アルルーナ、リュカナを発つ
両親が帰った次の日、スバウ医師にお礼を行って退院しようとすると、入院費は既にリトゲニア王家の名前で支払われているとの事だった。
「迷惑料、とのことですので」
迷惑料は既にシシナミラ公爵家からも貰っているのだが、断るのも失礼なのでありがたく貰っておく。
「少し多かったので、これもお渡ししておきますね」
スバウ医師は応急処置に使える用品をまとめた袋をくれた。我々も少しは持っていたが、薬は高価なので有り難い。
「ありがとうございます。スバウ先生には大変お世話になりましたわ」
「いえ、私が書籍館から頂いた大恩はまだ返しきれていませんよ。またいつでもお越しくださいね」
歩いてゴティス帝国を目指すと言う手もあったが、レイザンとカンナに力いっぱい止められ、馬車を雇うことにした。
しかし駅馬車には尽く断られてしまう。ゴティス帝国の北部とリトゲニアは現在戦場になっており、通行が難しいとのことだ。
リトゲニアの戦線がそんなに南まで伸びているとは驚きである。
駅でレイザンとカンナと相談していると、一人の男性に声をかけられた。
「ゴティス帝国に行きたいって?俺の馬車に乗ってくかい?」
声をかけてきたのは、肌の色が浅黒いため一見して南国の人間と分かる、レイザンほどの年の頃の男性であった。
「ええ。ゴティスの西海岸へ行きたいのだけど……あなたは?」
「俺はザカハ。長距離の荷運びとか人運びを商売にしてんだ。ゴティスの西海岸なら、エジオステ山脈の北を通らずに南のナエーン経由で行くのはどうだい?日数がかかるから、こんくらいは見てもらわねえといけないがな」
そう言ってザカハと名乗った男は指を2本立てた。2万マイツか……少し高い。ふっかけてきているのだろう。
「2万はないわ。1万なら頼むけど」
「おいおい1万じゃ儲けなしだよ。まけても1万8000だ」
「なら貴方の宿代食事代込みで1万5000でどう?」
「話にならねえな。お嬢ちゃん、お父さんを呼んできな」
「お金を出すのは私よ。私と話をしなさい」
少し睨むと、ザカハは少し怯んだように後退った。
「あなたの馬車はあそこの?いい馬車ね」
「そ、そうだ!荷台は幌付きで、夏の日差しも冬の吹雪もなんてことねえ。馬は力自慢のマルツェノ産だ。払う価値はあるぜ!」
「ねえ、もしゴティスまでじゃなくて、その後も私達を乗せて世界中を旅してくれるなら、前金で5000と毎週2500払うわ。どう?」
その私の申し出に、ザカハは面食らったようだった。
そして腕を組み考えるような素振りを見せる。
「世界中ってのはどこまでだ?何の目的で?」
「まだどこまでかは分からないけれど、東海諸島までは行こうと思っているわ。目的は私の婿探しよ」
ザカハはまた驚いたあと、盛大に吹き出し、大笑いした。
「うははは、お嬢ちゃんの婿探しか!そりゃ大変だ、わかったその料金でいいぜ!気に入った!」
ここリュカナで今後の旅の足が確保できたのは幸運だった。
旅程が決まっていないこんな旅に付き合ってくれる業者はなかなかいない。
それにザカハの馬車は悪くない。なかなか広い荷台に、座席にはクッションもひいてある。
「長旅になるならこっちにも準備がある。昼過ぎに発てば夕方には南のユーシフに着けるから、それでいいか?」
「分かったわ。じゃあ契約書にサインをお願い。もし前金を持ち逃げしたら、地の果てまで追って捕まえるわよ」
この間にカンナが契約書の書面を作り始めていたので、それが出来上がるのを暫し待つ。
「……あんた、どこの令嬢なんだ?婿どころかお抱え馬車もないなんて、大した貴族でもねえんだろ?」
「ああ、自己紹介を忘れていたわね。私は書籍館のアルルーナ。こちらは護衛のレイザンと、その妹で私の侍女のカンナよ」
「書籍館!?ってぇと、こないだ公爵家にさらわれたって聞いたが?」
「そうよ。でも護衛が有能で、この通り無事よ。ここには旅のついでに寄っただけだから、やっと出発できるわ」
「書籍館には馬車がねぇのか?」
「世界中から本が集まってくるから、私達が外に出る必要はあまりないのよ。国をまたぐような長距離移動用の馬車はないわ」
カンナから契約書を受け取りサインし、ザカハに渡した。
するとザカハはまじまじと契約書を見て、「本当に書籍館じゃねぇか……」とつぶやいている。何よ、信じてなかったのかしら?
