レイザン、出会いを思い出す
その日朝から森に向かった私は、朝露に濡れる下草の中に獣道を見つけた。
道は大聖堂の方から続いており、私が向かおうとしていた方向へ伸びている。
なにかあるのかと思い、その道を辿ることにした。
森の奥深くでは霧が濃くなり、すぐ近くに街があるとは思えないような神秘的な空間となっている。
星の魂境界が浅いエリアというのはこんな常世のような雰囲気を持つ。
自分は特に魂感覚が強いため、星の魂の近さを肌で感じていた。
翡翠湖に似た感じだ。
この先にはなにかある。
しばらく歩みを進めると、木々の間から何かが見えた。
水面の反射と、人の影。
私は念の為木々に隠れるようにして、そちらへ近づく。
そこには小さな泉があった。
泉の上には周りの木の枝葉が届かず、朝日が差し込んでいる。
水面が揺れ、その透明な水の中から一羽の小鳥が水の珠を散らしながら羽ばたき、飛び立った。
泉の周りには色とりどりの花が咲き、蝶がひらひらと舞っている。
一人の女性が花畑に座り、その光景を眺めていた。
私はその人を見たとき、神というのはこの世に存在するのだと知った。
これ以上に美しいものはない。ここが天国だったのだと。
私は今ここに来るために産まれてきたのだとわかった。
立ち尽くす私の横を、立派な角を持つ鹿が通り過ぎていった。
かなり近くに来るまで気がつかなかったため、少し驚いて後ずさりする。
鹿に移していた目線をまたすぐに泉のほうへ戻すと、こちらに気がついた女神と目があった。
彼女は歩み寄ってきた鹿を撫でながら私を見ている。
私は声をかけることも、近づくこともできずにそこに立ち尽くしていた。
鹿は撫でられるのに満足したのか、彼女から離れて泉の水を舐め始める。
それでも動かない私に、彼女は少し微笑んだ。
その笑みをもっと近くで見たいと思い、吸い寄せられるように足が動く。
花畑に足を踏み入れる。
近くで見る女神はとてもまぶしい。
しかし目を離せない。
私の胸のあたりの高さにある、小さな顔が少し横にかしいだ。
「私はサーシャ。貴方は?」
その声は天使が神器のハープをつまびいたように清らかだ。
あまりの感動に、体がしびれたように感じる。
「私は、真堂、伶です」
うまくまわらぬ口を動かし、答えると、彼女は花が咲くように笑った。
天の矢が私を撃ち抜いたようだった。
思わず跪き、見上げると戸惑ったように揺れるグレーの瞳がこちらを見ている。
「なぜ跪くの?服が汚れるわ」
「あなたが、あまりにも美しくて」
口をついて出た言葉に、返事はなかった。
しまった。
変なことを口走ってしまった。
何か、取り繕わなくては。
「女神かと思いました」
ダメだ。
まともに頭が動かない。
彼女からの返事がなく、顔を見れず目をつぶってしまう。
こめかみから汗が流れるのを感じる。
無言の時間が流れる。
そこへ、遠くから誰かの声がした。
「お嬢様ー……お嬢様ー……」
その声に彼女は体をびくっとふるわせ、大きな声で返事をした。
「今戻るわ!」
そう言うと彼女はこちらへ向き直り、私の目を見てささやき声で言った。
「明日の朝もここに来て頂戴」
言われた事に素早く反応できずにいると、少し顔を近づけられる。
「お願い」
「はい」
私がかろうじて返事をすると、彼女は満足そうに笑って呼ばれた方に駆け出していった。
出会いは一瞬の出来事だった。
しかし今でも鮮明に思い出せるほど、私の心には彼女の存在が深く刺さってしまった。
その後日が昇るにつれ霧が晴れ、星の魂境界が離れていくのを感じる。
やっと気を取り直した頃には昼近くになっていた。
「この泉は……」
そばにある泉からは、小鳥やリス、虫などが産まれているようだった。
翡翠湖の縮小版だろうか。
今はこの星の魂の波が引いているので、水面は静かだ。
彼女はここから産まれた妖精かなにかなのではないか?
