第32話 氷の中で
次回更新8月の予定
クリスタ「その下品な顔、どうにかならないの?パレット。」
誰もいないはずの凍結した広場へ、クリスタの冷たい声が落ちる。
氷の棺を見つめていた彼女がゆっくり振り返ると、折れかけた時計塔の上に、いつの間にか一人の少女が腰掛けていた。
色とりどりの絵の具を無造作に混ぜ合わせたような髪を揺らし、パレットは頬杖をつきながら、凍ったペイジンとニィを愉快そうに眺めている。その口元には、隠す気すらない歪んだ笑みが浮かんでいた。
パレット「あー、バレちゃいましたかー!!あはは☆ボクやフリス様も、最後までバトル見たかったなー!!」
軽い声とともに、パレットは時計塔から飛び降りる。
トンッ……。
雪の上へ降り立った足元から、赤や紫の絵の具に似た魔力がじわりと滲み、純白だった地面を不気味に染めていった。
クリスタ「うるさい。お前は黙ってろ。何も知らない癖に。」
クリスタが鋭く睨みつけると、その背後に広がる氷の翼が威嚇するように軋んだ。
パレット「だってボク、人が悲しんだり、暴力は大好物なんだよー?あはは☆」
パレットは両手を背中で組み、歌うような足取りで氷の棺へ近づいていく。
パレット「それにしても、惜しかったなー。あとちょっと続いてたら、この子たちはもっと苦しそうな顔を見せてくれたかもしれないのに。」
クリスタ「……近づくな。」
パレット「えー?どうしてですかー?」
パレットは足を止めず、透明な氷の向こうに閉ざされたペイジンの顔を覗き込む。
凍りつく直前までクリスタへ向けられていた、柔らかな微笑み。
それを見たパレットは一瞬だけ目を細め、すぐに堪えきれないように肩を震わせた。
パレット「あははっ!本当に変な顔!殺されかけた相手に、最後まで笑いかけるなんてさー!」
クリスタ「その子を笑うな。」
低く放たれた声とともに、パレットの足元へ鋭い氷柱が突き出した。
バキィンッ!!
パレット「おっと!」
パレットは軽やかに身を翻し、氷柱を紙一重でかわす。頬を掠めた氷片が、細い傷を刻んだ。
それでも、彼女の笑みは消えない。
むしろ頬を伝う血を指で拭い、その赤を面白そうに眺めていた。
パレット「あれれー?さっきまで凍らせようとしてた相手を、今度は守るんですかー?」
クリスタ「違う。」
パレット「何が違うの?」
クリスタ「……お前のような奴に、触れられたくないだけ。」
パレット「あはは☆それを守ってるって言うんじゃないのかなー?」
クリスタの表情が僅かに歪む。
否定しようとしても、言葉が出てこなかった。
氷の棺へ閉じ込めたのは自分だ。
ペイジンとニィから声も熱も奪い、永遠の夜へ沈めようとした。
それなのに、パレットが二人を弄ぶような視線を向けるたび、胸の奥には説明できない苛立ちが広がっていく。
パレット「ねえ、クリスタ。どうして止めを刺さないの?」
クリスタ「……もう凍っている。」
パレット「そうじゃなくてさー。」
パレットの瞳から、ふざけた光が一瞬だけ消えた。
パレット「砕いちゃえばいいじゃないですか。」
その言葉が広場へ落ちた瞬間、吹雪の音さえも僅かに遠ざかった。
クリスタ「……何?」
パレット「その氷の棺ごと、ばらばらに砕けば終わりでしょ?もう二度と起きないし、君に寂しいなんて余計なことも言わないよ。」
パレットは笑いながら片手を掲げる。
掌の上で、黒と赤の絵の具が混ざり合い、鋭い槍の形へ変わっていった。
パレット「ボクが代わりにやってあげよっか?」
クリスタ「やめろ。」
パレット「どうして?」
クリスタ「やめろと言っているッ!!」
ドォォォォォン!!!
クリスタの怒声と同時に、巨大な氷壁が氷の棺を庇うように地面からせり上がった。
パレットが作り出した槍は壁へ激突し、派手な音とともに粉々に砕け散る。
色鮮やかな魔力の飛沫が雪へ降り注ぐ中、パレットは目を丸くした後、再び楽しげな笑みを浮かべた。
パレット「あはは☆やっぱりクリスタ、面白いねー!」
クリスタ「……消えろ。」
パレット「自分で凍らせた相手を守って、それでも世界は全部凍らせたいなんて。矛盾だらけで、とっても綺麗な悲しみだよー。」
クリスタ「黙れ……ッ。」
クリスタの指先が震える。
怒りによるものなのか、ペイジンの言葉がまだ胸に残っているためなのか、自分でも分からなかった。
パレット「フリス様にも教えてあげよーっと。クリスタが、魔法少女の笑顔一つでおかしくなっちゃったって!」
クリスタ「パレットッ!!!」
ヒュオオオオオッ!!
