33 【ソランジュ】 エリス
どこかで呼ばれた気がした。不思議なことである。
この世界には、ソランジュの真名を知るものなどいないはずなのだ。
それを知る兄サムリも妹エリスも異世界に逃げた。彼らに邪魔をされないように、彼らが触れた物はこの世界に入れないようにしてある。
よってもうソランジュの敵はいない。あとは彼女の望みを果たすだけである。
セリド国内だけでなく、広く網を張ったが、アベルの魔力は探知出来なかった。血族であるからこそ、ソランジュはアベルが魔力を使えば居場所が分かる。セリド王城から逃げて以来、彼の魔力は感じられない。私兵も関所もアベルを発見できていないそうだ。
「どこでどう、怯えて隠れているのか」
くく、とソランジュは唇の端を上げる。悲しげな妹の顔が脳裏に浮かんで、振り払うように首を振った。
「エリス、馬鹿な娘」
病弱で世間知らずで、とても愛らしい笑顔を持った妹。
大好きだった。だからこそ殺してやりたいほどに憎らしい。
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かつて魔女として彼女達の一族が滅ぼされたときに、兄サムリが妹たちをつれて中央大陸の端、ユアール国の反対側の小さな森で眠りについた。彼ら以外誰も出入り出来ないように幾重にも結界を張って。
眠りについた彼らは夢の空間で話し続けた。ソランジュは人間に復讐したいと訴え続けたが、兄と妹は反対した。報復は何も生みはしないと。
「いっそ死んでしまいたい。レオの後を追いたい」
泣くソランジュに妹は悲しげな顔で尋ねるのだ。
「お義兄様の忘れ形見ごと、逝ってしまうおつもりなのですか?」
「エリス、あなたには分からない! 恋をしたこともないあなたには」
それでも体ごと眠り続けている間は年もとらず死ぬこともない。兄はソランジュが落ち着くまでは、と封印を解くことがなかった。
十年、百年、長い時間を経るごとにソランジュの怒りは和らぎ、代わりに悲しみが増すことになった。
あんなに愛していた人の顔もどんどん忘れていく。そんな自分が悲しかった。
「サムリ兄様、もう大丈夫です」
長い時を過ごしてソランジュは、兄に言った。少し悲しげに言葉を紡ぐ。
「私は子供を、レオの忘れ形見を産んで育てようと思います。だから起きましょう」
兄はじっと妹の顔を見て、優しく笑って頷いた。妹の怒りも憎しみも、なんとか静めている程度ではあるが、地上の日々を過ごせばまた癒える悲しみもあるだろう。
「分かった。エリスと先に起きて、お前が子供を産める環境を整えよう」
「お姉様、待っていてくださいね」
「ええ、お兄様。エリス」
彼らは二人は、一足先に覚醒して周囲の森を見回した。変わらず森が広がっているが近くまで開発されているのだろうか。隣には墓地と公園があった。
「ゴホッ、魔力が薄いですわね、お兄様」
少し咳き込んで言うエリスの背中を撫でながら、サムリは頷いた。あんなにも世界に満ちていた魔力が少なく、空気が薄い気がした。
「レオが殆どの魔力を吸い込んだからだな……このままだとお前もソランジュも体調に影響しそうだ。どこか魔力の豊富な場所を探さないと、落ち着いて子も産めないな」
「故郷に戻ってみますか? お姉様には少しお待ちいただくことになりますけれど……」
「そのほうがいいだろう。どうなっているかも確認しないといけない」
二人が新しく住み処を探そうと、故郷の森へと向かっている最中に中央大陸の新興国セリドを通り、運悪く彼らは人混みではぐれてしまった。活気がある国ゆえに人通りも多く、治安も良くない。サムリは慌てて探すが魔力の少ないエリスは人間に紛れてしまい中々見つからなかった。
病弱で、そして美しいエリスは、人買いの男に連れて行かれそうになったところを一人の青年に救われた。
剣で人買いを追い払うと、彼は地面にへたりこんだエリスに手を差し出した。
「大丈夫ですか? こんなところに一人で出歩くなんて危ないですよ。良いところの娘さんでしょう?」
