アルルーナ、ネシュリーに着く
マーヒトガイヒの軍勢を追い返したその夜、不思議な夢を見た。
いや、それは夢じゃなかったかもしれない。
真夜中に目が覚め、真っ暗な馬車の天井を見上げる。
体が動かない。
首も、口も動かそうとしても石のように固まっている。
ただ天井を見ることしかできないが、不思議と恐怖はなかった。
(そうか、これは夢ね)
そう納得して、また目を閉じようと思ったが、それも許されない。
(寝ないと、日中ねむくなってしまうわ)
ちょっと困ったな、と思ったが、考え直してみれば夢を見ているということは寝ているはずなので、おとなしく天井を見つめた。
カーテンの隙間から、焚き火の灯りが差し込んでいて少しだけ明るい。
天井に張られている幌の、シミのような跡がなんとなく人の顔に見える。
(なんだか、髪の長い女性のような……)
気がつけば、顔が徐々に近づいてきているような気がする。
口元が動いている?
何かを伝えようとしている?
口の動きを読み取ろうと、近づいてくる顔をじっと見つめた。
(お………も…い……だ……し…て?)
思い出して?
何を思い出せばよいのだろう?
読み取ると同時に顔はふっと消え、その後すぐに私の意識も暗転した。
次の日の朝。
レイザン以外の3人は、なんだかひどい顔をしていた。
「悪夢を見たっす〜……知らないおばあちゃんが寝てる上に乗ってきて、どんどん重くなる夢……」
カンナがしおしおの顔で言うので、蒸し直した温かいパンを渡しながら励ます。
「それはマリーの太い足がカンナの上に乗ってたからよ。私見たもの」
言われたマリーも、ゲッソリとした顔をしている。
「私も夢の中で死体の集団に追いかけられたのじゃあ……逃げるのに必死だったのじゃ……」
「なんだよ……お前らもかよ……。俺も首のない亡霊から隠れて逃げる夢を見たぜ……最後捕まったけどな……」
ザカハまでそんなことを言う。
まったく、夢ごときで気分を悪くするなんてたるんでるわね。
「私も夢を見たわ。髪の長い顔だけの女性に、『思い出して』って言われたけど、怖くもなんともなかったわよ」
「顔だけの女性って、めっちゃ怖いじゃないすか」
カンナが口角を下げながら言う。
「亡霊なんて怖くないわよ。生きてる人間のほうが数万倍怖いわ」
「俺、嬢ちゃんをちょっと尊敬する」
ザカハが少し気を取り直して、蒸し器からパンを出した。
マリーもついでにパンをひとつ取って、少し食べたら元気がでてきたらしい。
干しあんずにも手を伸ばしている。
我々のやり取りを、レイザンは何も言わずニコニコと眺めていた。
出発するとき、馬のタマラとマスケトが少し暴れたが、ザカハが撫でるとおとなしくなった。
「こいつらもなんか感じたのかなぁ?あんまり見ない暴れ方だった」
ザカハがブツブツ言いながら馬を進めた。
馬車は人通りのない荒れ地を北へ進んでいく。
荒れ地の所々に槍や剣が落ちており、昨晩のことを思い出させる。
次についた街では、昨晩のことが噂になっていた。
「荒れ地で亡霊が出たらしいわよ。あなた達は見た?」
宿の女将が我々を部屋に案内しながら言った。
「亡霊?」
「昨晩何人も旅人が飛び込んできてねえ、大騒ぎだったのよ。隣町も同じだったみたいでねえ。むしろ、あの荒れ地にそんなに人がいることのほうが怖かったけど」
私は隣りにいたカンナと顔を見合わせた。
「その人たちはなんて言ってたんですか?」
「亡霊に追いかけ回されたって言う人と、そんな人たちをなだめる人がいたわね。まあ、あの荒れ地は古戦場跡だからねえ。亡霊くらいいるんじゃないかしら」
女将は笑いながら言うが、我々は顔を見合わせてしまった。
ザカハがこっそり耳打ちしてくる。
『レイザンは亡霊を操れるんじゃねえか?』
ザカハがそんなおとぎ話のようなことを言うなんて、似合わない。
『亡霊に見せかけた協力者と考えるほうが現実的じゃない?』
『そんな協力者がいるなら、俺達に秘密にする必要ないだろ。魔人の魔術だと思うぜ、俺は』
ザカハの言うことはわかるし、そうなのかもしれないとも思う。
しかしカンナの表情が我々と同じような反応だったのが、気になるのだ。
レイザンもカンナも近くにいたのでそれ以上は話さなかったが、ザカハは彼らが魔人だということで納得してしまったらしい。
レイザンは魔人だろう。しかしカンナもそうだろうか?