フラフラと歩きつつそんな事を考えながら、研究チームのキャンプに戻った。
宇宙連邦の研究チーム隊長である、モーレーンが食堂にいたので声をかける。
「ああ真堂……どうした?ズボンが土まみれだぞ」
言われて気づくが、そんなことはどうでも良かった。
「隊長、サーシャという女性をご存知ですか?」
「サーシャ?サンドラのクローンだろう。今は娘か。彼女がどうした?」
妖精ではなかった。不思議だ。女神かその類だと思ったのだが。
サンドラのクローンと言われたが、言われてみれば要素は似ていなくもない。
しかし70のご老人と10代後半ほどの彼女では、似ていることに気付けなかった。
「サーシャに会ったのか?」
「今朝、偶然に」
モーレーンが白髪混じりの顎髭を揉み、肘をつく。
「サンドラには言わぬほうが良いぞ。かの女王は娘を溺愛しているからな」
モーレーンが言うには、変な虫がつかないようにと最近では娘を屋敷からほとんど出さずにいるらしい。
彼女は今朝、お忍びであそこに居たのだろう。
「お前は分かりやすいな。もしかして初恋か?その年にもなって」
モーレーンが揶揄するように言う。
図星なので言い返す言葉がない。
「そうです……恋ってこんなに大きな感情なんですね。皆こんな感情を抱えて生きているのですか」
そう返すと、モーレーンは眉根を寄せてこちらを見た。
「感情の大きさは人それぞれだが……お前のそれは少し大きすぎるのではないか。それにサーシャはサンドラのガードがあるぞ。無理な恋だ」
そう言って、もう話すことはないと言うふうにモーレーンは食事を持って去っていった。
その日はろくに食事が喉を通らず、常に彼女の姿を思い浮かべていた。
サンドラの許しを得るのは、今の状況ではまず不可能だ。
でもせめて、なんとか彼女のそばにいられないだろうか。
一回死んで幽霊になればいいのか?
しかし彼女が他の男性と付き合うなんて許せそうにない。
もしその時が来たら、死なばもろともでその男の魂を星に還してしまいそうだ。
ほとんど眠れず、待ちに待った次の朝を迎えた。
昨日よりもだいぶ早い時間だが、夜明けとともに家を出る。
ひんやりとしたきれいな空気の中森の小径を歩く。
今朝も少し霧が出ており、また星の魂を近く感じた。
泉に辿り着くとまだ誰も居なかった。
それはそうかと水面を覗き込んでいると、小径の方から足音がした。
そちらを振り返ると、金の巻き髪をふわふわと揺らしながら、勿忘草色のワンピースを着た女性が息を切らしながら駆けてくる。
私の姿を捉えた彼女は満面の笑みをたたえて、私の胸に飛び込んできた。
「レイ!おはよう!早いのね!」
彼女は私の背に腕を回しながら息を整える。
私は急なことにどうしていいやら分からず、両手の行きどころを探していた。
「お、おはようございます」
自分の胸に寄り添う彼女にそう言うと、彼女は私を見上げて、潤んだ瞳で見つめ返してきた。
「……はしたないかしら?でもね、昨日からずっと……こうしたかったの」
彼女に私の鼓動を聞かれている。
自分でも聞こえるほどに激しく収縮を繰り返す心臓が痛い。
「わたし、あなたのことが好きみたい。あなたもそうなんでしょう?運命だとは思わない?」
さらりと言うその言葉に、もしかしてからかわれているのだろうかと、瞳をのぞきこむと。
白い頬が目元まで桃色に染まり、目線をそらされてしまう。
そして彼女の心音も密着した体を通じて感じた。
いま自分を止める理性がもどかしい。
単に勇気が足りないだけかもしれない。
私は空いていた両手を彼女の背に伸ばし、壊れてしまわないようにそっと抱きしめた。
腕の中の人は少し息を飲む。私を掴む手に力がこもる。
彼女の体は細く、ちいさく、やわらかかった。
「こんな……知らない男に抱きつくなんて、あぶないですよ」
自分を棚に上げるが、もう彼女を腕の中から解放するのが怖い。
ずっとこのまま、自分にだけ見えていてほしいくらいに。
「あら、じゃああなたの事を教えて頂戴。興味があるわ」
背中に回されていた手が解かれる。
そこに座ってと促され、言われるがままに花畑に腰を下ろすと、あぐらをかいた足の上にすっぽりと彼女が収まった。
顔が近い。顔が。
「うふふ。近くで見るともっといい顔ね」
「こちらの台詞ですが……」
私の返事に彼女はくすくすと笑った。
まるで夢でも見ているかのような幸福感に、めまいがする。
それから私達はお互いのことを語り合った。
彼女は朝の散歩を日課にしていて、小さい頃からこの泉に来ていたそうだ。
屋敷に帰れば課題が待っている。
サンドラは娘にかなり多くの学習を強いているようだ。
朝だけが彼女に与えられた自由な時間だった。
「霊魂学は少し知ってるわ。ソソラルラから教えてもらったもの」
サンドラの教育のおかげか、彼女はとても聡明で博識だ。
「レイは母様を殺しに来たの?」
「その言い方は物騒ですが、概ねそうです」
苦笑しながら頷くと、彼女は目を伏せてしまった。
返事を間違えたか。
サンドラが死にたがっているとはいえ、母親を殺しに来たやつなんて恐ろしいだろう。
言葉を選ばなかったことを悔いていると、予想に反して彼女は体重を私の胸にあずけてきた。
