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アルルーナ、テザネスを発つ

体調不良と嘘をつき、来客を断って読書三昧を続けていたある日。

レイザンが寝室の扉をノックした。

「お嬢様。イスミト教の司祭がお見えですが」

「あら……やっと追いついたのね。アーヤールア川の橋って相当遠かったようね」

先に約束もしていたことだしと、応接用に使っている部屋に通す。


「ご足労頂きありがとうございます。ワクロ様」

「名を覚えていただき光栄です」

改めて近くで見ると、端正な顔立ちの男性であった。

切れ長の目に栗色の巻毛をもち、背は高く、レイザンと並ぶと山脈のようだ。

それでもレイザンの方が顔が良いわね。


カンナはザカハとどこかへ行ったので、レイザンがお茶を淹れてくれた。

あの二人はおちゃらけたところが似ているから、良い友人になっているようだ。

「アルルーナ様。イスミトヘお越し頂く件なのですが」

ワクロが茶に手もつけずに話を切り出す。

「それなのだけれど。もう少しあとになると思いますわ。行かねばならない所が出来たので」

マズ教からの返事いかんではミェドラ山に行かねばならない。

イスミトに行くのはその後だ。

ワクロには、マズ教の用事ということは伏せて話す。

「それはどのくらいかかるのですか」

「ここからひと月……それからイリョールヘ向かったら半月というところでしょうか」

「そんなには待てませぬ。こちらも急ぎの用なのです」

「用事の内容を詳しく教えて下さらなければ、判断出来ませんわ」

そちらは急いでいるだろうが、こちらには関係のないことだ。


ゆっくり茶を飲んでいると、ワクロは非常に渋々といった表情で、懐から1枚の紙を取り出した。

「この事は絶対に他へ漏らさないで頂きたいのだが、私はマリーエルヴェ聖女台下からの密命を受けて来ております」

ワクロの差し出した紙には、大きな印璽が捺されている。

印璽の白鳥の紋はイスミト教の聖女しか使用してはいけない柄だ。

「そう。それで?」

「……それで、とは?」

「聖女台下は何用で私を呼びつけるのかと聞いているのだけれど」

頭の硬いどこかの高齢大司祭ならともかく、聖女までそんな無理を言うとは。

イスミト教にはがっかりだ。

私のイライラを感じ取ったのか、ワクロが若干ひるんだ。

「な、何用かは聞かされておりません。早急にアルルーナ様をイスミトヘ連れてくるように命令されただけです」

「じゃあ、何用かイスミトヘ問い合わせてくださる?それが聞けないことにはねぇ」

「聖女台下の命でも、聞けないのですか!?」

ワクロがわめく。

この人は前に私とザカハが言ったことを覚えてないのだろうか?

「だから、私には私の都合があるのです。それを曲げるほど重要なのかどうか、用件がわからなければ判断ができません。従わなければ破門というのならばご自由に。ご存知の通り私は熱心な教徒ではないので」

