6 私は『天使のように高潔な貴婦人』ですもの (4)
「貴女の評判は聞いているわ、アレクサンドリアさん。魔法が得意で、魔力が豊富なんでしょう? その有り余る魔力を、私のディオンに譲ってほしいだけなの。町娘をいくら集めてもあの子を目覚めさせるには足りなかったけれど、貴女のその魔力さえあれば……もしかしたらディオンは目を覚ますだけじゃなくて、欲しかった魔法の適性も手に入るかもしれない」
うっとりと夢見るような彼女の言葉。その声は、響きだけを聞けばまるで詩を唄っているかのようだ。
一拍遅れて届いたその言葉の意味に気がついて、ハッと辺りを見渡した。少しずつ回復してきた視力が、先程まで見えなかった周囲の様子を捉える。
「っ……」
あちこちに投げ捨てられたように横たわる、生気のない身体。目を凝らせば、それが十代半ばの年若い少女たちだとすぐにわかった。
見える範囲で全部で十二人。皆、私と同じように身体に魔術式を刻まれて拘束され、ぐったりと力なく地面に伏している。
「ひどい……」
「ディオンを救うためだもの、仕方ないわ」
「どうしてそんな!」
セリシアの平然とした反応に、相手を刺激してはいけないことも忘れて私は悲鳴のような叫びを上げた。
「知らないんですか!? 魔力は生命活動の源のようなもの。魔法の適性の有無に関わらず、魔力の喪失でヒトは死んでしまうんですよ!?」
「そうみたいね。それなのにディオンはいつまで経っても目覚めないんだから、嫌になっちゃう」
彼女は本当に同じ言語を話しているのだろうか。美しい唇から紡がれる理解しがたい言葉の羅列に、私は目眩を覚える。
「どうしてそんな残酷なことができるの……? 孤児院ではあんなに子供達を慈しんでいたのに……」
「? 不思議なことを訊くのね」
私の呻くような嘆きに、セリシアはおっとりと首を傾げた。
「私は『天使のように高潔な貴婦人』ですもの。貧しい人や小さな子供に優しくするのは当然でしょう。――でも、ここでの私の振る舞いは、限られた者以外知る者がない。私は『天使のように高潔な』まま」
「…………」
おぞましい。あまりのおぞましさに、言葉が出てこない。
今になって、私は気がついた。彼女が孤児院で見せた聖母のような姿は、確かに偽りではなかった。彼女は本気で慈しみを持って子供達と接していた。
しかし、それは心の美しさを表していたわけではない。ただ、その行為が他人から見た自分に相応しいものだから。
見せたい自分の姿を演出するために、彼女はただそうしていただけに過ぎないのだ。そこには道徳も善悪も、一切存在していない。
――なるほど。なんとなく、彼女の考え方が見えてきた。
おそらく彼女の中には『皆の称賛の的である自分』を中心とした世界しかない。そして彼女のあらゆる行動は、その美しい世界を成立するために実行されるのだ。
そしてそれはきっと、我が子に対しても同様なのだろう。
自分によく似た優秀な長男スティンガー家を継がせたい――それは、子供のためでも家のためでもなくて。「自分そっくりの息子が名門のスティンガー家の後継者になる」、その状況を欲していただけなのではないだろうか。
「私の期待」、「私たちの夢」、「私のため」――彼女の言葉には私、私、私ばっかりだ。清々しいまでの、自己本位な考え方。
他人は自分のために動いて当然だと、心から信じきっているのが恐ろしい。
「ねぇ……」
「来ないで!」
セリシアが伸ばす手を、反射的に魔法で弾こうとした。普段の私であれば、それでも女性に手を上げることを躊躇っただろう。しかし今は、それを上回る恐怖に勝てなかった。
「……!?」
だが、彼女の手を払い落とすはずの風は起こらない。それどころか、何故か身体からガクンと力が抜けていく。
耐えきれず、地面へと身体が倒れ込んだ。
繋がってしまった、と変に冷静な理性が呟く。手足に刻まれた魔術式が起動するのがわかった。
魔法を使おうとしたことで、魔術式の大本と私の身体から生み出される魔力が接続されたのだ。先ほどまでのダルさとは比べ物にならないほどに、内から活力が奪われていく。
