第48話 クロノスの森
10月17、18日のPE3はお休みさせていただきます。
次回様子見してからまた土日再開します。
木箱の中から這い出してきた無数のスライムたちが、じゅるじゅると音を立てて紫色の泡を噴き散らし、二人の足元へと迫ってくる。
そんな絶体絶命の危機だというのに、ペイジンはぷくーっと頬を膨らませ、両手を腰に当ててニィを睨みつけた。
ペイジン「気でも狂ったの!?ニィ!!!」
自分の命を救ってくれた相棒へ、まさかの理不尽すぎる怒りの逆ギレ。
その信じられない言葉を聞いた瞬間、ニィの頭の中で何かがブチンと音を立てて切れた。
ニィ「お前がニィ!!!!」
空中で身を翻したニィの鋭いドロップキックが、容赦なくペイジンの額のど真ん中を捉えた。
げしッ!!!
鈍い衝撃音とともに、少女の首がガクンと後ろへ撥ね飛ばされる。
ペイジン「ぐえッ☆」
綺麗に星を散らしながら、ペイジンは白目を剥いて豪快に芝生の上へとひっくり返った。
ニィ「命の恩人に向かって何言ってんだニィッ! だいたいお前は昔から隙あらば拾い食いしようとするニィッ! 少しは学習するニィッ!」
怒髪天を衝く勢いでまくしたてるニィの足元で、ドロドロと溶けた紫色のスライムたちが、ジュウジュウと酸の煙を上げながらいよいよ二人の靴底のすぐそこまで押し寄せてきていた。
芝生の上で大の字に倒れていたペイジンは、たんこぶのできた額をさすりながら、のそのそと上半身を起こした。
目の前では、木箱から溢れ出た紫色のメルティ・スライムたちが、じゅるじゅると音を立てて酸の泡を吹き散らし、二人の足元をじわじわと取り囲んでいる。そんな一触即発の危機的状況にもかかわらず、ペイジンはもふもふのフードを整え直すと、首をかしげて呑気な声を漏らした。
ペイジン「にしてもなんで私たちこんな森の中に??」
ニィ「それを今ここで聞くニィッ!? 記憶喪失にも程があるニィッ!」
ニィは短い両前足で自らの頭を抱え、絶叫しながら飛び跳ねた。
ニィ「時計塔のてっぺんでクリスタにカチコチに凍りつかされて、抱きしめられながら絶対零度の息吹を吹き込まれて完全な氷の彫刻にされたニィ! そこへ天の川と星の光がペイジンの氷の中に吸い込まれて、気がついたらこの得体の知れない迷いの森にワープしてたんだニィッ!」
ペイジン「あ、そうだった! クリスタ、すっごく冷たかったんだよねぇ。抱きしめられたときはちょっとひんやりして気持ちいいかもって思ったけど、息をふーふーされたら頭がキーンってなっちゃって……」
ニィ「気持ちいいどころの話じゃないニィ! あのままなら永遠にクリスタの氷の庭の置物コレクション確定だったんだニィッ! それに今はクリスタの心配より、足元のこのドロドロ酸まみれスライムをどうにかする方が先だニィッ!」
ジュウウウウッ!
二人のすぐ目の前で、スライムの体液が触れた太い木の根が一瞬で黒煙を上げてドロドロに溶け崩れる。酸の蒸気が立ち込める中、無数の黄色い単眼が一斉にペイジンとニィを捕食対象としてギラギラと見据えていた。
ほうきちゃんが怯えるようにペイジンの背中にピタリとしがみつき、ニィは牙を剥いて威嚇の姿勢をとる。
ニィ「ペイジン、さっきの星の力か新しい技でなんとか蹴散らすニィッ! 囲まれて足から溶かされたらおしまいだニィッ!」
足元ではメルティ・スライムたちがジュウジュウと酸の煙を上げ、周囲の草木をドロドロに溶かしながら包囲網を狭めていた。
一歩でも踏み外せば靴底ごと溶かされかねない絶体絶命の瞬間、ペイジンはなぜか両手で自分の赤い頬を挟み込み、身体をくねくねと左右に揺らした。
ペイジン「だきしめられた……ッ!?いやーん……オカマね。」
ニィ「何言ってるんだニィ!!???」
ニィのツッコミの絶叫が、迷いの森の木々に木霊した。
あまりの頓狂な反応に、ニィは四肢をピーンと突っ張らせて飛び上がり、白目を剥いて叫び散らす。
ニィ「オカマとかそういう問題じゃないニィッ!! クリスタは氷の魔女だニィ! 抱きしめてきたのはお前の体温を完全に奪い去って絶対零度の氷像コレクションにするための必殺技だニィッ!! なんでちょっと乙女チックに照れてるんだニィッ!!」
ペイジン「だってぇ、あんな冷たい顔してぎゅーってしてくるなんて、ツンデレさんなのかなって思っちゃって……」
ニィ「ツンデレじゃなくて完全なデッドエンドだニィッ!!」
ジュルルルルッ!
