第31話 いつまでも眠れない私
クリスタ「なぜ私の邪魔をするの?」
ドォォォォォン!!!
叫びと同時に、広場の石畳が砕け散る。
地面から何本もの巨大な氷柱が一気に突き上がり、夜のクロノスは瞬く間に銀白の世界へと変わっていく。吐く息さえ凍りつくほどの冷気が街全体を包み込み、人々は震えながらその場を離れていった。
ペイジン「……この力。」
クリスタの赤い瞳は、まるで感情を閉ざした氷そのものだった。
クリスタ「温もりなんて……この街には必要ない。」
パキッ……パキパキッ!!
建物の壁、街灯、噴水までもが次々と氷に包まれていく。
ペイジンは静かに一歩前へ踏み出した。
ペイジン「だったら……私が止める。」
キィィィン……
手に宿った魔法の光が、凍てつく街に小さな輝きを灯す。
クリスタ「来なさい。」
次の瞬間――
バシュゥゥゥッ!!!
巨大な氷の竜巻がペイジンへ向かって一直線に襲いかかった。
ペイジン「スリーピーシュートォォ!!!」
キュィィィン――!!
ペイジンの杖の先から、淡い金色の光弾が夜空を駆け抜ける。
その光は流れ星のような軌跡を描き、一直線に氷の竜巻へ飛び込んだ。
ドォンッ!!!
激しい衝突とともに、眠りの魔力が竜巻の中心へ広がっていく。
クリスタ「……っ!?」
ゴゴゴゴゴ……!!
巨大な氷の竜巻がわずかに揺らぎ、回転が少しずつ鈍くなる。
ペイジン「効いてる……!」
だが、その瞬間――
クリスタの赤い瞳が鋭く輝いた。
クリスタ「甘い。」
バキィィィン!!!
竜巻の中から無数の氷の結晶が一斉に弾け飛び、眠りの魔力を押し返すように夜空へ舞い上がった。
ニィ「……ッ!!ペイジンッ!!横ッ!!!」
ペイジン「……ッ!きゃあああッ!!」
ゴオオオオオオオッ!!!!
横殴りに襲いかかった氷の竜巻が、ペイジンと黒猫の少女ニィをまとめて飲み込んだ。
ペイジン「う、うそ……ッ!止まらないッ!!」
ニィ「爪が……ッ!地面に、引っかからないッ!!」
凍りついた石畳の上を、二人の身体が勢いよく引きずられていく。吹き荒れる冷気は髪も服も容赦なく凍らせ、ペイジンの白いマントには鋭い氷の結晶が次々と突き刺さっていった。
バキッ!!ガガガガガッ!!
ペイジン「きゃあああああッ!!」
ニィ「ペイジンッ!!手を離すなッ!!」
ニィは必死にペイジンの腕へしがみつく。しかし竜巻の回転はさらに強くなり、二人は宙へと巻き上げられた。
クリスタ「眠りの魔法なんて、この吹雪の中では届かない。」
ペイジン「そんなこと……ッ!」
杖を握り直そうとした瞬間、スリーピィステッキの先端へ白い霜が走った。
パキ……パキパキパキッ!!
ペイジン「え……?」
冷気は杖の先から柄へと広がり、淡い光を放っていた宝石までも一瞬で白く閉ざしていく。
ニィ「ペイジンッ!!杖を離せッ!!」
ペイジン「だめッ!!これを離したら……ッ!!」
ドォォォォンッ!!
氷の竜巻が二人を地面へ叩き落とし、砕けた氷片が辺り一面へ飛び散った。
しばらくして、吹雪の音だけが凍りついた広場に残った。
ペイジン「うぅ……ニィ……大丈夫……?」
ニィ「ボクは……なんとか……。でも……。」
震える腕で、ペイジンは地面へ転がった杖に手を伸ばす。
けれど、その杖はもう淡い金色の光を失い、厚い氷の中へ完全に閉じ込められていた。
ペイジン「ああッ……!!杖が……スリーピィステッキが……ッ!!!」
カチィィィン……!!
スリーピィステッキは、先端から柄の端まで真っ白に凍りつき、ペイジンが触れてもびくともしなかった。
ペイジン「……まだよ。こんなところで、凍らされてたまるもんですか……!」
ペイジンは震える手を伸ばし、今にも手放しかけていた凍りついたスリーピィステッキを、もう一度強く握りしめた。
ペイジン「ひィ……冷たッ!!!」
触れた瞬間、鋭い冷気が掌から腕へと突き抜ける。
パキッ……パキパキッ……!!