ゆっくりと諭すように伝えると、ワクロは信じられないといった目でこちらを見る。

そりゃ、普通のイスミト教徒は破門と言われたら何でも従うだろう。

しかし私は普通じゃないのだから、相手を見て交渉するべきだ。


レイザンが会話の合間を見計らって、お茶のおかわりを聞いてきた。

私はおかわりをもらい、ワクロは断った。

「アルルーナ様の仰ることはわかりました……一度、マリーエルヴェ聖女台下に確認いたします。ですが……」

「答えは期待するなってことね。じゃあ、こちらが旅のついでにイスミトヘ寄るまでお待ちくださる?」

ワクロはそれには答えず、頭が痛そうにこめかみを押さえていた。




「お嬢様はイスミト教がお嫌いですか?」

ワクロが帰ったあと、お茶を片付けながらレイザンが訊いてきた。

「嫌いも好きもないわ。私はイスミト教の神を信じていないだけ」

旅に出てからそれは強くなった。

イスミト教が崇める神は、神人は、居ない。

おそらく魔人と同一のものだろう。

魔人は実在する。

目の前にいる彼も、魔人かもしれない。

魔人は人を救けない。

彼らは我々よりも高い技術を持ちながら、それを我々に教えようとはしない。

イスミト教が崇める神人も、マズ教が崇める魔人も、

700年前に我々に倫理と知識を与えた後は干渉をしてきていない。

そんなものに祈って何になるのだ。


「お嬢様は、神はいないと考えるのですね」

「いいえ。私は私の神を信じるわ」

そう言うと、レイザンは少し驚いた顔をした。

「お嬢様の神、ですか?」

「ええ。私を優しい家族のもとに生んでくれて、レイザンやカンナと出会わせてくれて、こんな面白い旅に連れ出してくれた……運命の神様をね」

神人や魔人は実在するからこそ信じる必要はない。

私はもっと抽象的な、願い、感謝するための神を信じる。

レイザンは笑って、「では私もその神様を信じましょう」と言った。

「あなたはカイセン教徒でしょう?」

「黙っていればわかりませんよ」

人差し指を口元にあて、微笑むレイザンに私はまた恋をした。

よくもまあ毎日飽きずに恋に落ちるものだと、自分自身に呆れる。




昼過ぎ、またひとり来客があった。

それは断ろうと思ったのだが、レイザンが顔を曇らせるのでどうしたのか聞いた。

「お越しになられた方は、ダーシマー・マヌ・アサトラと名乗られています」

「ザカハの兄ね」

何をしに来たのか。ザカハは家族と仲が悪いはずだ。

いい予感はしないが、そのまま帰すのは良くない気がした。

「通して」



ザカハの兄のダーシマーは、ザカハと似たところはなく、痩せ型で目がぎょろりとした男だった。

両手をすり合わせるのがクセらしく、話しながらずっと手を揉んでいる。

「お噂通り、お美しい方で……お会いできて光栄至極に存じます」

「お世辞は要りませんわ。要件は何でしょう?ダーシマーさん」

ダーシマーはヘラヘラと笑いながら、持ち込んだ木箱から本を数冊取り出した。

「書籍館にも無さそうな本をいくつか持ってまいりました。旅のお供にいかがかと……」

「あら、良いですわね。でもこれとこれは有りますわ。これは見た事が無いので少し見せていただいてもよろしくて?」

ダーシマーはどうぞどうぞと言いながらニコニコしている。


私が手にとった本は、どうも南部の金持ちが個人的に作成したもののようだった。

装丁が豪華すぎて、大量に作る形ではない。

そして紙質から南部のものであることがわかる。使っている材料が違うのだ。

しかしハスタス語ではなく大陸共通語で書かれている。

内容は小説で、女性が主人公の恋物語のようだ。


「あからさまね。何が目的?」

「……なんの事でしょう?」

「私の目をひくために、特注で本を作らせたのでしょう?」

ダーシマーの笑みが少し消えた。

「あからさまですか。かなりよく出来たと思ったのですが?」

「そうなの?じゃあ失敗ね。ところでこれはおいくら?」

そう聞くと、ダーシマーは大きな目を更に大きくした。

「……バレてしまいましたから、儲けは乗せません。2000マイツです」

「嘘おっしゃい。3000マイツ払うわ。これで本の取引はお終い」

ダーシマーの顔からは余裕がどんどん無くなっている。

相手の調子を崩して優位に立て、というのは、親友のユナから教わった事だ。

あの子に口論で勝てたことは殆ど無いが、学ぶことは多かった。

「さあ、本題に入りましょう」



「ザカハに関係することなのでしょう?彼はもう家とは関係が無いと聞いていたけれど」

「いえいえ。ちょっとスネて家出をしているだけですよ。いいかげん帰って来るように、アルルーナ様からも言っていただきたく……」

「これまで連れ戻す気もなかったくせに、今更なぜ?私とのつながりができるから?」

