26 【アベル】 魔女の里
暗い森の中を二人の男が歩いている。
アベルは少し青ざめた顔で、それでもしっかりと歩みを進めている。隣を歩くトビアスは、歩くと言うよりは飛んでいるように軽い足取りでアベルに何か話しかけている。
「もう大丈夫? アベル」
眉間に皺をよせて、アベルは言い返した。
「……大丈夫だ。途中でお前が空中二回転ひねりとかを加えなければ、もっと大丈夫だったんだがな、トビアス」
「だって普通に飛んだらつまらないでしょ?」
なのにアベルったら殴るんだもん、酷いよねーと頬を膨らませるトビアスは、もう一度鉄拳が飛んできたのを慌てて避けた。
アベルとトビアスはあの後すぐにここ、深い森の奥まで飛んで来た。その言葉の通り、空を飛んできたのだ。トビアスは風の魔法を使って加速に次ぐ加速をし、さらに空中で遊ぶようにくるくる回った。渦巻く海に揺れる木の葉のようであった。殴っていいレベルだとアベルは思う。
「ほら、ここが千年樹」
前に一度来たせいか、さくさくと草を踏み迷わず千年樹まで案内するトビアス。アベルはその大きな木を見上げてみた。
太くがっしりとした木が空を覆うように広がっている。幹一つとっても通常の丸太よりも太く、日陰の部分は苔むしている。見上げても花が咲いている様子はない。
「花はもう散っているのか?」
「ううん、もっと上のほうに咲いてるよ。さっきちらっと見えたけど、やっぱり三つの花が咲いてた」
トビアスも上を見上げて軽く言うが、その花こそ魔女の存在の証明であるはずだ。魔女。トビアスにとっての魔女はどんな存在なのだろうか。
尋ねるには少々ためらいがあった。きっとこいつは本心を話さない、そんな気もする。
「じゃ、僕ここで待ってるから、行ってらっしゃい」
「ああ、ありがとう。トビアス」
アベルが素直に礼を言うと、トビアスは目を丸くしたあとに、くしゃりと顔を崩して笑った。
「……気をつけてね、アベル」
* * * * * * * * * *
森は深く、暗い。大体の行く道を記憶して奥へと進む。見知らぬ森にも関わらず、どんどんと中心の方へ引き寄せられるかのようにアベルは歩いて行った。
三十分ほど歩いただろうか。急に視界が開けた。
「――っ!?」
そこには、古ぼけて朽ちた家がいくつか建ち並ぶ集落が残っていた。
「魔女の、里」
思わずアベルはその場に立ち尽くした。
ある家はボロボロの屋根に穴があいている。他の家は入り口の扉がなく、開きっぱなしである。そこからちらりと見えた食器の上には黒ずんだ何かが乗っている。風化しているそれは何だか分からないが、食事時にこの家の住人がいなくなってしまったのだと分かる。
いくつかの家は火事の後のように壁も屋根も焼け焦げていた。木で出来ている家のせいか、骨組みだけが多少残っているところもある。
全部で二十から三十戸程度だろうか。とても小さな集落であったことが分かる。
今は誰もいないことは明らかなようだ。その空間には静寂が広がっている。
「……形が残っている、とはな」
大分昔の集落であり、また魔女が住んでいたと言われるような場所ならばきっと弾圧の際に全て消え去ってしまったのかと思っていた。
アベルがゆっくりと踏み出すと、ふっと生ぬるい結界のようなものを通過したことが感じられた。悪意も探知もない、ただ純粋に認められた者以外入れないような、アベルの小屋と同じような結界だった。
「……!」
その結界はアベルを拒まなかった。思わず左腕の痣を握りしめると、アベルは唇を噛んで歩いて行った。
そこにあったものは、かつて人がそこにいたという痕跡のみである。家の中を探しても、食器、玩具などの生活雑貨がいくつか残っているくらいであった。
たまに絵本のように薄い書があったが、手に取ったとたんに朽ちた枯れ葉のように小さく割れて零れていった。
「魔女、か」
彼らにも伴侶はいただろう。愛する者も大切な暮らしもあったことだろう。けれど彼らは森から出て、そして死んでしまった。おとぎ話だ。しかし、きっと本当にあった出来事なのだということが、この寂しい集落を見て納得できた。
アベルはある一軒家……他と比べて心もち小さな木製の家に入った。そこにもやはり何も無いと思われたが、ふと朽ちたベッドの脇に置いてある小さな一枚の絵が見えた。
そこには二人の若い夫婦が描かれていた。男は優しそうな顔立ちの背の高い青年。そして隣ではにかむように微笑んでいる女の方は――年若きソランジュであった。