凍った柄に指先が張りつきそうになり、ペイジンの肩が大きく跳ねた。それでも彼女は手を離さない。
視界は白くかすみ、吐く息すら細かな氷の粒へ変わっていく。髪も服も霜に覆われ、全身がこのまま凍りついてしまいそうな極限状態だった。
それでも、ペイジンの瞳だけはまだ諦めの色に染まってはいなかった。
ニィ「ペイジン……ッ。」
黒猫の少女ニィは、震える足でペイジンの隣へ立つ。
逃げろと言いたい。
今すぐここから離れろと叫びたい。
けれど、凍りついたステッキを握りしめる相棒の横顔を見れば、ペイジンが簡単に退くつもりなどないことくらい、誰よりもニィには分かっていた。
クリスタ「懲りないね……なら、こいつはどうかしら?」
クリスタが冷たく言い放つ。
キィィィィン……!!
その声に呼応するように、彼女の周囲へ浮かんでいた無数の氷柱が一斉に動き始めた。
一本、また一本。
鋭い氷柱同士が激しくぶつかり、折り重なり、巨大な一つの塊へと合体していく。
バキバキバキバキッ!!!
やがて完成したのは、ペイジンたちの身体を何倍も上回る巨大なドリル状の氷塊だった。
ギュルルルルルルルッ!!!!
氷のドリルは猛烈な勢いで回転を始める。
周囲の空気を根こそぎ吸い込み、凍った石畳から砕けた氷片までも巻き上げながら、触れるもの全てを削り取るような殺人的な冷気を撒き散らしていた。
ニィ「危ないニィ!!!さっさと早く逃げるニィ!!直撃したら今度こそ粉々だニィッ!!」
ニィはペイジンの服へ両手でしがみつき、必死に後ろへ引っ張った。
ニィ「ペイジンッ!!聞こえてるニィッ!?逃げるニィ!!ボクまで巻き込む気かニィッ!!」
しかし、ペイジンの身体は動かない。
ニィがどれだけ引っ張っても、彼女はその場に棒立ちになったままだった。
ペイジン「…………。」
ニィ「ペイジン……?」
絶体絶命の瞬間。
逃げるどころか、ペイジンの身体から妙に力が抜けていく。
そして――
ペイジン「( ᵔᢦᵔ )」
ニィ「何浮かれてるニィッ!!??」
ニィの目が大きく見開かれた。
ニィ「この状況でその顔はあり得ないニィ!!脳まで凍りついたのかニィッ!!??」
突如として現れたペイジンの謎の笑みに、ニィの全力のツッコミが凍りついた夜の広場へ響き渡る。
ペイジン「なんか……ちょっとだけ、楽しくなってきたかも……。」
ニィ「完全に凍っておかしくなってるニィィィッ!!!」
ニィは叫びながらも、ペイジンの服を掴んだ手だけは決して離さなかった。
呆れても、怒鳴っても、どれだけ無茶をされても。
ここで相棒だけを置いて逃げるという選択肢は、ニィの中には最初から存在していなかった。
クリスタ「さようなら。」
クリスタが静かに腕を振り下ろす。
ドゴォォォォォォォッ!!!!
巨大な氷のドリルが放たれた。
高速回転する氷塊が、空気を引き裂く凄まじい轟音とともに一直線に二人へ迫る。
ニィ「ペイジンッ!!何でもいいから避けるニィッ!!!」
ペイジン「…………。」
ニィ「聞いてるニィィィッ!!??」
ペイジンは動かない。
回避行動を取るどころか、凍りついたスリーピィステッキを握ったまま、迫る巨大な氷のドリルをじっと見つめている。
ニィ「ぎゃあああああ!!!!」
次の瞬間――
ズドォォォォォォォォンッ!!!!
