おまけその3 日本体験記
「では、兄上、行ってきます」
穏やかなキリクの声が耳に届くと同時に、トビアスの目の前が歪んだ。思わず目を閉じる。
うっかり口を滑らせたばかりに、カズハの国ニホンに強制連行されることとなってしまった。何てことだ、心の準備はまだ必要だというのに。
キリクに手を取られたトビアスは、いくつかの空間を飛び越えるような感覚の後、どこかに立っていた。
川のせせらぎや木々のざわめきが耳に届いてくる。おそるおそる目をあけると、田園風景が広がっていた。
「無事に着きましたね、トビアス様。ここは和葉さんの通ってらっしゃる学校の傍ですよ」
小さなキリクは手を離すと、周囲を見回した。つられるようにトビアスも周りを見る。二人はあぜ道の脇、少し大きめな道路の端に立っていた。農作業をしていた人が田圃のあぜ道を歩いていたり、学生が自転車で帰っていたりと、この世界では普通の光景が広がっていた。
しかしトビアスにとってはどれもこれも見知らぬ、そして見慣れぬものばかりである。目を丸くしてキリクに問いかけた。
「何あれ! 馬車にしては馬がいないんだけど!」
「あれは車ですトビアス様。こちらの世界は機械と呼ばれる物を使った文明が発達しているのですよ」
「あの変な形の建物は!?」
「鉄塔ですね。機械を動かす力をそれぞれの家に送るものです」
「人が普通に人なんだけど!!」
「……」
返答に困る、とキリクは思った。
人体模型が並んで歩く想像をしていたトビアスにとって大変な衝撃だったようだ。恐るべき恐怖の国は幻であったのか。本当に良かった。彼は安堵で胸を撫で下ろしていた。
キリクは苦笑しながら説明した。
「まぁ、その、ですから一応和葉さんは普通の女の子ですから」
「ほんとに!? カズハって普通の女の子なの!? あれで!?」
「はい……一応」
その一応に全ての意味を込めたつもりである。
ほんとかなぁ、と呟きつつトビアスは周囲を見回した。アレは何だこれは何だとキリクに聞いていたところ、通り過ぎる学生や大人がじろじろと自分たちを見ているのに気付く。
「……ねぇ、キリク。何か僕たち見られてない?」
「あ、そうですね。恐らく服装がこちらの世界と合わないのだと思いますよ」
二人とも外見は中世貴族が着るような仕立ての服装である。髪の色も赤や金であり、黒髪の多いこの国では目立つのだろう。自分の服を見下ろして、トビアスは首を傾げた。
「えぇ……僕としてはあっちのほうが変な格好なんだけど」
「国が違えば常識も違うものですよ、トビアス様」
そんなもんか、と頷くトビアス。
四歳児にたしなめられている青年というのもまた人目を引く理由でもあるのだがそれを指摘するものはいなかった。
「あれ? キリク? トビアス?」
と、突然驚いたような声をかけられて、その声の方を振り向くとそこには一人の娘が立っていた。
黒髪黒目、ショートカットの髪型にブレザーの制服を着た、何の特徴もない普通の女の子だ。
否、一つ特徴があるとするのならば、驚いたように丸くなっているその目には強い意志というものが感じられることだろうか。普通の女の子にしては少しばかり強い瞳である。
「和葉さん、お久しぶりです」
キリクはその娘に笑みを浮かべて挨拶する。トビアスはどこに和葉が隠れているのかと思わず心の準備をした。
「久しぶり、キリク! っていっても半年くらいかな? どう、アベルも元気してる?」
「はい、その節は和葉さんにとてもお世話になりました。兄上も感謝しております」
「それなら良かった! セリドが戦慄迷宮って名称ついたらどうしようかと思ったよ」
「……まぁ、その、セリド王城七不思議みたいなものは出来ましたけど……」
その娘は微笑んでしゃがみこみ、キリクと目線を合わせるように会話している。トビアスは二人を交互に見た。
和葉と呼ばれたその娘は、キリクと楽しそうに会話している。それは分かる。それは分かるが。