ザカハの署名を読んでみると、ザカハ・マヌ・アサトラと書いてある。
アサトラの息子ザカハ、という意味のはずだ。南の方では名字の代わりに父の名を名乗ると聞いた。
自分の長子が成人すると、父の名を捨てて「〇〇の親✕✕」という名乗りに変わるらしい。
アサトラは聞いたことがある。南のハスタスの豪商の名だ。
確か名前はアサトラ・ミェド・ダーシマー、ザカハがもし彼の子でも、長子では無い。
「アサトラね……」
無意識にそうつぶやくと、ザカハの肩が跳ねた。
「ッ!……読めるのか?」
「ハスタス語は読めないけれど、文字の音くらいなら読めるわ。貴方の父親の名前に特に興味はないから安心して頂戴」
カンナに署名済みの契約書を渡し、しまっておいてもらう。
ザカハは舌打ちをしながら、自分の父の名を忌々しそうに口にした。
「俺はアサトラやダーシマーよりマシな商売をするぜ。なにか聞いても、俺とそいつらを同類と思ってくれるなよ」
「今はその人たちについて何も知らないけれど、分かったわ」
ザカハとは駅で別れ、昼の鐘の後にまた駅で会う約束をした。
少し時間が出来たのでどうしようかと思ったが、レイザンとカンナがカイセン教会に行きたいというので、リュカナの教会に行くことになった。
「私が行ってもよいの?」
「我々がいればある程度までは大丈夫ですよ」
リュカナのカイセン教会も背の高い塔がそびえている。
遠くからでもどこにあるのかよくわかった。
小さな鉄の扉の前に衛兵が立っており、その他に入口はないようだ。
「すみません、巡礼の者ですが」
レイザンが衛兵に話しかけると、衛兵は目を見開いた。
「レ、レイザンさんじゃないですか……ホントにリュカナに居たんですね」
「あー……あの、今日はうちのお嬢様も一緒なんですが、入ってもいいでしょうか?」
衛兵はチラとこちらを見て、ニッコリ微笑んできた。
何だろうか。私の事を知っているかのようだ。
「わかりました。ご令嬢はロビーまででお願い致します」
鉄の扉の鍵を開け、衛兵が中へ通してくれた。
さあ、カイセン教会とはどんな所なのだろうか。
中へ入るとなんの変哲もない広々とした部屋で、拍子抜けした。
高い天井の窓からは日が差し込み、部屋の中を照らしている。
部屋には長椅子がいくつも置いてあり、待合室のようだった。
部屋の奥にはカウンターと、数名の職員らしき人間がいる。
我々の他にも数名のカイセン教徒が長椅子に座っており、彼らと職員は皆こちらを見ていた。
「な、なんか注目されているわよ」
「おじょーさまの髪の色は、明らかにカイセン教徒ではないっすからね。目立つんでしょう」
そうか。周りを見渡せば東海諸島人ばかり。不思議な気持ちになる。
小走りの足音がして、職員が一人こちらへ向かってきた。
「書籍館のアルルーナ様と、レイザン様、カンナ様ですね?こちらへどうぞ」
こちらが名乗る前に名前を当てられた。レイザンがまた何かしたのだろう。
周りの目線を気にしながら、促されるままに近くの小部屋へ案内される。
「レイザン、ここで何をするの?」
「いや……私はいつも通りお参りをするだけのつもりだったのですが……」
「なんか、偉い人が出てくる雰囲気だよね?聞いてないんだけど」
レイザンとカンナも予想外のようだ。3人でソワソワと椅子に座っていると、ほとんど待たされずに人が現れた。
「お待たせいたしました。カイセン教リュカナ支部長のオオジ・ヤマナです」
現れたのは四十代位の口ひげをたくわえた男性で、短い髪は丁寧に油で撫でつけてある。
「書籍館のアルルーナです。今日は私は従者のついでですので」
「いえいえ。カイセン教について、お調べだと伺っておりますよ。タトバイエ氏は、家族ぐるみの付き合いでして」
ヤマナ氏は微笑みながらそう言った。これは……どう思われているのだろうか?
