アルルーナ、シャマツタールに着く
ナフトラナ氏との討論はその後数日続いたが、最後にザカハが
「机上の空論より、早く船を作って実際に確認したほうが早いんじゃねえの?」
と言ったことで、ナフトラナ氏もそれに同意しお開きとなった。
「帰りも是非、お寄り下さい」
「ええ。首尾をご報告しますわ」
そう約束し、我々はネシュリーを発つ。
ザカハ曰く、ここからシャマツタールまでは数日もかからないそうだ。
アンカグア山脈はミェドラ山を最高峰として、南北に連なる大連峰である。
ミェドラ山は一年中雪に覆われているほど高く、頂上にたどり着けた人間はいないと言われている。
シャマツタールはミェドラ山の麓に位置しており、ここに来る者はマズ教本山に用がある者だけだ。
ネシュリーから山を登るにつれ雪が深くなってきたが、街道は通れるように雪が避けられていた。
「寒いわね。アガートを思い出すわ」
「寒いっすね……マリーは大丈夫っすか?」
見ると、マリーは寝袋代わりの毛布にぐるぐる巻きになって座っていた。
「馬車に暖炉がついていたらいいのじゃが……」
「やめろ、燃やす気か」
御者台のザカハが突っ込みを入れる。
一番寒そうな場所にいるが、重ね着に重ね着をして玉のようになりながら耐えているようだ。
いくつか分かれ道があったが、ザカハは迷わず進む。
「道を知ってるやつと一緒じゃなきゃシャマツタールにはたどり着けねえ。嬢ちゃんは俺を雇って良かったな」
「人を見る目には自信があるのよ」
レイザンをひと目で決めたようにね。
「見えたぜ。あれがシャマツタールだ」
日が暮れかけた暗い森の中にこじんまりとした村が見えてきた。
その奥には夕日に照らされたミェドラ山が、オレンジ色に輝いている。
「きれい……」
あの山を登ったところにマズ教本山がある。
私には到底たどり着けない道のりだろうが、そこからの眺めはどんなものだろうか。
世界にはこんなにきれいな景色があるのに、生きているうちに見れるのはわずかしかないと思うと、悔しい気持ちになった。
馬車は村の中に入れないので、近くの農家に預けることになった。
そこでは牛を飼っており、牛舎近くに繋がれたタマラとマスケトは少し嫌そうな顔をしている。
「ちょっと我慢な。毎日見に来るから」
ザカハがそう言いながら2頭の鼻をなでた。
村の中に入っていくと、とても狭い道が入り組んでいる。
起伏に富む地形にへばりつくように家が建ち並ぶ。
少し開けたところに出ると、そこは広場のようになっており、中心に石碑が立っていた。
石碑の横には南方人らしく褐色の肌をした男性が佇んでいる。
ザカハはまっすぐにその男性のもとへ歩いてゆき、礼をした。
「ヤザラザ様。まさかご本人がいらっしゃるとは」
「そなたがザカハか。ご苦労であった」
その言葉から、きっとザカハの上司であろう。
私は数歩前に出てザカハに並び、礼をした。
「書籍館のアルルーナですわ。ザカハ、紹介してもらえる?」
「ああ。こちらは北部導師長のヤザラザ様だ。導師長の中では一番偉い」
そんな、首長の次に偉い人がこんなところに一人で居ていいの?