巨大な氷のドリルが、ペイジンとニィをまとめて飲み込んだ。
白銀の爆発が広場全体へ膨れ上がり、砕けた氷の破片が吹雪のように夜空へ舞い上がる。
石畳は大きくえぐれ、周囲の建物まで激しく震えた。
ニィの悲鳴は猛吹雪の中へ消えていき、二人の姿も完全に白い爆煙の向こうへ飲み込まれてしまう。
回避行動を一切取らなかったペイジンと、それでも最後まで服を掴み続けた相棒のニィ。
二人の運命は、文字通り白銀の爆発の中に消し飛ばされたかに見えた。
ニィ「死ぬかと思ったニィ……!ペイジン、さっきのあの顔は何だったんだニィッ!!」
白銀の爆煙が少しずつ晴れていく。
巨大な氷のドリルが直撃したはずの場所には、雪と氷に埋もれながらも、どうにか無事だったペイジンとニィの姿があった。
ニィは鼻先に雪をつけたまま勢いよく立ち上がると、相棒の胸元を両手で掴み、ぶんぶんと揺さぶりながら猛抗議した。
ニィ「どうして避けなかったニィッ!!ボクが咄嗟に雪の下へ引っ張り込まなかったら、二人まとめて氷の欠片になってたニィよッ!!」
ペイジン「あ!ごめん……いや、クリスタの氷や雪、綺麗だなーって……。」
ペイジンは頭につもった雪を払いながら、困ったように頭を掻く。
反省しているのか、それともまだ氷の輝きに心を奪われているのか分からない、なんともバツの悪そうな表情だった。
ニィ「はぁぁぁぁッ!!??」
ニィの尻尾が逆立つ。
ニィ「この状況で何を見惚れてるニィ!殺されかけてるんだニィよッ!!」
ペイジン「だって、あんなにすごい魔法、見たことないんだもん。」
ペイジンは凍りついたスリーピィステッキを抱きしめながら、広場一面に広がる氷の結晶を見渡した。
砕けた氷柱は月明かりを受け、青や紫、淡い銀色の光を放っている。
街を凍らせ、人々を傷つけるために生み出された魔法。
それでも、その輝きそのものには、思わず息を呑むほどの美しさがあった。
ペイジン「冷たいけど、キラキラしてて……本当はもっと、別のことに使えばいいのにって思っちゃって。」
クリスタ「……綺麗……?」
離れた場所で次の魔法を放とうとしていたクリスタの手が、ぴたりと止まった。
彼女の周囲に浮かんでいた鋭い氷柱も動きを失い、空中で静かに震える。
その瞳に宿っていた絶対零度の光が、初めて困惑に揺れた。
クリスタ「私の魔法が……?」
自分の力を恐れた者はいた。
拒絶し、逃げ出した者もいた。
危険だから止めろと叫び、自分を化け物のように見つめた者もいた。
だが、凍えながらも見惚れ、その力を綺麗だと言った者など、今まで一人もいなかった。
ましてや、たった今その魔法に殺されかけた相手から、そんな言葉を向けられるとは思ってもいなかった。
ニィ「感心してる場合じゃないニィ!」
ニィはペイジンの肩を掴み、再び激しく揺さぶる。
ニィ「綺麗すぎて死んじゃったら元も子もないニィッ!!」
ペイジン「わ、分かってるよぉ……!でも、ニィだってちょっとは綺麗だと思ったでしょ?」
ニィ「思ってないニィッ!!」
間髪を入れずに返された叫びが、静まり返った氷の広場に響き渡った。
しかし、怒鳴りながらもニィはペイジンの前へ立ち、クリスタから相棒を庇うように両腕を広げていた。
ニィ「ペイジンは変なところで呑気すぎるニィ……。だからボクが、ちゃんと守ってやらないと駄目なんだニィ。」
ペイジン「ニィ……。」
クリスタ「……どうして。」
クリスタは戸惑いを隠せないまま、二人を見つめる。
クリスタ「どうして、私の力を見て……そんな顔ができるの?」
ペイジンは凍りついたステッキを握り直し、ゆっくりと立ち上がった。
ペイジン「綺麗なものを綺麗って言うのに、理由なんていらないよ。」
その言葉に、クリスタの周囲を漂っていた氷柱が、かすかに揺らいだ。
ペイジン「ほら、自然だってありふれたかのように生きてるけど、それなのにみんなが知らないうちに汚してる人もいるの……。」