二人がギャーギャーと騒ぎ立てている間にも、メルティ・スライムたちの群れは合体を繰り返し、ひとつの巨大な紫色の酸の波となって盛り上がっていた。
ニィ「ほら見ろニィ! ボケてる間にスライムが合体して巨大化しちまったニィッ!!」
合体した巨大スライムが紫色の酸の泡をゴボゴボと沸き立たせ、覆いかぶさるように影を落としてくる。
地面がジュウジュウと溶けていく猛毒の煙の中、ペイジンは逃げる素振りも見せず、真剣な顔つきで指先をあごに当てて首をかしげた。
ペイジン「……じゃあなんで私たちやられたのに生きてるの……ッ?」
ニィ「それを今、このタイミングでじっくり考察する気かニィッ!?」
ニィは頭を抱えてじたばたとのたうち回りながらも、必死に記憶の糸を手繰り寄せて叫んだ。
ニィ「さっきも言っただろニィ! あの絶対零度の中で、空の星と天の川の光が急にお前の凍りついた身体の中に全部吸い込まれたんだニィ! あの規格外の宇宙エネルギーがクリスタの氷を内側からぶち破って、ついでにニィたちの身体も解凍して、この森まで空間ごと吹き飛ばしてくれたんだニィッ!」
ペイジン「へぇー……星と天の川さん、すっごく親切なんだねぇ。今度お礼にキャンディあげなきゃ!」
ニィ「あげられるかニィッ!! そもそもなんでお前にそんな天文学的パワーが宿ったのかが最大の謎なんだニィ! だがそんなことより……上を見るニィッ!!」
ゴボオオオオッ!!
二人の頭上から、家ほどの大きさまで膨れ上がったメルティ・スライムが、滴るような酸の津波となって一気に降り注ごうとしていた。
頭上から降り注ぐ紫色の巨大な酸の津波を前に、ペイジンは腰のホルダーから愛用のスリーピィステッキを勢いよく引き抜いた。
星と三日月の装飾が施されたパステルカラーのステッキを両手でしっかりと握りしめ、くるりと華麗に宙で旋回させる。
ペイジン「スライムさん、お腹が空いて暴れちゃうなら……みーんなまとめて、ねんねのじかんだよ〜! スリーピィ・ドリーム・ウェーブッ!!」
キィィィン、ふわわわわん……!
ステッキの先端から、淡いピンクとラベンダー色のパステル調の魔法陣がふわりと展開した。そこから溢れ出したのは、まるで綿菓子のように甘い香りのする星屑と羊の幻影を纏った睡眠の波動だ。
ドォォォォンッ!
落下しかけていた巨大メルティ・スライムの酸の塊に、柔らかな魔法の光が正面から激突した。
じゅるるるる……ッ、ぽよ〜ん……。
岩をも一瞬で溶かすはずの凶悪な酸の波が、ステッキの魔力に触れた瞬間、パチパチと弾ける甘いソーダ水のような淡い紫色のゼリーへと質感を急速に変えていく。巨大なスライムの身体全体がプルプルと波打ち、ギラギラと光っていた無数の黄色い単眼が、とろんと重たそうに垂れ下がっていった。
巨大スライム「ぐにゅぅ……ふにゃぁぁ……っ」
ゴボゴボと湧き上がっていた酸の泡が、次第に規則正しい「Zzz」の形をした泡へと変化していく。
ニィ「き、効いてるニィッ! あのドロドロの酸の塊が、眠気にあてられてただのプルプルゼリーになっていくニィッ!」
ペイジン「えっへへ〜、まだまだいくよ〜! 羊さんがいっぴき、羊さんがにひき……おやすみなさーい☆」
ペイジンがステッキをリズミカルに振るたびに、周囲を取り囲んでいた小さなメルティ・スライムたちまでもが、次々とその場にペタンとへたり込み、すやすやと心地よさそうな寝息を立て始めた。
巨大なメルティ・スライムが大きな鼻提灯を膨らませて眠りこけると、周囲の酸の霧もすっかり晴れ渡った。
ペイジン「ふふーん、一件落着! みーんな仲良くお昼寝だね!」
満足げにスリーピィステッキをくるりと回して腰に戻したペイジンは、ぐーすかと眠るプルプルのスライムたちを踏まないように、軽やかな足取りで森の奥へと歩き出した。
ほうきちゃんがふわふわとペイジンの頭上を浮遊して先導し、ニィはなおも周囲の暗い茂みをキョロキョロと警戒しながらペイジンの肩の上へ飛び乗った。
ニィ「まったく、ヒヤヒヤさせられたニィ……。だが油断は禁物だニィ、さっきの凶暴うさぎといい、果物に化けたスライムといい、この森は一歩進むごとに何が飛び出してくるか分かったもんじゃないニィッ!」
