18 【アベル】 千年樹の花
「そもそも、僕がここにいるのはさ」
頬に青痣をつけ、ちょっと涙目のトビアスはベッド脇に正座している。アベルは椅子に座ってトビアスが用意していた食事を黙々と口に運んだ。パンと干し肉、果物だけであったが、ゆっくり座って食べられるだけでありがたい。
「アベルもちょっとは関係あるんだよ?」
「俺が?」
うん、と頷いてトビアスが言う。
「父上に前、手紙出したでしょ? ユアール国立図書館の魔女文献を貸して欲しいって」
ああ、とため息をつくように声が漏れた。
以前、義母ソランジュの魔女の疑いが強まっていく中、対抗する手段があるのならば全て取りたいとユアール国王に親書を出したのだ。国王からは、秘蔵図書なので難しいという返事が返ってきたため、何か見る手段はないかと考えていた。
セリド国から逃げ出したときに、とっさにユアール国に向かったのは、まずこの小屋に逃げ込もうという考えの他に、魔女を抑える手段を探すためでもあった。
「それもあってアベルがセリドで魔女として指名手配されたときにね、もしかして魔女だからこそ秘蔵文献を手に入れて破壊しようとしたんじゃないかって言う臣下もいてさ」
食べる手を休めずに、眉根を寄せてアベルは言った。
「そいつは真面目に考えてそれを言っているのか?」
アベルは魔女なので隣国の秘蔵図書を手に入れました。そして燃やしました。
後先を考えないにも程がある。第一そんな秘蔵図書をそのまま貸す訳がなく、写しが来るのがせいぜいだろうに。
「まあ多分馬鹿なんだろうねぇ。うちの臣下ったらさ、融通がきかないというか杓子定規というか。僕が暑い時期に肌着で朝議を提案したら全員一致で却下だよ?」
「……」
それはむしろ臣下に同意する。
「そんなお馬鹿さん達がさ、僕に言うわけよ。本当に魔女という存在が現れたなら、王子ならすぐでしょうから北東の深森まで行ってらっしゃいと」
王子に使いっ走りさせる臣下ってどうなってんの、と肩をすくめるトビアスであったが、なるほどとアベルは頷いた。
トビアスが使える魔法のうち一つは風に関するもの。攻撃魔法はろくになく、補助魔法として主に空を飛ぶくらいだが相当早い。恐らくユアール城から空を飛んで来たのだろう。徒歩のアベルと違い一日も経たぬうちに北東の深森へも、この小屋にも辿り着くことができるだろう。
北東の森林に向かったトビアスの目的は、恐らく樹齢千年は超えているだろう大木だ。
「深森の千年樹を見に行ったのか?」
「うん。魔女が消え去ってから花が咲かなくなったはずの千年樹に、三つも大きな花が咲いてたよ」
まるで人ごとのように言ってから、「びっくりだよねぇ」と唇の端を上げるトビアスをアベルは半眼で睨んだ。
面白い出来事でも起こったかのような口調である。
「戻って報告しなくていいのか?」
「いやぁ、ちょっと僕やらかしてさ。父上の機嫌が直るまで戻りづらいんだよね」
「やらかした?」
アベルがいつものことだろうがと言いたげに眉根を寄せると、隣国の王子はさすがに困った顔をして首をすくめた。
「どうせ遊び歩いているんだから使いっぱしりに行ってこいって父上が言うからさ、笑顔で分かりましたって返事したんだけど強風が吹いてね。すごく偶然なんだけど父上の髪の毛が吹っ飛んだんだよね。すごく偶然なんだけどね?」
「……」
それは恐らく密室の出来事に違いない。風など吹くはずのない場所ならば、犯人は一人しかいない。
アベルの冷たい視線を感じつつもトビアスは言い訳を重ねた。
「ほら、もうちょっと父上に僕は頑張りましたと言えるような手柄が無いと帰りづらくってさ。反省文百枚とかも考えたけどめんどくさいし。アベルが悪魔の集会をするような魔女になったんだったら縛って連れて帰ろうかと思ったんだけどそうでもな」
「トビアス」
アベルの静かな声にぴたりとトビアスは口をつぐんだ。拳の話し合いはもう充分だからだ。
「まあ、そっちの理由は分かった」