太陽のように明るく笑う人だ、というのがエリスの第一印象であった。
「あの……兄とはぐれてしまったのです」
「それは難儀なことですね。では、兄君が見つかるまで傍にいましょう。残念ながらこの国は今、勢いがある分色々な人が集まっているのです」
先ほどのような人買いも、と残念そうにそう言って彼は近くの店の傍にあった箱の上にエリスを座らせて尋ねた。
「兄君の名前と特徴は?」
「私と同じ髪の色と目、顔立ちも似ていると思います。兄の名前はサムリと申します。ご丁寧にありがとうございます」
言って微笑むエリスに、青年は少し頬を赤くした。
「美形な兄妹だと大変ですね。兄君も誰かに絡まれているかも知れません。お嫌でなければもう少し、人を一瞥出来る場所に移動しませんか?」
「はい、ご迷惑をおかけします」
深々と頭を下げて、エリスは青年に促されるままに立ち上がった。青年は彼女の素直さに呆れて笑う。
「……私が人さらいであったらどうするんですか。むやみに見知らぬ人に付いていったらいけませんよ」
エリスは言われて驚きに目を丸くしたあとに、困ったような顔をした。
「あ……そういえば、兄にもそう言われておりました」
笑い出した青年は、エリスの手を掴んで引っ張って行く。
「私が人さらいじゃなくて幸いでしたね。私はジョセフ……セリドです。あなたは?」
「エリスと申します」
微笑んだエリスはジョセフに手を引かれてすぐに、運良くサムリに再会することが出来たのだった。
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「故郷でも魔力はあまり強くないな……何より遠く移動するには辛い。俺が空を飛んで連れて行くのは妹たちのどちらにも辛そうだ」
サムリは憂い顔だ。自分は移動に時間がかからないし、共に連れて行くことに問題はないが、エリスやソランジュを連れての長距離移動は彼女達の体力的に辛いだろう。
「エリス、お前をここに置いて一度ソランジュの様子を見てきてもいいか? もう一度眠りを重ねがけして、状況を説明してくる。すぐに帰ってくるから」
「はい、お兄様。お姉様によろしく伝えてくださいまし」
サムリが一度セリドの宿にエリスを置いて空に消えると、彼女はため息をついた。
「私は本当に、何の役にも立たないのですね」
兄のように魔力が強いわけでもなく、姉のように特殊能力があるわけでもなく、ただ病弱な妹として絹にくるむように大事にされているだけだ。
付いてこなかったほうがよかったのかも知れないと思いながら、宿で落ち込んでいる彼女に急に日差しのように明るいものが差し込んだ。
「宿にすごい美人がいるって噂になっていました、エリスさん」
宿の食堂で食事をしているエリスの前に、ジョセフが現れたのだ。
「まあ、ジョセフ様。先日はどうもありがとうございました」
儚い可憐な華のように、優しく微笑むエリスにジョセフは笑いかける。
「兄君はどうしたんですか? あなたが病気がちだと聞いて、また会うことがあったらこれを渡そうと思っていたのです」
彼が差し出したのは、粉状になった薬と薬草だった。薬草には詳しいエリスは目を見張る。現在ではどうか知らないが、彼女の時代でこの草は高級品だった。ただの知り合い程度にひょいとあげられるほどの物ではなかった。
「あの、ジョセフ様。これは……頂けません」
値段を聞くようなはしたない真似は出来ないが、断固として拒む姿勢を崩さないエリスにジョセフは困った。
病弱なエリスの為になればと思ったのだが本人は受け取ってくれる様子もない。
「困ったな、じゃあエリスさん。あなたが困ったときにこれを使ってくれませんか? もし使うことがなかったら、売っても私に返しに来ても構わないですから。あなただけじゃなく、傷や発熱、解毒にも使えるから兄君にも使って貰えますよ」
「……」
自分に、というのでなければ拒むのも失礼かもしれない。ソランジュが体調を崩したときに解熱としても使えて、お腹の子供への影響も少ない良い葉だ。