少し驚いて周りを見渡すと、ヤザラザ氏は少し笑って言った。
「この村はマズ教信者ばかりですから、安全なのですよ。アルルーナ様。ヤザラザ・マヌ・イェーリカと申します」
ヤザラザ氏が手を差し伸べてきたので、その手を握る。
たしか握手というものだ。ナイエ国の方では挨拶として用いると聞いたことがある。
握手の文化はアガートにはないが、このあたりでもあるのだろうか。
「今日はもう遅いですから、お話は明日にいたしましょうか。宿はあちらをお使い下さい」
ヤザラザ氏が指し示した方向には、白煙を上げる建物があった。
「……火事かしら?」
「ふふふ、いえいえ。温泉ですよ。あれは湯気です」
ヤザラザ氏のその言葉に、カンナとマリーが反応した。
「温泉!おじょーさま、早く行きましょう!」
「温泉じゃ!一度入ってみたかったのじゃ!」
「何?二人とも……ただのお湯でしょう?」
私がそう言うと、二人は両手を軽く上げながら首を振った。
「おじょーさまはわかってませんね……わからせてあげましょう、温泉の良さを!」
「ヒャッホゥー!」
大きな波しぶきを立てて、マリーが湯に飛び込む。
「やめなさい。はしたないわよ」
「貸し切りなんじゃから良いじゃろ?あ〜〜、最高じゃあ〜〜〜」
マリーはおっさんのようなダミ声を上げたあと、ブクブクと口元まで湯に沈んでいった。
私はカンナに丸洗いされながら窓の方を見やる。
「外にもお風呂があるみたいね。寒くないのかしら?」
「露天風呂っすね。すぐ湯に入ればポカポカですよ」
旅の間、宿に泊まっているときは2日に一回は身体を拭いたりしていたのだが、お風呂は比べ物にならないくらいさっぱりする。
「こんなにきれいになるのは久しぶりだわ」
「街の共同浴場は地元の人ばかりで行きづらいっすからねえ。全部の宿にお風呂がついてたら良いんすけど」
「カンナ、それは贅沢よ」
この宿のように温泉が出ているならともかく、お湯は貴重だ。
少し白く濁った湯に足をつけると、思ったより熱い。
しかしマリーもカンナも気持ちよさそうな顔で浸かっているので、意を決して中へ進んだ。
「あぁ……とける……」
旅の疲れが湯に溶け出ていくようだ。
向こうではマリーが泳ぎだしたが、もう止めるのも面倒くさい。
今は全身でこの気持ちよさを味わっていたい。
だいぶ暑くなってきたな、と思ったところでカンナが立ち上がる。
「露天風呂行ってくるっす」
「私も行くわ」
「なんじゃ?私も行くぞ!」
外へつながる木の扉を開けると、氷点下の風が体を冷やす。
「「「さむさむさむ!!」」」
温めた体が冷えぬうちに、3人揃って温泉へ飛び込んだ。
「身体はアツアツなのに周りは雪。変な感じじゃの〜」
「顔が冷えて丁度いいわ。雪景色も綺麗だし」
裸で湯に浸かりながら景色が見れるとは、こんな文化もあるのだと改めて感動した。
書籍館で本を読んでいるだけでは、知識としては知っていても本当にどんなものかは分からなかっただろう。
「経験って大事ね。自分自身が大きくなっていくような気がするわ」
「そういえばアルルーナはレイザンとどこまでいったのじゃ?」
「何の話よ!?」
急に言い出したマリーに、つい強めに返してしまう。
「経験の話じゃよ?アルルーナが言ったんじゃろうが」
「その経験の話じゃないわよ!」
横でカンナが腹を抱えて笑っている。
すると、壁の向こうから知った声が聞こえてきた。
「おーい。聞こえてんぞ」
「あら。ザカハも露天風呂に?」
「露天風呂?これってそう言うのか?露天風呂は最高だな。レイザンもいるぜ」
ザカハがそう言うのを聞いて、見えてないにしろ同じ空間に裸でいるという事実が急に恥ずかしくなってきた。
ついカンナを見ると、カンナも真っ赤になっている。
きっと温泉の熱さのせいだけではないだろう。
「乙女の内緒話を聞かれてしまったのう。どうした二人とも?」
「わ、私……もう出るわ」
「わたしものぼせてきたみたいっす……」
「そうか。私はもう少し遊んでいくのじゃ」
ひらひらと手を振るマリーを残して、私とカンナは屋内に戻った。
宿には他に滞在客は居らず、それが偶然なのかそう手配されたのかは教えてもらえなかった。
しかし夕食には豪勢なネシュリー料理が用意されており、部屋も一人1室ずつあてがわれていることから、後者であろうと思われた。
なぜマズ教が金をせびりに来た我々をこんなに厚遇するのか、怪しさがないわけではない。
しかし、ということは向こうもこちらに頼みたいことがあるのだろう。
蒸気船への投資は可能性が高いのではないか。
とりあえずもてなしを断る訳にもいかないので、ありがたく頂いた。
一人で寝るのは久しぶりだ。
いつもはカンナといびきのうるさいマリーに挟まれて寝るので、少し寂しさを感じる。
書籍館にいた時は毎日一人で寝ていたのに。
慣れって怖いわね。
なかなか寝つけないので、窓の外を見た。
月光が小さな村と山脈を照らしている。
窓の外にレイザンの姿を見つけた。また寝ずに警護をしているようだ。
窓を開けるときしむ音がして、レイザンがこちらを見た。
そして少し驚いたような顔をして、駆け寄ってくる。
私の部屋の床が高いのか、跪かれなくても顔が近くにあった。
「寒いでしょう。窓は閉めてください」
「ちょっと話したかったの、あなたと」
「……ちょっとだけですよ」
レイザンは首に巻いていた防寒具を私に巻きつける。
レイザンの体温が残っていて、暖かかった。
「レイザン、あなた亡霊っていると思う?」
「急になぜですか?」
明らかに戸惑った顔をされた。
確かに、こんな話をする雰囲気ではなかった。しかし続ける。
「ニワと、マーヒトガイヒ兵に包囲されたとき、彼らは亡霊を見たと言ったわ」
「そんな事もありましたね」
「亡霊は、亡くなった人の魂が地獄に行かず現世に留まっているものと言われているけれど」
イスミト教では魂は一度地獄に還るとされている。
マズ教では星になり、カイセン教では別のものに生まれ変わる。
どれにもならず、魂だけ残ったものが亡霊だ。
ちなみに私は見たことはない。
「私は、いると思います」
「それは何故?」
「その方が、死後の選択肢が多くなるからですね」
「選択できるなら良いけれどね」
サトウ氏や転生者は、死後に自分の意志ではなく転生させられていた。
我々は死んだあとどうなるのだろうか?