ダーシマーはまたニコニコ顔を戻して、手を揉んでいる。

「それは是非ともお願いしたいところですが、こちらはザカハさえ回収できれば他は望みませぬ」

「お断りしたらどうなるのかしら」

「その場合は申し訳ありませんが、我々をお恨み頂けたらと」


ダーシマーがそう言うならば、ザカハは既に『回収』されているのだろう。

カンナも一緒だろうか。レイザンの気配が少しひやりとしてきた。

「狙いはザカハの掴んだ情報かしら」

「こちらに答える義務はございません。穏便に済んで、書籍館と懇意になれれば一番良かったのですが、難しそうですね」

ダーシマーは席を立とうとしたが、レイザンが手でそれを制した。

不快な顔をあらわにし、ダーシマーはレイザンを睨みつける。

「何だ、貴様。手を離せ」

「ザカハともう一人、女性が一緒にいたかと思いますが」

「抵抗するので少し痛めつけたが、その場に放置した。その後は知らんよ」

「そうですか」

レイザンが手を離すと、ダーシマーは急いで立ち上がり、礼もなく部屋を飛び出していった。




「ザカハとカンナを探しましょう」

「いえ。その必要はありません」

レイザンが冷静に答える。

彼がそう言うのなら、何か策があるのだろう。

「ザカハは南の方向へ連れ去られているようですね。カンナは恐らくそれを追っています。ザカハの馬車で追えば、途中でカンナを拾えるかと」

「……なぜそんなことが手に取るようにわかるのよ」

「カンナのおかげですね」

レイザンは一度も私の目の前から離れず、怪しい動きもしていなかった。

なのになぜ遠くのことがわかるのだ。

気になるが、今はそんなことを聞いている場合ではない。

「馬車を出して。南へ行くわよ」




レイザンの言うとおり、テザネスから南に伸びる街道を馬車で進んでいると、走っているカンナと出会えた。

「レイ兄!!ザカハが……」

「わかってる。南だ。よくやったなカンナ」

馬車で息を整えたあと、カンナに話を聞くと。

ザカハとカンナは二人で情報屋のところを回っていたところ、数名の男たちに囲まれたらしい。

なぜ情報屋を回っていたかというと、最近カンナはザカハに弟子入りして情報屋のやり方を教わっていたそうだ。

ザカハはカンナをかばっておとなしく付いていこうとしたが、カンナが抵抗したためもみ合いになって、カンナは少し怪我をしていた。

しかし力がかなうわけもなくふり払われて、ザカハは連れて行かれたそうだ。

「うう……私がもう少し戦えたら……」

「いいから傷口を消毒しなさい」

全く、無茶をしないでほしい。兄の方と違ってカンナは普通の女の子なのだから。


「南って、ハスタスまで下る気かしら」

「ありえますね。こちらが追ってきてるとは思わないでしょうから」

御者席のレイザンと話し合う。

テザネスからハスタスまではかなりかかるだろう。途中には砂漠もあると聞いている。

「追いつけそう?」

「……明日以降の向こうの進み具合によりますね。油断してくれれば良いのですが」

「単純にまっすぐハスタスに行くとは思えないのよね。我々だってザカハの実家の商会は知っているし」

そのまま南に進み続け、テザネスの属するヨブネルメス国も出国し、徐々に空が暗くなってくる。

近くに街は見えない。準備不足だが、野宿をするしかない。

「ルルおじょーさま、怒ってますか?」

「怒ってる?わたし」

「なんとなく……いや、こんなおじょーさま見たことないんでわかんないんすけど」

「怒ってないわよ?ちょっとザカハの実家に呆れてるだけよ」

「いや……やっぱ怒って……」

カンナの顔を見ると、カンナは顔をひきつらせて黙った。

レイザンも黙っている。

黙々と進めるところまで進み、馬車にあった保存食を口にして仮眠を取ることにした。


これまではレイザンが夜の番をしていたが、レイザンは明日も御者をしないといけないため、カンナが夜の番をすることになった。

レイザンは馬車の入り口近くに転がり、私は馬車の奥で眠った。




気がつくと私は力任せに誰かを叩いていた。

目からは涙を流し、叫びながら目の前の人間を殴りつける。

殴られていた人間は、いつの間にか背が高くなり、殴りつける私の手を捕らえた。


「お嬢様。私です」

「っ…、レイザン?」

真っ暗だった周りはいつの間にか明るく晴れ渡り、いつか来たことがあるような、広い草原になっていく。

「ここ、前に来たことがあるわ」

「もう、よろしいですか?」

レイザンに掴まれた手を見て、腹の中の吐き出したいような気持ちは消えていることに気がついた。

先程の感情は何だったのだろう。

「ええ、ごめんなさいね。なんであんなことをしたのかしら?」

心のどこかではあんな風に怒りたいと思っていたのだろうか?

