其の五
◆◇◆◇◆
石清水八幡宮は、桂川、宇佐川、木津川の三川が合流し、淀川となる地点の南―――男山の峯に鎮座する社だ。
マレビト達のものを含む数多の勢力が抗争を続け、今や蟲毒の壺と化している西国道―――九州は豊前国の宇佐八幡宮から勧請された来歴を有する。
その役割は、国家鎮護。
平安京の南西。つまり、裏鬼門を抑える要として建てられたものであり、重要度は平安京の北東を抑える比叡山延暦寺と並ぶ。
主祭神は、八幡大神。
必勝、弓矢の神として、数多くの武家の崇敬を集めており、当然ながら参拝によって得られる強化効果も、戦闘に関するものとなる。
「具体的には、【力】【耐】の強化、呪詛耐性付与、弓矢の攻撃力及び【行動補正】強化と、物理アタッカー向けの強化山盛りでござる」
とは、忍者の言であった。
その石清水八幡宮が誇る鮮やかな朱と金の本殿。
その姿に、ツカサが感嘆のため息をついた。
「立派な神社ですね」
「山を登るのは、ちょっと面倒だけれど、ね」
「危うく本殿を見ずに帰るところだったでござるよ」
「お約束を守っただけなので、拙僧は悪くない」
「……あれは、些細なことでも導き手は大事という、教訓話だったと思うが」
彼女と並んで本殿を見上げるのは、セキと兵蔵、そして淀から同行してきた緋扇と同鏡だ。
途中、同鏡の導きにより、麓の高良神社を八幡宮の本殿と間違えかける一幕はあったものの、一行は無事に石清水八幡宮へと到着していた。
「綺麗な彫刻ですね。龍と虎に、えっと……鳥?」
「あれは、神使の鳩だな」
「神使?」
社殿の正面、楼門に施された彫刻を見て、ツカサが首を傾げる。
八幡大神の一柱―――誉田別尊が国内を平定する際の水先案内を務めたことから、神の使いと扱われているらしい。
「神使とされる理由の本当のところは、よく分かっていないらしいがね。
ただ、八幡宮の「八」の字を向かい合う二羽の鳩で表現しているあたり、重要な存在であるのは間違いあるまい」
「へ~。勉強になります」
同鏡の言葉に、ツカサは感心の声を上げる。。
そんな彼女の耳に、セキと兵蔵の会話が飛び込んできた。
「御利益でバフが付くのなら、【縮地】でたくさん神社回って、バフ山盛りとか」
「残念ながら、無しでござる。参拝後に【縮地】を使うと効果時間が半減し、さらにもう一度【縮地】を使うと、効果が消滅するでござるよ」
「駄目か」
「誰もが考えることでござるからな。対策はバッチリでござる。
ただ、【縮地】を使わなければ、山盛り強化はいけるでござるよ」
「なら、祇園社と粟田天王宮あたりをワンセットで―――」
「残念ながら、同じ祭神による強化は、強い方が優先されるだけで重複しないでござるよ。
祇園も粟田も主祭神はスサノオでござるから」
「……絶妙に使いにくいな」
何やら罰当たりな会話をしている気がする。
隣で、くつくつと同鏡が笑っていた。視線を向けると、彼は「健全で結構」と胡散臭く肩を竦めて見せた。
「健全、ですか?」
「『陰陽洲』はゲームだから。その要素をゲームプレイにどう活かそうかと考えるのは、至極健全だと思うが、どうかな?」
「でも、神様の御加護を、って考えると、何だか罰当たりな気がします」
「それを相手に押し付けなければ、それで構わないと思うよ。
巫女としては、至極当然な反応だろう」
「……さて、ツカサとセキは、参拝前に御朱印帳を買うのを忘れないように、ね」
「あ、そうでした。セキ――」
「うん? ああ。朱印帳買って来ないとな」
声を掛けたセキとともに、ツカサは社務所に向かう。
そこで購入した御朱印帳を懐にしまい、改めて本殿の前へ。
「お待たせしました」
「それじゃ、お参りをするでござるよ」
待っていてくれた三人に礼を言って、ツカサはセキとともに肩を並べた。
五人そろって、一歩前へ。
ゆっくりと、深呼吸をひとつ。
―――二礼。二拍手。一礼。
顔を上げると、真っ白な空間に立っていた。
「は、え?」
ぎょっと、目を見開く。
慌てて視線を巡らせるも、人の姿ひとつ見当たらない。
「これは―――」
『助力を望むのならば、調べを、舞を、奉納せよ』
