アルルーナ、休みたい
私はサトウ氏が落ち着けるよう、温かいお茶を頼んだ。
レイザンは彼に深呼吸するように言い、カンナはハンカチを貸してあげている。ザカハは構わず食事をしている。
サトウ氏は涙をきっかけにかなりの混乱状態に陥ってしまったが、なんとか落ち着きを取り戻すと、少し冷めたお茶を啜った。
「すみません……大丈夫、です」
「無理はなさらないで。死ぬような思いをしたばかりですものね」
私の大陸共通語は、半分くらいは通じただろうか。
サトウ氏はぎこちなく微笑み、頷いた。
サトウ氏へ食事の続きを促し、私は顔をレイザンの方に向ける。
「レイザン、別に答えを言わなくても良いのだけれど、彼は転生者でしょう?」
レイザンとカンナは一瞬表情を無くした。
「言葉もままならないまま、しかも片足で、一人で東海諸島からここまで来たというのは無理があるわ。特に高価な義足をつけていたというのなら、お付きの人が居て当たり前だし、馬車に乗るはずでしょう。でもそれには触れず、テザネスのカイセン教会に行くというのはどう考えても不自然」
ザカハが横で頷いている。
カンナが、「それは……」と取繕おうとするが、手で遮った。
「これは私の仮説だから、違っていてもいいわ。でもそう考えると、あの湖ではたまに転生者が現れているはず。追い剥ぎと言われているのは殆どそうだと思うから」
後でルァリク氏に噂の詳細を確認してみよう。
しかし、過去の転生者は翡翠湖周辺に現れることが多かった。
共通点は何だ。
「湖……が、魔人大陸と繋がっている?」
水の底に洞窟でもあるのだろうか。
いや、物理的に湖を通ってくるのではないはずだ。
転生者は一度死んだ記憶があるという。
では、死ぬことがあちらとこちらを行き来するための条件なのか。
魂というものが存在して、それが通れる道が湖にはあるというのか?
さすがに死ぬのは試せないから、予想の域を出ない。
「ともかく、どちらにせよサトウさんは一度死を体験しているようなものなのだから、ゆっくり休む必要があるわね」
名前を呼ばれたのが分かったのか、サトウ氏がこちらを見た。
『今日、近い……の、街、寝ます。明日、テザネス、行きます。わかります?』
知っている東海諸島語に、身振りをつけながら説明すると、サトウ氏は頷いてくれた。
『わかります。ありがとう。このお礼はいつか必ず』
『どこ、帰ります?私、東海諸島、行きます』
サトウ氏は少し戸惑い、レイザンに助けを求める目線を投げる。
『私達は世界中を旅しています。いずれ東海諸島へも行く予定なのです。佐藤様はどちらの街の方か、という質問ですが……』
そう言って、レイザンは私を見る。
私が何を考えているのか、探っている目だ。ぞくぞくする。
レイザンが私の事を考えているというだけで、私は満足だわ。
サトウ氏は少し考えて、答えた。
『あぁ……私は、東海諸島には帰れないでしょう。こちらでカイセン教会の職員になるかもしれません』
レイザンに少しわからなかったところを通訳してもらい、頷く。
彼の返事に変なところはない。
もし故郷として東海諸島の街の名前を挙げたなら、そこに必ず行こうと思ったし、旅を続けると言われたらその足で?と訊こうと思ったのだが。
転生者は魔人大陸に帰れるすべがあるはずなのだ。
彼はどうやって帰るのか気になったが、それ以上の詮索には私の語彙力が足りなかった。
サトウ氏はレイザンと同じ部屋に泊まり、その日私はカンナと同室になった。
しかし、カンナは隣のベッドではなくトイレで寝ると言う。
「何を馬鹿なことを言ってるの。早くこちらに来なさいな」
「いえ……あの、お嬢様と同じ部屋で寝るなんて、おこがましいと言うか……」
「旅の間何回も一緒に馬車で寝たじゃない。今更気にするの?」
カンナはしどろもどろになりながら、頭を抱え、言った。
「たぶん、私と寝たらお嬢様は変な夢を見ます……これまでも、そうでしょう?」
夢。
