アルルーナ、包囲される
「ううう、まだ地面が揺れとるのじゃあ」
マリーがべそべそと泣いている。よほど辛かったらしい。
いずれは船で東海諸島へ行く話をしたら、イリョールへ帰ろうか真剣に悩みだした。
「むうう、しかし翡翠湖から現れる転生者も皆ヤツシマ人じゃ。ヤツシマには何かあるという考えはわかるぞ。イスミト教も宣教師を送り込んでるのじゃが、手応えがなくてのう」
「いえ、東海諸島へ行くのは私がレイザンとカンナの故郷に行きたいからってだけよ」
「じゃあ私は行かなくてもよいかのぉ」
聖女の言葉が効いたのか、それ以降イリョール騎士団は現れなかった。
レイザンによると、後ろをついてきているジジオの所にたまに偵察が来ているようだが、こちらに関与してくることは無い。
ある日の野営のとき、レイザンに問いかけてみる。
「レイザンはどのくらいの頻度で賊を追い払っているの?」
レイザンは少し考えて、言った。
「野営のときは夜盗を数日に1度程度ですね。街の宿にいるときは滅多に無いですが、どこかの密偵を追い返すことはたまにあります」
「密偵ね……私、密偵をつけられるようなことをしていると思ってないのだけれど」
カイセン教は密偵をつけるまでもないだろう。レイザンとカンナから報告を受ければよいのだから。
イスミト教も、今では聖女がこちらにいるし、マズ教だってザカハがいる。
その他でいうとどこかの国だろうか。
アガートを消した自覚はあるけれど、他の国に迷惑をかけるようなことはしていないと思うのだが。
「恐らくリトゲニアやマーヒトガイヒあたりかと。ザカハの実家も、まだ考えられますね」
それを聞いていたザカハが、寒さを紛らわすための酒を舐めながら答える。
「それに関しては迷惑かけてすまねえ。でも確かに、リトゲニアとゴティス北部の戦争がこないだ休戦になって、アガートがなくなった今リトゲニアとマーヒトガイヒの国境が一番緊張感あるからな。こっちに影響がありそうだ」
マーヒトガイヒ共和国は元アガート王国とイリョール国の間にあり、過去に転生者が建国したという伝説のある国だ。
書籍館で職員を研修させて欲しいと定期的に送り込んできたり、アガート王立大学にはマーヒトガイヒからの留学生も多く、イスミト教圏に珍しく勉強熱心な国だなという印象だった。
ただ、昔から書籍館への見合いの申込みが多くて、それが兄も私も嫌で少し距離をおいている。
マリーがザカハから酒を奪い、同じように舐めながら言った。
「リトゲニアが大陸統一を掲げる限りは戦争を避けられんのじゃろうが、なんとか止められんかのう。今の王は血気が多すぎる」
「マーヒトガイヒだって、前からアガートにちょっかいをかけてきているわ。リトゲニアがやめたって別のところがイザコザを起こすだけよ」
書籍館は幸いにしてこれまで戦火を逃れられているが、いつかは巻き込まれる事もあるだろう。
テザネスに、というわけではないけれど、分室も考えたほうが良いのではと思う。
そんな事を考えながら、その日は馬車の中でマリーとカンナに挟まれるように眠った。
マリーは少し酒臭い。ザカハの酒をたくさん飲んでいたせいだ。
カンナと私も少しなめたけれど、苦くて全然美味しくなかった。
もう少し大人になれば味がわかるのだろうか。
そういえば最近は夢を見ない。
レイザンから貰う薬を欠かさず飲んでいるからだろう。
寝袋でもよく眠れるので助かっている。
数日東に進むと、川幅も狭くなり橋が見えてきた。
