、城の外に広がるクロノスの街、そして遠くの地平線に至るまで、大地がビキビキと音を立てて急速に白銀の氷へと覆い尽くされていく。木々も、建物も、大気中の熱のすべてが奪い去られ、世界そのものを永遠の死の沈黙へと沈めるための破滅のカウントダウンが始まっていた。
痛む身体を押さえ、氷の床に倒れ伏していたペイジンは、悔しそうに奥歯を噛み締めながら顔を上げた。
ペイジン「く……っ、そんなの……絶対に、させないんだから……!」
ニィ「ペイジン……! だ、ダメだニィ、立ち上がろうにも全身の筋が痛んで力が入らないニィ……ッ!」
絶対的な力の差を見せつけられ、絶体絶命の闇が二人を呑み込もうとしていた。
ヒョオオオオオオオッ、ゴオオオオオオッ!!
クリスタが放った冷気の波動が大気を切り裂き、クロノスの街を包み込む吹雪は、さらに凶悪な唸りを上げ始めた。
それはもはや雪や風の域を完全に超えていた。視界のすべてを真っ白に塗り潰す猛烈な白銀の嵐が、まるで巨大な氷の獣のように街の路地や建物を呑み込み、削り取っていく。吹き荒れる氷の粒子は一つ一つが鋭利な刃物と化し、石造りの街並みを容赦なく打ち据えていた。
気温は留まることを知らず、底なしの絶対零度へと急降下を続ける。
氷の城の玉座の間すらも吹き荒れる風雪が吹き込み、壁や床にへばりついた氷の層が、ビキビキと悲鳴を上げながらさらに分厚く成長していく。
激突のダメージで床に伏したままのペイジンは、あまりの寒風に吹き飛ばされそうになりながら、必死に冷たい氷の床を爪先で引っ掻いた。
ペイジン「くぅ……っ! 寒っ……寒すぎるよぉ……っ! 息を吸うだけで、喉の中が凍っちゃいそう……っ!」
ピンク色のもふもふの服にはびっしりと霜が降り、まつ毛や前髪の一筋までもが瞬く間に凍てついて白く染まっていく。壁に叩きつけられた背中の激痛がズキズキと全身を苛み、立ち上がろうと腕に力を込めても、ガチガチと激しく震えて上手く力が入らない。
すぐ隣で丸まっていたニィも、黒い毛並みを限界まで膨らませて必死に耐えていた。
ニィ「ひ、ぎぎぎ……っ! 毛皮の奥までカチコチに凍りついて、感覚が消えていくニィ……ッ! これでもかってくらい吹雪を強めてきやがったニィッ! このままじゃ、立ち上がる前にニィたちもお城ごと完全に永久凍結だニィッ!!」
歯の根が合わずにカタカタと音を立てながら、ニィは短い両前足で頭を抱え、床にうずくまる。
冷酷な吹雪を背中に浴びながら、玉座の前に君臨するクリスタの姿だけが、猛烈な白銀の嵐の中で不気味なほど鮮明に青白い光を放っていた。
玉座の間を埋め尽くす猛吹雪の中、クリスタの冷徹な声が、死刑宣告のように冷たく響き渡った。
身動きの取れない二人を氷のような瞳で見下ろし、魔女は残酷な笑みを微かに浮かべる。
クリスタ「終わりだな……チェックメイトだ……ッ!!!!!」
パチンッ――!!
乾いた静寂を切り裂くように、クリスタの氷を纏った指先が鋭く打ち鳴らされた。
その刹那、床一面に張り巡らされていた青白い氷の層が、激しい地鳴りのような唸りを上げて一斉にひび割れた。
ズドドドドッ、ビキビキビキッ!!
ペイジンとニィが倒れ伏している足元の床から、大木のような太さと槍の如き鋭さを持った無数の巨大な「氷のつらら」が、猛烈な速度で下から突き破るように隆起した。
ペイジン「きゃああああっ!?」
ニィ「ぎゃあああっ!? 下から突き刺しに来たニィッ!!」
殺意に満ちた蒼白のつららが、二人を串刺しにするかのごとき勢いで次々と床から噴き上がる。
激突の激痛でろくに動けないペイジンは、咄嗟に横へと転がって直撃を逃れたものの、服の裾が鋭利なつららに引き裂かれ、周囲を一瞬で巨大な氷柱の檻によって囲まれてしまった。
突き出たつららの表面からは、触れるものすべてを一瞬で凍結させる超低温の冷気が煙のように立ち昇り、二人の逃げ道を完全に塞ぎながら、逃げ場のない檻の中で再びカチコチに凍てつかせようと迫り来る。
クリスタ「そのまま串刺しとなり、永遠の氷柱として城の礎となるがいい」
冷酷な眼差しが、絶体絶命の窮地に陥った二人を無慈悲に見据えていた。