言われてみれば、カンナと一緒に寝た日は何か夢を見たような気がする。
でもほとんど忘れてしまった。そんな事がなんだというのか。
「それは、カンナのせいなの?」
「え〜〜と、そう、かも?」
カンナがそう言うということは、私のせいかもしれないということね。
「別に夢くらい、悪夢でなければ問題ないと思うけれど。それならそこの箪笥を仕切りにして、ベッドを離してはどう?」
私の提案にカンナはしぶしぶ賛成し、部屋の模様替えをした。
しかしその後、模様替えは意味がなかったことがわかる。
「あ〜あ、やっぱり駄目でしたねえ」
「カンナ……あなたもこの夢を見ているの?」
書籍館の私の部屋で、私とカンナは向かい合って座っている。
しかし夢なので、先程仕切りにした箪笥が部屋に置かれていたり、窓の外に湖が広がっていたりする。
夢の中のカンナは、私の夢の中だけの存在かと思っていたが、もしかしたら隣で寝ているカンナ本人なのかもしれない。
「さあ、どうでしょうねえ。夢が共有できるなんて、聞いたことあります?」
「少なくとも私は聞いたことがないわ」
「ごくまれに……居るんすよ。そういう子が。でも、普通は大人になるにつれ治ります。おじょーさまも、すぐ治りますよ」
この話は、今私が考えた話なのだろうか。
それともカンナが喋っているのだろうか。
夢の世界はすべてがあやふやで、確かなことは何もなかった。
夢の書籍館を出て、私とカンナは不思議な乗り物に乗る。
馬車ではなく、大きな長方形の部屋が宙を飛んでいるようだ。
部屋の窓から外を眺めると、町並みが後ろへ飛び去っていく。
「間に合うかなあ」
カンナが呟く。何に間に合うのか。
部屋が止まると、カンナは部屋を出ていく。
あわててついていくと、そこはどこまでも続く草原の中で、白く塗られた古い木造の屋根とベンチがある。
そこにはレイザンが居た。
「あら、レイザン。レイザンが私の夢に出てくるなんて、嬉しいわね」
微笑むと、レイザンは一瞬微笑んだあと、カンナを見やって何かに気づいたように笑むのをやめた。
「これは夢ですか」
「私は夢だと思うのだけれど」
「では起きて忘れましょう」
レイザンがそう言うと、私の足元に灰色の穴が開いた。
「れ、……」
彼の名を呼ぶ間もなく、私はその穴に落ちていく。
落ちる。
落ちる。
灰色の穴の中をぐるぐると落ち、落ちた先になにか見えてくる。
あれは……
「ひっ……!!」
心臓が高鳴っている。
目を開けるとそこは、早朝の日差しが差し込む、宿の部屋だった。
今見た夢。カンナと……レイザンと……何だったかしら。
目を開けたときには鮮明に覚えていたのに、この一瞬でもう記憶がちりぢりばらばらになろうとしている。
私は鞄からペンとインクと紙を取り出し、覚えている限りの夢の内容を書き留めた。
『草原でカンナとレイザンに会った。不思議な四角い部屋に乗って行った』
意味がわからないわ。
何か大事な夢だった気がするのに、思い出そうとすればするほど、霧を掴むようにするするとほどけていく。
気づけば胸の高鳴りもおさまり、同じ部屋で寝ているカンナの寝息が聞こえてきた。
悪夢を見るなんて、熱が出たとき以来だわ。
だいぶ疲れが溜まってきているようだ。ミェドラ山に行く前に、しっかりと休養を取ろう……と心に決める。
テザネスへ向かう馬車から、サトウ氏は興味深そうに外を眺めていた。
一晩寝て、だいぶ心身ともに落ち着いてきたらしい。
反対にレイザンは少しピリピリしている。私が彼を転生者と疑っているからだろう。
「そう言えば、今日の夢にはカンナとレイザンが出てきたわ」
「あれ?俺はよ?嬢ちゃ〜ん」
ザカハが御者席で犬のように鳴いている。
「忘れないように書いておいたのよ。ザカハの名前は書いてなかったから出てこなかったんだと思うわ。残念ね」
「俺は今日の夢は何だったかなあ。思い出せねえや」
「私は約束に間に合わない夢だったような気がするっすねえ。夢の中で走ると、全然進まなくて焦るんすよね」
