44 【和葉】 終わりのただいま
……なんだか全身が痛い。
キャビネットで寝てしまったのだろうか、体中が痛かった。
それにしては床は柔らかく、すべすべで寝心地がいい。
和葉は寝返りをうとうとして、何か邪魔なものが左側にある気がした。
眠気を堪えて薄目を開けると、左隣にはぎょろりと目を向いた人体模型が転がっていた。
「……っ!?」
セリド王城で逃げ回った人達の気持ちがすごくよく分かった。悲鳴を上げようと思ったが、声が出なくてむせかえった。
和葉がごほごほとむせていると、扉が開く音が聞こえた。
「! 菅原……!?」
かけられた声は去年は毎日のように聞いていた声だった。懐かしさすら感じる。
ぱっと顔を上げてその声の主を見た和葉であったが、西園先生は和葉の姿を見て固まっていた。
「西園先生!」
やっと声が出た。笑みを浮かべる和葉をよそに、西園は狼狽えたように左右を見回す。
ん? と和葉も首を傾げて現状を見返してみた。
ベッドの上には点滴をしている和葉。隣には人体模型が横になっていた。高校のジャージを着た人体模型を、抱き枕にしている和葉の図だった。これは頭がおかしい人だ。
「西園先生、あの、違うんですっ」
「な、ナースコールだ! 精神科のお医者様をっ!!」
「違うんですってば西園先生!!」
ボビー君は看護師さんに丁重に没収された。精神安定剤も処方しようかと医者に聞かれて、和葉は力一杯断ったのだった。
* * * * * * * * * *
「もう、酷いです西園先生」
唇を尖らせる和葉だったが、入院して三日三晩眠り続けたようだ。やっと目を覚ましたかと思ったら人体模型を抱いて寝ていたと。
思わず西園が取り乱すのも無理はないと言えた。
「悪かった……心配したんだぞ、菅原」
西園は見舞いのリンゴをウサギの形に剥きながら言う。く、上手い。和葉はリンゴを芯の形にむいた後、皮のほうの実を食べることにした。
「俺が頼んだせいで学校に来させることになってすまなかった」
「え!? いやいや西園先生のせいじゃないですよ?」
西園は深々と謝るが、和葉は首を傾げた。誰の責任でもない、自分が交通事故に遭ってしまっただけの話だ。あえて言うなら早起きが悪い。そして急に思い出す。
「あ! あの袋!!」
西園は分かっているとばかりに頷いて、リンゴウサギを皿に置いた。
「菅原が交通事故にあったときの袋はちゃんと一緒に運ばれたみたいだ。その棚の上にあったはずだけど」
「!?」
隣にある棚の上の袋を見た和葉は目を見開いた。そこに確かに袋はあったのだが、残骸とでもいうくらいに、破けてしまっていた。もしかしてボビーくんが出てきたせいだろうか。
「菅原が交通事故にあってから毎日通っていたんだが、昨日やっと面会できた時、袋に菅原の持って来た短剣を入れておいた。本当になくなるかどうかは分からなかったが……」
なくなったみたいでよかった、と西園は笑う。
「なんで短剣を入れたんですか、先生」
不思議である。あの短剣がその後アベルに役に立ったのならばいいが、と思いながら和葉が首を傾げると西園は苦笑した。
「短剣と引き替えにあの袋が何だか菅原を連れ去って行ってしまうみたいに思えてな……。全部返すから、菅原を返してくれと祈ったんだ」
「西園先生……」
確かに連れ去られたは連れ去られたのだが……変な方向性で。
「ついでにあの数学のテストは何ですか?」
「野田先生からのお見舞いだそうだ」
あのハゲ、と一瞬和葉の口から呪いの言葉が漏れそうになったが堪えた。
数学のテストなどすでに和葉にとっては忘却の彼方である。それほどに色々な事があった。
「沢山、話したいことがあるんですよ、先生」
そうか、と西園は目を細めた。
「でも今日は起きたばかりだし親御さんも心配している。明日もくるからゆっくり休め」
「信じられない話だと思いますけど、聞いてくれますか?」
西園は微笑んで頷く。和葉は笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「じゃあ、嘘のような本当の話と、全力で作り上げたそれっぽい嘘の話と、荒唐無稽な話のどれがいいですか?」
「……菅原、またそこからか……」
頭を抱える西園がいたが、和葉は笑い出した。
「とりあえず荒ぶる神に召喚されたところから話しますね」
「待て、待て菅原。荒唐無稽だよな、それは荒唐無稽なほうだよな!?」
「いえ残念ながら嘘のようで本当の話です」
明日をお楽しみに、と笑う和葉に、西園は苦笑しながらも頷いた。
「聞くのが怖いような、楽しみなような気持ちだな」
「あ、言い忘れました。ただいまです、西園先生」
「? おかえり?」
困ったような顔をした西園先生を見送って、和葉はやっと「帰ってきたのか」と実感するのだった。