ペイジンは凍りついたスリーピィステッキを胸元へ抱き寄せながら、静かに足元へ視線を落とした。
雪に覆われた石畳の隙間では、小さな草の葉が冷気に耐えるように震えている。
ペイジン「空も、森も、海も……ずっとそこにあるから、なくならないって思われてる。でも、本当は少しずつ傷ついてるのに、気づかない人もたくさんいる。」
ニィ「ペイジン……。」
先ほどまで激しく怒鳴っていたニィも、相棒の言葉を遮ることなく黙って隣に立っていた。
ペイジン「クリスタの氷も同じだと思う。怖い力だからって全部悪いものにするんじゃなくて、どう使うかで変わるんじゃないかな。」
クリスタ「どう使うか……?」
ペイジン「うん。こんなに綺麗な雪や氷なら、誰かを傷つけるためじゃなくて、暑さに苦しんでる人を助けたり、枯れそうな土地に水を届けたりできるかもしれない。」
クリスタの瞳がわずかに揺れる。
自分の力に別の使い道があるなど、考えたこともなかった。
否定される前に拒絶し、傷つけられる前に凍らせる。
それだけが、自分を守る唯一の方法だと思っていた。
ペイジン「だから私、クリスタの魔法を止めたいんじゃないの。」
凍りついた杖を握る手は、まだ震えている。
それでもペイジンは顔を上げ、真正面からクリスタを見つめた。
ペイジン「そんなに綺麗な力を、悲しいことにしか使えなくなってるクリスタを止めたいの。」
クリスタ「……私を?」
ペイジン「一緒に考えようよ。誰かを凍らせなくても、その魔法を綺麗だって言ってもらえる使い方を。」
ニィ「……まったく、ペイジンは甘すぎるニィ。」
ニィは呆れたようにため息をつきながらも、ペイジンの隣から離れなかった。
ニィ「でも、それが相棒の決めたことなら……ボクも最後まで付き合うニィ。」
ペイジン「ニィ……!」
クリスタ「…………。」
クリスタの周囲に浮かんでいた氷柱が、一本、また一本とゆっくり地面へ降りていく。
しかし、その指先にはまだ冷気がまとわりつき、迷いと警戒が消えたわけではなかった。
クリスタ「そんな言葉だけで……私が変われると思ってるの?」
ペイジン「思ってないよ。」
クリスタ「……え?」
ペイジン「すぐには無理だと思う。でも、最初の一歩くらいなら今ここで踏み出せる。」
ペイジンは凍えた顔に、それでも柔らかな笑みを浮かべた。
ペイジン「だから、もう一度ちゃんと話そう。今度は魔法じゃなくて、クリスタの言葉で。」
二人のやり取りを聞いていたクリスタの手が、ぴたりと止まった。周囲を舞っていた氷の粒も、その動きに合わせるように一瞬だけ静止する。
その瞳に宿る絶対零度の光が、わずかな困惑に揺れていた。
自分の力を恐れ、拒絶し、あるいは今すぐ止めろと叫ぶ者はこれまでにもいた。しかし、凍傷寸前まで追い詰められながら、その氷に見惚れる者など一人もいなかったからだ。
ニィ「感心してる場合じゃないニィ!綺麗すぎて死んじゃったら元も子もないニィッ!!」
ニィは逆立った尻尾を震わせながら、雪まみれの前足でペイジンの服を必死に引っ張る。
ペイジン「わかってるわよ!でも、あんなに綺麗なものを作れるなんて、世界を凍らせるだけの悪い存在だなんて、どうしても思えないんだもん!」
ペイジンは凍りついたスリーピィステッキを握り直し、吹雪の向こうに立つクリスタを真っ直ぐに見据えた。
その瞳に浮かんでいたのは恐怖ではない。
未知の魔法へ向けた純粋な好奇心と、孤独に凍りついたクリスタを放っておけないという、わずかな同情。その温かな色が、白銀の景色の中で小さな灯火のように揺れていた。
ゴオオオオオオオオオオッ!!!
その時、クリスタが険しい表情で両手を突き出した。
直後、それまでとは比較にならない規模の絶対零度のブリザードが放たれる。
凍りついた大気が巨大な壁となって広場を駆け抜け、降り積もった雪も砕けた氷もすべて巻き上げながら、白い闇となって視界のすべてを飲み込んでいく。
ペイジン「ぐ……ッ!!」
バリバリバリッ!!!
