其の五
◆◇◆◇◆
第四層に下りた時のことだった。
例によって周囲にいた亡者どもを蹴散らして、小休止に入ろうとしたところで、ふとセキは違和感を覚えた。
「セキ? どうかしましたか?」
「いや……なんか違和感が」
「違和感?」
周囲を見回すセキの様子に、ツカサが首を傾げる。
彼女の言葉に応えながら、セキは眉をひそめた。何かが足りない気がする。
その何かに気が付いたのは、同鏡だった。
「……釘を打つ音が止まったようだ」
「あ」
そうか、とセキは手を打った。
鉄輪ノ井に入ってから、ずっと聞こえていた音が止まっている。
この四つ目の足場に到着してから、すでに数分が経過しているのに、一度も槌音を聞いていないのだ。
それが意味することは―――
「全員、警戒っ!」
緋扇が警告を発する。
その視線の先。地の底まで続く虚空に、赤い燈火が現れた。
数は三つ。
ゆらゆらと揺れるその燈火は、ロウソクの明かりであった。
「――――っ」
「なるほど。音が止まったのは、これが理由か」
ツカサが息を呑む。その傍らで、同鏡が苦笑を浮かべた。
それは、顔を朱に塗っていた。
それは、赤い布をまとっていた。
それは五徳を冠のように被っていた。
それは、怒りに歪んだ鬼相を現していた。
―――ゆらりと、五徳に灯した鬼火が揺れる。
『鉄輪ノ鬼女/脅威度:四』
視界の端に、厄災の名が刻まれた。
「ちょっと待て、何で第四層に出てくるんだ……」
「拙僧が見た攻略サイトの情報にも載っていなかったな」
記憶と異なる展開に、セキが小さく呻く。これは想定外だと、同鏡が同意した。
鬼女がその手に持った木槌を振り上げる。
呼応して、その周囲に紫炎の珠が出現した。その数―――二〇。
「私の後ろに!!」
それを見て、緋扇が前方へと飛び出した。
シャンッと錫杖を鳴らし、小さな体で仁王立ちとなる。右手で刀印を結び、斬り裂くように横に振った。
ほぼ同時に、同鏡が素早く印を結ぶ。
「臨、兵、闘、者……っ」
「オン、シュチリ、キャラロハ、ウンケンソワカ」
間に合わないと踏んだのか、緋扇が途中で九字切りを中断した。
代わりに、「喝ッ」と大声を上げる。【大喝破】だ。
せめて、攻撃対象を自身に限定させようという判断だろう。
「――――っ」
鬼女が木槌を振り下ろす。こぉおん、と釘を打った音が木霊した。
一斉射。
二〇の紫炎の珠が、礫となって一行に襲い掛かる。
「ぐ、くぅッ!!」
最前に立つ緋扇が、呻き声を上げた。
礫のいくつかをその体を盾として受け止めるが、その対応は小柄な彼女には無理がある。
錫杖も振って、礫を叩き落としているが、それにも限度があるだろう。
結果、半数近くが緋扇の背後に抜けた。
「――――っ、すまない!」
「気にしない!」
むしろ、よく半分近くも防いだと称賛しながら、セキは太刀を振るった。
ツカサを背後に庇い、飛来する紫炎を打ち払う。
甲高い音とともに火花が散った。合計、三つ。
しかし。
「……ぐ!?」
一発被弾。
直後、セキの視界が眩んだ。強い光を直視したかのように、視界が白く染まる。
さらに、聴覚が馬鹿になった。世界がノイズ音で満たされる。
平衡感覚を失って、セキは鉄の床に片膝をつく。
「―-――」
声が出なくなった。
呪詛系状態異常【不見】【不聞】【不言】の三重苦かと、セキは内心で舌打ちをする。
(そういえば、こういう状態異常だったな)
光の逆流。音の蹂躙。大量の情報が流し込まれ、感覚がオーバーフローする。
セキは運営を呪いながら、強烈な不快感に耐える。
と、誰かの手が背中に触れた。温かいと感じた直後―――
「―――キ、……セキっ!? 大丈夫ですか!?」
まず音が戻ってきた。次いで視界も戻る。
間近に、心配そうに眉をひそめた少女の顔があった。
「―――っ、ありがとう。助かった」
呪詛の効果を消去するため、〈祓詞〉を使ってくれたのだろう。
そう推測しながら、セキは立ち上がった。
「他の二人は―――」
視線を巡らせれば、前方で緋扇が仁王立ちしている姿が目に映る。
盛大に攻撃を受けていたわりには、元気そうだった。
格子模様の防壁を展開し、追撃の紫炎を弾き返しているようだ。
―――【修験道】が護身法〈九字法〉による防御障壁。
