魔術の素質
「君は魔術を習いたいと言ったね?」
「ええ」
「じゃぁ、ちょっとついてきて」
スヴェンはそう言ってキアラの手を引く。スヴェンにされるがままになっていたが、スヴェンはキアラの手を握っているので、キアラはどうにも落ち着かない。
女性とも見まごう程の中性的な容姿に反して、男らしい大きな手だ。傍目にはそう見えないが、ゴツゴツとして筋張ったその手は、どうやら相当に鍛錬を積んでいる者の様だ。
幼い頃、御前試合で優勝した騎士と祝福の握手をした時に、スヴェンの手と同じ物を見た事がある。
「さ、入って」
青い扉を開けて、スヴェンがキアラを中へと連れ込む。
沢山の本棚にはズラリと皮表紙の本達が並び、見た事もない幾つかの器具が部屋の中央にある長方形のテーブルに置かれている。
大きめの窓が一つあり、その前には書斎机と椅子がある。
「ここは一体?‥‥」
「魔術師の実験室兼書斎といった所かな」
初めて見るそれらにキアラは目を輝かせて、繁々と見つめる。
この部屋はラドウィグお気に入りの実験室兼書斎だった。
森の調査の時に作り、調査が終わっても時々籠っては何やら実験したり、新しい物を開発したり(最も殆ど役に立つ物は開発していないが) に使う部屋で、その為資料はかなり充実していた。
「魔術というのは、センスというか、素質が必要なんだよ」
「素質ですか?」
「そう。だから人によっては、何十年かけても成果なしという場合もあるし、たった一度で習得してしまう場合もある」
「!!」
キアラはショックを受けた。
教えて貰えれば、それで習得出来るのだと思っていたのだ。
もし自分に素質がなかったら?
急に不安がよぎる。
スヴェンはキアラの不安な様子に
「心配しないで」
と言って柔らかな労わる様な笑顔を向けた。
胸がギュッと苦しくなる。鼓動は早鐘を打つ。
スヴェンの笑顔は心臓に悪いわ‥
スヴェンは更に続けた。
「キアラは既に聖女という素質を持っているんだよ。つまり、一から新しい事を覚えるより、今持っている力を一層強化すれば、それは防御にもなり得る。まず、聖女の能力の特徴的な効果は?」
「癒しです」
「その癒しは怪我や病気を治す物?」
「そちらの方が注目されがちですが、もう一つ心の癒しがあります。例えば、気を病んで自殺願望を持ってしまった人の心を元通りにしたりとか」
「そう、実はそちらが重要なんだ」
「と、いうと?」
「例えば君が何者かに襲われかけたとする。相手は当然君に悪意を抱いている。その悪意を癒すとどうなる?」
「気が削がれる‥ですか?」
「そういう事。1人の人間に襲われかけた時は、今の力具合でも十分だと思うけど、これが複数人になったとして、君の力具合では対応出来ない。現状、聖女とは一対一で癒しを行う者だと聞いている。だから、君の力を強化する」
「強化ですか。そういえば、確かに一対一以外行なった事はありませんし、多分複数人には出来ません。と、なると‥」
キアラは何かを考えてスヴェンに質問した。
「あの、何者かに操られている複数人を、癒しで元に戻す事は出来ますか?」
意外な質問にスヴェンは少し驚いた。だがう〜んと唸って考える。
「何者かが何を使っているかによるね。詳しい術式が分からない限り、おおよその事しか言えないけど、操るという事は、意識を保っている場合といない場合がある。後者の場合、君の力は通用しない。前者の場合、本人の意思とは裏腹に動かされている訳だから、少しでも意思、つまり意識を持っている相手を正常な状態に戻す事が出来る。もしかして今君の言った事が、君の言った「どうしても、魔術を習得しなければならない」という理由なの?」
「はい。私は彼等を元に戻したいと思い、祖母に相談したのです。詳しい事はまだ何もお話しておりませんでしたね。聞いてくれます?」
「もちろんさ」
そうして、一度フーっと深呼吸をしてから、キアラはスヴェンに城で気付いた異変と、アルク王国で今何が起きているのかを話し始めた。
「君のお父上は今どうしているの?」
「分かりません。父は私を避けていましたし、私には侍女が監視役として付いていましたから」
「その侍女は操られていなかったの?」
「多分、操られてはいないと思います。楽しそうに私に鞭を振るって‥‥」
「待って!!鞭?君に鞭を振るう?」
キアラは言った後しまった!と後悔した。
されるがままの情けない自分を、スヴェンは軽蔑するのではないか?でも言ってしまった後ではどうしようもない。
スヴェンの反応を見る。眉間に皺を寄せ、腹立たしげな表情をしている。
「キアラ、来て」
スヴェンは長方形のテーブル横の少し広い空間に立ち、扉近くに立つキアラを呼ぶ。
キアラは戸惑いながら、スヴェンの前へ立つ。
フワリ!
逞しい両腕が、キアラを包み込む。
今起こっている事に対応出来ず、スヴェンの腕の中で固まっているキアラの頭の上にスヴェンの優しい声が響く。
「君が今迄耐えてきた痛みや苦しみを、無かった事には出来ないけど、今は甘えていいんだよ」
目頭が熱くなり、緑色の瞳からポロポロと涙が溢れて止まらない。
スヴェンにしがみつき、母が亡くなって以来殺してきた悲しみという感情を解き放ち、子供の様にすすり泣く。
その間スヴェンは、優しくキアラの背中を摩っていた。
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