凄まじい音とともに、ペイジンの足元へ分厚い氷がまとわりつく。
氷の結晶は靴から膝、腰、肩口へと瞬く間に這い上がり、彼女の身体を白銀の殻へ閉じ込めるように自由を奪っていった。
一歩も動けないまま、極寒の嵐が服の隙間へ潜り込み、残された体温を容赦なく削り取っていく。
ニィ「ぎにゃあああッ!!凍る、凍ってしまうニィ!!」
ペイジン「さ、寒ッ……!!指が……もう、動かない……ッ!」
ペイジンの歯が激しく鳴り、ステッキを握る両手も小刻みに震える。
吐き出した息は唇を離れた瞬間に白い霜へ変わり、頬やまつ毛へ次々と貼りついていった。
ニィ「ペ、ペイジン……ッ!ボクの肉球も、尻尾もカチコチだニィ……ッ!」
ニィも全身を震わせ、丸くなった身体を少しでもペイジンへ押しつける。だが、二人分の僅かな温もりなど、この吹雪の前ではあまりにも頼りなかった。
ペイジン「うぅ……でも、この氷……すごく美しい〜……。氷になってもいいかも……ッ。」
ニィ「一体何言ってるんだニィ!!??」
ヒュオオオオオッ!!
吹雪はさらに勢いを増し、ペイジンの膝から下を完全に氷の中へ埋めていく。
ニィの耳や髭にも白い霜がこびりつき、瞬きをするたびに瞼同士が凍りつきそうになる。
ペイジン「ひ、ひィ……ッ!さすがに……これは、ちょっと寒すぎるかも……ッ!」
ニィ「ちょっとどころじゃないニィッ!あと少しで二人とも氷像だニィッ!!」
二人の身体は激しく震えていたが、その震えさえ次第に小さくなり始めていた。
指先も足先も感覚を失い、髪も服も完全に凍りつき、動けば砕けそうなほど硬くなっている。
カチコチになる寸前だった。
ニィもまた暴風に煽られながら、必死にペイジンの服へしがみついた。小さな爪を布地へ食い込ませ、相棒だけは吹き飛ばされまいと全身で踏ん張る。
周囲の空気そのものが凍り、呼吸をするたびに肺の奥へ鋭い冷気が突き刺さる。まるでナイフで内側から切り裂かれるような痛みに、二人はまともに息を吸うことすらできなかった。
クリスタ「……これが、私の本当の姿。綺麗だなんて言ったこと、後悔させてあげる……ッ!!」
ドォォォォォン!!!
クリスタの背後で、巨大な氷の翼が一気に開いた。
翼が力強く羽ばたくたび、先ほどよりも密度の高い冷気の波動が円形に広がり、凍結した広場を何重にも塗り潰していく。
建物の窓は一斉に白く曇り、街灯は根元まで氷に覆われた。
広場の時計塔も凍結の重みに耐えきれず、みしみしと不気味な音を立てながら、ゆっくりと歪み始めていた。
ペイジン「……く……あ、きらめ……ない……わよ……!!」
カチ、カチ……。
ペイジンの全身を覆う氷が、軋む音を立てながらさらに厚みを増していく。足元から胸元まで白銀の結晶に閉ざされ、指一本動かすことさえ難しくなっていた。
それでも、彼女の手の中にあるスリーピィステッキの先端だけは消えない。
吹き荒れる絶対零度の嵐に抗うように、宝石の奥で赤く、熱い輝きが脈打ち続けていた。
ペイジン「どうして……そんなに夜を凍らせるの?」
ヒュオオオオオオッ!!
ペイジンの問いかけは、広場を蹂躙する吹雪に掻き消されそうになる。
凍りついた唇から必死に絞り出された声。
それでも、その言葉は白い嵐を越え、真っ直ぐにクリスタの耳へ届いた。
クリスタの肩が微かに震える。
背中に広がる氷の翼は動揺を隠すように鋭く逆立ち、無数の氷片を周囲へ撒き散らした。
クリスタ「……夢を見れば、また失う。」
俯いたクリスタの声が震える。
クリスタ「悲しみに凍えるくらいなら、初めから眠らなければいいッ!!!!」
ドォォォォォン!!!
彼女の叫びに呼応し、周囲を囲んでいた氷壁が爆発的に膨れ上がった。
バキバキバキバキッ!!!
巨大な氷柱が地面から次々と突き上がり、互いに絡み合いながら天へ伸びていく。それは逃げ道も夜空も塞ぐ、巨大な氷の檻となって広場を完全に封鎖した。
クリスタの瞳から、青白い涙が溢れ出す。
流れ落ちた涙は頬を伝う前に凍りつき、絶望と怒りを閉じ込めた小さな結晶となって砕け散った。
ペイジン「でも、それじゃあ朝も未来も訪れないよッ!!!!」
バリバリバリッ!!!