マリーやワクロはあの橋を渡ってテザネスに行ったそうだ。
随分と遠回りになるが、船とどちらを選ぶかと聞かれたら、結構悩む。
そこから川沿いの道を離れて、少し北上する道へ入る。
眼の前には雄大な山脈が見えてきた。
ミェドラ山を擁するアンカグア山脈である。
雪化粧をした青い山々が天に刺さる姿はとても美しかった。
その日は近くに宿のある町がなかったため、また野営をする。
マリーも慣れてきており、前の街で買った毛布がだいぶお気に入りのようだ。
今日は風が強いので、馬車のかげに集まって火を焚き、寒さをしのぐ。
この辺りは人もあまり住んでおらず、背の高い枯れ草と数本の木しか道沿いからは見えなかった。
「寒いわねえ。少し北に上がったからかしら」
ふうと白い息を吐くと、カンナが温かいスープをついで渡してくれた。
「一年でも今時期は寒さの底っすからね。風が強いと寒く感じますし」
「もう少し経ったら春じゃな。待ち遠しいのう」
「嬢ちゃんはアガート出身だろ?こんな寒さ屁でもねえんじゃねえの?」
「アガート育ちだって寒いものは寒いわよ。私、冬に外なんて出ないし」
そう言うと、ぴゅうと北風が吹き抜けていった。
ざわざわと周りの草が音をたてる。
真珠月が雲に顔を隠すと、夜がさらに暗くなった。
「……誰か来ます」
レイザンがそう言って剣に手を添えて立ち上がる。
しばらく待つと、暗闇から一人の男が現れた。
「どうも〜。書籍館のアルルーナ様の御一行でしょうか?」
全身黒ずくめの格好をした、東海諸島人らしき男が声をかけてくる。
「誰だ」
代わりにレイザンが答えながら剣をすらりと抜き、構えた。
それを見て男はニヤニヤと笑っている。
「おやおや、止めてくださいよ。3年連続覇者に私がかなうわけないですから」
男の言葉にレイザンがぴくりと反応した。
レイザンの過去を知っているということは、東海諸島人、もしくは魔人か。
後者であれば、少し厄介かもしれない。
「はじめまして。私はニワと申します。本日はマーヒトガイヒ共和国の遣いとしてやって来ました」
そう言うと、ニワは軽く頭を下げた。
「何度か別の遣いをよこしたのですが、皆追い払われてしまいまして。仕方なく私が来ました」
「夜に来た奴等だろう。ちゃんとした遣いをよこせ」
レイザンの言葉にニワはヘラヘラと笑いながら頭をかいている。
「皆優秀な兵だったのですがね。あのレイザンが護衛となると、数人がかりでもなんともならないようで。まったく化け物だ」
ニワがそのまま片手を上に上げた。
すると、周りが急に明るくなる。
我々の周りを遠巻きに、背の高い草の向こうに松明を掲げた軍勢が取り囲んでいるようだ。
「数人では無理でも、100人規模であれば流石のレイザンもどうしようもないでしょう?」
ニワは嫌らしい笑みを浮かべて、言った。
レイザンが十数人を相手に戦っているところは見たことがある。
しかし100人、それもすでに包囲されている。
どう考えても逃げようがない。
カンナやザカハに目線を送っても、やはり厳しそうな表情をしている。
レイザンは我々とニワの間に立ってニワを睨みつけており、こちらから顔が伺えない。
「私がアルルーナよ。マーヒトガイヒが私に何用?」
レイザンの陰から、ニワに話しかけた。
「はい。心苦しいのですが、アルルーナ様にはマーヒトガイヒにて人質になって頂ければと」
ニワがニヤニヤと笑いながら言う。
そんな事だろうとは思ったが、私に人質の価値はあるのか?