絶対零度の風がパレットへ襲いかかる。
しかしパレットの身体は絵の具のように崩れ、色彩の粒となって吹雪の中へ溶けていった。
パレット「あははははっ☆また見に来ますねー!次はもっと、悲しくて楽しい続きを期待してますからー!!」
不愉快な笑い声だけを残し、その姿は夜の向こうへ消える。
再び静寂が訪れた広場で、クリスタは氷壁の奥へ視線を戻した。
透明な棺の中では、ペイジンが変わらず微笑んでいる。
クリスタ「……私は、守ったわけじゃない。」
返事はない。
それでもクリスタは目を逸らせず、凍った少女の微笑みをいつまでも見つめ続けていた。
その頃、ペイジンは氷の中で、不思議な夢を見ていた。
そこは、星降りの草原の丘。
夜空には無数の星がきらきらと輝き、冷たいはずの風も、不思議なくらい優しく頬を撫でていた。
丘の向こうでは、街の子供たちや人々が笑っている。
誰も傷ついていない。
誰も悲しんでいない。
そして、その中心にはニィがいた。
ペイジン「ニィ……?」
ニィ「やっと来たニィ、ペイジン。」
ニィは穏やかに微笑みながら、ペイジンへ前足を差し出した。
ニィ「もう頑張らなくていいニィ。」
ペイジン「でも……クリスタが……。」
ニィ「忘れていいニィ。怖いことも、冷たいことも、全部ここにはないニィよ。」
遠くで子供たちが手を振る。
温かな笑い声が、星空の下へ静かに広がっていった。
ニィ「ずっとここにいればいいニィ。」
ペイジン「ずっと……?」
ニィ「そうニィ。もう現実には戻らなくていいニィよ。」
その言葉を聞いた瞬間、ペイジンの胸に残っていた痛みも寒さも、少しずつ消えていった。
ニィ「ここなら誰も傷つかないニィ。ペイジンも、もう無茶をしなくて済むニィ。」
柔らかな草が足元を包み込み、夜空の星々が眠りへ誘うように瞬いている。
ペイジン「……ここにいれば、ずっとみんなと一緒にいられるの?」
ニィ「もちろんニィ。」
ニィは優しく笑い、ペイジンの手を握った。
ニィ「だから、もう起きなくていいニィ。」
その声はあまりにも温かく、あまりにも心地よかった。
ペイジンは少しずつ瞼を閉じながら、その手を握り返した。
ニィ「来るニィ。」
ペイジン(あれ、ここは……いつものクロノスの街……??)
星降りの草原はいつの間にか消え、目の前には見慣れた石造りの街並みが広がっていた。
夜のはずなのに、街灯はやわらかく灯り、遠くの窓には温かな明かりが揺れている。
ニィ「いつもの階段を駆け下るニィ。そしたら、いつもの港町や海水浴場が見えるニィ。」
ニィは振り返り、いつもの調子で尻尾を揺らした。
その先には、何度も通った長い石段が続いている。
ペイジン「でも……こんなに静かだったっけ……?」
ニィ「細かいことは気にしなくていいニィ。」
二人が階段を下り始めると、潮の匂いが少しずつ近づいてきた。
やがて視界の向こうに、穏やかな港町と、月明かりに照らされた海水浴場が現れる。
波の音も、街の灯りも、すべてが懐かしくて優しかった。
ニィ「ここなら、ずっと変わらないニィ。」
ペイジン「ずっと……?」
ニィ「そうニィ。朝も来ないし、誰もいなくならないニィ。」
ニィは微笑みながら、ペイジンへ前足を差し出した。
ニィ「だからこのまま、いつもの街でずっと暮らすニィ。」
ニィ「ねぇ、ペイジン……ッ。」
ペイジン「なんなの?ニィ……ッ。」
ニィは足を止めると、振り返ったまま静かにペイジンを見つめた。
その笑顔はいつもと同じはずなのに、どこか不自然に固まっている。
ジュクシッ!!
