アルルーナ、兄に問う
リリエマ王女に案内された図書室は、非常にささやかな大きさの部屋だった。
まあ、普通はこんなものだろう。
「書籍館の方をご案内するのは申し訳ないほどの蔵書しかありませんが……」
リリエマ王女が恐縮しながら言う。
そんな事はない。図書室は良い。本の匂いがする。故郷の匂いがする。
「とても良い図書室だと思いますわ。静かで、落ちついていて」
「あっ、ありがとうございます」
見たことのある本の背表紙が並んだ棚の森を縫うように歩き、ときどき立ち止まってはリリエマ王女と本の感想を言い合った。
「リリエマ殿下、これは読まれました?殿下が好まれそうな悲恋のお話なのですが……」
「アルルーナ様、私は悲恋が好きというより、身分の差や死別などで叶わない恋という状況が好きで……その後幸せになる話も好きですわよ?でもせっかくなのでそれも私の棚に入れておきますわ」
リリエマ王女とはかなり話が合い、だいぶ打ち解けた私達はクスクスと笑いながら棚から本を出してはリリエマ王女専用の書棚に置いていった。
王女の書棚には彼女好みの本が並べられており、まるで彼女自身を表しているかのようだ。
……私がこんな書棚を作るとしたら、何を置こうかしら。
そんな事を考えていたら、王女の棚の隅に紙の束のようなものがあり、手に取ると紐で綴じられた形式の本であった。
「殿下、この本は何でしょうか?」
「それは東海諸島の本ですわ。珍しいでしょう。昔、我が国の船が遭難した東海諸島の船を助けて、その時献上されたもののひとつだそうです」
「殿下はこれを読めるのですか?」
「東海諸島語は全く読めませんわ。でも翻訳が書き込まれているので、アルルーナ様も読めると思いますよ」
東海諸島の本。とても気になる。
短い話のようだったので図書室の椅子と机を借り、リリエマ王女と二人で読むことにした。
その話は、『カグヤ』という名前の不思議な女の子の物語だった。
カグヤは年老いた木こりが切った木の切り株から生まれ、3ヶ月で大人の女性にまで育ったという。
カグヤはとても美しく、多くの貴族から求婚されたがなぜかすべて断り、断りきれぬ5人の貴族には無理難題をつきつけて追い払った。
そしてついに国王からも求婚され、カグヤは自分は月から来たと打ち明ける。
カグヤは月で罪を犯し、罪を償うために穢れたこの地へ落とされた罪人だったのだ。
刑期はまもなく終わり、月から迎えが来るために求婚は受け入れられないというカグヤ。
月からの迎えが来る日、国王は軍を使って抵抗したが、なすすべなくカグヤは月に帰る。
カグヤは国王に不死の薬と手紙を残したが、カグヤのいない世界で不死になる意味はないと、できるだけ月に近いところ、国中で一番高い山で不死の薬を燃やした。
その山は今でも絶えず煙をたなびかせている……。
「素敵なお話でしょう?」
「ええ……そして、不思議なお話でしたわ」
古い本のように見えるが、内容は全く古臭さを感じさせない。
この地は穢れているから月人の流刑地になっているという発想も、自虐的で面白かった。
「でも、わたくしこの話で昔から気になっていることがあるんです。姉たちは聞いてもくれないんですけど」
「どの部分でしょうか?」
「このカグヤは、どちらの月から来たんでしょうか?」
リリエマ王女の言葉を聞いて、指先が冷えていくような感覚を覚えた。
「確かに……この話は月が重要な話のはずなのに、真珠月と金剛月の区別はつけられておりませんわね」
「そうでしょう?何だか不自然だなあと思っていたんです!私だったら、金剛月の王子が真珠月から堕ちたカグヤを迎えに来るとか、そういう設定を付け加えたくなりますのよ」
リリエマ王女が何か面白い事を言い出している。想像力が豊かな人だ。
月の描写をもう一度読み返して確認していると、リリエマ王女が箱に入った紙束を持って来た。
「あの……こんなものをお見せするのは恐縮ですしとても恥ずかしいのですが……カグヤの話をもとに、私なりに再解釈してみた小説を書きましたの。読んでみていただけますでしょうか……」