「リトゲニアとの交渉に、私が使えると?」
「ええ。我々の目的は旧アガート王国領のマーヒトガイヒ併合です。書籍館の貴女の命は、重要な鍵になります」
「あんなところ、併合してどうするの。特に資源も産品もない土地よ」
「書籍館があるでしょう?マーヒトガイヒは書籍館を自国領にすることが悲願らしいのでね」
それに何の意味があるのか分からないが、マーヒトガイヒの目的が書籍館となると、私を狙う意味はわかる。
「書籍館を得るのにここまでする必要はある?ただの図書館よ」
「私もよく知らないのですがね、マーヒトガイヒの建国者が書籍館を守るように言い伝えているらしいですよ。近年アガートでの書籍館の扱いに我慢ならず、隙を見て攻め込もうとしていたらリトゲニアに取られてしまった。リトゲニアに取られるくらいなら、ということらしいですが」
それは初耳である。
マーヒトガイヒの建国者が何故にそんなことを言い伝えているのか。
「建国者は転生者だったそうだけれど、それは関係あるの?」
「さあ?知りませんね。私個人としては、書籍館なぞたいして価値のある施設とは思いませんが」
また一つ謎が増えた。
しかし、マーヒトガイヒの考えが少しわかったため、私の命が奪われる心配はなさそうだ。
周囲の無数の松明はゆらゆらと揺れ、馬の足音も聞こえてくる。
「マーヒトガイヒからここまで、進軍してきたというの?」
間にはイリョールがある。イリョール騎士団がそんなものは通さないだろう。
もしかして100人規模というのは嘘ではないだろうか。
「流石に他国を軍勢では通れませんからね。バラバラに移動してきていますよ。人の目につきにくいところで休んでいただけて助かりました。おかげで集まりやすかったです」
ニワは余裕たっぷりに笑っている。
それが腹立たしく、奥歯を噛んだ。
「さあどうします?と言っても、抵抗した後捕まるか、おとなしく捕まるかの2択なのですが。考えても無駄ですよ?」
「……私がおとなしく捕まったら、他の人たちはどうなるの?」
「そうですね……レイザンだけは我々の驚異になりうるので、無力化させていただきますが、他の方々は見逃してあげてもいいですよ」
ニワの言う事は信用がならない。
だからといって、抵抗しても同じなのは事実だ。
しかしレイザンを無力化するという言葉は許しがたかった。
「レイザン」
「……はい、お嬢様」
レイザンがちらりとこちらを見る。
「貴方、この状況をなんとかできて?」
無理を言っているのは自分でも承知している。
レイザンにとってはひどい主人だろう。
しかし、レイザンはいつものようにふわりと微笑んだ。
「私は、お嬢様の為なら何だって出来ます」
レイザンがそう言い終わると同時に、周りに灯っていた松明が全て消えた。
辺りから動揺のざわめきが聞こえる。
「何だ?突風か何かか……」
ニワも怪訝な声を上げる。
その声にかぶさるように、何十頭もの馬のいななきが上がった。
そしてざわめきは大きくなり、馬が暴れて走り去る音がする。
光源は我々の焚き火しか無いため、周りで何が起きているのか分からない。
そしてそれはニワも同じようだった。
「な、何だ!?何をした!」
「何もしていない。俺はここから動いていないだろう?」
レイザンは平然と言う。
そして周囲のざわめきに、悲鳴が加わった。
何かにおびえるような絶叫があちこちから上がり、遠くなっていく声もある。
草むらから一人の黒ずくめの兵士が飛び出し、ニワの前に跪いた。
「ほ、報告!部隊の軍馬が全て脱走致しました!さらに……発狂者多数です!」
「どういう事だ!何者かの攻撃か?!」
「それも不明で……あ、あ、ぁ!………ひぃやぁーーーー!!!!」
伝令の兵士は何を見たのか、あらぬ方向を向いて怯え、叫びながら逃げていった。
立ちすくむニワのもとへ、レイザンがゆっくりと近づいていく。
ニワは少し後ずさり、レイザンに対して身構える。