「あ〜わかる。俺とか、夢の中で走ろうとしたらバッタみたいにメチャクチャジャンプしちゃうもん」
夢の話で盛り上がっていると、レイザンが静かに言った。
「夢を書き留めておくのはやめたほうが良いですよ。夢は、頭の中の忘れてもいいことを捨てる時に見るので、それを覚えていると頭がゴミまみれになるそうです」
「ふうん。東海諸島ではそういう実験がされているの?」
「いえ。カイセン教の教えです」
カイセン教の教えをわざわざ教えてくれるなんて、珍しいこともあるものだ。
しかしレイザンがわざわざ忠告するくらいなのだから、信憑性の高い話なのだろう。
鞄の中のメモは後で捨てよう……そう思った。
テザネスに着き、まっすぐカイセン教会へ向かう。
カイセン教会は背が高く目立つので便利だ。
サトウ氏を連れて行くと、守衛が顔見知りを見るかのようにすぐ通してくれた。
ここに知り合いがいると言うのも、嘘ではないのかもしれない。
少し待つと、テザネス支部長だと言う女性が現れ、サトウ氏に声をかけた。
何やら東海諸島語で話しているが、早すぎてほとんど聞き取れない。
「アルルーナ様、サトウさんを助けて頂き誠にありがとうございました」
テザネス支部長が私に礼をする。
「いいえ。当然のことをしたまでです」
「後はこちらで何とか致します。これは少ないですが御礼です」
そう言って、テザネス支部長は小切手を渡してきた。
そこには1万マイツの額面と、全てのカイセン教会で引換可能という注意書きがある。
「多いですわ。こんなに」
「いえ。人一人の命に比べたら安いですよ」
そう言われると、サトウ氏に値段をつけるような形になってしまうので、それ以上は食い下がるのをやめた。
サトウ氏は何度もお礼を言いながらペコペコと頭を下げるので、こちらが恐縮してしまう。
「テザネスにはまだおりますから、また会えますわ」
ぜひ旅立つ前にもう一度寄ってほしいと言うサトウ氏と約束し、私はテザネス支部長に向き直った。
「お手数ですが、リュカナのヤマナ支部長に伝言をお願いできますか?」
「はい。紙とペンを用意しましょうか?」
「いえ。持っているのでそれを使いますわ」
鞄から筆記用具一式を出して、2つの文を書く。
『湖から転生者が生まれる』
『蒸気船が出来次第、西の大陸を目指す』
「これをお伝えいただけますか?」
テザネス支部長はメモを見て、「何かの暗号ですか」と私に訊きながら笑った。
しかしその顔が一瞬ひきつったのを、見逃しはしなかった。
「ええ、ヤマナ氏にお伝え頂ければわかります」
「承知しました。確かにお伝え致します」
「さて、次はミェドラ山に決まったけれど……ここからだと一月くらいね」
テザネスの宿に戻り、四人で顔を突き合わせる。
カンナが温かいお茶を入れてくれたが、それでも寒かったので暖炉に火を入れる事にした。
木が燃えるにおいがしてくると、冬が来たなと感じる。
「ミェドラ山の麓のシャマツタールの街までは一月かからない。だけど、そこから山登りになる。馬車は使えねえ。嬢ちゃんに登れるか?」
「どのくらい登るのかしら?」
「俺なら麓を朝出て、昼過ぎには着ける。嬢ちゃんなら……日暮れまでに着けば上等かな……」
レイザンがおもむろに挙手をする。
「なぁに、レイザン」
「ひと月後では、冬山ではないでしょうか。危険かと」
「そうか、もうハエナの月か。じゃあ登山は無理だな……」
どうやらミェドラ山は、冬になると雪で閉鎖されるそうだ。
その間導師長たちは各自の地域に戻り、首長は数人の導師と共に山の上で冬を越すらしい。
「じゃあ今すぐは無理なのね。どうしようかしら……来年の春は微妙ね。今から東海諸島に行って帰ってきたら、また一年くらいかかってしまうし」
ザカハが腕を組みながら椅子をカタカタ鳴らす。
目線を向けると目が合い、何かを諦めたようなため息をついた。
「行ってみようぜ。嬢ちゃんなら無理してでも誰か会ってくれると思う」