「それは……是非読ませていただきますわ。私で良いのですか?」
「ええ!こんな話ができる方、はじめてなんですもの」
リリエマ王女は照れたように笑った。
彼女のふくふくと笑った顔はとても可愛らしいと思った。
「レイザン、あなたはカグヤの話を知っていて?」
ハカトルメス王宮からの帰り道、借り物の馬車の中でレイザンに訊ねた。
「ええ。わが国最古の小説と言われています」
「完成度が最古のそれではなかったけれど」
「まあ他に類がなかったからこそ、この時代まで残ったのかもしれません」
「なるほどね。一理あるわ」
レジームの膝の上には、リリエマ王女の小説が入った箱がある。
帰ったらすぐ読もうと思ったが、図書室から先、兄のことを完全に忘れていたことに気づく。
ああもう。顔が良い兄なんて持つものじゃないわね。
「兄様はまるでカグヤね……」
それを聞いてレイザンが吹き出した。
「カンナ、起きてる?」
寝る前に同室のカンナに声をかけた。
向こうの壁にくっついたベッドの布団がもぞぞと動く。
「んあー……おきてますよ」
「ごめんなさいね。頭がゴチャゴチャで、話しながら整理したいの」
「りょーかいですうー」
眠そうな声をあげながら、カンナはこちらに顔を向けた。
「今日、カグヤの物語という東海諸島の本を読んだのよね」
「はぁー。知ってますよ、その話」
「主人公のカグヤは、月から来たのよね」
「そですねえ」
「真珠月から来たのかしら?金剛月から来たのかしら」
「あ〜、おっきい方じゃないです?真珠月じゃないすかねえ」
「どちらでもないんじゃないかしら」
「どゆことです?」
「カグヤの世界には月は一つしかなかった……そう考えたらどう?」
「はあ……」
「1つ目の可能性は、昔の世界には月が一つしかなかった。でもそんな話は聞いたことがないから、弱いわね」
「2つ目の可能性は、東海諸島からは月が一つしか見えない。これも聞いたことがないし、多分そんなこと無いわ」
「3つ目の可能性は、カグヤの話は魔人が持ち込んだもので……魔人は月が一つしかない世界から来たんじゃないか」
異世界。
魔人は皆、そこから来たのではないのだろうか?
「この考えどう?カンナ……カンナ?」
カンナはすうすうと寝息を立てて寝入っていた。
私も口に出して考えを整理したことで、少しすっきりしたので目を閉じることにした。
寝る前にレイザンから貰った薬は服用済みだ。
最近は、毎日飲むように言われている。
よく眠れるし、副作用もないようだから従っているが、なんの薬なんだろうか。
レイザンから貰ったのでなければ、怪しんで飲んでいないだろう。
その日も何事もなく、ぐっすりと眠ることができた。
次の日、私の宿を兄様が訪ねてきた。
「おはようアルルーナ。昨日はどうだった?何かいい考えはできた?……何をやってるの?」
「おはようお兄様。これはリリエマ王女が書いた小説です。読みますか?」
結局、兄様の問題をなんとかするのは置いておいて、とりあえず小説を読むことにしたのだった。
兄様は別にそれを気にしたふうでもなく、むしろ小説の方に食いついた。
「リリエマ王女が?読んでみようかな。最初はどれ?」
机上の紙束を兄様に渡し、自分の手の中にある続きに再度目を移した。
この小説は、面白い。
最初の方こそ他の小説に出てくる表現の真似が目立ったり、文章構成に拙いところがあったが、話の流れには人を引きつける魅力がある。
読み始めると続きが気になってしまい、兄様と二人で黙々と紙をめくった。
「あれ!?これでお終い!?続きが無いわ!」
箱にあった分を読み終えたが、なんと完結していない。
私の叫びを聞いて兄様も叫ぶ。
「何だって?!どこかに紛れていないのかい!」
「話の展開的に、まだまだ分量があるはずだから……ここにはないですわ」
「そんな……ここまで盛り上げておいてそれはないよ……」
今はちょうど、月の王子と地上の王子、どちらを姫は選ぶのかという大事なところなのに。