「……っう、嘘だ! こんなのカズハじゃない!?」
トビアスの叫びに「へ?」と和葉は彼を見上げた。
「何か普通に女の子だし! 骨見えないし! 筋肉見えないし! 僕の知ってるカズハじゃない!」
分かるがあまりに普通の見た目に、脳内が和葉と目の前の娘を合致させてくれなかった。思わず後じさるトビアスに、和葉とキリクは目を合わせた。
「……急いでボビー君持ってこようか?」
「いえ! 大丈夫です! 和葉さん。トビアス様はちょっとあまりの衝撃に混乱されているだけだと思いますから」
人体模型を抱えて走ってくる和葉を想像し、やんわりと、かつきっぱりとキリクは断った。そんなことになったら多分、和葉の周囲を歩いている人がもの凄い勢いで逃げ出すと思われた。人体模型というのは女子高生が持ち歩くグッズではないはずだ。きっと。
「トビアス様、落ち着いて下さい。お伝えしたようにこれが普通の、本当の和葉さんなのですよ」
「あっ、分かった! 和葉変身するんだろ!? これが第二形態なのか!」
「いえほんと落ち着いて、トビアス様」
残念ながら彼女には第二形態も第三形態もないのである。残念そうに和葉も首を振った。
「いやぁ、私も内臓外れるタイプのほうがいいかなぁとは思ったんだけど」
「和葉さんもちょっと黙ってて下さい」
その混乱は、キリクがなんとかトビアスを宥め、和葉の暴走を抑えてやっと収まるまで多少の時間を必要とした。
* * * * * * * * * *
「そういえば結局どうしてこっちに来たの? 観光?」
「いえ、伯父上に会いにきました。多分僕たちがこちらに来たことに気付いて、そのうち接触して下さると思います」
「へー、そうなんだ」
道路脇で騒ぐと彼らの外見も手伝って非常に目立つ、ということでとりあえず彼らは揃って和葉の家に入れて貰うことにした。
親密なご近所の家を何軒か回ったところあっという間にキリク用の子供服と、トビアスのデニムパンツ、シャツにジャケットがすぐに集まった。意外なところで和葉の手腕を見た、と二人は思った。和葉は笑って言う。
「いやぁこの辺は田舎だしそんなもんだよ。色々貰えるけど、代わりに明日二人のこと根掘り葉掘り聞かれるよ?」
「……それは何と言うか、すみません……」
「ううん。ほら、前にサムリさんが近所に住んでたから。その甥っ子達って説明するから大丈夫」
和葉の部屋で着替えた二人は、特にトビアスが居心地悪そうに服を直している。
「……こう、ぴったり体に合うのって普通なの?」
「うんうん。こっちはそんなもん。合わなかったら私のジャージを貸そうか? これだけど」
「絶対嫌だ」
和葉に人体模型の時に着ていた服装を見せられてトビアスは即座に断った。キリクは意外と子供服が似合っている。黒の長袖パーカーにTシャツ、カラーズボンが可愛らしい。
「キリクは洋服も似合うね」
「ありがとうございます。度々こちらの世界は見ていましたから、一度このような服も着てみたかったので嬉しいです」
キリクの幼い顔は、大人びているけれども以前のような影はない。嬉しそうに笑うその少年を見て和葉は微笑んで鞄を手にとった。
「じゃあ、サムリさんが来るまで暇でしょ? 丁度昼時だしご飯食べに行こうよ! お金ないだろうし奢るよ!」
「え、いえそんなにご迷惑をかける訳には」
「ねぇカズハ何これ! 何か箱の中で人が動いてるんだけど! ま、まさか閉じ込めたの!?」
「大丈夫大丈夫。前にアベルから貰った金貨を、サムリさんが売ってくれてね。おかげで懐が暖かいのよね」
「うーん……。ではお言葉に甘えてしまいますね。ありがとうございます」
「わぁ水出た! 水が出た! すごいねカズハ、これどんな魔法!?」
会話する和葉とキリクの後ろでトビアスは目を輝かせて興奮している。和葉がつけたテレビに驚き、水道から出た水で手を洗うことに驚いている。まるで遊園地に連れて来た子供の様子である。
