アルルーナ、走る
「あなた一体何したの」
人間のものではない顔になってしまっているレイザンに、問う。
「私も初めてやってみたのですが、意外とうまくいくものですね」
「答えになってないわよ」
黒く裂けたように見える頬に触れると、皮膚が裂けているわけではなく、手触りはただの肌だった。
「怖くないのですか?」
「そうね……この後どうするかの方が怖いわね」
穴は下に数階分は開いているらしく、暗くて底がどうなっているかは見えない。
さて、今は切り抜けたが。
どこへ逃げれば良い?
神人相手では、どこに行っても見つかってしまうのではないだろうか。
おもむろにレイザンが床に刺した剣を抜いて構えたので、私も身構える。
レイザンの正面には、両手を挙げたヒシブキが立っていた。
なぜ彼は無事なのだ?神人に捕まらなかったのか。
「貴方達を逃がします。ついてきて下さい」
「お前を信じる理由がない。場所だけ教えろ」
「理由はあります。僕はカイセン教のスパイですが、邑日会長から特命を受けています。あなたの助けになるようにと」
彼はカイセン教なのか。
しかし後半の話は意味がわからなかった。
レイザンには分かったようで、剣を下ろしている。
「分かった。案内しろ」
カンナをはじめ後ろにいた3人は、レイザンの顔を見て完全に化け物を見る顔をしていたが、それどころではないので誰も言及しなかった。
ヒシブキが走るのについていくのがやっとで、状況整理もままならない。
「こちらは来た道と違うわ」
「リフトは降りている途中で止められたら終わりですから、非常用ルートを使います」
走っている間に人を一人も見なかったが、それは鉢合う前にレイザンがすべて穴に落としていたためらしい。
そのおかげで我々は誰にも見つかることなく目的地にたどり着いた。
細い廊下は行き止まりになっている。
天井には緑色に光る看板がついていた。
ヒシブキが壁の取っ手を回すと、取っ手とともに蓋が外れる。
すると壁に四角く穴が空き、中は白い布でできた筒のようだった。
「ここから一人ずつ降ります。最初にレイザンさん、最後に僕。祭礼殿に着いたら地下のチューブステーションを目指すのですが、祭礼殿の政府軍を何とかできますか」
「分かった」
手短にそう言ってレイザンは壁の穴に入っていった。
私は不安に思う暇もないまま、ヒシブキの言うままにレイザンのあとに続いて壁に入る。
それは未知の感覚だった。
まるで蛇に飲まれたような、底のない穴に落ちていくような。
速度は一定に保たれ、周りの布が私を包み送り出すようにするすると降ろしていく。
……ソーセージの中身になった気分だわ。
私を包んだソーセージは、最後は滑り台のように傾斜して私を吐き出した。
先に降りていたレイザンの手を取り、すぐに吐き出し口から離れる。
私のあとにザカハ、マリー、カンナが吐き出され、ヒシブキも間もなく出てきた。
吐き出された所は祭礼殿の入口近くのようだったが、周りには倒れている人間しか居らず、静かだ。
「これもあなたが?」
ヒシブキが呆気にとられたようにレイザンに聞く。
「降りる間に眠らせる方法を思いついたから、やってみたら出来た」
「……助かります。こちらへ」
我々が進もうとすると、入口の方、外から大声がした。
「マリー様!!!これはどういう事ですか!!!?」
我々の後をずっとついて来ていたジジオだ。
祭礼殿までついてきていたのか。
急いでいるのに面倒くさい!
