第26話クロノスの祭り
風が止まった。
花畑はさっきまでと同じ景色のはずなのに、音が消えている。
波の音も、鳥の声も、どこか遠くへ引き剥がされたようだった。
ペイジン「……来る」
ニィ「完全にこっちを捉えてるニィ……逃げ場、ないニィ」
ペイジンはスリーピィーステッキを構え、ゆっくりとその場で回る。
目には見えない。だが確実に“視線”がある。
そのときだった。
空気が、裂けた。
何もないはずの空間に、黒いひびのようなものが走る。
ガラスが割れるような音と共に、そこから“何か”が滲み出てきた。
それは形を持たない影だった。
だが――目だけがあった。
無数の目が、こちらを見ている。
ペイジン「……なに、あれ……」
ニィ「最悪ニィ……完全に精神寄生型ニィ……!」
影は言葉を発しない。
だが直接、頭の中に声が流れ込んでくる。
???「……やっと……見つけた……」
ペイジン「っ……!」
膝が一瞬崩れかける。
さっきの“アイスクリームみたいな頭痛”とは比べ物にならない圧力。
記憶が、引き剥がされる感覚。
ニィ「ペイジン!!目を逸らすニィ!!見ちゃダメニィ!!」
ペイジンは歯を食いしばり、無理やり視線を切る。
だが遅い。
影の中の“目”が、一斉に笑った。
???「……その力……宝物……適合する……」
ペイジン「……何を……言って……!」
影がじわりと広がる。
花畑の色が、少しずつ色あせていく。
ニィ「やばいニィ!!このままじゃこの場所ごと夢に引きずり込まれるニィ!!」
ペイジンは強くステッキを握り、叫んだ。
ペイジン「……ふざけないで!!ここは現実よ!!」
ピンクの光が一気に弾ける。
ペイジン「スリーピィスターッ!!」
光が放たれ、影に直撃する。
だが――
消えない。
影は揺らぐだけで、形を保ったままそこにある。
ニィ「効いてないニィ!?いや、違う……本体じゃないニィ!!」
ペイジン「分身……!?」
影の声が、さらに近くなる。
???「……近い……もっと……近くで……触れたい……」
その瞬間。
ズキンッ!!!
ペイジン「……ああっ!!」
今度は明確に“何か”が侵入してきた。
視界の奥に、見覚えのない光景が流れ込む。
暗い空間。
砕かれた宝物。
そして――
自分。
ペイジン「……え……?」
ニィ「ペイジン!?どうしたニィ!!」
ペイジンの顔から血の気が引いていく。
ペイジン「今……私……壊されてた……」
影がわずかに震える。
???「……確定……この個体……鍵……」
ニィ「まずいニィ!!完全にロックされたニィ!!ここに長くいたら終わるニィ!!」
ペイジンはふらつきながらも、ほうきを掴む。
ペイジン「……撤退する……今は戦う相手じゃない……!」
ニィ「その判断正解ニィ!!全力で離脱ニィ!!」
ほうきが浮き上がる。
だがその背後で、影がゆっくりと広がった。
???「……逃がさない……」
花畑の色が、一瞬で暗く染まり始める。
ペイジン「っ……行くよ!!」
ほうきが一気に加速し、空へ飛び出した。
背後で、影が追い上がる気配。
そしてそのさらに奥――
誰かが、それを見ていた。
次の戦いは、もう始まっている。
ざわめき。
灯り。
甘い匂い。
気がつけばペイジンは、色とりどりの提灯が揺れる通りの真ん中に立っていた。
夜なのに暗くない。むしろ昼よりも鮮やかで、空気がきらきらと輝いている。
ペイジン「あ……そうか!私……」
ニィ「ほら、速く行くニィ!いろんな屋台回るんでしょ?」
ペイジンはきょとんとした顔で周囲を見渡す。
屋台がずらりと並び、焼き菓子や果物飴、見たこともない光る食べ物まで並んでいる。
人々の笑い声。
音楽。
踊る影。
どれも楽しそうで、どれもどこか“出来すぎている”。
ペイジン「……クロノスの夜の祭り……?」
ニィ「何言ってるニィ?ずっと楽しみにしてたニィよね?」
ニィは軽やかに地面へ降り、屋台の方へ歩いていく。
その動きは自然なのに、ほんの少しだけ“軽すぎる”。
ペイジン「……そうだっけ……?」
記憶が、少しだけ曖昧になる。
でも目の前の光景があまりにも綺麗で、違和感はすぐに薄れていく。
屋台の一つで、飴細工が光を反射して揺れていた。
星の形、月の形、そして――見覚えのある杖の形。
ペイジン「これ……スリーピィーステッキ……?」
店主が笑う。
店主「いいところに気づいたねぇ。これは夢を叶える飴だよ」
ペイジン「夢を……?」
店主「そう。食べれば、欲しいものが手に入る」
その声は優しいのに、どこか冷たい。
ニィ「ペイジン!こっちもすごいニィ!このスープ、飲むと全部忘れられるらしいニィ!」
ペイジン「全部……忘れる……?」
胸の奥が、チクリと痛む。
夜。
戦い。
ジュン。
ブロンズ。
そして――あの“影”。
一瞬だけ、現実の記憶がよみがえる。
ペイジン「……待って……」
提灯の光が、ゆらりと歪んだ。
ペイジン「これ……ほんとに……現実……?」
ニィが振り返る。
ニィ「何言ってるニィ?楽しいでしょ?」
その目が、ほんの一瞬だけ――
“空っぽ”に見えた。
ペイジン「……ニィ?」
ざわめきが、少しずつ低くなる。
笑い声が遠ざかり、音楽が歪む。
提灯の光が、赤く滲んだ。
そして――
どこからか、あの声が響く。
???「……逃げた先……ここ……」
ペイジンの背筋が凍る。
ここは、祭りじゃない。
ペイジン「……夢の中に、引きずり込まれてる……!」
屋台の人々が一斉にこちらを向く。
笑顔のまま、動かない。
ニィ「ペイジン……気づいたニィね」
その声は、さっきと少し違っていた。
ニィ「ここは“クロノスの夜”……時間と記憶を喰う場所ニィ」
ペイジンはゆっくりとステッキを握り直す。
ペイジン「……あんた、さっきの影ね」
提灯が一斉に消える。
暗闇の中、無数の“目”が浮かび上がった。
???「……ようこそ……完全な領域へ……」
祭りは、終わった。
ここからが本当の戦いだった。
はずだった。
バシイイイイン!!!