ペイジン「だいじょーぶ、だいじょーぶ! どんな魔物さんが出てきても、わたしのステッキでみーんなねんねさせちゃうもん!」
ニィ「その根拠のない自信が一番怖いニィ……ッ!」
二人が奥へ進むにつれて、迷いの森の木々はさらに太く、高くそびえ立ち、頭上を覆う枝葉は日光をほとんど遮ってしまった。足元には淡く青緑色に光る不思議な苔が絨毯のように広がり、どこか幻想的で、けれど底知れない不気味さを漂わせている。
カサリ、カサリと落ち葉を踏みしめる音だけが静まり返った森に響く。
進めば進むほど、空気の冷たさがじわじわと増していき、漂う霧の奥からは、何かが静かに二人を観察しているような冷たい視線が幾重にも感じられていた。
深まる霧の奥から吹き抜ける風が、徐々に肌を刺すような冷たさを帯びていく。
青緑色の苔を踏みしめながら進む中、ニィは周囲の木々の歪なねじれ方と、大気中に漂う不自然な魔力の気流をじっと見つめていた。まるで時間の流れそのものが淀み、過去と未来が入り混じっているかのような強烈な違和感に、黒い毛並みを総毛立たせる。
ニィ「ここはきっとクロノスの森ニィ……ッ」
重苦しい声音で呟いたニィの言葉に、前を歩いていたペイジンがピタリと足を止めた。
もふもふのフードを揺らしながら振り返り、人差し指を口元に当てて、いつものようにぽかんと首をかしげる。
ペイジン「なにそれ。」
ニィ「『なにそれ』じゃないニィッ! 古の魔導書にも記されている、時空が完全に狂い咲いた最悪の禁忌地帯だニィッ! 一度踏み込んだ者は、過去の記憶の幻影に囚われるか、未来の時間を奪われて永遠に彷徨い続けることになるっていう伝説の迷宮の森なんだニィ!」
ペイジン「へぇ〜……時空が狂い咲き?なんだかお花がいっぱい咲いてそうで綺麗そうじゃない?」
ニィ「花咲爺さんの話をしてるんじゃないニィッ! さっきの時計塔とクリスタの絶対零度、そして天の川の星の光が衝突したせいで、世界の時間の歪みにニィたちが落っこちちまったんだニィッ!!」
ニィが必死に両前足を振り回して力説していると、静まり返った森の奥から、チク、タク、チク、タクと、巨大な柱時計が時を刻むような不気味な音が響き渡り始めた。
チク、タク、チク、タクと不気味な時計の針の音が響く中、ペイジンが呑気に一歩を踏み出した、その瞬間だった。
ズボォォッ!!!
足元の青緑色の苔と地面が、音もなく円形に底抜けした。
ペイジン「ふぇっ!? 地面がないよぉーっ!?」
ニィ「ぎゃああああっ!? 落とし穴だニィッ!!」
完全に死角となっていた巨大な落とし穴へ、重力に引かれるまま真っ逆さまに落下していく二人。頭上を飛んでいたほうきちゃんが慌てて急降下して助けようと手を伸ばすが、穴の底からはすでに極寒の白い冷気が渦を巻いて立ち昇っていた。
穴の底に待ち受けていたのは、土や岩ではなかった。
ギチギチギチッ、ビキビキビキッ!
青白い蛍光を放ちながら鋭利に尖った、巨大な「氷の樹木」と、無数に張り巡らされた「氷の茨」の地獄だった。
落下してきたペイジンとニィの身体へ向けて、氷の茨たちが獲物を捕らえる蛇のように一斉に蠢き、空中で二人の手足や胴体へと容赦なく巻き付いた。
ペイジン「きゃあっ!? つ、つめたぁぁぁいっ!!」
ニィ「ふぎゃぁぁぁっ! 刺さるニィッ、凍るニィッ!!」
絡みついた茨のトゲから、猛烈な絶対零度の魔力が逆流するように二人の身体を侵食し始める。
ピキピキピキッ、ミシミシミシッ!
茨が巻き付いたペイジンの足首から太もも、そして腰回りへと、瞬時に青白い氷の層が分厚く張り巡らされていく。柔らかな衣服がガチガチに硬化し、動かそうとした足が石のように重たく凍りついていく。
ニィもまた、四肢と尻尾を氷の茨にガッチリと雁字搦めに捕らえられ、黒い毛並みがみるみるうちに白銀の霜で覆われて身動きが取れなくなっていた。
凍てつく茨は締め上げる力を強めながら、二人の体温を急速に奪い去り、落とし穴の底で完全な氷像へと変貌させようと冷気を噴き上げ続けていた。
次回第49話 氷の城の完成