ザカハが攫われたとき、魔術らしきことをした気もする。
しかしあれはレイザンの魔術だったかもしれない。
そもそも彼らは本当に兄妹なのだろうか?
もし違ったとしたら……。
それ以上考えるのは彼らにも失礼だし、自分にとっても良くないと思い、やめた。
荒れ地の事件は、後にこの辺りを治めるレマンジェ国まで話が行ったそうだ。
いきなり現れた大量の自称旅人は、取り調べの結果マーヒトガイヒ兵だとわかり、あわや戦争というところまで発展することとなる。
その代わりにニワとその上の者が『責任を取った』と聞いた。
かわいそうだが、おかげで二度とマーヒトガイヒの兵は我々の前に姿を現さなかった。
いくつかの街を越え、道の両側を山に挟まれるようになった頃、我々はネシュリーに辿り着いた。
ネシュリーはアンカグア山脈の入り口のような街で、このあたりでは一番大きい。
と言っても、テザネスの半分もないくらいなのだが。
毛織物が特産品らしく、様々な柄の布が街のいたる所で売られていた。
「俺もネシュリーには来たことあるんだ。布の買い付けにな」
ザカハが我々を案内してくれるというので、ぞろぞろと彼の後ろをついていく。
「材料は羊毛かしら?アガートのものよりきれいだわ」
「山羊の毛だな。この辺りには毛の長い山羊がいるんだよ。触り心地が良くて、北方の貴族に人気なんだ」
「それで商人の馬車がたくさん見えるのね」
「でも交通の便が悪いのがな〜。マズ教徒ってイスミト教みたいに本山を聖地と思ってるやつがあまりいないから、巡礼者も少ないんだよ。おっ、着いたぜ」
父からの手紙にある、ネシュリーの考古学者はこの街で食堂を営んでいた。
なぜ考古学者が食堂を……?と思いつつ、ちょうど夕食の時間でもあるしと店に入る。
「いらっしゃい!」
元気な声が響いた。店員の女性のようだ。
「お好きな席へどうぞ!」
店内を見渡すと随分と賑わっており、我々はかろうじて5人座れる卓を見つけた。
詰めて座ったので少し動くと隣のマリーの胸に当たる。邪魔だわねこの胸。
「やめるのじゃ!つっつくでない」
「ご注文はお決まりですか?」
こまねずみのように働く店の女性が、我々の卓に声をかける。
私とカンナはチキンと野菜のクスクス、マリーはミートボールシチューとにんにくのパスタ、ザカハはチキンと豆のカレー、レイザンは子羊のステーキとミートボールパスタを頼んだ。
かなりメニューが豊富な店で、繁盛しているのも頷ける。
「ご注文は以上で?」
「あぁ、あと、こちらにナフトラナさんはいらっしゃる?父が知り合いで、ご挨拶がしたいのですが」
「店長ですね。後でお呼びしますね」
そう言って店員はキッチンへ消えていった。
料理は少し辛味があったが、とても美味しい。
野菜がたくさん入っているのも良い。
カンナも美味しそうに食べていた。
レイザンは相変わらずお肉をよく食べる。
マリーも負けじと食べていたが、最後の方で「頼みすぎたのじゃあ」と音を上げていたので、皆で残りを分けた。
ミートボールは大きくて一口では食べられないほどだ。これは満腹にもなるはずだ。
切り分けてカンナと半分こにした。
我々が食べ終わったあと、店員が皿を片付けると同時に細身の男性が現れた。
「私がアレイジ・ナフトラナです。お呼びと伺いましたが」
ナフトラナ氏は、怪訝な顔をしながら我々を見る。
それもそうか。東海諸島人が2人、貴族のような女性が2人、商人が1人。謎の組み合わせだ。
「初めまして、私は書籍館のアルルーナです。父がお世話になっております」
そう私が挨拶すると、ナフトラナ氏は驚いた顔をした後に眉根を寄せ、目を細めた。
「ジュダから手紙が来たときは、こんな所には寄らないだろうと思っていましたが……よく来てくださいました。歓迎いたします」
ナフトラナ氏はお代はいらないと言い、それでも払おうとしたのだが頑なに拒まれてしまった。
「アルルーナ様が来てくださったおかげで、久しぶりに研究の話ができますから」
「ここで研究をされているのですか?」
「詳しいことはまた明日。この店の2階に私の家がありますので、お越し下さい」
ナフトラナ氏に見送られて、我々は店をあとにした。