ふう、と一息つくと果物の皮を置いてアベルは大きく伸びをした。食事を終え、やっと人心地ついた。とりあえずの身の安全は確保したが、このままこの小屋に閉じこもる訳にもいかない。より魔力の強いものなら、認められた者以外入れない魔法ですら力業でこじ開けられる可能性がある。
しかし、かつてのユアール国は、どのように力ある魔女を滅ぼしたのだろう。
「トビアス、どうにかユアール国の国立図書館に入りたいんだが、無理か?」
尋ねるアベルにぱたぱたと手を振るトビアス。
「無理むり。ちょっと警戒態勢入ってるから。例え僕がアベルを連れてっても、僕全然発言力ないし、良くてアベルが叩き出されるか、悪くてセリドに強制送還だよ?」
むしろ僕ごと叩き出されるかもしれないねと笑顔のトビアスだった。それでいいのか第一王子。まあいいかとアベルは首を振った。
「……そうか、分かった、すまない。無理を言ったな」
力ある者をどのように倒したらいいのかと悩むアベルを尻目に、やれやれと足を伸ばすトビアスだった。
「とりあえずほとぼりさめるまで隠れてよっと。父上に千年樹咲いてたよっていうのと、髪の毛飛ばしてごめんなさいって反省文書いておかないと。アベル、ペンか何かあるっけ、ここ?」
「お前は逆鱗を殴る方法しか知らないのか。ペンはどうだったか、ここで書き物などしないしな……」
小さい頃はアベルもトビアスも字の練習や勉強などもここでしたが、まだその道具が残っているだろうか。
周囲を見回しながら、ふとアベルは言葉を止めた。懐に手を入れてみる。
手に硬質な物が触れた。そういえばロープを手に入れた時に二つほど拾った物があった。四角い小さな箱のようなものと、丸く細長い棒のような物だった。
「何それ?」
アベルが取り出した丸く細長い棒のような物を見て、見慣れぬものにトビアスは興味津々の顔だ。
勝手に手に取って「何この素材」とか「何かこれ回るんだけど」と言いながらくるくると回している。するとぽろりと一部が外れ、中から金属光沢のある逆三角形の先端が出てきた。
「あれ、ペン? 羽ペンじゃないタイプってめずらしいね。インクは?」
「それは拾い物だ。お前もペンとインクくらい持ってくれば良かっただろう」
「いやぁ、雷が落ちる前に逃げなきゃってさ……あれ」
そう言いながらペン先で手をなぞっていたトビアスは、段々と目をぱちくりとさせた。
「ねえこれ、インクにつけてないのに書けるんだけど」
「え?」
「ほら」と見せて来たトビアスの左手には空飛ぶ髪の毛が描いてあった。内容には突っ込まなかった。
「俺もよく分からんが――そもそも、セリドの牢から逃げられたのも、ここまで逃げて来られたのも、女神の祝福としか言いようのない出来事が起こったんだ。そのうちの一つだな、それは」
鋸壁を越える際に、ロープを恵んでくれた女神。もしあそこで魔法を使って壁を破壊していたらどんな未来が待っていたのだろうか。
女神も全知万能ではないようだが、少なくともアベルに敵意は感じない。祝福、という言葉の通りアベルの未来への導きなのかも知れない。
トビアスは黒いペンに蓋をすると、アベルの方を向いた。
「へぇ。すごいね、これ。こんなの見たことないし、書き物が多い父上も欲しがりそう。ご機嫌取りに丁度いいかも。アベルちょっとこれ貰ってもいい?」
「ああ、構わない」
少なくとも壁超えの時に使わなかった物であるし、彼に必要なものではないと思う。
頷くアベルに嬉しそうなトビアスは立ち上がって言う。
「一回僕出かけてくるから、アベルはしばらく休んでたら? ちゃんと僕は戻ってくるから」
寂しいでしょ? と言いたげな表情のトビアスにイラっとしながらアベルは首を振った。
「少し休んだらまた移動する。そのペンでユアール国王の機嫌が直りそうなら、お前はさっさと城に戻れ」
アベルに忠実な部下や友は、アベルに味方したばかりに命も知れないものも多い。悪友ではあるがトビアスまで巻き込みたくないと思っているアベルの言葉を、にこりと笑ってトビアスは言う。
「大丈夫、捕まったら魔女のアベルに脅されましたって言うし!」
本当にこいつは懲りないなぁと思いながら、拳を固めるアベルを見た瞬間に、風の早さで逃げ出したトビアスだった。




