34 【ソランジュ】 曇ればいい
ソランジュが目を覚ましたときに、そこにエリスはいなかった。おそらくサムリ達が覚醒して、十年以上経っただろうか。
一度戻った兄に事情を説明され、時間がかかりそうだからと眠りを重ねがけされ、ソランジュは夢も見ないほどに深く眠っていた。その後何度か兄の声が聞こえた気がしたが眠りの底にいたソランジュは兄と話すことが出来る所までは浮上せずに、ゆったりと眠り続けていた。
やっと目を覚ましたソランジュは、近場のセリド国にあるという、魔力の安定した部屋に連れられて事情を聞かされた。
エリスがセリド国の王妃となった、と。
国と、彼を奪った人間達とは二度と接触すまいと思っていたソランジュは激怒した。
「どういうことですか、お兄様!」
「落ち着いて聞いてくれ、ソランジュ」
兄の労るような視線すらも今は忌々しい。睨み付けるソランジュに、サムリは訥々と説明した。
「エリスは、偶然人として出会ったセリドの王子と恋に落ちた。お前をずっと気にしていて、死ぬ程悩んでいたよ」
「ならば何故私を起こして、私に相談して下さらなかったのです!?」
叫ぶソランジュに、兄はゆっくりと首を振った。
「お前を起こすのが遅れたのもそれだ。セリド国とお前が眠っていた国との争いで血が流れた。王子は亡くなった王の代わりに王位を継ぐしかなく、エリスは彼を支えたがった。王は俺達の事情を全部知った上で受け入れて、それでエリスは王妃になった」
「……」
ぎり、と歯を食いしばってソランジュは話を聞いている。溢れんばかりの怒りをかろうじて抑えていた。
「お前が眠っていた国はセリドの支配下になったが、血が流れたばかりの国でお前を起こしたら、腹の子供に影響がある。だから時期を待った……遅くなってすまない」
「……エリスに、会わせて下さい」
燃えるような瞳がサムリを睨んだ。許さない、と。何よりもその目が言っていた。
再度サムリは首を横に振った。
「エリスは子供を生んでしばらくして病気が悪化した」
「――子供、まで?」
彼女が憎んだ人間と、子供まで作ったと。思わず笑い出しそうになったソランジュだったが、引きつったかのように声が出なかった。
可愛い妹、愛しい妹。彼女がそこまでソランジュを虚仮にしているとは思わなかった。
「エリスはそのまま生きても長くはない。が、息子の成長を見たいからと、死んだことにして眠りについている」
「……」
息子、と呟いたソランジュは腹を撫でた。ソランジュの子供。レオは子供を見ることが出来なかった。人間が彼を殺したからだ。
「お兄、様」
唇の端が勝手に上がった。許せない。許さない。絶対誰も許さない。
彼女の目を見た兄は、深いため息をついた。
「……なんだ、ソランジュ」
「私も、エリスの息子が見たいわ。いえ、エリスの息子なら私の息子も同然。私の子供のいい兄になるでしょう。そうは思わない?」
「何を言いたい」
「そこまでエリスが大事にしている息子と、夫に会いたいの。駄目?」
ソランジュのつり上がった唇は、まるで笑っているようだった。しかしその目は殺意にぎらぎらと輝いている。
「……カルミーナ。彼らを殺すことは許さない。それでも?」
「殺すつもりはないわ、ええ。多分。……でもね、お兄様はいつもそう。いつも私に我慢しろと、そうおっしゃるのよ。私ばかりに我慢をさせるの」
夫が殺されたときも、怒り狂う彼女を押さえ込んで兄は眠りにつかせた。復讐すると叫んだソランジュを。
「今回は我慢しないわ。絶対にしない。それが駄目なら私を殺すといいのよ、お兄様」
傲然と言い放ったソランジュをサムリはじっと見つめた。
末妹エリスはとても病弱で、短いながらも一生懸命国王を支え、息子のアベルを心から愛した。サムリにとって大切な妹。彼女はただアベルの未来がみたいと願った。眠らせてほしい、彼がしっかりとした王になるまで。そうして出来ることならば姉に、ソランジュに会って謝りたい。許してくれるまで何度でも。そう泣きながらサムリに懇願した。
「……エリスは、お前が夫や息子を殺しても、お前に復讐しようなんてしないぞ」
「本当かしら?」
首を傾げたソランジュを、哀れむような目でサムリは見た。彼女もまた愛しい妹。苛烈さ故に放ってはおけず、それでも彼女の性格は和らぐことはなかった。
「だけど俺は、お前が本当にジョセフやアベルを殺そうとするなら……お前を止めるよ」
どんな手を使っても、と呟く兄に、ソランジュは微笑んだ。アベルと言うのか、彼女の甥は。そんな感想だけが脳裏に浮かんだ。
* * * * * * * * * *
ソランジュはその後、兄サムリと妹の夫であるジョセフに強く求めた。ソランジュがセリドの王妃となること、子を第二王位継承者の地位につけること。そして兄サムリは表から姿を消すことを。
