アルルーナ、タトバイエを訪問する
その夜はエルメーム氏の邸宅にて、ゆっくりと過ごすことができた。
エルメーム氏はカイセン教には詳しくないとのことだったが、リトゲニアの経済や流通についての話はとても参考になる。
また、少しだけ父の昔話を聞くことができた。
大学で出会った母に一目惚れして途中で専攻を経済学から歴史学に変えており、さらにそれで首席を取るのだからやってられないと、エルメーム氏はこぼしていた。
一目惚れは血筋だったか、と、納得してしまう。
自室以外のところで寝るのは実は初めてだったので、なかなか寝付くことができなかった。
カンナとレイザンは隣の部屋を用意してもらえた。
二人にも今日は負担をかけてしまったので、ゆっくり休めるとよいが。
明日はカイセン教に詳しい、比較文化学者の先生のところへ案内してもらう事になっている。
そんな突然行ってもよいのかと驚いたが、研究の内容からしてあまり忙しい人ではないとのことだった。
また、若い頃は国外にいることが多かったが、最近は年のせいか足腰が悪く外出もあまりされないそうだ。
今回書籍館から持ち出した本の1つはよく見たらその先生の著作であった。それを思い出し、どうせ眠れないのならと本を広げる。
「『サンドラ大陸東部と東海諸島の生活様式』……東海諸島に言及している本は、だいたいこの先生の本だったのよね」
著者の名は、ゼルマン・タトバイエ。
東海諸島には数年暮らしたことがあるらしい。宣教師でもないのに、そんなに長く居る人は稀だ。
本によると、サンドラ大陸東部のナイエ国等と東海諸島では言語も方言以上に差があり、会話は不可能とのことだ。
文字も東海諸島語は種類が異常に多く、タトバイエ氏も筆記は最後まで習得できなかったと書いている。
食事や衣服はサンドラ大陸東部と東海諸島とで大きな差はない。東海諸島は山が多く海沿いに人が住んでいるためか、肉はあまり食べず魚が多い。
技術的には大陸西部の方が進んでいるが、治安や清潔度に関しては優れた生活をしているそうだ。
カイセン教については、あまり記載がない。
まず、カイセン教徒は宗教の話を避ける傾向にある。特に異教徒に対しては、非常に口が重い。
それに、熱心な教徒が少ない。
多くの人はカイセン教の教えをそもそも知らず、人が亡くなった時とお祭りの時だけ教会に行くそうだ。
イスミト教では、毎週「教化の日」の朝に地区の協会へ行き、聖典の一部を読む決まりがある。
生活の中に神の名前が頻繁に出てくるし、教えを守らないと地獄に行くと言われているため、カイセン教の考え方はなかなか理解できない。
イスミト教の聖典は、人生についての様々な教えが説かれている後半部分と、神話を記した前半部分に分かれている。
イスミト神話は現在のイリョール国翡翠湖畔から始まる。
太古、翡翠のようにきらめく湖畔に二人の男女がいた。
男は雨とともに訪れた魔人を見た。
魔人は魔力を使い、男に知恵を授けた。
女は太陽とともに訪れた神人を見た。
神人は神力を使い、女に倫理を授けた。
男は国を作り、女は神話を紡ぐ。
魔人は太陽とともに去り、神人は雨とともに去った。
雨は西から東に移動する。
つまり、神人は東から、魔人は西から来たと言っているようだ。
これは今日見た翡翠湖文書でも同様に書かれていた。
この子供でも知っている神話の序文から、西にあると言われる大陸は魔人大陸と呼ばれている。
もしかしたら、東には神人大陸があるのだろうか。
なんて事を考えていたら、部屋のドアがノックされた。
「ルルおじょーさま?まだ寝ないんですか」
ノックの返事も待たずにカンナが顔を出す。
「ちょっと眠れなくて。なんでまだ起きてるとわかったの?」
「レイ兄が外を散歩していたら、窓から灯りがもれてたって言うので」
それは散歩ではなく警備では……まったく、レイザンは仕事し過ぎで困るわ。
「もう寝るわ。レイザンにももう寝なさいと言っておいて……まだ何か?」
立ち去ろうとしないカンナに、違和感を感じて問いかける。
「あの〜……ルルおじょーさまは、なんで急にカイセン教に興味を持ったんですか?」
「え?そうね……昨日のリーズレーブ伯爵夫人の相談を受けてからかしら。私、全然カイセン教について知らないのだわと思って。知らないことがあるのって気持ち悪いじゃない?」