「そうかしら?いくら書籍館の者とはいえ、館長でもない私にそこまでするかしら」
「するさ。レイザンは知ってるが、俺は実はマズ教の密偵でね。じーさん方は嬢ちゃんにえらく気を引かれている」
今ザカハはなんと言ったか。
「あなたが?マズ教の?何のために?」
レイザンとザカハを交互に見ながら訊く。
「何のためかは聞いてねぇ。俺は荷運びは副業で、本業は情報屋なんだ。マズ教会から嬢ちゃんの情報を定期的に送るように頼まれてる」
「それじゃあ貴方、マズ教会からも私からもお給金貰って、二重取りじゃないの」
私以外の3人がずっこける。
「ルルおじょーさまぁ〜……それ気にするところです?」
「まあ、マズ教に知られたくない事は特にないし、カイセン教との約束については、私のせいじゃないからそっちで争ってって感じだし……」
ザカハが密偵だということに、特にショックは受けなかった。
それよりもマズ教会が何故私を気にするのかが重要だ。
「ザカハが依頼を受けたのはいつ?」
「嬢ちゃんがアガートを出る時だな。書籍館にもマズ教徒はいるが、そこを出られると俺みたいなのに頼むしかねえ」
「どういう情報を送れと言われてるの?」
「あんたの動向と、コモコビーチの漂着物に関する新情報」
そこで漂着物の話が出てくるか。
マズ教はどこまで知っているのか?
「コモコビーチで見つかった漂流物は、アガートの貴族を装ってマズ教会が競り落とした。ユリス博士には別の密偵が付いてる。この件はマズ教会でも首長と一部の導師長しか知らねえ」
「あなた、そんなにペラペラしゃべっていいの?」
こちらが呆れるほどに情報をくれる。
そもそも、自分が密偵だとバラす密偵がどこにいるのか。
「俺は情報屋だが、夢は大陸イチの商人になることだ。マズ教会より、あんたに情報を集めたほうが夢に近づけそうだと思ったんでね」
そう言ってザカハは笑う。
「魔人大陸と貿易でもするつもり?」
「だいぶ現実的になってきたと思うんだがなぁ」
「マズ教会からお金が取れればね」
ザカハが密偵ならば、連絡も取りやすい。
マズ教の意図がわからないため、こちらにどんな不利益があるか読めないが、今のところは利益しかない。
「ザカハ、マズ教に連絡して。ミェドラ山へ赴く用意があると」
「あいよ。……料金は」
「マズ教から取りなさい」
マズ教会からの返事が来るまで、テザネスに滞在する事にした。
コモコからの長旅に加え、ほぼ休まずに蒸気船、転生者と様々な出来事があり、正直頭の中がいっぱいいっぱいである。
数日休養を取ることにしたら、どこから聞きつけたのか宿に来訪者がひっきりなしに来る。
おそらくルァリク氏かオズマ氏が酒場で喋ったのだろうが、鬱陶しくて仕方がない。
特に、テザネス市立図書館の館長が来たときは参った。
幸い以前伴をしていたレイザンではなくカンナが対応したため、急遽アガートを出るときに使った巨大カツラをかぶり、別人のふりをした。
書籍館のことを褒め称える言葉を並べていたが、しょっぱい顔で聞くしかなく、扇で口元をずっと隠しながらの会話になってしまった。
「疲れた……疲れたわ……静かに本を読んでいたいだけなのに……」
イスミト教が強いアガートでは、書籍館は良くも悪くも放置されていたのだなと感じる。
一日に数人の来客を対応し、その他の相談の手紙は職員が代わりにさばき、職員では手に負えないものだけ確認すれば良かった。
そういった細々とした相談が、近くにいるからという理由で聞きに来られるのは大変である。
さらに、マズ教徒は書籍館の人間に会うことで、ご利益か何かを得られると思っているような気がする。拝まれたのも数回ではない。
「明日からは来客禁止よ……私は休むの……休みたいの……!」
レイザンがくれた薬を飲み、ベッドに倒れ込んだ。
この薬を飲むと、深く眠れるような気がする。
今夜もすぐに眠りの中へ落ちてしまった。
夢は見なかった。