しばらくの間、前後不覚に陥っていたにもかかわらず、特に追い打ちを受けなかったのは、彼女のおかげだろう。
「大丈夫かね?」
「何とか……、さっき唱えていたのは―――」
「ああ。〈大威徳明王法〉の真言だ」
特技【密教】〈大威徳明王法〉
息災法に属するその効果は、呪詛の無効化。
もっとも、初伝では効果時間は十秒と非常に短い。
このため、呪詛を受ける寸前に行使しないと意味がなく、使い勝手が悪いと評判の術法である。
だが。
「今回は、呪詛を受ける寸前だったからな。空撃ちの心配はなかった」
と、同鏡が笑った。
紫のエフェクトは、呪詛の特徴だ。
それを目にして、即座に対応に動いた同鏡にセキは感謝する。
(間に合わなかったら、普通に総崩れだったな)
たった今、セキが体験したように、呪詛系の状態異常は、マレビトを容易く行動不能に陥らせる。
もしも、緋扇が呪詛による状態異常に陥っていたらと考えて、セキは、ほっと息をついた。
ふと、疑問が生じた。
「そういえば、同鏡はどうやって先の攻撃を凌いだんだ?」
緋扇の防御を抜いた攻撃は、彼の方にも向かっていったハズだ。
どうやって捌いたのかと首を傾げたセキに、同鏡はニヤリと笑って答えた。
「フフフ。五体投地」
◆
―――こぉおん、と釘打つ音が鳴り響く。
突然の強襲は、どうやら鉄輪ノ鬼女の顔見せであったようだ。
セキ達がそう判断したのは、鬼女が姿を消し、槌音がただのBGMに戻ってから、しばらく経った後のことだった。
「さて、とりあえずは凌いだようだが。少し状況を整理しようか」
僧形の偉丈夫が残る三人を見回す。
一定の間隔で鳴り響く槌音に意識を割きながら、セキは頷いた。
進行役がいるのはありがたい。とりあえず、彼は気が付いたことを口にする。
「俺が知ってる鉄輪ノ井と違う」
「違う?」
首を傾げたツカサに頷いてみせる。そして、自分の記憶にある鉄輪ノ井では、第四層で鬼女が襲撃してくるという展開はなかったのだと告げる。
その言葉に、同鏡が頷いた。
「拙僧が事前に目を通した攻略サイトにも、今回の展開は載っていなかった」
「でも、最近の修正情報に該当しそうな情報はなかったと思う、わ」
といっても、自分が見ているのは一か月前のものからだ。
それ以前にあったのなら、分からないと緋扇が唸る。
「一か月以上前に修正が入ったのなら、攻略サイトに載ってないということはないだろう。これは、サイレント修正か?」
「サイレント?」
オンラインゲームでは、ゲーム内容に何らかの修正を行った場合、その内容をユーザーに情報提供するのが通例だ。
といっても、『一部の敵の挙動を調整しました』といったような内容で、具体的なことは分からない場合が多いのだが。
そうした情報提供なしに、こっそりと行われる修正をサイレント修正と言うのだと、セキはツカサに説明した。
同鏡が首を横に振った。
「……いや、ドロップアイテムの排出率などであればともかく、異界の主に関する事柄を、サイレント修正するとも思えないな。
まして、今回のは良修正の部類に入るだろう。こっそり行う意味がない」
「確かに」
異界『鉄輪ノ井』は、『陰陽洲』サービス開始当初からある常設型の異界だ。
先に赴いた一条戻橋のように、依頼発生に伴って生成される即席ダンジョンとは違う。
だが。
「即席ダンジョン並みの単調さの、ストレスが溜まるだけのクソダンジョンとか言われてたもんな」
「攻略サイトにも、真面目に周回する気にはなれないと書かれていたな」
巨大な井戸の形をしたダンジョンを、杭から杭に飛び移って下に降りていくというのは、それなりに新鮮だったのだが、いかんせん単調な上に長すぎる。
道中の敵は全て亡者で変化がなく、中ボスもいないとあっては、ダレるのも仕方がないというものだ。
これが全三層程度だったり、四層以降の展開に変化を加えていたら、評価は違ったかもしれない。
そんな風に、かつて仲間内で話をしたのをセキは思い出した。
「……最深部に下る時は、結構面白かったんだけどな」
「ほう?」
「鉄輪ノ鬼女が亡者をけしかけて来て、その対応で足を止めたところに、さっきの呪詛が叩き込まれる」
言いながら、セキは、床に落ちていたソレをつま先で転がした。
五寸釘―――紫炎の礫の正体だ。