「私は別に……世の中のことを全部知ろうなんて、神様じゃないんだからむりじゃないですか?」
「そりゃ全部は無理だけど、知ってることは多いほうがいいでしょ?知識こそパワーよ、カンナ」
カンナは納得がいってないような顔で、つぶやいた。
「カイセン教については、あまり詮索しないほうがいいと思いますけど……」
「ああ、あなた達を問い詰めるようなことはしないわよ。話したくないんでしょう?異教徒にも明らかになってることだけでも知りたいと思ってるだけなのよ」
「う〜ん……あの、明日学者の先生に会いに行かれるでしょう。それでやめにして下さいね。それ以上は、あんまりよくないです」
カンナが今までにないくらい真面目な顔で言うので、それきりにすると約束した。
カイセン教について調べるのは、何かカンナ達にも不都合があるようだ。
カンナとレイザンは頻繁に教会に行っているようなので、珍しく熱心な教徒なのだろう。それもあるのかもしれない。
カンナはともかくレイザンに迷惑をかけるのは止したい。
カンナの言うとおり、カイセン教については明日で一旦やめにすべきか。
それに、東海諸島語を学ぶという目標もあった。それならレイザンに聞くことができるだろう。そっちのほうが楽しそうだ。
今度は胸の高鳴りで寝られなくなりながらも、夜更けにはいつの間にか眠りにつくことができた。
次の日、エルメーム氏とともに向かったのは王都リュカナのはずれに建つ、小さな家だった。
昨晩泊まったエルメーム氏の邸宅との差に驚く。
しかし、リトゲニア王室相談役と辺境の文化学者では需要が違うのだから仕方ないだろうと考え直した。
しかし家の中に入ると考えていたことは間違いであったと気づいた。
「タトバイエ殿、エルメームです。お客人を連れて参りました」
横開きの不思議な扉をした玄関から声をかけると、奥から女性が出てきた。
「お久しぶりです。夫は奥におりますので、ご案内いたしますね」
「ありがとうございます。アルルーナ様、ここで履物を脱いで上がってください」
「履物を??脱ぐのですか??」
そういえば、昨晩読んだ本に東海諸島では室内で靴を履かないと書いてあった。
この家は東海諸島の様式を真似しているのだろうか。
「懐かしいな……」「ありゃー、ちゃんとした靴下履いてくれば良かった」
レイザンとカンナは戸惑うことなく靴を脱ぎ始めている。
やはり東海諸島の文化なのだと、私も急いで靴の紐を解いた。
小さな家だと思っていたが、それは平屋だったからで、建物は中庭もあり入ってみると案外広かった。
応接室は比較的リトゲニア風の内装をしていた。八角形のテーブルにエルメーム氏と私が座り、レイザンとカンナにも壁際の椅子が用意された。
カンナがレイザンと「さすがにタタミじゃないんだね」「そりゃそうだろ」と話しているのが聞こえる。
タタミ……東海諸島で使われているという、草で編んだマットのことかしら。
「私の自室は畳ですよ。後でご覧になられますか?」
ゆったりとした装いをしたタトバイエ氏が入ってきた。
タトバイエ氏は老齢だがまだ元気なように見える。しかし手には杖をついていたので、足腰が悪いというのは本当なのだろう。
「書籍館のアルルーナ様ですね。お目にかかれて光栄です。ゼルマン・タトバイエです」
「書籍館のアルルーナです。著書を拝見いたしましたわ。東海諸島の研究については第一人者と伺っております」
「いやはや、あんな売れなかった本をご覧頂いたとは……加筆修正したい点が山ほどあるのですが、もう出版の声がかからなくなりましてな」
「タタミはこちらで作られたのですか?」
「いえ、わざわざヤツシマから取り寄せたのですよ。重たいので運び賃がやたらかかりましたが……」
東海諸島ではいくつかの国が戦争をしており、一つにまとまった国ではない。
ただし文化や言語はほぼ共通なので、サンドラ大陸では国名ではなく「東海諸島とひとまとめにして呼ぶことが多いが、現地の人間は特に大きい8つの島を指して「ヤツシマ」と言う名前で呼んでいる、と本で読んだ。
タトバイエ氏の着ている服も、東海諸島のものらしい。まるでガウンのようで不思議な形だ。
髪型は伸ばした白髪を上の方で結っている。これも、東海諸島の男性がよくしている髪型である。
「お付きの方々はヤツシマ人ですね?どちらのご出身で?」