「そう、ですね。子供にもいいですしね」
「えっ……エリスさん、子供がいるんですか?」
息を呑むジョセフにエリスは笑う。
「姉が身重なのです。解熱剤としても有能ですし……ご厚意に甘えて頂きますね」
「ああ、お姉さんか。うん、良かったです。使ってください」
にこりと笑って彼は宿を出て行った。しばらくして帰ってきたサムリは、妹が貰った薬草を見て目を見張る。
「ば、馬鹿! 途中の店で見たが、これは昔の数十倍、悪くすれば百倍の値段はするぞ!」
それを聞いたエリスは卒倒するかと思った。
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「やっと見つかりました!」
ジョセフは酒場で目を丸くした。仁王立ちをする美しい娘と、隣の青年を見て破顔する。
「エリスさん、どうかしたんですか?」
「どうかしたのか、ではありません!!」
真っ赤に怒っているエリスはジョセフに近づくと、ずいっと薬草を差し出した。
「このような高級品は、見知らぬ人に差し上げる物ではありません!」
一家が一年暮らすことのできる値段だ。言われてジョセフは首を傾げる。
「あなたはエリス。私はジョセフ。見知らぬ人、ではないはずですが?」
「名前を知っているだけの人は見知らぬ人の範疇です!」
エリスもたまには怒るのか、とサムリは見当違いの感想を呟いた。
「それでも構わないんです。使って、ください」
寂しげに笑ったジョセフに、虚を突かれたようにエリスの声のトーンが下がった。
「……どうして、ですか?」
「それは私が母のために、遠いユアール国の果ての森で探してきたものです」
「……」
「もう亡い母の代わりに、使ってくれませんか?」
エリスは言葉に詰まった。ただの気まぐれでも施しでも、叩き返すつもりだったがそうではなかった。病にあるというだけで、周囲の人には気を遣わせてしまう。息子であればより、母を心配しただろう。エリスにはまだ夫も子もいないので分からないが兄や姉にはいつも心配ばかりかけている。
「……ありがたく、頂きます」
「ありがとう、エリスさん」
自分は息子に、こんな悲しそうな表情をさせたくない、とエリスは思った。
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偶然の繰り返しを運命と呼ぶのなら、エリスとジョセフはまさに運命だった。
サムリがソランジュのために魔力を貯める家を作ろうと、一つの小さな家を買ったらその隣が偶然ジョセフの友人の家だった。
突然の雨を避けて入った木の下で、先客がジョセフだった。
ジョセフが怪我をしたときに、エリスはちょうど裂創に効く薬を持っていた。
彼らが恋に落ちたのも、恐らく誰が悪い訳でもない。
「エリス。人と深い関係になってはいけない。……分かっているか?」
そしてそれを止めたサムリも悪くない。エリスもまた頷いた。
「……はい。分かっております、お兄様」
そう微笑んだ。
そして彼と会うことをやめた。毎日のようにやってくるジョセフに、引き取りを求めるのはサムリの仕事になった。
その日を境にエリスの病気は急激に悪化した。食欲がなくなり、顔に生気が見えなくなった。
それでも尚ジョセフと会うことを拒むエリスに、サムリが先に両手を挙げた。
「お前が死ぬくらいならば、人との恋を応援するよ」
サムリに案内されて寝室に入ってきたジョセフも泣いた。すぐにでも死神に連れ去られてしまいかねない恋人を見て泣いた。
「エリス、お願いだエリス。死ぬ程に私が嫌いなのか」
「違うジョセフ。駄目なの。あなたを好きになってはいけないの」
姉は決して許さない。人間を許さない。そしてあなたを許さない。エリスは細くなった手で顔を覆って泣いた。
「エリス。いいから……ソランジュは俺が説得する……」
そんな兄の嘘に、エリスは縋ってしまった。許されるはずなんてなかったのに。




