24 【アベル】 もしも魔女が
何度見てもその古書の写しは、『魔女は身体のどこかに天秤形の痣がある』と書いてある。アベルは他の古書も合わせてほぼ全部読み切ったが、他の本は魔女は悪でユアール国が正義だという当たり障りのない昔話をなぞっているばかりだった。
読み終えて、唇を噛みしめるとアベルは、隣のベッドで寝息をたてているトビアスをたたき起こした。恐らくまだ夜明け前であるが、申し訳なさを感じないのはトビアスだからだろうか。
「うう……もう朝?」
目を擦りながらベッドから頭だけ上げたトビアスは、窓の外が暗いのを見て眉根を寄せると、何も言わずに上掛けを頭まで引き上げた。無言の抗議である。
「朝じゃないが、起きろトビアス。聞きたいことがある」
上掛けの膨らみから寝ぼけたような声が聞こえた。
「うん、起きてる起きてる……。何……?」
「声は完全に寝てるな。この写し元はどこにある? ユアール国か?」
上掛けから顔を出し、アベルの差し出した古書を渋々見たトビアスだが、首を傾げた。
「……覚えてない」
むしろこんな本あったっけ? と首を傾げるトビアスだった。トビアスの字の幼さからいっても覚えているかどうかは怪しいところであったが、予想通りの返事にアベルは考え込んだ。
ユアールは古い国であり、古代の伝承が残っていても不思議ではない。魔女の伝承だけでなく、他の書物に関してもそうだ。だがもしこれをトビアスが国立図書館から写したのかというと、違う気がする。
少なくとも魔女寄りの人間――本の記述を信じるのならば魔女本人――が記したともいえる書がユアール国に残るのだろうか。他の古書との差違からいっても情報統制として消し去られてもおかしくはない。
だからこそ「どこに」あるのか尋ねたのであったが、肝心の本人が寝ぼけ眼だ。今の時点で聞いても有効な答えは返って来ないことを悟り、アベルは黙って燭台の明かりを消すと、椅子に深く腰掛けた。
「やっぱりいい、後で聞く。寝てくれ、トビアス」
「……自分でたたき起こしたくせに」
ぶつぶつと不満そうな声が漏れたが、すぐにトビアスが横になったベッドからは寝息が聞こえてきた。
左腕をぎゅっと掴むと、アベルは小さくため息をついた。
この痣が魔女の証だとしたら、母はなぜそれを女神の祝福と言ったのだろうか。
これまでの不思議な出来事を思い返しても、普通の人間の仕業ではないはずだ。
奇妙な服、見たことのない果物、タイミング良く現れる品々。
――俺に味方をしているのは女神なのか、魔女なのか……あるいはまた別の存在なのか?
声に出すことなく尋ねられたその言葉には、勿論返事はなかった。
* * * * * * * * * *
「おはよー……何アベル、椅子で寝たの?」
「……仮眠はとった」
気分すっきり爽やかに起きてきたトビアスに対して、アベルは眉間に皺を寄せて、椅子に腰掛けたまま両腕を組んでいる。爽快とは正反対の様子であった。
首を傾げるトビアスに、詳しく説明するつもりは勿論無かった。自分が「魔女」であるかもしれないなんて、そんな戯言を。
「で、何だったっけ。夜中起こされたやつ」
「これだ」
アベルが差し出した古書の写しをぱらぱらと見直すと、トビアスはもう一度首を振った。
「……やっぱ覚えてないや。多分これ大分小さい頃に書き写したような気がするけど」
「どこにあったかとか、どこで写したとかも覚えてないか?」
「ううーん……」
両腕を組んで唸るトビアスは、記憶をしばらく探っていたようだがやがて諦めたように首を振った。
「駄目、正座で転写はしょっちゅうだったからいつのことだかも覚えてない」
どれだけ叱られているのかという突っ込みは野暮である。いつもだからだ。
「まー確かに、うちにはないと思うけど……思うけど僕、父上や家庭教師以外に正座で書き写しさせられるような真似してたっけなぁ……」
内容を読んでトビアスもアベルの意見に同意した。少なくともこのような内容を堂々と国立図書館に置くとは思えない。忘れているものを思い出そうと、トビアスは空を見上げながら言った。
「あとうちの領地で古書がありそうな場所っていったら、うーん。北東の深森とかじゃないの? 千年樹のもっと奥のほら、魔女が住んでたって言う」
かつて魔女が住んでたという森の奥に踏み入る者はいない。樹海とも言える広い森なことと、以前ユアール国が調査隊を出した時にも全く何も見つからなかったという結果のせいと言える。全く何も、つまり「村があった痕跡すら」なかったという。
「深森か……魔女の存在すら隠しきる集落がもし見つかったとしても、既に書物も朽ちてそうだな」
「そーだねー」
考え込むアベルとは対照的に軽い口調のトビアスである。その適当な相づちは、いつもながらの他人事の様子だ。アベルはついつい笑みを漏らす。
これで「アベルのためなら何でもするよ!」というような幼なじみであったとするならば、多分誘いもしないだろう。
「行ってみるか? トビアス」
「うぇええ!」
魔女の住み処に!? と嫌そうな顔をするトビアスに、アベルは首を振る。
「いや、その手前の千年樹の所まででいい。奥へは一人で行く」
「えー!? 魔女が出たらどうするの! 危ないじゃん!」
「魔女がでたらお前は逃げるだろ、トビアス」
「そりゃ逃げるけど!」
否定せずに頷くトビアスだった。
結局の所、彼がアベルを手伝うのは幼なじみで友達だからという理由はあれど、命をかけて彼を守るという意識はない。
トビアスの保身が成り立たない状況――例えばユアール国国立図書館にアベルを連れて忍び込む、などに関してはあっさり断る。
だからこそアベルも安心してトビアスに頼めるのだ。
「僕は逃げるけど、アベルはどうするのさ」
一応は心配して言ってくれているらしきトビアスの言葉に、アベルは不敵に笑う。
彼の脳裏に浮かんだのは、金髪で空色の目を持った彼と同じ外見の、魔女。
「……大丈夫だ、魔女が出たら俺も逃げるから」
トビアスが呆れた顔で「やだなぁ、そんな目して心にもないことを」と言いながらも古書をテーブルに戻すと、さっさと部屋を出て食事に行った。
トビアスから承諾の返事はないが、承諾済であることは聞かなくても分かる。
それだけの長い付き合いであった。しかし、それでも。
「……」
アベルは聞けなかった。もしも。
――もしも俺が「魔女」だったら、どうする? とは。




