6 私は『天使のように高潔な貴婦人』ですもの (3)
「約束する。何が起ころうと、僕たちは一生友達だ――」
二人で固い握手を交わす、あの日の夢を見ていた。
――ああ、そうだ。あの頃のユーリは私より少し背が低くて、泣き虫で……おデブは大分改善したけれど、まだまだ身体を動かすことが嫌いな内向的な少年だった。
せっかく馴染んできた辺境を離れて王都に帰らなければならなくなった、あの日。
泣き出しそうになりながらも、濡れた瞳を強く輝かせてユーリはそう言って手を差し出した。
「一生? 王都に帰っても、ユーリは私のことを忘れない?」
「忘れるわけ、ないだろ! アレクは俺の一番の親友なんだから。だからアレクも僕のこと、忘れないでほしい。大人になっても、立場が変わっても、友達で……いや、僕の大事な一番でいてほしい」
「うん、わかった。約束する」
彼の願いに、私は迷うことなく大きく頷いた。
もう一度固く手を握り合い、私たちはお互いの瞳を覗き込む。誤魔化しのない決意のこもった強い視線が、お互いを絡めとった。
その時の私は自分が王都に行くなんて予想もしていなかったし、臆病で内気なユーリが皆の憧れの騎士団長になるとも思っていなかった。
ただ、大人になっても彼の隣に居られたらそれはとっても素敵だな――そんなシンプルな発想でその約束に頷いただけだった。
(大きくなってそういう友情だけじゃどうにもならなくなるなんて、予想もしていなかった)
――釣り合いとか立場とか、そういった外的な話だけでなく。
彼の隣に居たいという私の気持ちが、果たして「友情」なのかどうか。それが今の私にはわからなくなってしまっていた。
彼の女性不信を加速させるかもしれないのに、それでもユーリの側に居たいと思ってしまう。そんな己の矛盾には、実のところ最初の頃から気がついていた。
そのくせ彼を傷つける覚悟も偽りの姿を貫き続ける覚悟もないのだから、中途半端な私は悪女にもなれやしない。
――悪女。
(悪女っていうのはやっぱり、自身の行動に疑いなんか持たなくて、なんならそれを悪とも思わず微笑んで手を下せる人でないと荷が重すぎる……)
そんなふうに考えてから、それにピッタリくる人物に出会ったばかりであることを思い出した。最後まで穏やかで慈悲深く、一切の曇りなき眼差しをしていた彼女。
(確かにあの物腰で裏切られたら、もう誰も信じられなくなるよね。ユーリが女性不信になるのも無理はない……)
妙な納得をして、そこでやっと違和感に気がついた。そういえば、私はその後どうしたんだっけ。頭がぼんやりとして、思考が定まらない。
「ぅ……」
「あら、もう目が覚めたのね」
先ほどから一片も変わらぬ、おっとりした声が耳に届く。徐々に浮上する意識と共に、瞼の裏側を眩しい光が刺した。
頭の芯に響く痛みに顔を顰めながらも、ゆっくりと瞼を開く。焦点の合わない視界の中、地面に倒れ込んだ私を覗き込む人影が徐々にその輪郭を形作っていった。
「どういうつもりですか……セリシア様」
ようやく私の口から出た声は、自分のものとは思えないほどに掠れて弱々しい。その一言を絞り出しただけで、枯れた喉はごほごほと咳きこんでしまう。
苦しさから涙目になった私に、セリシアは気怠げな一瞥を向けた。
「嫌ね、そんなに怖い顔しないでほしいわ。私はただ、あなたに協力してほしいことがあるだけなの」
「……協力?」
良かった、少なくとも会話は成立するようだ。状況はわからないながらも、そのことに私は一片の安堵を見出す。
会話さえできるのであれば、相手の狙いも今の状況についての説明もある程度は得られることだろう。右も左もわからない現状、情報は何よりの生命線だ。
時間稼ぎと状況整理のために慎重に言葉を選びながら、私はゆっくりと立ち上がろうとする。
しかし、その動作はじゃらん、という重たい金属音と共に呆気なく遮られてしまった。
ハッと手元に視線を落とせば、手足の動きを戒める硬質な枷が目に入る。
さらにその先の自分の四肢に視線が移って、私はすぅっと血の気が引くのを感じた。拘束された手足には、見覚えのない魔術式が黒々と入れ墨のように刻まれていたからだ。
……まずい。何が起きているのかはわからないが、この状況が非常にまずい状態だということだけは、はっきりしている。
気色ばむ私とは対照的にセリシアの表情は穏やかだ。
「そう、協力。……ディオンのことは、ユーリウスから話を聞いているかしら。本来スティンガー家を継ぐはずだった、可愛い我が子。でも、残念なことにその地位はユーリウスが魔術の才を現したことで奪われてしまったの」
え、という驚きの声は、枯れた喉の所為で音にはならなかった。
思わず相手の顔を仰ぎ見るが、彼女の瞳には一切の濁りがない。嘘や誤魔化しではなく彼女は本気でそう信じているのだと、直感的に悟った。
「ひどい話でしょう? だって、あの子は毎日頑張ってきたのよ? 一生懸命学んで、後継者として相応しいだけの知識と振る舞いを身につけて、私の期待に応えようとしてくれていた。それなのに……本人の資質と関係のないところで、私たちの夢が閉ざされてしまうなんて」
ふぅ、と頬に手を当ててアンニュイな表情でセリシアはため息をつく。
「それで、ディオンも魔法を使えるようになれば良いって考えたの。あの子に足りないのは、それだけだもの。色々な伝手を頼って、何か方法がないかと必死で情報を集めて……私のためにディオンも本当に頑張ってくれたわ。辛い修行に耐え、私たちの明るい未来のために努力を重ねて。……でもね」
一瞬だけ彼女の瞳に憤怒の焔が燃え上がり、そしてそれは作られた哀しみの表情に呑み込まれていった。
「やっぱりこの不条理な状況は、あの子にとって大きなストレスだったみたい。ある日発作的にナイフで喉を突いて……それから、あの子は目が覚めないまま」
「それって……」
「死んでないわ! ちょっと眠っているだけ。あの子は必ず目を覚ます。――そう。そのために、貴女の力が必要なの」
「私の……?」
ふつふつと悪い予感が込み上げてくる。周りの空気が一気に薄くなってしまったかのような息苦しさ。
目の前のセリシアが恐ろしくて仕方ない。彼女はあくまで理知的に、正気を保ったまま道を踏み外している。