「!?」
思わず手を伸ばしてその紙を取り上げようとした瞬間、それは当然のようにぼろりと崩れ落ちた。慌てて手を引っ込めたが遅かった。ボロボロに崩れたそれは、ベッド脇に小さな山を作った。
呻くような声が喉から出た。なんてことだ。その崩れた紙をそっと引き寄せるように手に取ったが、絵はかろうじて何か描かれていると分かる程度の大きさになってしまい、かすかに見える裏面には何かの文字が書かれていたかのごとく黒いものがちらりと見える。
なんてことだ。もう一度アベルは自分を呪った。
朽ちた紙だ。どれだけ丁重にめくったところで、割れた枯れ葉のように壊れてしまっただろう。だが考えれば何か上手く原型を留めたままひっくり返す手段もあったに違いないのに。
悔恨の思いで崩れた絵を全て近くの引き出しに入れて、上に手持ちの布をかけて結んだ。一欠片たりとも無くしてはいけない。他に完全に何も残っていないのを確認して、アベルはその家を出た。その他の家で分かることは何もなかった。読むことの出来る書物はもちろん、ソランジュの情報も、もちろんアベル自身のことも。
* * * * * * * * * *
「おかえりぃ」
軽くまどろむように千年樹に体を預けて座っているトビアスがひらひらと手を振った。アベルは眉根を寄せたまま「ただいま」と浮かない声音で返事をした。
「どうだった? 魔女の集落」
「……」
アベルは黙って布でくるんだ四角い箱を見せた。おお、とトビアスが目を輝かす。
「何か収穫があったの?」
「あったはあったんだが……ここで開くと風で飛ぶかも知れないから、一度戻ろう。中身を絶対落とすわけにはいかないから、今度は二回転宙返りも一切するなよ?」
念のため低い声で注意をするアベルに、トビアスは不満そうながらも頷いた。
「ちぇー。分かった。僕も待ってる間にさ、思い出したんだよ」
「何を?」
アベルが眉を上げて聞き返すと、彼はへらりと笑って言う。
「あの書物さ、そういえば師匠に書かされたんだった」
「師匠って、俺の?」
アベルにとってもトビアスにとっても、魔力はあっても魔法を使うことに対する導きは必要だった。魔法を使える者は数少なく、人を指導出来るほどの人とあっては更に少ない。
アベルは内なる魔力を暴走せずに使いこなせるように師に教わった。彼は王の友人であり、主にアベルの魔法の師匠ではあったのだが、隣国からよく遊びに来るトビアスの疑問質問にも応じ、時には指導していたせいか彼にも懐かれていたのだ。あの隠し小屋の結界も師匠がはってくれていた。
頼りになる優しい人であったのだが、彼が仕事を引退してからはしばらく姿を見ていない。
「そそ。うろ覚えだけど多分、夜会の貴族達のスカートめくりに熱中していた小さい頃、師匠にガツンと怒られたんだよね」
「……」
トビアスの愚行は枚挙に暇がないレベルなので、もはやアベルもそれくらいのことは忘れていた。
「力に溺れて本質を見られないと、ろくなことにならないぞって。そんでそのまま小屋で説教と正座で書写を一日させられたんだよね。だからさ」
彼は明るい笑い声をあげる。
「あの古書の元、あの小屋のどっかにあると思う」
「……」
時々こいつは絞めていい気がする。首とか。
「……戻るぞ」
大きなため息を吐くと、アベルは気分を切り替えた。戻ってあの小屋の隅々まで探そう。トビアスは「はーい」と軽く言って、アベルと共に浮かび上がった。
魔女の森はみるみるうちに、遠く小さくなっていった。
* * * * * * * * * *
小屋に戻ったときには完全に夜も更けていた。
トビアスは台所方面から、アベルは寝室にしていた部屋を探し出した。ソランジュの似顔絵が描かれた破片の包みを机の上に大事に置く。机の引き出しを探したが手鏡くらいで他には何もなかった。
「あった? アベルー」
遠くからトビアスが尋ねてくる。台所にも無かったのだろう。アベルは台所の方に向かって「まだだ」と叫びながらクローゼットを勢いよくあけた。
「……」
中には、何も無かった。服も、もちろんそれ以外のものも。
「アベルー、時間かかりそうだし一回寝てから続きやろうよー」
早くも忍耐に限界がきたらしきトビアスが叫ぶので、アベルは仕方がないかと頷いた。
「……まあ、逃げるものでもないだろうしな。また明日にするか」