「レジーム!」
レジームを呼ぶと、軽食を手に持って現れた。
「ああ、やっと一区切りつかれましたか?そろそろ何か召し上がって下さい」
「リリエマ王女へ手紙を書いて頂戴!」
リリエマ王女は、すぐにでも会いたいというこちらの希望を快諾してくれた。
「ひどいですわ。あんないいところで終わりだなんて」
「そう言ってくださるということは、私の小説は面白かったのですね。うれしいですわ」
また王宮に行くのは色々と手間がかかるため、リリエマ王女が兄様の宿まで足を運んでくれた。
兄様の宿は王女が来ても大丈夫な格の宿だったからだ。
ちなみに私は街の少し外れにある宿をとっている。
格で言うと、中の上といったところか。間違っても王女が来れる宿ではない。
「王宮を出るまで姉様たちがうるさくて。ジュリアス様ではなく、アルルーナ様にお会いすると言っておりますのに」
リリエマ王女が疲れたようにため息をつく。
「殿下は兄には興味がありませんの?」
「ジュリアス様は素敵な殿方ですけれど、あれ程お顔が整われている方が、自分の伴侶になるなんて考えられませんもの」
そう言って、申し訳なさそうに王女は眉を下げた。
「ジュリアス様にもアルルーナ様にも、姉達がご迷惑をおかけしています。一目顔を見ただけで恋に落ちるなんて、現実は物語ではないのですからね。ちゃんと相手の内面を知るまでは、恋なんてしようがないと思いませんか?」
何も言えない。私は一目惚れをした側の人間だ。
だけど言い訳をさせてほしい。
私は、レイザンの顔が良いから恋に落ちたわけではない。
もちろん顔も大陸いち良いが、それだけではなくにじみ出る誠実さや優しさとかが、こう、なんかビビッときたから。
「そ、そうですわね。内面は大事だと思いますわ」
私が答えに窮していると、丁度良くレジームが茶菓子を持って来た。
キキヤキ名産の柑橘がふんだんに使われたケーキと、その皮の砂糖漬けだ。
しかしこの卓には二人しか座っていないのに、レジームは3皿用意している。
「レジーム?一皿多いわよ」
「ああ、それは僕のだよ」
声に振り返ると、兄様が部屋に入ってきていた。
リリエマ王女も驚いている。
「兄様?どういう事でしょう?兄様がリリエマ殿下と会ったと知られたら、面倒なことになるでしょう」
「人払いはしてあるよ。僕だって殿下と話してみたいんだ。王宮では上のおふたりとばかり会話させられるから」
「殿下にご迷惑よ、兄様」
「アルルーナ様、私は気にいたしませんので。ジュリアス様も是非一緒にどうぞ」
これが姉二人の耳に入ったら、か弱そうなリリエマ王女はいじめられるでは済まないかもしれない。
兄の行動に頭を抱えつつ、私もおとなしく座ってケーキを頂くことにした。
柑橘のケーキはとても美味しかった。リリエマ王女が言うには、甘みの強い酒に漬け込んだものを使っているらしい。
兄好みのハーブティーの香りが、柑橘の香りと混ざって華やかに感じる。
そんな事を考えながら、会話が盛り上がっている二人を眺める。
「お茶のおかわりはいかがですか?アルルーナ様」
「ありがとうレジーム。私より兄様のほうが殿下とは話が合いそうね」
私は小説も読むが、実話の方が好きだ。
「あら、そんなことないですわアルルーナ様。私こんなお話ができる友人がなかなか居なくて、今日はとても楽しいんですのよ」
「それは良かったですわ。次はぜひ、あの小説の続きを持ってきていただけると嬉しいですわ」
「それならここに。ちゃんと完結してますのでご安心を」
リリエマ王女は護衛に箱を取り出させた。するとなぜか面白そうに微笑んだ。
「どうされましたか?」
「ふふふ……いえ、おふたりが同じお顔で私の小説を見ておりましたので。さすがご兄妹ですね」
顔に出ていたようだ。はしたないことをした。
でもジュリアス兄様と同じ顔とはどういうことだ。私はあんなに物欲しそうな顔はしていないはず。
「リリエマ殿下。私はそろそろ書籍館に戻らないといけません」
兄様がそう切り出した。何を言うつもりだろうか?