「くそっ……他に仲間がいたのですか!?聞いていない!」
「さあな。お前も逃げるか?逃げるなら、二度と我々に関わらないように上司に伝えておけ」
「なめるな!」
ニワが懐から暗器を取り出し、レイザンに投げつける。
そのうちの一つから煙が吹き出した。
目くらましか。我々から二人の姿が見えなくなる。
煙に乗じてニワが逃げてしまっただろうと考えたが、風が煙を押し流すと、ニワを捕らえたレイザンの姿があった。
「くっ……まさか失敗するとは……」
それでもヘラヘラと笑っているニワの胸ぐらをレイザンが掴み、無理矢理立たせる。
「何をしたか知りたいか?」
「……是非教えてもらいたいですね。降参です」
ニワは両手を挙げた。
レイザンが片手でニワの目を覆い、スッと横切らせる。
すると、ニワの顔からニヤニヤ笑いが消え、驚愕の顔に変わっていく。
「な、何だ、何だそれは!?」
ニワが見ている方向には何もない。
我々は異様な雰囲気を感じて目を見合わせた。
レイザンの妹であるカンナですら、何が何だか分からないという顔をしている。
「くるな!離せ!はなせぇ!!」
レイザンに掴まれたままニワがジタバタともがいた。
何かを振り払うように手を動かしているが、空を切るばかり。
「もうアルルーナ様に手を出すなよ」
「わがっだ!!わがっだがら!!」
ニワがこくこくとうなずく。
レイザンが手を離すとニワは弾かれたように走り出し、足をもつれさせて転ぶ。
しかし構わずまた走り出した。
「ひぃぃいいいい………」
ニワが駆け抜けていき、気がつくと周りにいたであろうマーヒトガイヒの兵たちもどこかへ行ってしまったようだ。
真珠月が雲から顔を出し、周りの様子が見えるようになっても、もうその荒れ地には誰もいなかった。
レイザンが戻ってくる。
ザカハとマリーは思わず身構えていた。
カンナは呆然と座り込んでいる。
「お疲れ様、レイザン。そしてありがとう」
私が近づいていくとレイザンは安心したように笑い、私の前に跪いた。
目の前に頭を下げられたので、いつもどおり頭を撫でる。
そうするとすぐに立たれてしまうのが常なのだが、今日はそのまましばらく撫でられていたのでこちらが恥ずかしくなってしまった。
「何をしたのか聞いても良くて?」
「お嬢様。私は何もしていませんよ。ご覧になっていたでしょう?」
「まあ、また『秘密』?」
そう言うと、レイザンは苦笑して立ち上がった。
「私はお嬢様を守るためならどんな手だって使います」
遅くなったが、夕食の続きをとることにした。
スープを温め直し、乾パンを浮かべて食べる。
「魔人じゃ……絶対あやつは魔人じゃよ……」
マリーがヒソヒソ声にならない声量で言う。
「妹の私でも、違うっすって言いにくくなってきましたねぇ……」
「俺マズ教になんて報告したらいいのかわかんねーよ……」
カンナとザカハも食が進んでいない。
「ちょっと。危機一髪のところを助かったのになんて雰囲気なの。もっとレイザンを讃えなさい」
私がそう言うと、ザカハとマリーが抗議の声を上げた。
「いやレイザンのおかげなのかすらもわかんねんだって」
「そうじゃあ。納得の行く説明をせい!そしたら讃えてやる」
「じゃあ、私の推理を聞いて頂戴」
「恐らく、レイザンは夜中に来ていたリトゲニア軍の密偵と連絡を取り合っていて、近くで見張るように依頼をしてあったのよ。マーヒトガイヒの密偵も来ていたから。それでさっき火が消えたり馬が逃げたりしたのは、リトゲニア軍の仲間が暗躍していたのでしょうね」
私の説明をふんふんと聞いていたマリーが手を挙げた。
「じゃあ、兵たちが発狂したり、最後のニワの反応は何なのじゃ?」
「催眠術かなんかじゃないかしら?ねえレイザン?」
「だいたいそんな感じです」
「最後が雑じゃあ!」
マリーの絶叫が、誰もいない荒れ地に響く。
草むらが風もなく揺れたことには、誰も気づかなかった。