「彼はどういう人なのじゃ?」
帰り道すがら、マリーが訊いてきた。
「父が大学校で経済学から歴史学に専攻を変えたあとに、同級生になった方だそうよ。だから母とも同級なの」
そしてユリス博士の教え子だ。
「歴史学の中でも、考古学者らしいわ。遺跡の研究とかをしていたそうだけど」
「遺跡?ならなんでこんなところにおるのじゃ?遺跡なんて、イリョール以外にはあまりないじゃろ」
「たしかにそうなのよねえ」
イリョール以外に無いわけではないが、ネシュリーには無いだろう。
マズ教が本山をミェドラ山に移したのは約400年前。ネシュリーが栄えたのはその後だ。
その位前の記録であればかなり詳細なものが残っている。
明日聞くことを整理しておこうと、今の疑問も鉛筆でノートにメモしておいた。
次の日にナフトラナ氏の元を尋ねると、下の店が営業していた。
ナフトラナ氏がいなくても店は回るようだ。
「ようこそ。狭いところですが」
扉をくぐると、大量の紙の山の中に小さな机があり、下の店から持ってきたと思われる椅子がいくつか置かれていた。
私は父の部屋などで慣れていたからこういうものかと思ったが、マリーには衝撃だったようだ。
「片付けんのかのう……」
「マリー、これを片付けるには人手がいるし、人に片付けさせたらどこに何があるかわからなくなるから、もうこうしておくのが最適なのよ」
「さすがアルルーナ様。よくおわかりで」
ナフトラナ氏が苦笑しながら茶を人数分持ってきてくれた。
「大勢で押しかけて申し訳ありませんわ。ちょっと事情がありまして」
「私もまさかアルルーナ様の御一行とは思わず……ご紹介いただいても?」
「ええ。後ろのカンナは私の侍女、レイザンは私の護衛です。そしてこのザカハはマズ教の使者、マリーはイスミト教の使者です。この二人は私の監視役ですね」
そう言うと、ナフトラナ氏は目をまたたいた。
「監視……ですか?何故?」
「簡単に言うと、私が魔人について調べているからですわね」
それを聞いてナフトラナ氏は膝を叩いて、少し笑った。
「思い出しましたよ。ジュダが歴史学の研究室に移動してきたとき。ユリス先生に経済史をやるのかと聞かれて、先史学がやりたいと言い出して怒られていたのを……」
父までユリス博士に怒られるようなことをしていたのか。
「なぜ怒られたのですか?」
「やりたい理由が問題でしたね。ジュダは『神人や魔人なんて非科学的だから、先史時代に本当は何があったのかを調べたい』とユリス先生に言ったんですよね」
「それは……怒られますわね……」
ザカハとマリーも苦笑いしている。
そんな事を主張したら、マズ教とイスミト教を敵に回す。
「そんな研究がしたいなら他へ行け!と先生に怒られて、文学史に変えてましたね」
懐かしそうに語りながら、ナフトラナ氏は近くの山から紙を何枚か取り出した。
取り出した紙を小さな机の上に広げると、そこにはなにかの模様が描かれている。
「これは……何でしょうか?版画のような……」
「これは拓本と言って、遺跡の石に彫られた模様の上に紙を敷き、その上から墨で模様を写し取ったようなものですね」
ナフトラナ氏はベストのポケットからペンを取り出し、指し棒のように使いながら説明を始めた。
「この文字は、読みにくいですが基本は今の大陸共通語と同じです。現代の書き方をするとこう……『男性浴場』。つまり、この遺跡は公衆浴場だったことがわかります」
「文字が一部違いますが、読めますわね」
「この文字が現れるのは、人類史の初期です。翡翠湖文書よりも前ということになります」
「……つまり?」
「魔人や神人がいた頃の遺跡、かもしれないということです」
ナフトラナ氏はザカハとマリーの顔を伺いながら続ける。
「私は卒業後も大学に残り、イスミトで遺跡調査をしておりました。遺跡の中にはこのように、先史時代のものの可能性があるものも存在します」
先程の紙はしまわれ、別の紙が並べられた。
次の紙には器のようなものの三面図が記されている。
「これは説明が難しいのですが、出土した土器の図です。非常に単純に見えますが、少し時代が下るとこちらのように模様がつけられ、様々な形状が現れます」