その流れ着く先に、この殺風景な部屋に似つかわしくない立派な寝台が置かれていることに気がついた。
彼女の言葉から察するに、おそらくそこにユーリの兄であるディオンが眠っているのだろう。……その「眠っている」がただ寝ているだけなのか、それとも永眠しているのかは判断がつかないけれど。
「ああ、起動したのね。話が早くて助かるわ。……それじゃ、後はよろしく」
「なっ……待って! ちょっと!」
もう用は済んだとばかりにセリシアはあっさりと背を向ける。どうやら彼女が今まで私と言葉を交わしていたのは、魔術式が本格的に起動するまでの暇つぶしでしかなかったらしい。
それを確認した彼女はいくら私が制止の声を上げようと彼女は歩みを止めず、あっという間にその場から立ち去ってしまったのだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「まいったなぁ……」
セリシアの姿が完全に見えなくなってから、私はずるずると地面にへたり込んだ。
周囲を見渡してみても、そこに居るのは捕らえられた少女たちだけ。彼女たちはもう反応する気力すら失ってしまったようでピクリとも動かず、やり取りは期待できそうにない。
それではと試しに繋がれた鎖を引っ張ってみたものの、身体強化のない身体では当然それが壊れる様子もなく。
それどころか魔力を奪う魔術式は随分と強力なようで、ほんの少し動いただけで普段は頑強である私の身体は目眩を覚えてしまった。生きる力がどんどん吸い取られていくような脱力感が全身を襲う。
万事休すとなった私はしばし無駄な抵抗をやめて思考を巡らせた。
――まさか、こんなところで王都誘拐事件が繋がってくるとは思わなかった。
有能なユーリのことだ。いずれは事件の真相に辿り着くことになるだろう。でも……その頃まで私が無事でいられるかというと、正直言って希望は持てない。
それでは私自身の失踪に気がついて誰かが探してくれないだろうかと考えたが、それも望み薄なことに気がついた。
なにしろ、明日から二日間の連休に入る。その後の出勤もしばらく変則になる予定で、私の不在にはなかなか気づきにくい状況となってしまっているのだ。
こんなことなら休日に誰かと予定を作っておけば良かったと悔やむものの、もう遅い。
「そうだ、指輪!」
あれを使えば、詳しいことは無理でも窮地くらいなら伝えられるはず。僅かな光明を見出した私は、ハッと左手の中指に目をやる。
しかし、一瞬だけ浮き立った心はすぐに萎れてしまった。そこには、からっぽの中指しかなかったからだ。
今更だが、よく見れば着ていたはずの服は全身取り換えられている。隠し持っていた暗器も、すべて没収済みだ。
自分の把握していないものは何も持ち込ませないというセリシアの慎重さが窺える。こんなところまで、彼女は抜かりがない。
あまり期待はしていなかったものの、それでもやっぱり心にダメージは受けた。
「取り敢えずできること……」
八方塞がりの現状にガックリ項垂れながら、しばらく頭を悩ませた。
外部からの解決も、自力救済も難しい。正直言って今の状況は、絶望的だ。
しばらく唸り声をあげてから、ゆっくりと床に横になった。とはいえ、諦めたわけではない。むしろこれが私のできる最善の選択と判断してのことである。
とにかく今辛いのは、全身から魔力を奪われているこの現状だ。そっと目を閉じて、瞑想を始める。
体内の魔力の巡りに意識を向ければ、少しずつ魔力の流出がゆっくりになっていくのが感じられた。
もちろん完全に遮断できたわけではないのだけれど、これだけでも随分と身体が楽になる。
自分にできることはあまりない。それならば体力を温存し続けて、何かしら状況が変わるまで待機を続けるのが最善の選択だ――消沈しそうな気持ちを奮い立たせて、自分に言い聞かせる。
脱出の機会だって、体力さえ残っていればゼロではないかもしれないのだから。
――しかし。
事態は思いがけないことに呆気なく動き出したのであった。