乾いた音が夜の祭りに響いた。
ペイジン「ヘブッ!?」
頬を押さえ、ペイジンがその場でぐらりとよろめく。
視界に広がっていた無数の“目”も、暗闇も、一瞬で吹き飛んだ。
ニィ「ここが現実だって言ってんでしょおおおお!!!」
ニィは前足を振り上げたまま、ぷんすかと怒っている。
ペイジン「な、なにするのニィじゃなくてニィが!?っていうか痛い!!普通に痛い!!」
ニィ「夢だのなんだのって、さっきから変なこと言ってるニィよ!!」
周りには提灯の明かり。
屋台の匂い。
人々のざわめき。
さっきと同じ“祭り”のはずなのに、今度は確かに現実の重みがある。
ペイジン「……あれ……?」
ニィはため息をつきながら、尻尾をばしばし揺らした。
ニィ「ペイジンが今日の朝、“夜の祭りがあるから絶対行く!”って言ってここに来たんじゃない!!!」
ペイジン「……あー……」
ニィ「まずは屋台をまわりましょう!!やっとジュンやブロンズさんの依頼も片付いたんだからッ!!」
ペイジンはまだ少し頬を押さえながら、周囲を見渡す。
焼き串の香ばしい匂い。飴細工のきらめき。
笑い声。どれも“普通”だ。
ペイジン「……ほんとに、現実?」
ニィ「まだ言うかニィ!!もう一発いくニィか!?」
ペイジン「やめてやめて!!信じる信じる!!現実!!」
ニィは満足そうに頷き、すぐに屋台の方へ走り出した。
ニィ「ほら行くニィ!!あのスイーツ絶対美味しいニィ!!」
ペイジン「ちょっと待ってよー!!」
ペイジンも慌てて後を追い、祭りの中へと溶け込んでいく。
――だが。
提灯の光が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
誰にも気づかれないほど、わずかに。
そして遠く。人混みの奥で。
“何か”が、じっとこちらを見ていた。
???「……まだ……繋がっている……」
祭りの喧騒に紛れて、その気配は静かに消えた。
提灯の明かりが揺れる通りに、ずらりと並ぶ屋台。
たこやきのソースの香ばしい匂い、甘いチョコバナナの香り、鉄板で焼かれるやきそばの音。
ペイジンは目を輝かせながら、あちこちを見回した。
ペイジン「うわー!いろんなのやっぱりあるねー!!!」
ニィ「まずはたこやきニィ!!絶対外せないニィ!!」
ペイジン「いいね!いこいこ!」
二人はたこやきの屋台に駆け寄る。
くるくると丸められる生地、ジュウジュウと音を立てる鉄板。
店主「はいよ、できたてだよ」
ペイジン「いただきまーす!」
一口かじった瞬間、中から熱々のタコととろとろの生地が溢れ出す。
ペイジン「熱っ……でも美味しい!!」
ニィ「はふっ……これは反則ニィ……!」
次はチョコバナナ。
カラフルなチョコがかかった一本を、ペイジンは嬉しそうに受け取る。
ペイジン「これこれ!お祭りといえばこれだよねー!」
ニィ「甘いのも必要ニィ!」
ぱくり、とかじると、パリッとしたチョコとバナナの甘さが広がる。
ペイジン「幸せ……」
そして最後はやきそば。
鉄板の上で踊る麺とソースの香りが食欲を一気に引き上げる。
ペイジン「これも絶対食べる!!」
ニィ「もうお腹いっぱいになるニィよ……!」
それでも二人は笑いながら、やきそばを頬張った。
ペイジン「……こういうの、いいよね」
ニィ「戦いばっかりじゃ疲れるニィからな」
人の流れに紛れ、笑い声の中に溶け込む二人。
夜はにぎやかで、どこまでも楽しい。
――そのとき。
ペイジンの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
ペイジン「……ん?」
遠くの屋台の奥。
提灯の影の中に、“誰か”が立っていた気がした。
でも次の瞬間には、もういない。
ニィ「どうしたニィ?」
ペイジン「……ううん、なんでもない」
ペイジンは笑って、再びやきそばを口に運ぶ。
だがその笑顔の奥で、ほんの少しだけ。
さっきの“気配”が、まだ消えていなかった。