「……ところでちょっと思ったんだけどさ、キリク。トビアスとキリクって年齢逆じゃない?」
「……僕は一応予備知識がありましたし、その、トビアス様は子供の心を忘れない方ですから」
一生懸命フォローするキリクと、生暖かい視線で見守る和葉に、散々トビアスが興奮と質問をし尽くして早くも午後一時。やっと三人は揃って近所の店へと向かうことになった。
* * * * * * * * * *
近所には秘境にある美味しいお店として有名な、豆腐料理店がある。田舎ではあるが秘境ではない、と和葉は訴えたい。
そのお店のカウンター席に三人が座って、早速料理が出てきた。キリクは子供用に少なめにしてもらってある。
湯葉などの前菜のあと、出てきたのは湯豆腐である。楕円形の木の桶に入れられた暖かなそれは、秋が深まってきたこの時期に食べてもとても美味しい。木桶の中ではぐつぐつと真っ白な四角い豆腐が踊っていて、それを網ですくって取り皿に入れるのだ。キリクも和葉のするように網ですくうと取り皿に入れ、桶の上に置いてあった専用のたれをかける。
「……!」
慎重に箸を使ってその湯豆腐を一口食べたキリクの目が輝いた。
無言でひたすらに豆腐を口に運ぶ。薬味も何もなしの豆腐の味が気に入ったようである。夢中で食べている。
「美味しい? キリク」
こくこくこく、と無言でキリクは頷いた。頷く傍から新しい豆腐を取り皿に入れて落とさないように箸で口に運ぶ。ふんわりと暖かく、口の中で溶けるおぼろ豆腐の柔らかさにキリクは笑みを漏らした。
まさかここまで気に入ってくれるとは思わなかった、と和葉はそっと自分の湯豆腐の桶をキリクに差し出した。
「もうちょっと食べる?」
こくこくこく、と頷くキリクにカウンターの向こうの店員さんも満面の笑みである。見た目は金髪碧眼の外国の男の子が器用に箸を使って、美味しそうに豆腐を食べてくれて嬉しいのかもしれない。和葉の頼んだセットメニューにないはずの、豆腐シャーベットを食後のデザートにどうぞとキリクにくれるくらいである。
一方、トビアスは箸に苦戦中だった。
「カズハ、もう一度使い方説明して!」
「こう。人差し指と中指の間に一本、中指と薬指の間に一本、でこうして動かすの」
「……こんな感じ?」
「バッテン箸は行儀がわるいって言われているから、交差させないようにしないと」
「……こ、こう?」
「……スプーン貰う?」
美味しく食べるのが一番だよね、と最終的に諦めてトビアスはスプーンを貰っていた。
トビアスはスプーンに持ち替えてからは湯豆腐をぺろりと食べ終わり、「美味しかった」と言ってはいたがどこか物足りなげである。量が足りなかったのかも知れない。
そんな訳で、トビアスと満足そうなキリクを連れ、やってきたのはマクドナルド。マックと呼ぶかマクドと呼ぶかで関東か関西か分かるという全国チェーン店である。
「そんなわけでこれが私お勧めマックポテトLサイズです」
四人がけのテーブルに座ってポテトとアップルパイ、チキンナゲットとドリンク三つを買った和葉は机の上にそれを広げた。
「おおおお……ってよく分からないけど、これは箸とかフォークとかないの?」
「ないない。手づかみOKだから大丈夫」
「僕はもうお腹いっぱいですので飲み物だけ頂きます」
「あ、キリクはオレンジジュースでいいよね? トビアスはコーラとお茶のどっちか、飲めそうな方飲んでみて」
ちょっとおそるおそるという様子でポテトを一つ口に入れたトビアスは、先ほどのキリクと同じくらい目を輝かせた。
「何これすっごく美味しい! この塩加減いいね! ここも有名料理人のお店なの!?」
「……」
夢を壊すまい、と和葉は視線を逸らした。