ペイジン「はゥ……ッ!!??ちょっと、何するのニィ!」
突然、ニィの前足がペイジンの脇腹へ深く食い込んだ。
鋭い痛みに身体を折り曲げながら後ずさると、触れられた場所から冷たい影がじわじわと広がっていく。
ペイジン「ニィ……?」
ニィ「戻ろうとするからだニィ。」
ペイジン「え……?」
ニィの瞳から、いつもの優しい光がゆっくりと消えていく。
ニィ「ここにいれば、ずっと幸せなのに。」
穏やかだった港町の景色が歪み始める。
海は音もなく凍りつき、街灯の明かりは一つずつ消え、階段の上には白い吹雪が渦巻いていた。
ニィ「現実に戻ったら、また寒くて、痛くて、苦しいニィ。」
ペイジン「あなた……ニィじゃない……ッ。」
ニィ「ニィだニィ。」
ニィは笑いながら、再びペイジンへ近づく。
ニィ「ペイジンが望んだ、ずっと一緒にいてくれるニィだニィ。」
ペイジンの脇腹から広がった冷気が胸元へ這い上がり、夢の中にいるはずの身体まで凍りつかせていった。
ペイジン「……こんなのおかしいよッ!!どこから出れるの?ここからァ……!」
ペイジンは脇腹を押さえながら、歪み始めたクロノスの街を見回した。
ついさっきまで穏やかだった港町は、いつの間にか音を失っている。
波は止まり、空には星が張りついたまま動かず、遠くで笑っていた子供たちも同じ表情のまま静止していた。
ニィ「出る必要なんてないニィ。」
ペイジン「あるよッ!!ここは夢なんでしょ!?本物のニィも、クリスタも、まだあの氷の中にいるんだから……ッ!」
ニィ「戻ったら、また凍えるニィ。」
ニィの声が、街のあちこちから重なって聞こえる。
ニィ「痛いニィ。苦しいニィ。今度こそ、本当に死ぬかもしれないニィ。」
ペイジン「それでも……!」
石段を駆け上がろうとした瞬間、階段がぐにゃりと伸びた。
どれだけ走っても景色は近づかず、背後の海水浴場ばかりが遠くへ沈んでいく。
ペイジン「うそ……進めない……ッ!」
ニィ「ここなら全部、いつものままだニィ。」
ニィは笑顔のまま、ゆっくりと距離を詰める。
ニィ「誰もいなくならないニィ。明日も来ないニィ。だから、もう現実なんて忘れるニィ。」
ペイジン「嫌……ッ。」
ペイジンは胸元へ手を当てた。
その奥で、ごく小さな鼓動のように、赤い星の光が一度だけ瞬いた。
ペイジン「本物のニィなら……うちに、諦めろなんて絶対に言わないよッ!!」
ニィ「そうだな……ペイジンは確かに、あと十パーセントぐらい進んでしまえば、このまま死んでしまうニィ……。どういうことか分かるかニィ?」
ペイジン「……何を、言ってるの……?」
ニィは笑っていた。
けれど、その瞳には温かさがなく、凍りついた海のような光だけが揺れている。
ニィ「この夢は、ペイジンの意識が最後に作った逃げ道だニィ。」
ニィ「ここへ深く入り込むほど、現実の身体は冷たくなって、もう戻れなくなるニィ。」
ペイジン「じゃあ……この街を進んでたのは……。」
ニィ「眠りの奥へ進んでたってことだニィ。」
遠くで街灯が一つ消える。
続いて港町の家々も、海水浴場も、階段も、ゆっくりと白い霧に飲み込まれていった。
ニィ「あと十パーセント。」
ニィ「そこを越えたら、ペイジンは氷の棺の中で完全に止まるニィ。」
ペイジン「そんな……。」
ニィ「でも怖くないニィ。ここなら痛くないし、寒くないし、みんなずっと笑ってるニィ。」
ニィは前足を差し出し、優しく首を傾げた。
ニィ「だから、もう戻らなくていいニィ。」
ペイジン「……嫌。」
ニィ「どうしてニィ?」
ペイジンは震える手で胸元を押さえた。
そこにはまだ、ごく弱い鼓動と、消えかけた星の温もりが残っていた。
ペイジン「本物のニィが……まだ待ってるから。」
その瞬間、偽物のニィの笑顔がゆっくりと崩れた。
ニィ「……この先、もし今を抜けたとしても、宝物を探す旅に行かないといけないニィ。それは分かってるニィ……ッ?」