ペイジンは全身を縛りつける氷の枷へ力を込める。
凍りついた肩を震わせ、身体へ食い込む結晶を無理やり引き剥がそうとした瞬間、スリーピィステッキの宝石が真紅に燃え上がった。
ジュウウウウッ!!
放たれた熱が周囲の氷を急激に溶かし、ペイジンの身体から濃い白煙が立ち昇る。
しかし、溶けた水滴は地面へ落ちる前に再び凍りつき、彼女の身体をさらに分厚い氷で覆おうとしていた。
ニィ「ペイジン、無茶ニィ!これ以上魔力を使ったら、君の身体まで持たないニィッ!!」
ニィは暴風に煽られながら、ペイジンの足元へ必死にしがみつく。
耳も尻尾も霜で真っ白に染まり、身体は寒さで激しく震えていた。それでも相棒を止めようと、凍りつきかけた爪で服を掴み続ける。
ペイジン「いいの!」
凍える喉を振り絞り、ペイジンは叫んだ。
ペイジン「あの子、あんなに悲しい魔法を使ってるんだもん!放っておけるわけないじゃないッ!!」
ジュウウウウッ!!!
ペイジンの放つ熱と、クリスタの絶対零度が真正面から激突する。
ドゴォォォォォン!!!
凄まじい衝撃波が広場を駆け抜け、氷の檻を大きく揺らした。
熱で溶けた氷が水となり、その直後に冷気を浴びて再び凍結する。
パキッ、ジュウウッ、バキィンッ!!
溶けては凍り、凍っては砕ける音が幾重にも重なり、まるで互いの心がぶつかり合って悲鳴を上げているかのように、凍結した夜へ響き渡った。
クリスタ「未来なんていらない……!」
クリスタは涙を拭うこともせず、激しく首を振る。
クリスタ「明日が来るのが怖いから……だから、全部止まってしまえばいいのッ!!!」
パキィィィィィィン!!!
クリスタが両手を大きく振りかざした。
その瞬間、広場の上空に漂っていた雪と氷が一か所へ吸い寄せられていく。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
膨大な冷気が凝縮され、夜空を覆い隠すほど巨大な氷塊へ姿を変える。
やがて完成したのは、青白い光を放ちながら広場を見下ろす巨大な「氷の月」だった。
ヒュゥゥゥゥン……!!
氷の月から放たれた冷たすぎる光が、ペイジンとニィを真上から射抜く。
ペイジン「スリーピィーステッ……キ……ッ!!」
赤く燃えていた宝石の光が、大きく揺らいだ。
ペイジン「……ステッキを持ってる片手も……が……ッ!!!」
パキパキパキンンッッ!!!
ステッキを握る右手の指先から、白銀の氷が一気に這い上がる。
逃げ場を失った冷気は、残酷なまでの速度で手の甲を覆い、手首から肘へと侵食していった。
ペイジン「ひッ……ああああッ!!冷たいッ!!腕が……動かないッ!!」
氷に閉ざされた皮膚から、急速に熱と感覚が奪われていく。
ステッキを握りしめていた指は一本ずつ凍りつき、関節まで完全に固められてしまう。
ニィ「ペイジンッ!!右腕がカチコチになってるニィッ!!ステッキを離すニィ!!」
ペイジン「だ、だめ……離したら……
もう、クリスタに届かない……ッ!」
ペイジンは左手で凍りついた右腕を支え、必死にステッキを掲げ続けた。
だが、あまりの冷たさに真っ赤に輝いていた宝石は次第に曇り、残された光も氷の中で今にも消え入りそうに弱く瞬いていた。
ゴオオオオオオオオッ!!!
クリスタ「まだ抗うの……?なら、その熱ごと凍りつきなさいッ!!!」
クリスタが両手を前へ突き出した瞬間、先ほどまでの吹雪を遥かに凌ぐ絶対零度のブリザードが解き放たれた。
それはもはや風ではない。
空間そのものを白く凍結させながら進み、触れたものから熱も音も動きも奪い去る、巨大な死の奔流だった。
ドォォォォォン!!!