「我々は兄妹で、ナンシュウのカミハマから来ました」
「カミハマは一度訪れましたよ。私はハッキョウに住んでいたので遠くてあまり行けなかったですが、いい街ですよね」
ナンシュウのカミハマ……初めて知った。そもそも東海諸島の詳細な地図はほとんどないので、聞いてもわからなかっただろうが。
レイザンとカンナの故郷はどんな街なのだろう。もし可能なら、この旅で一度訪れてみたい。
「タトバイエ様、東海諸島の地図などはないのですか?サンドラ大陸地図では省略されることが多くてわからないのです」
「それです!良い地図を手に入れたのですが、本に加筆したい事の一つなんですよ」
巻物が1つ、テーブルに広げられた。
「ここがハッキョウ(白京)。ヤツシマ(八島)の中でも1番大きなサキ(佐紀)の国の都です。ナンシュウ(南洲)のカミハマ(神浜)はこのヤヅチ(矢津治)の国の都ですね」
そこにはかなり詳細な地図があった。しかし地名が東海諸島語で書かれており、一切読むことができなかった。
「私がいた時は佐紀の国と隣の国が戦争中だったのですが、今はどんどん佐紀の国が版図をを広げていますね。近いうちに八島統一もあり得るのではないかと……」
「あら、ではレイザンとカンナの故郷も戦争になるのではなくて?帰らなくても良いの?」
「我々は故郷に親類はおりませんので、正直どうなっても良いです」
レイザンとカンナは両親がいないのか。辛いことを聞いてしまったかもしれない。
「親類は別の場所にいるので安全って意味です。死んでないですよアルルーナ様」
「……紛らわしい言い方をしないで」
タトバイエ氏はその他いろいろな体験記を語ってくれた。
本に入れられなかった些細な出来事や、最新の東海諸島の情報などを楽しそうに語る姿は、見ていてこちらも楽しくなるほどだった。
「……おっと、話しすぎましたな。アルルーナ様は今日、何か私に聞きたいことが?」
「はい。あの……カイセン教について、今調べているところですの」
そう言うと、タトバイエ氏は眉をひそめた。
「カイセン教ですか……彼らはとても秘密主義なので、私も知っている事は多くないですよ」
「イスミト教とマズ教には翡翠湖文書を原典として共通点が多いのに、カイセン教は全く違う成り立ちを持つ、それが気になっているのです」
その秘密主義も含めて、なぜそれを必要としたのか興味がある。
「なるほど、そうですね……カイセン教ではないですが、民間伝承には似たような話がありましたよ。海から現れる人のような妖怪の話や、人に教えを説く神様の話だとか」
「神様の話なのにカイセン教ではないのですか?」
「八島人はカイセン教に熱心ではないですが、神を信じないわけではないのですよ。むしろ数え切れないほどの神様がそこら中にいて、物や食べ物にすら神様が宿ると信じられています」
神様がたくさん?よくわからない話だ。
イスミト教では倫理を授けた神人を「神」として崇め、知恵を授けた魔人を「魔」として恐れる。その2つしかない。
人には知恵がついてしまったので、動物のように生きることはできない。なので神の教えの通り善く生きねばならない。
東海諸島で言う神とは、我々の持つ意味と全く違うものなのだろう。
「カイセン教といえば、一度彼らの葬式に参列したことがあるのですが、不思議なことを言っていましたね」
『故人は鳥が好きだったから、次は鳥だといいねえ……』
「彼らは、死んだ人間はまた別の生き物になって生まれてくると考えているようです」
「人が、鳥に?」
イスミト教では、人は死んだら地獄で生きている間の罪を精算し、また人に生まれてくると考えられている。
マズ教では、人は死んだら魂は天に登り夜空の星になると考えられている。
人が違う生き物になるという考えは新鮮だ。
「宗教というものには神話的側面と道徳的側面があると思いますが、カイセン教はどちらも希薄です。むしろ、冠婚葬祭を取り扱う役所のように考えたほうが近いかもしれませんよ」
「それでは秘密にしたいこととは一体何なのでしょうね?」
タトバイエ氏の顔が曇る。
「それは学者としては気になりますが、彼らの友人としてはあまり詮索したくないのです。彼らは、それを暴こうとすることは祟りに触れることだと考えています。白京に居た時、その話題を出すだけでも人が離れていきました」
「祟り……とは?」