「ジジオ、私は少し身を隠す!聖女の役はハナストラシアに頼むのじゃ」
「私も連れて行っては……」
マリーに食い下がるジジオに、食らいつくようにザカハが叫んだ。
「頼む!俺の馬車を、俺が戻るまで面倒見てくれ!!」
「な……」
「シャマツタールの南の農家に預けてある!二頭ともいい馬なんだ、頼むよ……」
そうだ、タマラとマスケトを預けたままだ。
長い旅を共にした仲間だが、これ以上連れて行くわけにはいくまい。
「ジジオさん、ザカハの馬車を書籍館まで送ってくださる?お願い」
「皆様、何を言って……それにレイザンお主その顔は……」
「急いでください!時間がないんです!」
たまりかねてヒシブキが怒鳴る。
「頼んだぞジジオ!私は必ず戻るのじゃ!」
混乱するジジオを置いて、我々はヒシブキに続いて走った。
暗く細い階段を駆け降り、ヒシブキが勢い良く突き当たりの扉を開く。
数人の兵がこちらに気づき、驚いたように武器を構えた……と同時に、崩れ落ちるように倒れていく。
糸の切れた操り人形のようになる様を見ると、少し恐ろしかった。
「死んでないのよね……?」
「おそらく……」
「あなたが不安そうにしないでよ、あなたしか分からないんだから」
そう言いながらレイザンの背中を叩く。
「怖いもの無しじゃのうアルルーナは……」
マリーが少し引きながらこちらを見ていた。
ヒシブキがやっと立ち止まったところは、小部屋と小部屋が小さな扉で繋がっている場所であった。
「レイザンさん、手伝って下さい」
ヒシブキとレイザンは片方の小部屋から眠っている兵士を担ぎ出している。
数はそれほど多くなく、数名程度だった。
「皆様乗ってください。席についたらベルトを締めてくださいね」
乗る?今ヒシブキは乗れと言った?
小部屋の中に入ると、背が頭の高さまである椅子が並んでいた。
2つの椅子が一方向に向かって4列。
一番前のひとつにヒシブキが座り、レイザンはその後ろに私を座らせ、椅子についていたベルト状のものを金具で固定した。
カンナはザカハのベルトを閉めてあげている。
マリーは自分にはできないと思ったのか、ヒシブキの隣に腰掛けた。
それを見て、ヒシブキはマリーのベルトを閉める。
「出発します」
小部屋の扉が勝手に閉まり、部屋中に微かな振動が起こり始めた。
これは、ミェドラ山を登ったあの部屋に似ている……。
と、思った瞬間。
我々の座る小部屋がもの凄い勢いで走り出した。
しばらく進んで速さに慣れた頃、一番に声を上げたのはマリーだった。
「せっ……説明も無しにこんな乗り物に乗せるでない!」
「申し訳ありません。説明する暇がありませんでした」
ヒシブキが大きく息をつき、額の汗をぬぐう。
私もやっと肩の力を抜いて、椅子に深くもたれた。
「逃げられたの……?」
「いえ、このカプセルを使って政府軍が向こうに行ったようです。着いた先でも交戦があるかと」
「向こうって、私達はどこへ向かっているの?」
「イスミト市郊外のマズ教寺院、その地下ですね」
イスミト市。イリョール国首都のイスミト教聖地だ。
そんな敵地のど真ん中に向かってどうするのか。
「イスミト市には世界最大のカイセン教会があります。そこで皆様を保護します」
「イスミトじゃと?その間ずっとここに座っているのか?せめてベッドが欲しいのう」
「大丈夫です。すぐ着きます」
ヒシブキはこともなげに言う。
しかし、シャマツタールとイスミトは馬車でも一週間以上はかかる距離だ。
いくらこの乗り物が早いと言っても、一日以上かかるのではないか。
「今我々は翡翠湖を西に迂回して進みはじめたところです。もう翡翠湖まで来てます」
「じゃあもう着くじゃない!?そんなに早いの??」
「そんなに早いんですよ」
「皆様には説明不足で大変申し訳ないと思っています。ですが、僕も聞きたいことがあります」
ヒシブキがこちらを振り向く。
「レイザンさん、あなたは何者なんですか?あなたがやっている事はその……魔術にしか見えない」
私としてはヒシブキや魔人がやっていることもそう見えるのだが、レイザンはまた違うらしい。
魔人のことを調べれば、レイザンの事がわかると思っていたのに。
分からないことが積み重なった上に崩れ落ちてきた気分だ。
レイザンは黒くひび割れた頬を掻きながら言いよどんでいる。
「邑日会長からなにか聞いてないか?」