「眠れない夜はね、死ぬことが怖くなったりするものなのよ」
「なるほど、そうでしたか」
レイザンは納得したように頷き、私の手をとった。
「お嬢様は私が守るので、まだまだ死ねませんよ」
「死なない、じゃなくて死ねないのね」
レイザンの言いように少し笑ってしまう。
「亡霊に襲われても守ってくれる?」
「楽勝です」
自信満々に言う彼を見て、本当に亡霊でも切り倒してしまいそうだと思った。
少し強い風が吹き、身震いをするとレイザンが慌てる。
「もうだめです。窓、閉めますよ」
「しょうがないわね。おやすみ、レイザン」
「おやすみなさい、お嬢様」
首に巻いた防寒具を返そうとしたら、明日でいいと言われ窓を閉められる。
レイザンの体温は私の体温に上書きされてしまったが、少し残り香があった。
はしたないと思いながらも、その香りに包まれたままベッドへ戻ると、幸せな気分のまま眠りに落ちることができた。
次の日の朝、昨日ヤザラザ氏と出会った広場で待つと、ヤザラザ氏がまた人も伴わずに現れた。
「おはようございます。本日は祭礼殿にご案内します」
ヤザラザ氏が指す方を見ると、村から少し登ったところに村の建物とは意匠が違う建造物があった。
崖のくぼみにはまるように建てられたそれは、各地のマズ教寺院に似た雰囲気をしている。
「祭礼殿……?!高位のマズ教徒しか入れねぇ所だぞ」
ザカハが呟く。
それを聞き逃さなかったヤザラザ氏が答えた。
「正確には首長と導師長のみですね。それ以下は前庭までしか入れません」
「なぜ私達は入ってよいのですか?」
ヤザラザ氏は、ゆっくりとこちらを振り返る。
「それだけ大事なお話をするということです。アルルーナ様、レイザン様、カンナ様、マリーエルヴェ様」
聖女の名前を呼ばれてマリーが片眉を上げる。
そうか。確かにマリーが居た。
イスミト教トップとの会談となったら、非公式とはいえそのへんで行うわけにもいくまい。
納得し、我々はシャマツタールの街を出た。
ヤザラザ氏の後について歩き、祭礼殿の地まで少し山を登る。
山登りは不慣れだが、それほど長くなかったためなんとかたどり着くことができた。
それでも前庭につく頃には息が上がり、ヤザラザ氏に苦笑される。
「ご不便をおかけします。ここからはそれほど歩きませんので」
近づいてみると、祭礼殿はかなり大きな建物であった。
崖のくぼみを更にくり抜き、洞窟のように奥まで続いているように見える。
入口前には多くの衛兵が立ち、祭礼殿内も衛兵がウロウロしていた。
もし忍び込もうと思ってもおそらく無理であろう。
ヤザラザ氏は衛兵が敬礼する間を奥へ奥へと進み、一見ただの部屋に見える一室に案内された。
「こちらにかけて、少々お待ち下さい」
控室のようなものだろうか?
装飾もあまりなく、椅子と机くらいしか調度品がない。
言われるがままに腰かけると、ヤザラザ氏は扉を閉め、扉の横にある小箱で何かをした。
すると、地面がわずかに揺れる。
「!地震かしら?」
アガートのほうではめったにないが、沿岸地域では地震があるという。
ミェドラ山は沿岸地域とは言い難いが、地震の可能性はある。
「いや、地震なんて聞いたことねえ。火山の噴火か?」
ザカハが焦ったように言う。
私とザカハが席を立とうとすると、ヤザラザ氏が手で制した。
「大丈夫です。驚かせてしまいましたね。今この小部屋は、ミェドラ山を登っているのです」
その言葉の意味が、理解できるまでにしばらく時間がかかった。