「技術が向上したということでしょうか?」
「そう見る研究者もいますが、私はそうは見ません。古いもののほうが単純ですが、形状が洗練されている。これは魔人と呼ばれる者の指導があったものではないかと考えています」
そこまで言って、ナフトラナ氏は自嘲的に笑った。
「皮肉なことですが、ジュダがやりたかった事にいつの間にか私も足を踏み入れていたのです。気がついたときには、イスミト教に危険人物認定されてイリョールを追い出され、先生にも破門され、仕事をなくしてしまいました」
ナフトラナ氏はリトゲニア王国の貴族の出だったが、イスミト教に睨まれたことで国にも戻れなくなったそうだ。
そこで母方の実家であるレマンジェ国の親戚を頼り、ネシュリーに土地をもらって暮らしているという。
「下の店は生活の足しにと始めてみたのですが、雇った人物が良かったのか、結構繁盛していましてね。新たに研究はできませんが、イスミトで集めた資料を読み解くのを趣味に、なんとか暮らしています」
そこまで聞いて、マリーが話しだした。
「イスミトは人口が増えたから遺跡を壊して住宅地にしていると聞いたが、もしかしたらこれ以上調べられたくなくて壊しているのかもしれんのう」
「……イスミト市はだいぶ様変わりしたと聞いておりますが……どれくらい遺跡はなくなりましたか?私が追い出されたのも、もう10年以上前なので」
ナフトラナ氏が出してきたイスミト市の地図は、だいぶ黄ばんでいた。
地図には遺跡の位置がナフトラナ氏の筆で書き込まれている。
マリーがその地図を見ながら、いくつかの点を指差す。
「こことここ、あとここはもう無くなっておるな。あとはこの聖地の森も全部伐採した」
「なんと……そう……そうですか……」
ナフトラナ氏は明らかに落胆し、椅子に深く腰掛けた。
「まだちゃんと調べきれていないところばかり……まさかあの森まで無くなるとは……あの噴水ももう無いのですね……」
私はその言葉に引っかかりを覚え、ナフトラナ氏に問いかけた。
「噴水?噴水がどこかにあったのですか?」
ナフトラナ氏は落ち込んでおり、返事が返ってくるのに少し時間がかかった。
「あぁ……ええと……聖地の森に、一度だけ入らせてもらった事がありまして……。そこに水盤のような遺跡があったのですが、あれはおそらく噴水だったと私は考えておりまして……もう一度見て確かめたかったのですが、残念だ……」
森の、中の噴水。
どこかで見たような……?でもどこで……。
喉に魚の骨が刺さったような違和感を覚える。
違和感の正体を考えていたが、マリーが話しだしたので中断した。
「聖地に入る許可が出たということは、優秀な学者であったのじゃろうな。それがこんな所に引きこもっているのは勿体ないのう」
ナフトラナ氏はその言葉に少し笑い、頭を掻いた。
「いえ、世渡りが下手なのですよ。イスミト教の権威を高める方向に、発表の形を変えれば良かったのです。馬鹿正直に考察を述べたからこういう事になる」
「魔人の実在に関する考察を述べただけでしょう?国外追放されるいわれはないと思いますけれど」
私みたいに神から名指しで批判されたのならともかくだ。
マリーも頷いているが、ナフトラナ氏は横に首を振った。
「私は遺跡を発掘している間に、あることに気づきました。翡翠湖の周囲に、不自然な人骨が見つかることがあります。それらは衣服を身に着けておらず、栄養失調で亡くなっていました。おそらく先史時代の遺骨でしょう」
現在は埋葬するときに遺体には衣服を着せるが、先史時代では衣服の概念が無かったかもしれない。
それに、栄養失調で亡くなっているのも特に不自然ではない。
「不自然な点というのは……?」
「遺骨の数です。大人ばかり、似たような体格の遺骨が、いたる所で発見されるのです。群れた形跡も見られず、ばらばらに」
ナフトラナ氏は目をつぶったまま、言った。
「我々人類は、魔人が来る前は不完全な生き物だったのではないでしょうか?では、そんな我々を人間にしてくれた魔人を、悪だという神人は一体何なのでしょうかね?」