「……本当に申し訳ないのですが、私では姉達を止められないのです。母もこの件に関してはあてになりません。父ならばあるいは……」
リリエマ王女は広いおでこに手をあてて、眉間にシワをよせている。
妹からしても姉達の奇行には相当うんざりしているようだ。
「それなのですが。殿下、私と家族になってはいただけませんか?」
部屋の時が止まった。
リリエマ王女より私の方が先に気を取り直し、声を出せた。
「兄様、それはリリエマ殿下と結婚するということ?」
「殿下が良ければ、そうしたいね」
「殿下を好きになったの?」
ジュリアス兄様は軽くうなずいて、私に微笑んだ。
「そうだね。好ましいなと感じているよ。話していて楽しいし、あの小説もとても面白いからね。他の作品もぜひ読ませてほしい」
「でもそれは、恋じゃないのではなくて?」
「アルルーナ、結婚には恋が必要なのかな?」
ジュリアス兄様の言っていることがよくわからなかったので返事ができずにいると、兄様は話を続けた。
「恋をした相手と結婚するのは素晴らしいと思うよ。でも、恋は二人きりのものだけど、結婚はそうじゃない。相手の家があって、こちらにも家があって、そしていずれは子供が必要になる」
「たとえばね、僕が書籍館に嫁いでこれない人と恋に落ちて、駆け落ちしたとしよう。一瞬は幸せかもしれない。でも僕は罪悪感に一生囚われるし、家族も悲しむし、アルルーナは館長の座を押し付けられる」
「リリエマ王女は素晴らしい女性だ。聡明で、謙虚で、何より本が好きだ。僕はこんな人はこの大陸一周の旅でも見つけられなかった。だから、求婚させてもらった。そこに恋はなくても、家族になってほしいという想いはある」
「も、も、もういいですわ。わかりましたわ。わかりました」
リリエマ王女がやっと話せるようになり、兄様の賛辞を止めた。
しかしその顔は真っ赤である。
「ジュリアス様、急な事でまだ心の整理がついておりませんが……その、一度父に話しに来てくださいな。私は、いいお返事がしたいと考えております」
「ありがとうございます。もちろん陛下にも後日正式に申し込み致します」
あっという間に兄様の結婚問題が解決へと進み、私は何だったのかと戸惑っていると、レジームに肩を叩かれた。
「レジーム、あれは兄様の暴走?」
「いいえ。私とジュリアス様で計画したことでございます。この旅の前半は『結婚なんかしたくない』と駄々をこねていたものですが、大人になられました」
レジームは感慨深げな目で兄様を見つめている。
私はまだひとつ気になっていることがあったので、今後の予定を話し合う二人に割って入った。
「リリエマ殿下」
「あ、はい。何でしょうアルルーナ様?」
「殿下は良いのですか?恋をしてみたくはないですか?恋した相手と結婚したいという夢はないですか?」
リリエマ王女は、しいの実のような目をぱちくりさせて、少し考えて答えた。
「そういう事を夢想した事もありますが、私は王女ですから、政略結婚になるだろうと思っていました。それに、アルルーナ様とジュリアス様が育った家なら、嫁いでもきっと幸せだろうと思います」
そう言って微笑まれて、私はもう何も言えなくなった。
私はレイザンが好きだ。一目惚れだ。絶対結婚したいと思っている。
でも彼はそれを拒否している。父にも嫌がられている。
それでも頑なにレイザンと結婚しようとして、魔人のことを調べるという傍から見たら頭のおかしい旅を続けている。
それは私が子供だからなのか?もっと大人にならなければいけないのだろうか?
そうしなければ、家族を悲しませることになるのだろうか?
お手洗いに行くと言って、少し席を外した。
レジームがそっと後ろからついてくる。
「……レイザンは?」
部屋の外に護衛としていたはずだ。
「レイザンは持ち場を離れないように言っておきました」
「私に何の用?」
レジームは、レイザンのように膝をついてくれるわけではない。
見上げるようにレジームの顔を見ると、その表情は最近の執事の顔ではない、兄様の友人だった頃の顔をしていた。
「……ジュリアスは、妹の君に大人になれと言ったわけではない」
「わかってるわ。兄様のやることに、私は関係ないもの」
「違う。アルルーナ、君に自由になれと言ったんだ」
「自由に……?」
「ジュリアスは確かに書籍館を継ぐ。次代の事も考えている。だから妹の君は書籍館の何も背負う必要はない。自由に、レイザンを追えと」
「……言われなくても。私はレイザンしか見ていないわ」
レジームの言葉が、本当にジュリアス兄様の思っている事かは分からない。
でも、そう捉えようがある言葉だったことは確かだ。
じゃあ、私はそっちの解釈をするわ。
部屋に戻ると、扉の前にレイザンが立っていた。
レジームを胡散臭げに睨んでいる。
私の護衛をせずにここで待てと言われたのが不服だったかしら。
「レイザン。兄様の結婚が決まりそうよ」
「そうなのですか?後で詳しく教えて下さい」
「ええ。私も早く婿を捕まえたいわ」
そう言ってレイザンを見ると、スッと目をそらされた。
「照れなくてもいいのよ」
「照れているわけではありません。早く部屋に入ってください」
やれやれとレジームを見ると、レジームは呆れたように我々を見ていた。
「その茶番はいつまでやるのですか?結婚式の時期が被ると困るので早めに教えて下さい」
「ですってよレイザン」
「私は関係ありません」
レジームともども部屋に押し込まれて扉を閉められる。
兄様の結婚式には一度書籍館に戻らないと、と考えながら、次の旅のことを思った。