ニィ「ぎにゃああああッ!!体が、動かないニィッ!!!」
ニィの黒い毛並みは一瞬で真っ白な霜に覆われた。
耳も尻尾もぴんと固まり、ペイジンの肩の上で小さな氷像のように身動きが取れなくなる。
ペイジン「ニ、ニィ……ッ!」
相棒へ手を伸ばそうとするが、ペイジン自身の身体もすでに限界を迎えていた。
足元から這い上がった氷は腰を飲み込み、胸元へと迫りながら、その自由を完全に奪っていく。
ペイジン「ぐ……ッ!あ……あぁ……ッ!!」
バリバリバリッ!!!
吹雪の衝撃が全身を激しく叩き、ペイジンの視界が白く染まる。
まつ毛も髪も凍りつき、呼吸をするたびに胸の奥へ鋭い冷気が流れ込んだ。
クリスタの絶対零度は、ペイジンの心臓の鼓動さえ止めようとするかのように、残された体温を一滴ずつ削り取っていく。
クリスタ「これで終わりよ。誰もいない、静かで綺麗な、永遠の夜へ……。」
絶叫に近い吹雪の音の中で、クリスタの悲しげな瞳だけが、凍りついていくペイジンをじっと見つめていた。
クリスタ「なぜ私の邪魔をするの?」
ドォォォォォン!!!
クリスタの絶叫とともに、広場の石畳が激しく爆ぜる。
天を突くような氷の柱が何本もそびえ立ち、彼女の周囲には、誰一人近づくことを許さない絶対的な拒絶の波動が渦巻いていた。
ペイジン「だって……君が、本当はすごく寂しいんじゃないかなって……気づいちゃったからだよ……。」
氷が胸元まで迫る極限状態の中で、ペイジンは静かに微笑んだ。
凍えきった唇から漏れた声は弱々しい。
それでも、その瞳には恐怖の色などなく、ただ目の前の少女を包み込もうとする温かな慈愛だけが宿っていた。
キラリ……。
ペイジンの手の中で、消えかけた星の魔法が最後の微かな輝きを放つ。
冷たい吹雪の中で今にも消えそうでありながら、決して凍ることのない小さな灯火だった。
クリスタ「……ッ!!」
その微笑みが、クリスタの凍てついた心の深淵を真っ直ぐに射抜いた。
胸の奥で何かが揺らいだ。
だが、クリスタはその動揺を打ち消すように、心の底へ沈め続けてきた絶望を、そのまま氷雪となって解き放った。
ゴォォォォォォッ!!!
蒼い光が夜空を切り裂き、凍てつく風がペイジンの身体を完全に包み込む。
世界から一切の熱を奪い去り、すべての感情も、言葉も、時間さえも停止させるための終焉の光だった。
クリスタ「もう眠らなくていい。全てを凍らせて……悲しみを断つ。私の仕事よ。」
クリスタの声は吹雪の音に混じり、どこまでも虚しく響いた。
ペイジンの瞳に、静かに涙が浮かぶ。
その涙が頬を伝い落ちるよりも早く、彼女の周囲の大気が透明な結晶へと変わっていった。
パキィィィィィィン……!!!
スリーピィステッキの先に宿っていた小さなねむり星が、無情にも分厚い氷の結晶へ閉じ込められていく。
温かな魔法の残滓は青白い冷気に覆われ、絶対零度の闇へ少しずつ塗りつぶされていった。
ペイジン「ニィ……ッ!」
相棒の名を呼ぼうとした唇が、途中で動きを止める。
口元へ這い上がった氷が頬と顎を覆い、言葉を形にする前に声を奪い去った。
ペイジン「……ッ、……!!」
もう、声が出ない。
助けを求めることも、クリスタへ最後の言葉を届けることもできない。
それでもペイジンは、凍りついた瞳だけを必死に横へ動かした。
すぐそばでは、ニィもまた分厚い氷の中へ飲み込まれようとしていた。
ニィの口は何かを叫ぶように開いている。
けれど、その声はペイジンには届かない。
ニィ(ペイジン……!離れちゃ駄目だニィ……!ボクは、まだここにいるニィ……!)