偽物のニィが一歩近づくたび、クロノスの街並みが軋むように歪んでいく。
港町の灯りは次々と消え、海の向こうには黒い渦がゆっくりと広がり始めていた。
ニィ「それがないと、欠片がブラックホールになって……ッ。」
ペイジン「分かってるよ、そんなの……ッ!!」
ペイジンは声を荒らげ、胸元を強く押さえた。
指先は震えていたが、その目だけは逸らさない。
ペイジン「宝物を見つけないと、全部飲み込まれるんでしょ……!街も、みんなも、ニィも……ッ!」
ニィ「だったら、どうして戻ろうとするニィ?」
ペイジン「怖いからだよッ!!」
叫んだ瞬間、凍りついた海面へ大きな亀裂が走った。
ペイジン「怖いけど……それでも行かなきゃいけないから、戻るんだよ……ッ!」
ニィ「戻れば、また痛いニィ。寒いニィ。今よりもっと苦しい旅になるかもしれないニィ。」
ペイジン「それでも……逃げたまま全部なくなる方が、ずっと嫌だよッ!」
胸の奥で、小さな星の光が再び瞬いた。
その光に照らされ、偽物のニィの輪郭がわずかに揺らぎ始めた。
ニィ「……正直に言うね。あなたとニィは死んだ……。かわいそ。」
ペイジン「……へッ!?冗談言わないでよ……ッ!!だって、さっきまで……。」
ペイジンの声が震える。
港町の景色は変わらない。子供たちは遠くで笑い、海は月明かりを映して穏やかに揺れている。
それなのに、そのすべてが急に薄っぺらい作り物のように見え始めた。
ニィ「さっきまで、クリスタと戦ってたニィ?」
ペイジン「そうよ……!氷の棺に閉じ込められて……でも、まだ意識があった……ッ!」
ニィ「それが最後ニィ。」
偽物のニィは、まるで天気の話でもするかのように淡々と言った。
ニィ「ペイジンも、本物のニィも、あの氷の中で動かなくなったニィ。心臓も、呼吸も、全部止まったニィ。」
ペイジン「嘘……。」
ペイジンは胸元へ手を当てる。
鼓動は感じる。
けれど、それが本当に自分の心臓なのか、夢が見せている感覚なのか分からなかった。
ペイジン「だって……うち、今こうして立ってるじゃない……。」
ニィ「死んだから、ここにいるニィ。」
その言葉と同時に、遠くで笑っていた街の人々が一斉にペイジンへ顔を向けた。
誰も瞬きをしない。
笑顔だけを貼りつけたまま、静かにこちらを見つめている。
ニィ「ここは、死んだペイジンが最後に見てる夢ニィ。」
ペイジン「やめてよ……。」
ニィ「もうクリスタを助けなくてもいいニィ。宝物も探さなくていいニィ。欠片がブラックホールになっても、ペイジンには関係ないニィ。」
ペイジン「やめてって言ってるでしょッ!!」
ペイジンの叫びが、静かな港町へ響き渡る。
しかし、波の音も、人々の笑い声も止まらない。
何も変わらない世界の中で、偽物のニィだけが憐れむように首を傾げた。
ニィ「かわいそうなペイジン。」
ニィ「最後まで誰かを助けようとして、自分も相棒も死なせちゃったニィ。」
ペイジン「違う……ッ。」
ニィ「何が違うニィ?」
ペイジン「ニィは……まだ死んでない。」
ニィ「どうして分かるニィ?」
ペイジンは震える拳を強く握った。
根拠なんてない。
現実がどうなっているのかも見えない。
それでも、胸の奥には消えきらない小さな違和感が残っていた。
ペイジン「だって、本物のニィが死んだなら……うちを置いて、こんなところで笑ってるはずないもん……ッ!」
偽物のニィの表情が、初めて僅かに歪んだ。
ニィ「そうね……ッ。暗いところにいたあなたを、この仮想空間へ引きずり込んだ……。現実と冥界の間にある、ありふれた場所へ。」
ニィは港町を見渡しながら、どこか芝居がかった様子で片目を細めた。
ニィ「回廊とでも言うのかしら?」
ペイジン「……なによそれ。」
ニィ「回廊とはエッチだニィ。」
バシッ!!