「神の怒りに触れると言いましょうか。良くない事が起きる、最悪死ぬこともあるような言い方でしたね」
昨日のカンナの言葉を思い出す。
これ以上調べてはいけない。それは、私の身を案じてのことだったのだ。
「分かりました。この件についてはこれ以上は調べないことにしますわ。あと、タトバイエ様が東海諸島で暮らした感想をお聞きしたいのですが」
そう言うと、カイセン教の話のときとはうってかわってニコニコとしながら話してくれた。
「あそこは良いところですよ!永住しようかと思ったのですが、リトゲニアの雇われ学者なもので、そんな自由はありませんでねぇ……」
タトバイエ氏は懐かしむように、思い出を語ってくれた。
自室のタタミも見学させてもらい、珍しい土産物も一つ一つ解説をしてもらっていたら、あっという間に昼になってしまう。
お昼も誘われたが、急な訪問でそんな迷惑をかけるわけにはいかないので遠慮させてもらった。
「年寄りの長話に付き合わせてしまいましたね」
「いいえ。とても面白いお話をありがとうございました。わたしもいつかヤツシマに行ってみたいですわ」
「おお!それなら、白京に私の教え子がいるから、もし八島へ行くことがあったら寄ってみて下さい」
そうしてタトバイエ氏は一通の紹介状を書いてくれた。八島に行くことになるのはいつになるかわからないので、大事にしまっておこうと自分の鞄に入れることにした。
そして鞄の隅に、昨日荷馬車のおじさんから頂いた小さな包みがあることに気づいた。昨日開けるのを忘れてしまったのだ。後で開けることにしよう。
タトバイエ氏の邸宅を辞したあとエルメーム氏とはそこで別れ、私達3人はリュカナの中心街でお昼を取ることとした。
「午後は本屋さんに行きたいわね」
「ではそう致しましょう。お昼のご希望はありますか?」
「あっおじょーさま!あそこのレストランなんかいいんじゃないですか?」
カンナが指したところにあったのは、かなり格調高いレストランだった。
「いい食事は昨日食べたし、お金を節約しないといけないからああいう店はちょっと……もっと安くて街の人に人気があるような店がいいわ」
「でもそれだと、3人同じテーブルで食事することになりますよー」
「いいじゃない?私が『従者と共に食事だなんて、身の程をわきまえなさい!』なんて言うように見えるの?」
「見えるかどうかで言ったら見えますけど、おじょーさまはそんなこと言わないですね、失礼しました」
カンナとレイザンは、私がこうしたいと言ったらそれを尊重してくれるところが素敵だ。
これが昔の側仕えだったら、絶対にそんな振る舞いは許可されなかっただろう。
他の貴族に見られたら眉をひそめられるかもしれないが、リトゲニアで婿を取る気はあまりないので気にしないことにする。
こんな近所で旅が終わるのは嫌だ。
あと、リトゲニア貴族はみんな脳が筋肉でできていそうなのも嫌だ。
リュカナを流れるシアーデ川を眺めることができる、テラス席があるレストランの1つに入ることができた。
料理を注文したあと、昨日貰った小包を思い出し開けることにする。
「お嬢様、それは?」
「昨日荷馬車のおじさんがくれたのだけど、開け忘れていたのよね。なにかしら?」
紐を解くと、中から出てきたのは美しいブローチだった。
ブローチは私の髪色に合う金色をしており、中心に紫色の宝石をふんだんに使って、ルピナスの意匠が施されている。
「ユナ……まったく、直接渡したら断るだろうと思ったのね」
これは多分、『もし困ったことがあったら売ってお金にしろ』という餞別なのだろう。
ありがたく頂いて、次会うときに付けていこうと心に決める。
「お嬢様、すみません少し見せていただいても?」
「え?いいわよ。はいどうぞ」
レイザンが怪訝な顔をしてブローチを見分する。カンナも横からそれを見て驚く。
「わあ〜すごいブローチですねぇ。せっかくなんで旅の間はこれをつけましょうか?アクセサリー類はお嬢様あまり持ってないですし」
「こんなものつけてたら盗賊に狙われるわよ。貴族のパーティに行くとき位でいいわ」
「そうですね。これはお嬢様の鞄にしまっておいて下さい。カンナが失くすといけないので」
それはあり得る。レイザンの言葉に納得し、自分の鞄に大事にしまい込んだ。
カンナは「ふたりして!ひどい!」と怒っている。日頃の行いよ、カンナ。