カイセン教はカイセン教徒以外に教えなどを知られることを、祟りがあるといって嫌がる。
今私は、怒られようとしてるのだろうか。
「ああ。身構えないでください。やめてくださいというわけではないのですよ」
「え?」「どういう事ですか?!」
ヤマナ氏の言葉に、カンナもレイザンも驚いている。
「書籍館の方々は昔から我々に興味を示す人がたまにおりますのでね。ただ駄目といっても止まらないと思いますので。アルルーナ様が我々を調べることで、どの位はわかってしまわれるのか?こちらの参考にさせて頂ければと」
「参考ですって?」
「つまり、情報を秘匿できているかの確認にご協力頂きたいのです」
なるほど?本気で調べられてもどうせわからないだろうということね。
そして、これまではその通り何も漏れることはなかったと。
「それでは、遠隔地との即時の情報のやり取りなどはカイセン教の秘技の一つということで合っていますか?」
私の言葉にヤマナ氏は反応しなかったが、ちろりとレイザンを睨みつけたような気がする。
「答え合わせはしかねます。また、知り得た情報を口外しないでいただきたい」
「あなた方の都合に協力して、こちらに利はあるのですか?」
「そうですね……利益はないでしょうが、もし口外された場合は、そこのご兄妹の命はないものと思って下さい」
ヤマナ氏は微笑みを崩さずに鮮烈な言葉を放った。
レイザンとカンナを見やると、その言葉は冗談ではなかったようで、真剣な目をしている。
「彼らは既に違反を重ねておりますので。見逃しているのは、貴女の庇護下にあるからですよ」
「カイセン教が私を特別扱いする理由はないと思いますけれど」
ヤマナ氏はその私の言葉には答えなかった。
その黒い瞳は何を考えているのか推し量りにくく、ただ微笑んでいるように見える。
「……わかりましたわ。では許可が出ましたので、本気で探らせていただきます」
「期待しておりますよ」
ヤマナ氏との会談はそれで終わり、また我々はロビーに戻された。
その後レイザンとカンナは一人ずつ「礼拝堂」と呼ばれる部屋に入って行った。今日はこれが目的だったらしい。
「礼拝堂って、何をするところなの?」
「神様に祈りをささげる部屋ですよ」
「私は入ってはダメ?」
「ダメです」
けちね。
レイザンと二人でカンナを待つ。カンナもレイザンと同じく、すぐに出てきた。
用事は終わったので、カイセン教会を後にする。
先ほどヤマナ氏が、過去に書籍館で私のようにカイセン教を調べていた人間がいたと言っていた。
書籍館にその記録があるかもしれない。いや間違いなくあるだろう。
今晩父に手紙をしたためることにした。
「レイザンやカンナはああ言われても、私に情報を漏らす気はないのよね?」
「それこそ強制送還対象になりますよ。私はまだこちらにいたいので」
「私もおじょーさまの侍女を続けたいので、何も話しませーん」
このふたりの協力は得られなさそうだ。ただ、邪魔をされるわけではなくなったので、ヤマナ氏の申し出は助かる。
カイセン教を知ることは、私が婿を手に入れるために重要なことだ。
調べていいといったことを後悔させてあげるわ。
少し買い出しをして、昼食をとった後にリュカナ駅に戻ると、すでにザカハが待っていた。
「いつでも出れるぜ。タマラもマスケトも元気いっぱいだ」
タマラは栗毛で人懐こく、マスケトは鹿毛の大人しい馬だ。
二頭ともザカハによく懐いている。
「今日は日没前にユーシフに着けるはずだ」
「分かったわ。明日以降の旅程についても後で相談させて」
馬車に乗り込むと、ゆっくりと進み出す。
徐々に街の喧騒から離れていく。しばらく行くと大きな橋があり、これを超えるとリュカナの外になる。
「やっと旅に出た気分よ」
街から離れて耕作地帯の風景を眺めて、ようやく遠くまで来たと感じる。
でも旅はまだまだ始まったばかりだ。
地図を見ながらユーシフの位置を探す。
「お嬢様、馬車でものを読むと酔いますよ」
「気をつけるわ」
ユーシフからナエーンまでは3日ほどか。そこから道を西に向けて進み、アリスベンツという小国を抜けてエジオステ山脈越えだ。
改めて遠さにクラクラするが、それでも世界のほんの一部なのだ。
頑張らなければ……でもクラクラするわ……と思ったら、馬車に酔っていたようでカンナに介抱されるハメになった。
レイザン、呆れたような目で見ないで。「だから言ったのに」って目はやめて。
我々がリュカナを立った数日後、私を王城に招待しようとしたらもう居なくなっていることにリトゲニア王家が唖然としたというのは、後日聞いた話だ。
まさか貴族令嬢があれだけの事件を受けて旅を続けるとは思わなかったらしい。
図太い令嬢で悪かったわね。