「私からもお願い。なぜ母様がこんな目にあわなければいけないのって、ずっと思っていたの」
彼女はサンドラの置かれた状況をちゃんと把握していた。
そして、その解決が困難であることもわかっていた。
「ソソラルラは『研究を続けていけばいつかは解決できるだろうけど、それが百年後か千年後かはわからないし、研究予算にも限りがある』と言っていたわ。レイは今すぐに解決できると言うの?」
「今すぐはできません。まだ方法が思いついていなくて……サンドラさんに会わせてもらえないのもあって、難航しています」
「母様はあなたを信用していないのね。わかったわ」
そう言うと彼女は私の膝から降りて立ち上がる。
ひどい喪失感を覚えた。
しかし彼女が私の右手をとったので、指先から心の隙間が満たされていくのを感じる。
「レイを母様に会えるようにするわ。そうね……もっと霊魂学を学びたいって頼んでみようかしら。そうしたら誰か教えられる人を探すと思うのよね」
「その場合、私ではなく宇宙連邦の誰かが行くことになりそうですが」
「それはあなたも頑張って志願して頂戴。モーレーンに話を通すから、どうにかして潜り込んで」
彼女に真っ直ぐに見つめられると、どんな命令でも聞いてしまいそうだ。
幸いなんとかなりそうな提案だったので、頷いて私も両手で彼女の手をとる。
すると彼女の体が一瞬跳ねたように見えた。
「どうしましたか?」
「なんでもないわっ。あ、あ、あの……わたし、そろそろ戻らないといけなくて」
そう言われて手を離したが、彼女がまだ私の手を握ったままだ。
「……あの?」
「……レイ、明日も来て。これから毎日。雨の日は……やめたほうがいいけれど」
「勿論です」
「面倒じゃない?嫌な顔ひとつしないのね、レイは」
「私はあなたに会うために生まれてきたからですよ」
そう言うと、彼女は強い力で私の手を握ったあと、離してそのまま駆けていく。
そして一度だけ振り向き、言った。
「絶対にあなたと結婚するわ、レイ!」
その日のうちにモーレーンに呼び出され、想像した通りの話を振られた。
「サーシャ嬢が霊魂学を学びたいそうだ……お前の差金か?」
「発案は彼女ですよ。サンドラさんの解放にご協力頂けることになりまして」
モーレーンは腕を組みながらため息をつく。
「本来ならうちのチームの中堅に振る話だ。しかし、やりたがるやつは居ないだろう」
「では私がやります」
間髪をいれずに手を挙げると、「だろうな」と返される。
そして考えるようにその場を8の字にウロウロしだした。
宇宙人でも考えるときの仕草は一緒なのだなと、少し感動する。
モーレーンは組んでいた腕を解き、こちらに指を突きつけてきた。
「私もお前の能力をまだ測りかねている。しばらくは2人体制でサーシャ嬢への教育を行おうと思うがどうだ」
彼女と二人きりになれないのは残念だが、そこまでは期待していなかったので素直に頷く。
「実力を示せれば、サンドラも話を聞く気になるかもしれないからな。私の話ですら、あまり聞いてはくれない人間だ」
「そんなに難しい人なんですね」
「昔はああではなかった。時の流れというのは、残酷だな……」
モーレーンは「喋りすぎた」と言って、私を部屋から追い出した。
彼らの過去がどうであったのかはよく知らないが、あの寂しそうな目を見る限り少なくとも仲の良い関係だったのだろう。
20数年しか生きていない自分には、想像することしかできないが。
次の日、私は初めてサンドラの屋敷へ入った。
横に並んで歩くモーレーンからは事前に注意を受けていた。
「サンドラには助手を一人連れて行くとだけ伝えてある。お前だということがバレるなよ。面倒だ」
軽く変装をさせられた私とモーレーンは、屋敷の中をメイドに付いて歩く。
「サーシャお嬢様はこちらです」
メイドが扉を開くと、部屋の中には黒板と教卓、それに向かうように一組の机と椅子があり、その椅子にはちょこんと彼女が腰掛けていた。
「いらっしゃいモーレーン。無理を通してくれてありがとう」
彼女が日が差し込む窓を背に立ち上がる。
やっぱり女神にしか見えない。
「お久しぶりですサーシャお嬢様。こちらは助手のレイです」
「レイです。よろしくお願いいたします」
メイドの目がある手前、初対面の体で挨拶をする。
モーレーンが『サーシャお嬢様』と呼んでいるのに少し驚いたが、ここではそれに習うことにした。
「ソソラルラに聞いて霊魂学の基礎は分かっているつもりだけれど。早速応用からかしら?」
彼女はモーレーンを見て言ったが、モーレーンは私の方を見ていた。
これは私に任せるということだろうか。
「基礎の確認からにしましょう。習熟度合いを見て今後の進め方を決めたほうが良いかと。お嬢様もそれでよろしいですか?」
そう言って変装の眼鏡越しに彼女の方を見ると、彼女は顔を真っ赤にして固まってしまっていた。
「……お嬢様?」
「あっ、エッ!?そそそそうね、そうして頂戴!」
言いながら持っていたペンを床に落とされていたので、拾って渡してあげた。
「大丈夫ですよ。最初は簡単な内容から進めますので」
私の言葉に彼女はこくこくと頷き、後ろでモーレーンがため息をついたのが聞こえた。