動かない身体の中で、ニィは必死に相棒へ呼びかけていた。
前足も尻尾も完全に固まり、ペイジンの肩から離れることさえできない。
けれど、凍りつく直前まで掴んでいた服の感触だけが、わずかに肉球へ残っていた。
それだけが、ペイジンとまだ繋がっている証だった。
ペイジン(ニィ……ごめんね。また、巻き込んじゃった……。)
氷の中で、ペイジンの意識がゆっくりと沈んでいく。
視界は白く曇り、クリスタの姿さえ輪郭を失い始めていた。
ペイジン(でも……あの子を一人にしたくない……。あんな悲しい顔のまま、ずっと夜の中に置いていけないよ……。)
身体はもう一切動かない。
指も、腕も、唇も、まぶたさえ閉じられない。
それでも心の奥に残った小さな灯火だけは、まだ消えていなかった。
ニィ(まったく……最後まで無茶ばかりだニィ……。)
ニィの意識にも、冷たい眠気が押し寄せる。
息を吸うことも、震えることさえできなくなり、恐怖だけが胸の中で膨らんでいく。
ニィ(でも……ペイジンを一人にはしないニィ。相棒なんだから……最後まで、一緒だニィ……。)
言葉にすることはできない。
互いの表情を確かめることもできない。
だが、ペイジンとニィは氷の中で、まるで互いの思いを感じ取るように、ほんの僅かに視線を重ねた。
ペイジン(大丈夫……ニィがいる。)
ニィ(大丈夫だニィ……ペイジンがいるニィ。)
バリバリバリバリッ!!!
最後に残されていた僅かな隙間までも、分厚い氷が塞いでいく。
ペイジンの微笑みも、ニィの必死な表情も、そのまま透明な氷の奥へ閉じ込められた。
やがて、二人を包む氷は巨大な棺となり、広場の中心へ深く根を下ろす。
音は届かない。
声も出せない。
指一本動かすことも叶わない。
ただ静かな意識だけが、冷たい氷の奥底へゆっくりと沈んでいった。
広場には、激しい風の音だけが虚しく響き渡る。
氷の棺の中で静止したペイジンの微笑みは、クリスタの孤独を照らし続けるかのように、白銀の世界へ深く、深く沈んでいった。
そして、巨大な氷の棺へ閉ざされたペイジンとニィを見つめながら、クリスタは静かに目を細めた。
吹雪はまだ止まらない。
白銀の風が広場を何度も撫で、凍りついた建物の隙間を抜けながら、低い唸り声のような音を響かせている。
氷の棺の中では、ペイジンが微笑みを浮かべたまま静止していた。その肩には、最後まで相棒から離れなかったニィが、小さな氷像のように寄り添っている。
クリスタ(いつまでも眠れない私……か。)
ペイジンの言葉が、凍りついた胸の奥で何度も蘇る。
寂しいんじゃないか。
放っておけない。
そんな言葉を向けられたのは、初めてだった。
クリスタ(……余計なことを言って。)
胸の奥に生まれた僅かな揺らぎを押し潰すように、クリスタは両手を強く握りしめる。
その指先から新たな冷気が溢れ、足元の氷へ細かな亀裂が走った。
クリスタ(眠れば、夢を見る。)
クリスタ(夢を見れば、朝を待ってしまう。)
クリスタ(朝を待てば……また、失う。)
忘れたはずの景色が、脳裏へ滲む。
誰かと笑った夜。
明日も同じ時間が続くと、信じていた頃。
けれど、その温もりは何一つ残らなかった。
だから凍らせた。
傷つく前に、悲しむ前に、何も動かなくなるまで。
クリスタ(このまま世界が氷の世界になればいいのに……ッ。)
風も、街も、人も、時間も。
すべてが白く凍りつき、昨日も明日も存在しない、永遠に変わらない夜になればいい。
そうすれば、もう期待しなくて済む。
誰かを待たなくて済む。
失うことも、置いていかれることもない。
クリスタ「……静かで、綺麗な世界。」
小さく漏れた声に呼応するように、彼女の背後の氷の翼がゆっくりと広がる。
ヒュオオオオオッ……。
広場の空気が再び凍り始め、氷の棺の表面へ新たな結晶が幾重にも重なっていった。
それでも、透明な氷の向こうに残るペイジンの微笑みだけは消えない。
まるで、どれほど冷たく閉ざしても、クリスタの孤独を見つめ続けるかのように。
クリスタ「……その顔を、やめて。」
答えは返ってこない。
ただ、吹雪だけが空虚な夜を吹き抜けていった。