「夢の中のことに意味なんてないですよ」

「やっぱり、夢なの」

夢だと気づくと、草原の一面に色とりどりの花が咲いた。

「綺麗ですね」

「そうね。ねえ、私、起きたほうがいいのではなくて?」

レイザンは曖昧に笑って、答えなかった。

レイザンがいいのなら、この世界から出る理由はない。

彼と二人きりの世界になんの文句があるというのだろうか。


レイザンが笛を吹いた。

聞いたことのない曲だったが、いい曲だと思った。

夢の中なのに、寝てしまいそうになる。

「レイザン?」

気がつくとそばにレイザンはいなかった。

私は針葉樹の深い森の中にいて、そばには噴水があった。

森の中に噴水があるなんて、よく考えればおかしいのだが、夢の中の私はそこにそれがあるのが当たり前だと思っていた。

ああそうか、私は…………





何か大事なことを思い出したような気がした。

しかし、目を開けた瞬間忘れてしまった。

思い出すのを諦めて体を起こすと、私が動いた音でレイザンが目を覚ました。

「おはようレイザン。いい夢は見られた?」

「………おはようございます。早いお目覚めですね」

「それが、何かとても重要な夢を見た気がするのよね。なんにも思い出せないのだけれど」

レイザンも私も、着替えずに寝たため服がしわくちゃだ。

二人でカンナの様子を見に行くと、火の前で私が貸した本を開きながらこっくりこっくりと船をこいでいた。

昇ったばかりの朝日はまぶしく、よく寝ていられるなと感心する。

「さ、カンナを起こして、ザカハを追いましょうか」



ザカハを乗せた馬車は、ある街で止まったらしい。

どうやらハスタスまでは追わずに済みそうだ。

「それにしても、ザカハならこんなことせずにお金さえ出せば情報をくれると思うのだけど」

「いえ、おじょーさま。ザカハはいろんな情報屋からおじょーさまが何しているのか聞かれて、お金も積まれてましたけど、なんにも漏らしませんでしたよ。口は固いやつなんですよ」

「そうなの……」

ザカハを改めて見直し、必ず助けようと心に誓う。

「あ、でもおじょーさまの髪が雨だと爆発しちゃう話は漏らしてました」

「助けるのやめましょうか?」



レイザンによると、町外れの倉庫にザカハが居るとのことだった。

「私達を襲ったのは5人の男たちでした。でもこの街に仲間がいるかも」

「どうしましょうか。レイザン、いつもあなたに頼って悪いけれど」

「いえ。あいつは私の友人でもありますから」

倉庫にはレイザン一人で行くことにした。

私やカンナがいても、足手まといにしかならないからだ。

「二度とこちらにちょっかいをかけないよう、強めに痛めつけて」

「わかりました」



至極あっさりと、レイザンはザカハを奪還して戻ってきた。

しかしザカハは怯えたように震えている。

「あら……助けが遅かったかしら。よほど怖い拷問にあったの?」

「ちげーーーよ!!おめーんとこの護衛が怖すぎんだよ!目の前でポキポキ骨折るんじゃねえよ!子供が虫いじってんじゃねんだぞ!!!」

良かった。元気みたいだわ。



ザカハによると、彼はアサトラの52人いる子供の下から二番目で、他の多くの子供と同じように金で買われた孤児だったそうだ。

人身売買は禁止されているが、大陸の南の方はそのあたりはゆるい。

ザカハは頭の回転が良い子供だったので、すぐに多言語を覚えたし、金の計算も早かった。

しかしそのために、アサトラの後継者であるダーシマーから嫉妬を買い、様々な嫌がらせを受ける。

商会から出た今でも、ダーシマーはザカハの動きを追っていたらしい。


「ダーシマーは俺がマズ教の首長に早馬を出したのを知ったんだ。それで何か超重要な事を俺が掴んだとふんだんだろう。何もなくても、名前が売れだした俺を始末できれば良かったんだろうし」

「それじゃあ、まだ狙ってくるかしら」

「いやぁ〜……アレを見たら怖じ気づくんじゃねえかな。俺ひとり殺せなくて、15人再起不能にされちゃあ、割に合わねえもん」

「15人もいたの?!」

レイザンを見ると、かすり傷の手当をしていた。かすり傷で済むのね……。




テザネスからだいぶ南に下った街から、追手の可能性を考慮しそのままテザネスに戻るのは避けて、東へ向かうことにした。

東にはイニャト湾があり、ハカトルメス国の首都であるキキヤキの街がある。

キキヤキは大きな港町なので、少し身を隠すには良いだろう。

「そう言えば、ジュリアス兄様はハスタスからイニャト湾を北上するって言っていたから、キキヤキにも滞在していたはずね……」

しばらく会わない兄は、世界でどんなものを見たのだろうか?

会って話したいという思いは、予想外に早く叶えられた。

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