何者かの声が響く。その言葉を聞いて、ようやくツカサは理解した。
つまり、これが―――
「これが、【神紋】を得るための」
深々と息をはく。いきなりは、心臓に悪いので止めて欲しい。
内心でぼやきながら、ツカサは購入したばかりの龍笛を取り出した。
「では―――」
【楽器演奏】による助けを借りながら、ツカサは龍笛の音色を響かせ始めた。
細く、高く。独特の響きが真白の空間に広がっていく。
妙なる調べ、とは言い難い。
未だ拙い演奏。けれど、心を込めてツカサは笛を吹く。
なぜか、『陰陽洲』を始めてからのことが思い出された。
(まだ、六日なんですよね)
セキと出会って、兵蔵と出会って、一条戻橋の異界に赴き、同鏡と緋扇の二人とともに鉄輪ノ井を攻略した。
昨日は、長い長い山歩きをして、そして今日はこの八幡様にお参りをしている。
「――ああ」
演奏が終わる。吐息がこぼれた。
口元がほころぶのを自覚しながら、ツカサは思う。
(ありがとうございます)
誰にともなしに、何にともなしに、彼女は感謝の意を捧げた。
そして―――
「え?」
ふと気が付けば、八幡宮の境内に戻っていた。
視線を巡らせれば、傍らには手を合わせているセキ達の姿。
その様子から察するに、どうやら、ほとんど時間は経っていないらしい。
ふと、自分が何かを握っているのに気が付く。
「……これ、は」
それは、一枚の板符であった。
尾の長い巴文様が三つ、渦を巻くように配置された図が描かれている。
―――流れ左三つ巴。
石清水八幡宮の【神紋】だった。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
改めて一礼をして、ツカサは【神紋】の描かれた符をしまいこんだのだった。
◆
(どうやら、上手く行ったみたいだな)
どのようなプロセスを経たのかは不明だが、無事に【神紋】を得られたらしい。
しばらくの間固まっていた彼女が、いつの間にか一枚の符を手にしている。
何やら感慨深げな様子で板符を見つめる彼女を、チラリと横目で窺って、セキはそっと息をついた。
思う。
(強くなったよな)
もっとも、最初から新人離れして強かったが、とセキは内心で苦笑する。
(……薙刀の扱いは武道経験。空中での身のこなしは、強いイメージ力)
ツカサの強さの正体は、それだろうとセキは推測している。
VRゲームでの戦闘はその特性上、武道経験者が有利、と言われている。
体を動かすのと同じ感覚でキャラクターを操作できるため、現実での経験が強みとなるというのが、その理由だ。実際、そのとおりである。
だが、それが全てというわけではない。
現実では実現不可能な―――超人の身体能力や超能力があって初めて可能となるような動作には、現実での経験は活かせられない。
そうした動きを行う場合には、現実での経験の有無よりも、荒唐無稽なことでもカタチに出来るイメージ力の方が重要性を持つ。
VRの持つ特性―――つまり、思考によってキャラクターを操作するという性質ゆえに、「こう動きたい」というイメージを具体的に持ち、それが理に叶ったものであればキャラクターはそのとおりに動くのだ。
このため、具体的な動作イメージを瞬時に思い描く力を、VR適性と呼ぶ。
リアルスキルと高いVR適性。
ツカサは、この二つを兼ね備えていた。
(けれど、それだけじゃ半分だよな)
プレイヤーのスペック頼りで、肝心のキャラクターの強さが全く活かされていない。
保有している特技の性質を理解し、それを使いこなすことで得られる強さ。
当たり前の話だが、ゲームを始めたばかりのツカサに、そうした強さはない。なかった。
しかし―――
(鉄輪ノ井、か)
せっかく実装している【神道】系の特技を、ほとんど活用することなく亡霊と戦った経験は、彼女にとって中々に苦いものだったらしい。
その反省を活かして、己の特技を使いこなすための努力を始めたツカサ。
彼女は、これから、さらに劇的な成長を見せるだろう。
「俺も負けてられないよな……」
新参巫女は、着実に前に進んでいる。
では、出戻り武士は―――?