以上の条件を満たせばエリスを許すと。
ソランジュの要求を彼らは受け入れた。特にセリド国王ジョセフは妻が実は生きていること、そしてその命をソランジュも握っていることを知って顔色を変えた。当初は彼女の申し入れに難を示していたのだが、息子アベルの反対も押し切ってソランジュを受け入れた。
「私もエリスの真名を、そしてサムリお兄様の真名を知っていることをご存じ?」
彼女を眠らせて命を維持しているサムリが死ねば、エリスも死ぬ。二度と彼女に会えないと囁いた。
サムリもまた、遠く離れた小さな国の女王というソランジュの背景を作り上げ、姿を消した。元々王妃の兄としての立場はとっておらず、あくまでもジョセフの友としてアベルや魔法を使える者の指導をしていた彼だ。いなくなったとしても不審に思う者はいなかった。
兄が裏で暗躍している気配がしたが、好きにするといいとソランジュは微笑んで放っておいた。
一年もすれば息子を産んで激減したソランジュの魔力がじわじわと回復していく。アベルなど目ではない。兄の力を超えることは難しかったが、彼女にもまた手はあった。
目覚めてから二年ほどして、サムリがソランジュの元に現れた。
「エリスが起きる」と。
遠目からでいい、息子の姿を見たくて目を覚ますのだそうだ。愛した人間の子供を。アベルを。
「お前にも会いたいと言っていた」
「まあ、もちろん私も会いたいわ。久しぶりですもの、エリスと会うのは」
あの裏切り者の妹に。
一歳のキリクを抱きながら微笑んで言うソランジュに、サムリは言った。
「ソランジュ、分かってくれ。エリスも俺もお前を愛している」
首を傾げてソランジュは続きを促した。だから? 何が言いたい?
「人間を愛したことはお前を裏切ることじゃない。レオを愛して、キリクがいるお前にも分かるだろう? 憎しみは何も生みはしないんだ」
――その言葉、レオが死んだときにも聞いたわ。同じ言葉をエリスにも伝えてあげるといいのよ。
「分かっていますわ、お兄様」
ソランジュは優しく微笑んだ。サムリはもう一度深いため息をつくと「また」と姿を消した。
* * * * * * * * * *
夜半、王妃の私室でソランジュは待っていた。愛しい憎い妹を。
「お姉様!」
記憶よりもずっと年を取ったエリスは、病気におかされたせいか上手く歩けない様子で、サムリに支えられていた。それでもまだ瞳に親愛の情と苦しみを浮かべて、妹はソランジュに駆け寄った。
アベルを見るよりもまず先に、まずソランジュに会いたいというのでサムリが連れてきたのだ。
「エリス」
「お姉様、お姉様……ごめんなさい、私」
その目からは綺麗な涙がぽろぽろと流れ落ちていく。
「分かっているの。いいのよエリス」
「お姉様っ、私」
弱々しい力ですがりつきながら謝る妹の体に、ソランジュは笑みを浮かべて両腕を回す。
「いいのよ、エリス。あなたも私と同じ思いをすればいいの」
「お姉、様……?」
見上げたエリスの瞳は、ソランジュと同じ空のような深い色。とても綺麗だと思う。
「曇ればいい。全部、全部」
「ソランジュっ!」
叫ぶサムリを尻目に、ソランジュはエリスの背中に呪符を貼り付けた。回復した魔力を注ぎ込んで作った符。その裏にはエリスとサムリの真名が書かれていた。
「いなくなってしまえばいいの。この世から」
「っ!?」
悲鳴のような悲しげな声がエリスの喉から漏れた。そんな彼女をソランジュから引きはがすようにサムリが抱き寄せた瞬間に呪符が発動した。
激しい光のようなものが周囲の空間を歪ませる。
「消えてしまえばいいの。お兄様もあなたも」
呟いたソランジュの周りに、立っている者は誰もいなかった。
* * * * * * * * * *
死んでしまえばいいとも思ったが、兄が結界を張ったのかどこかで生きているようだ。だがこの世界のどこにもいないことは感じられた。
兄の真名を使って厳重に、兄に関連するものの進入を防いだ。エリスは空間術は使えないはずだが念のためこちらに来られないようにした。
「魔女と呼ぶのなら、それもいいわ」
ソランジュは笑う。
かつて人間に忌み嫌われた存在。だからこそ彼らは殺された。なのにあの娘は同族のことを忘れて、人間として生きたのだ。
「魔女ならば魔女らしくすればいいのよ」
義理の息子でもあり甥でもあるアベルも、自分が魔女だと知らされず生きてきた。
それもまたソランジュの怒りを買った。
今でもまだ魔女は差別の対象だ。恐怖の象徴だ。ならば嫌われ者らしく、この魔力を使って暗躍しようじゃないか。
この国を使い、ユアール国を滅ぼしてやろうではないか。それでセリド国まで滅びようが知ったことか。
「レオ……」
愛しい夫を奪ったこの世界など、愛すべき存在などいないのだと。
彼女は唇の端を上げて、笑った。