「いえ……会長は最近お歳のせいか、一日のうちはっきりしている時間がわずかなのです」
「そうか……彼ももうそんな歳か」
レイザンはその真っ黒な目を閉じた。
まるで、懐かしい思い出を思い出すかのように。
20歳そこそこのレイザンと、そんなお年寄りの間に何があったのか想像し難いが、かなり親しい間柄だったのだろう。
「説明すると長くなる。落ち着いたらにしてくれ」
「……では、イスミトに着いたらまた政府軍の制圧をお願いできますか?」
「分かった」
私の視線を感じたのか、レイザンがこちらを見た。
「どうかされましたか、お嬢様」
「あなた、それもう治らないの?」
レイザンの顔を指差して問う。
「うーん……こういう顔はお嫌いですか?」
「私は嫌いではないけれど、周りの反応が鬱陶しくなりそうだから。あなたを連れて出歩けなくなるわ」
「じゃあちょっと押し込んでみます」
レイザンは両手で両目を隠し、しばらくしたあと手を離した。
すると、いつもどおりのレイザンの顔に戻っている。
ひび割れた顔も個性的ではあったけど、やっぱりこっちのほうが落ち着くわね。
「治ってますか?」
「ええ。元通りよ」
私はそこで少しホッとしたのだが、私以外の人間はそうではなかったようだ。
「ヒシブキよ。ニホンという国はあんなやつがおるのか?」
「まさか。みんな普通の人間ですよ。他の星にもあんな種族がいるとは聞いたことがないです」
「……なあ、カンナも兄貴と同じなのか……?」
「違うっす、私はただの人間っす。ほんとです」
4人が我々の前後でざわついている。
レイザンは妹の声を聞いて、少し下を向いてしまった。
それが見ていられなくて、私は両の手を思い切り叩き、室内に乾いた音を響かせた。
「静かにして。ヒシブキさん、もうイスミトに着くのね?」
「え、あ、はい。間もなくです」
「我々は着いたらどうすればいいの?」
「レイザンさんに政府軍を制圧してもらったら、馬車でイスミトのカイセン教会へ向かいます。そこまで行けば安全です」
ヒシブキの計画を聞き、私はため息をつく。
「レイザンがあなたの言う魔術を使えなかったら、どうにもならない行きあたりばったりな計画ね。よくうまくいくと思ったわね」
私の嫌味に、ヒシブキは苦笑した。
「本来はあなた方が政府軍に連行されたあと、カイセン教から手を回す予定だったんです。レイザンさんが政府軍に捕まりそうにないから急遽作戦を変えたんですよ」
「そう。じゃあ、みんな聞いた?カイセン教会まで行ったらヒシブキもレイザンも全部話してくれるそうよ。それまで頑張って」
私がそう言うと、横にいたレイザンは頭を抱え、斜め前に座るマリーは片手をヒラヒラさせながら応えた。
「りょ〜かいじゃ。魔人のおいしい料理を食べそこねたからのう。カイセン教会ではいい待遇を頼むのじゃ」
後ろの二人は返事がない。
どうも、ザカハがだいぶまいっているようだ。
「ちょっとザカハ。あなた世界一の商人になるって言ってたでしょう。他の誰も掴めない機会を手にしてるのよ」
「お、おじょーさま……」
「もうダメならイスミト市街に置いていくわよ。姿を変えれば逃げ切れるかもしれないわね?馬車は好きなときに書籍館に取りに来て頂戴」
「……ねーよ」
ザカハが何かつぶやいた。しかし声が小さくて聞き取れない。
隣に座るカンナも聞き取れなかったようで、ザカハに聞き返していた。
「え?今なんて……」
「逃げねーよ!くそ、バカにすんな!!貴族でもねえ、聖女でもねえ、孤児の俺がここまで来れたんだ。行けるところまで行ってやるよ!!!!」
ザカハには珍しく、かなりのハスタス訛りが出た叫びだった。
「ザカハ……」
「じゃあ、レイザン。あとは頼むわね」
ザカハの元気が出て安心したので、肘掛けに頬杖をついて少し休む。
「あ、もう向こうの制圧は終わってますので、着いたら適当に降りて下さい」
空気を読まないレイザンがまた理解を超えることを言うが、もう皆レイザンがそう言うならそうなんだろうと考えずに受け止めていた。
我々の乗った乗り物は、その後すぐに減速し始めて静かに動きを止める。
扉が自動で開くと、空気が抜けるような音がした。
レイザンにベルトを外してもらい、扉から出る。
そこは元いた場所と同じような部屋だった。
「ぬ?同じところに見えるが……本当にイスミトにおるのか?」