自信をもって口に出せる答えを、今のセキは持っていなかった。
◆
「さて、これで当初の目的は達成したが」
「何だか、これですぐ帰るのは勿体ない感じがしますね」
帰りは、【縮地】で一瞬だ。
それだけに、何だか味気ない感じがするというツカサに、「気持ちは分かる」とセキはうなずいた。
「遠出をした感がある分、余計にそう感じる、のね」
「実際、移動に相応の時間を要しているからな」
緋扇と同鏡がうなずいた。
だったら歩いて帰ろうかと問えば、それは面倒くさいと坊主が否定する。
だろうなと、セキは苦笑を浮かべた。
「そういえば、【縮地】を使うと、加護の得られる期間が半減するんでしたっけ?」
「そのとおりでござる。ただ、それでも三日間、現実だと二四時間維持されるでござる。本格的な遠出でもしない限りは、十分でござろう」
「むしろ、【縮地】を使うと、加護が失われる仕様でないだけ、有情だろう」
「確かに」
同鏡の言葉にセキがうなずいた。
次回からは【縮地】で来れるのだ。必要になれば、その都度、加護をもらいに参拝すれば良い。
「実際、鴻臚館まで【縮地】で帰ったとして、それから行動を開始して途中で効果が切れるとしたら―――」
「今のセキ殿達が行うとしたら、大江山の遠征くらいでござろうな」
「大江山」
ツカサが呟く。
然り、と兵蔵がうなずいた。
平安京にいるマレビトが挑む最初の遠征先は、大江山が多いのだと彼は続ける。
「何しろ、酒呑童子で有名な場所でござるからな。
行けるようになれば、皆、真っ先に行ってみたい場所でござろう」
「確かに。どれくらいで挑めるものなのかな?」
「さすがに初伝級では無謀でござるな。中伝級で挑むのが普通でござるよ」
「あ、あの!」
ツカサが声を上げた。
視線を向けると、彼女はわずかに頬を紅潮させて続ける。
その手が、ぎゅっと握りしめられていた。
「その、今は難しいかも知れませんけれど。いつか、一緒に挑戦してみませんか?」
「…………」
その提案に。
「その時は、早めに提案してもらえると助かる。後、できれば金曜の夜スタートで」
「その場合、三食カレーね」
凸凹夫婦が、顔を見合わせてうなずいた。
「その時は、某も及ばずながら力を貸すでござるよ」
「適正レベル帯でない忍者はNGでは?」
「レベル制ではないからセーフでござる。ござるよ!
某、ネタバレの類はしないでござるし、連れて行って損はないでござるよ」
兵蔵が必死に自己アピールをする。
それをあしらないながら、セキは笑って大きくうなずいた。
「じゃあ、今後の目標はそれだな」
「―――っ、はい!」
ぱあっと、ツカサが顔を輝かせる。
それは、以前―――はじめて会った時、一緒に遊ばないかと誘った際のものと同様、見ているこちらが恥ずかしくなるような、満面の笑顔だった。
その笑みを、セキは眩しそうに見つめる。
出発前に届けられた太刀に、そっと手を触れた。
(そうなると、先に片付けるべきものがあるな)
初日に決めた一つの目標。
そろそろ頃合いだろうと、セキは目を細めた。




