25 【和葉】 雨が降った
午前授業が終わった後、和葉はちらりと社会準備室を覗いてみたが、そこに西園はいなかった。どうやら職員室らしい。
家から荷物を取ってこようと校庭から出る前に、ふと振り返った職員室に西園がいた。一瞬目が合ったような気がして手を振ると、となりの野田先生が手を振りかえしてきた。いや違う、お前じゃない。
何かに負けた気分で和葉は踵を返すと、家へ向かうのだった。
空を見上げると、抜けるような青空だ。
そんな雨の降りそうにない青空の下を、和葉は駆けていった。その後ろ姿に気付いた西園が、何とはなしに胸騒ぎを感じたのは、単に彼女の普段の行いのせいだろうと思った。
「西園先生?」
「……あ、いえ。何でもないです」
どうかしました? と野田に問いかけられて首を振ると、西園はミニテストの準備に戻った。
* * * * * * * * * *
家にまだ母はいなかった。和葉はバッグの中から現れた物を手早くまとめると左手で抱えた。
といっても、短剣は既に西園が持っているので、和葉が持って行くのは体操着と金貨くらいである。
「すぐに行ってもまだ仕事中っぽいし……私も図書館にでも行ってくるか」
まだ暖かくなり始めたばかりなので、日の光も柔らかである。散歩がてら近くの市立図書館に寄ってみよう。
和葉は時間潰しと調べ物を兼ねて、図書館に行くことにした。
左手には不思議なバッグと体操服と金貨をひとまとめにして持つ。図書館は十分程度で着くだろう。その道中ですれ違う人達は、仕事中のサラリーマンであったり、急いで歩く若者であったり。
ふと和葉はこの袋の元の持ち主を思い出した。かつての隣人であるサムリさん。彼とは色々な話をしたが、何故和葉にこれをくれたのかはよく分からなかった。彼は知っているのだろうか、この袋の不思議を。
サムリさんに聞ければ手っ取り早いのになぁ、と唇を尖らせる和葉だったが大通りの青信号を、図書館に向かう道へと進もうとしたちょうどその時。
視界の端に、金色の髪と青い眼が映った気がした。
「!?」
思わず慌てて振り返ると、すでにその人は後ろ姿だ。しかしその白髪交じりの金髪と、背筋のピンと伸びた歩き方に見覚えがある気がして、和葉は叫んだ。
「サムリさん!?」
しかしその人は振り返らなかった。
穏やかな隣人。でも不思議な隣人。
その後を追いかけるように、反転して和葉は走り出した。
「サムリさん!」
スウェーデンに帰ったと聞いたし、こんな場所を歩いているはずがないのだとは思ったが、人違いにしても気になった。
聞きたいことは沢山あるし、さようならも言っていない。
走って追いかける和葉だったが、意外と足早なその人は既に大通りの向こう側だ。信号は赤である。
じりじり待って、青になったばかりの信号を見て、飛び出すように走ったその瞬間。
――キキィ!
耳元で、車のブレーキ音を聞いた気がした。
それと同時に、目の前の視界が急に反転して空が見えた。見えたかと思ったら次の瞬間には地面が目の前だった。
遠くで悲鳴が聞こえる。
何を言っているのかよく分からないが、焦ったような声と雑音が混ざった声が遠い。頬に触れた地面が焼け付くように熱かった。
――聞かないと。サムリさんが行っちゃう。
起き上がろうとした和葉だったが、身体に力が入らない。急激に落ちていく意識に抗う術はなく、そのままゆるりと目を閉じた。
――まさか血の雨が降るとは思わなかった。
これが辞世の句になるのは嫌だなぁと思いながら、和葉は意識を失った。