「で、呪詛系状態異常に罹ったマレビトは、足を踏み外して真っ逆さまか」
「そう。ダレて、集中力が落ちてるところにソレだったからな。良い感じに目が覚めた」
初伝級の特技しか持たない新米マレビト達では、状態異常を解除することは出来ても、それ自体の発生を防ぐのは難しい。
少しばかり耐性を強化した程度では、気休めにもならないのだ。
仮に無効化できたとしても、同鏡が行ったように、ほんの数秒間に限定される。
結果、当時のみんなで考えた対応策は、足を止めずに一気に下りることだったと、セキは当時を思って苦笑した。ごり押しも良いところだろう。
「ともあれ、ここからの展開は、鉄輪ノ鬼女の行動パターン含めて、事前に得ていた情報は役に立たないかも知れないな」
「いや。全く参考にならないという事はないだろう。
事前情報と異なる可能性があるのを念頭に、今後の対応を検討するのが現実的なところではないかな?」
言いながら、同鏡が緋扇とツカサに目を向ける。
「二人は、先ほどの戦闘で何か気が付いたことはあるかな?」
「えっと……」
「ああ、単純な感想でも構わない。ここがやりにくかった、とか」
「やりにくかったこと、ですか」
呟いて、ツカサが気まずそうな表情を浮かべた。
「あの、わたし、そもそも何もできませんでしたし……」
「何もできなかったってことは無いだろう。現に状態異常を解除してくれたし」
セキが、ツカサの言葉を否定する。その後を、緋扇が続けた。
「私が〈九字法〉で攻撃を防いでいる間、背後でのんきに話をしていた二人のことを考えれば、よほどに役に立っている」
「いやいや」
緋扇の言葉に、同鏡とセキは二人して手を振った。
「回復役の仕事がないのは、良いことだ」
「刀が届かなかったので仕方ない」
足場から二〇メートル離れた空中に待機されると、接近のしようがない。
命綱を結ぶ場所もないので、移動時のような空中殺法も難しい。
だから俺は悪くないと続けたセキに、同鏡は重々しく頷いた。
「この徒党は、遠距離攻撃の手段に欠けるのが課題だが、最深部での鬼女戦はどうなるのかな?
今回のように一方的に攻撃され続けるのは辛いものがあるが」
「最深部は井戸の底だから、普通に走って近づけるぞ。後、鬼だから物理攻撃が普通に効く」
「……井戸の底って、水が張っているんじゃないんですか?」
「いや。ほとんど無かったと思う」
水深は、せいぜいスネのあたりまでが水に浸かる程度だったハズだ。
ツカサの疑問に、セキは記憶を掘り起こして答える。
少し動き難いものの、致命的というほどではなかった。
「とはいえ、とっさの反応はやっぱり遅れるから、普段と同じ感覚だと危ない。
後、意外と滑る」
「なるほど。上空に飛ばれると対応しにくくなると思うが、そのあたりは?」
「近接攻撃も仕掛けてくるから、ずっと鬼女のターン、みたいなことにはならないだろう」
記憶にある攻撃パターンは、「水面付近を浮遊しながら釘の斉射」「上空を飛び回りながら釘の斉射」「木槌による直接打撃」「釘による引っ掻き攻撃」「亡者の呼び出し」そして―――
思い出したと、セキは手を打った。
「それと、井戸の水を使って〈水刃〉と〈水槍〉を使って来たな。
結構痛かった気がするので、浮遊を止めたら要注意」
「なるほど、なるほど。中々に重要な情報だな。……ふむ、どうかな?」
同鏡が我が意を得たりといった様子で頷いて、緋扇へと目を向ける。
彼女が「何が?」と問い返すと、彼はなぜか得意げな表情を浮かべてみせた。
「拙僧とセキが話をしていたから、今の情報は出てきた。ほら、役に立っているだろう?」
「……それを言うのなら、ツカサが何もできなかったと口にしたのが発端、でしょう。重要な情報が出てきたのは、彼女のおかげ、よ」
「そんな……」
突然振られたツカサが、困ったように首を振る。
そんな彼女へと、同鏡は相変わらずのドヤ顔で告げた。
「このように、何が発端となって重要な情報に行き当たるかは分からないものだ。
こういう時は、好き勝手に思いついたことを言うのが吉というものだよ」
「あ、はい」
こくりと頷いたツカサに、同鏡は満足げにうなずいて見せた。
―――せっかくだから、色々と話をしよう。
そう口にする笑顔は、やはり胡散臭かった。