ペイジン「ちゃんと答えなさいよ。」
ペイジンの平手がニィの頭へ容赦なく振り下ろされる。
ニィ「痛いニィッ!!死にかけの人間が出す威力じゃないニィ!!」
ペイジン「ふざけてる場合じゃないでしょ!うちも本物のニィも、今どうなってるのよッ!」
ニィは頭を押さえながら、不満そうに尻尾を振った。
ニィ「……簡単に言えば、ここは戻る場所と終わる場所の間ニィ。」
ニィ「まだ完全に死んでない。でも、生きてるとも言い切れない。だから意識だけが、この回廊に引っかかってるニィ。」
ペイジン「じゃあ……まだ戻れるの?」
ニィ「戻れる可能性はあるニィ。」
その言葉と同時に、穏やかだった港町の空へ細い亀裂が走った。
ニィ「ただし、ここから先を間違えたら、本当に戻れなくなるニィ。」
ニィ「そう……ここは、その間にある廊下みたいな場所。たくさんの気絶してる人たちが集まってくる場所……ッ。」
ニィがそう言うと、クロノスの街並みの奥に、薄暗い長い通路が浮かび上がった。壁際には、眠るように座り込む人影がいくつも並んでいる。
ペイジン「ここで何すればいいの?」
ニィ「知らないニィ。ただ、遊んでいればいいニィ。」
ペイジン「遊ぶって……こんなところで?」
ニィ「ただし、落ちればかなり下が地獄に繋がってるニィ。」
ニィは足元を前足で軽く叩く。
その瞬間、石畳が透け、遥か下に赤黒い闇が口を開けているのが見えた。底からは、誰かの呻き声のような風が吹き上がってくる。
ニィ「何を言いたいか分かるかニィ?」
ペイジン「……ここで遊び続けて、足を踏み外したら終わりってこと?」
ニィ「そうニィ。戻れず、先にも進めず、そのまま落ちるニィ。」
ペイジンは息を呑み、静かに一歩だけ後ろへ下がった。
ペイジン「全然ありふれた場所じゃないじゃない……ッ。」
ニィ「いつまでも遊び続けるがいい……ッ。きっと、その中にお前の答えがあるだろう……ッ。」
ニィの声が、長い回廊の奥へゆっくりと響いていく。
その言葉と同時に、クロノスの街並みは再び柔らかな光を取り戻した。港町には人々の笑い声が戻り、海水浴場では子供たちが波打ち際を駆け回っている。
けれど、ペイジンにはもう分かっていた。
この景色は優しすぎる。
優しすぎるからこそ、いつまでも留まってはいけない場所なのだ。
ペイジン「……答えって、何よ。」
ニィ「それは自分で見つけるニィ。」
偽物のニィは振り返らず、そのまま人混みの中へ溶けていく。
ペイジン「ちょっと待ちなさいよ!本物のニィはどこなの!?うちはどうやって戻ればいいのよッ!」
問いかけても、返事はない。
ただ、どこか遠くで鈴の音が一度だけ鳴った。
リン……。
ペイジンは胸元を押さえる。
現実の氷の棺から届いたような、弱い鼓動が確かにそこに残っていた。
ペイジン「遊んでれば答えが見つかるなんて……そんな適当なこと、信じられるわけないでしょ。」
そう言いながらも、ペイジンは港町へ向かってゆっくりと歩き出す。
この偽物の街のどこかに、本物のニィへ繋がる道がある。
そんな気がしてならなかった。
それでも、背景に広がっているのはいつもの街だった。
見慣れた石畳。港へ続く坂道。遠くから聞こえる子供たちの笑い声。
みんながいる街。
けれど、ここは現実ではない。
どれほど温かく見えても、どれほど懐かしく感じても、すべては生と死の間に作られた仮初めの景色だった。
そんな街角に、一人の少女が立っていた。
淡いピンク色の髪を二つに結び、真っ白なワンピースを風に揺らしている。
幼い顔には曇りのない笑顔が浮かび、その姿は、この先に待つ運命など何も知らないように健気で明るかった。
それは、とある彼女の生前の姿だった。
女の子「お姉ちゃん!あそぼッ!!!」
少女はペイジンを見つけるなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。
ペイジン「君は……ッ?」
ペイジンには、その少女が誰なのか分からない。
どこかで会ったような気もする。
けれど、記憶を辿っても、その名前も顔も浮かんではこなかった。
フリス「私はフリス!よろしくね!!」
フリスは白いワンピースの裾を揺らしながら、元気よく手を差し出した。
その笑顔には、今のフリスからは想像もできないほど真っ直ぐな無邪気さが宿っていた。
ペイジン「フリス……?」
フリス「うん!ねえ、一緒に遊ぼうよ!あっちに綺麗なお花がいっぱい咲いてるの!」
フリスはペイジンの手を取ると、答えを待たずに街の奥へ走り出す。
ペイジン「ちょ、ちょっと待ってよッ!」
少女の手は温かかった。
この場所が現実ではないと分かっているのに、その温もりだけは不思議なほど本物のように感じられた。