どうやらトビアスは子供の好きそうな濃い味の料理が気に入ったようである。ポテトもナゲットもアップルパイも全て彼の胃に飲み込まれた。コーラは最初咳き込んでいたが、慣れたのかLサイズを飲み終えると「美味しかった!」と満足そうである。
さて二人とも胃を満足させたし、次は周辺観光か……といいたいところだが、この辺りは何も無い。本当に何も無い。和葉が持っているのは自転車だけなので遠出もできないし、車を持っている母はまだパートの時間である。
どうしたものかと席に座ったまま悩んでいると、「あ」と正面に座ったキリクが声をあげた。
「伯父上!」
振り返るとそこには、金髪の初老の男性が店の扉を開けて入ってくるところであった。サムリだ。
「師匠!」
トビアスも嬉しそうに笑う。どうやら皆面識があるようである。
「やぁ、キリク、トビアス。和葉もいるとは思わなかったよ」
穏やかなその声、優しい笑顔の持ち主の彼は、勧められるままに一つ空いていた席に座るとキリクに声をかけた。
「何かあったのか? キリク」
「兄上の戴冠式が決まりまして、伯父上にも伝えに参りました」
「そのためにわざわざ? ありがとう、すまないねキリク」
少し困ったように笑うとサムリは首を振った。
「もう公に顔を出すことはないけれど、そっとその姿を見に行かせてもらうよ」
「兄上のところに戻られる予定はないのですか? 伯父上」
「……」
曖昧に笑ってサムリはキリクの頭を撫でた。聞いてくれるな、ということかも知れないし、その通りだということかも知れない。
「それにしても、ずいぶん日本を満喫してるみたいで何よりだよ。和葉のおかげかな、ありがとう」
「いえいえ。サムリさんもお元気そうで良かったです。ところでサムリさん、ここまでは何で来ました?」
「え? さすがに飛ぶ訳にもいかないからね。車だよ」
よし、と和葉は小さくガッツポーズをした。
「じゃあ日本満喫第二号として、食事の次は娯楽ですね! 戦慄迷宮いきませんか!」
「ちょっと待った和葉。そこは娯楽とはちょっと違う」
「何か嫌な予感がするから僕は嫌だ! アベルが来たときにでも行ってやって!」
「駄目ですってば和葉さん! 折角誤解が解けたのに!」
三対一の大反対にあい、「私は結構好きなんだけどなぁ」と残念そうに和葉は眉根を下げるのであった。
結局、大型ショッピングモールで買い物をすることに落ち着いた。
キリクは豆腐と大豆を買い込み、トビアスは駄菓子に目を輝かせていたことは蛇足ながらも付け加えておこう。
* * * * * * * * * *
「たっだいまー!」
「ただいま戻りました、兄上」
服装を着替え、またセリドに戻って来た二人はお土産を大事そうに抱えつつアベルの部屋に戻ってきた。
よくぞ無事で、と思わず口にしたアベルにキリクは微笑んで、早口で話しかける。
「兄上、ちょっと僕中庭で畑作ってきますね」
「は、畑?」
「はい、あまりあちらの世界の物がこちらに影響を与えないように小規模な畑になりますけれど」
「アベルみてみて! この毒々しい色のゼリー食べてみようよ」
「トビアス! な、ちょっと待てどうした!」
アベルにとっては一日近く居なくなっていた友人と弟が、急にハイテンションで戻って来たことに思わず身を引いた。
もしかして彼らは心に激しいダメージでも受けたのだろうか、と心配になる。
「カズハは、いやニホンはどうだったんだ?」
キリクが早足で部屋を出て行ってしまったので、トビアスに尋ねかけると彼は一瞬止まった。
「……」
考え込むように首を傾げると、トビアスはへらりと笑う。
「……ものすごくびっくりした」
「どういう意味で!?」
「いやぁ、ほんとびっくりしたんだよ。アベルも一度行ってみるといいよ、ニホン」
明言を避けるトビアスに、アベルは首を傾げながらもきっと心に大きなダメージを負ったのだろうと思ってそっとしておいた。
アベルが同じように激しく衝撃を受けるのは、それからしばらく経った戴冠式の日のことである。