マリーも降りてきてヒシブキに問う。
「はい。ここはイスミト市南西のポクターの街の地下ですね。ここに書いてあります」
柱に東海諸島語が書かれていたが、マリーには読めないだろう。
確かに似たような部屋だが、細々とした物の配置が違う。
ヒシブキは再度レイザンに制圧状況を確認し、今度は階段ではなく小部屋が上に動く仕組みを使って上階へ上がった。
エレベーターと言う名の小部屋を出て、廊下を歩く。
祭礼殿と同じように、人がそこかしこで倒れていた。
眠っている者もいれば、血を流して倒れている者もいる。
魔人と神人で争いがあったようだ。マズ教徒の姿は見えなかった。
「祭礼殿の上ではマズ教徒が居たけれど」
「ここは極秘施設ですから、マズ教寺院内と言ってもマズ教徒は入れないようにしています。政府軍もここの場所はなかなか掴めず、シャマツタールで潜入捜査をしていたのです」
「あなたは、どちらの味方なの?カイセン教ならイスミト教や神人、ニホン政府の味方なのよね?」
ヒシブキは、少し考えてから答えた。
「カイセン教の表向きはそうです。ですが、僕を含め会長の特命を受けている人間は、少し違う動きをしています。会長の目的は僕にもよくわかりません」
そこまで言って、ヒシブキは一つの扉の前で立ち止まる。
「ここから先はマズ教寺院になります。レイザンさん、この先の人はどうなってますか?」
「ここから先は何もしてない。普段どおりと思っていい」
「そうですか……少々お待ち下さい」
ヒシブキは懐から小さな欠片を取り出し、壁にこすりつけると大きな布が現れた。
「魔術だわ」
「違います、この布を圧縮パックしてあったんです」
「アッシュクパックというのは呪文か何か?」
レイザンがそれを聞いて笑っていた。
ヒシブキは大きな布を体に巻き、服装がわからないようにする。
大陸南部の服装に似ており、マズ教らしくなった。
「ザカハさん、私と一緒に歩いてください。そのほうが怪しまれにくい」
「ポクターは来たこともあるからな、いいぜ」
ザカハと並んで、ヒシブキは引き戸の取っ手に手をかけた。
すると鍵が開くような音がして、引き戸はゆっくり横に開いた。
扉の外に立っていたマズ教の衛兵は、我々を見て少し驚いた顔をしていた。
しかし、彼らは何も聞かないように言われているのか、そのまま我々を通す。
先程までとは違い、建物の内装も普通のマズ教寺院だ。
地下にあんな施設があるとは思えない古めかしさである。
中を歩くマズ教徒も、何事もなかったように過ごしていた。
ヒシブキもここに来るのは初めてらしく、ザカハに案内されて特に問題もなく建物を出た。
寺院の外にはイスミト風の町並みが広がっており、少し先には翡翠湖が見え、イスミト大聖堂らしき尖塔も見える。
「本当にイリョール国まで来ているのね……」
振り返ると遠くにミェドラ山がそびえていた。
こんなに早く移動できたら、世界一周も楽々ね。
ポクターの町の駅は賑わっており、リュカナの駅を思い出させる。
イスミトまでは近いので、空いていれば何でもいいと馬車を探していると、我々に向かって声がかかる。
「おい、アト!こっちだ!」
ヒシブキが振り向いたので我々もそちらを見た。
後ろで馬車に乗った東海諸島人がこちらへ手招きをしている。
「渓吾!迎えに来てくれたんですか」
「お前にゃ荷が重いだろうって、ライブ見てた山名さんに行けって言われてなぁ」
どうやら味方で良いらしい。
ヤマナさんというのは、リュカナのヤマナ支部長だろうか。
「ヒシブキさん、そちらは?それと、アトとは誰のことかしら?」
「こちらは僕の先輩で、大曽根渓吾です。アトとは僕の下の名前ですね。菱吹後といいます」
「オオソネって……さっきそんな名前を聞いたわ」
「うちのじーさんだな。ボケ老人が迷惑かけてすいません」
魔人の代表をしていた老人か。
オオソネケイゴは、無精髭を生やしボサボサな髪を後ろで適当に結んだ、身なりの適当な男だった。
歳は40前後に見える。では先程会ったオオソネ氏は父親か親戚だろうか?
「まあ乗ってください。昼食でも食べながら話しましょうや。腹減ったでしょ」
「おお!アルルーナ、この男は信用できるぞ。行こう行こう」
「マリー、食欲で動かないで……でも確かに、お腹は空いたわね」
私の言葉に、私のお腹がぐうと鳴って答えた。




