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テオと庭へ出た数日後、社交シーズンが終わりアロイスが領地へ戻ってくる旨の連絡が届いた。
カントリーハウスを預かる使用人達は、コーデリアの指示を受けて邸の手入れや準備に力を入れていた。
そして今日、予定通りであればアロイスが帰省する。昨日まで出迎える準備に忙しかった邸内は、朝日が昇る前ともなるとさすがに静寂に包まれていた。
ユイは私室のバルコニーに出て、涼やかな風に身を任せていた。
(お父様が帰って来る)
今回はユーリ経由でお土産をねだるよう言われていたこともあり、前回の見舞い品以上に沢山の荷物を持参することを考えると、帰って来てからも暫くは慌ただしくなるだろう。
(落ち着いたら、二人に時間を取ってもらおう)
フィアナの状態のことを伝えなくてはいけない。相変わらず不安定な状態は変わらず、不安は日毎に膨らんでいた。
テオに秘密を打ち明けた日、彼からコーデリアが心配している旨を聞かされていた。
「ちゃんと、言った方がいい」
そう言いながら濡らしたハンカチを手渡され、コーデリアが部屋を訪れた時のことを言われたのだと気付いた。
心配されている自覚はあったが、フィアナの話となるとどうしても身構えてしまい、未だにコーデリアに悩みを打ち明けることは出来ていない。
木の葉が風に揺れる音を聞きながら、少しずつ朝焼けに染まり始める景色に目を向ける。
日が昇る様子を眺めながら、不意に思い出した曲を口ずさむ。
テレビで何度か聞いたことのある、昔流行ったらしい歌。誰が歌っていたかも覚えていないし、当時はそれなりに人気だったのだろうと言う程度の認識しかない。
単純に曲調が気に入って、歌詞の内容も録に理解出来ない時に覚えた歌。改めて歌詞を調べて、これが失恋の歌だと気付いたのはいつの頃だっただろうか。愛してくれた人を想う歌詞に共感はできないながらも、不思議と好んで聞いていた。
誰も知る者のいない、この世界に存在しない歌。
会えなくなった恋人だった人へ、確かな愛を与えてくれたと綴られた歌。
口ずさみながら、今更歌詞に込められた言葉に共感してしまって、思わず刺激された涙腺から涙が零れる。
(愛されたかったんだ……私)
悲し気で、どこか温かみのある旋律で綴られる曲を気に入ったのは。歌詞の意味も分からずに、口ずさめるくらいに覚えていたのは。
「ごめん……っ」
愛してくれる誰かを、求めていたからだろうかと。
「ごめん、フィアナ……!」
いつからか、自分から愛したいと思うようになっていた。
受け取った愛情を、ユイの感じた心のままに伝え返したいと。テオに抱き返すことを教えて貰ったことで、その方法を知ってしまったから。
出来るならこれから先もずっと、愛したいと願った人達と共に在りたい。
「……っ」
その場に蹲り、声を殺しながら泣き続ける。
「生き……たい……っ」
願ったところで、どうにかなる訳もないのに。
この世界の、この場所で、ユイとして生きていきたい。愛してくれる両親二人と、テオと共に暮らして行けるなら、それはなんて幸福な事なんだろう。
そんな愚かな事を願ったからだろうか。
『ユイ姉さま』
微かな声が魂を震わせたと同時に、ユイの意識は唐突に闇に沈んだ。
* * * *
深く、深く、沈んでいく。
真っ暗な世界には地面がないのか、海の底に沈んでいくように意識が遠ざかっていく。
そんな中で、何かが背後から体を支える感覚がした。
振り返れば、そこにはユイの姿があった。
正しくは、ユイが憑依しているフィアナの姿をした少女がいた。ユイが初めて鏡で見た時と同じ、この世界で目を覚ました六歳の時のままの姿で。
そして、そんなフィアナへ視線を向けた時に気付いた違和感が、自分の視界に映り込む。
視界の端に映る黒い髪は、そしてその視界の広さは、自分の手の大きさは。
フィアナの体で目覚める前の、神代結だった時の自分の姿そのものだった。
『ここは……』
動揺する結の手を、幼い手が包み込む。
『初めまして、ユイ姉さま』
『……フィアナ』
涙で潤んだ銀灰色の瞳で結を見上げるフィアナは、同じ姿をしていてもはやり雰囲気が違っていた。大人しそうだが、子供らしい感情を宿した可愛らしい少女だった。
『フィアナ!』
やっと本当のフィアナに会えた結は、衝動的にその幼い少女を搔き抱く。
『フィアナ……お願い、消えないで!』
胸に抱いた少女の肩がビクッと震える。そんな彼女に、結は思うままに懇願する。
『アロイスやコーデリアはあなたを愛してる。あんなに……あんなにたくさん、私なんかにも優しくしてくれるぐらい、愛情深い人達なの』
そんな二人に望まれて生まれたフィアナが、ここで消えていいわけがない。
『光を失った絶望に吞まれないで。テオだって、あなたに寄り添ってくれるから……っ』
一度諦めた人間にもう一度希望を持てと願うなど、残酷なことだと分かっている。他ならぬ結自身だって、最初に生きて欲しいと言われた時は諦めの感情でしか受け入れられなかった。どれだけ無謀なことを言っているかは自覚している。
それでもフォルジュ家の人達には、幸せであってほしいのだ。
『お願い、生きて……っ』
『姉さま……』
涙を拭うこともせず泣き続ける結の体に、幼い手がギュッと抱き締め返してくる。
その感触を体験して初めて、抱き返されることの嬉しさを知る。自分には出来なかったそれを、フィアナは当たり前のように出来るのだ。それだけ愛されてきた証でもあるのに。
『ごめんなさい……姉さまっ』
震えた声で、フィアナは答える。
『私は……もう、死んじゃったからっ』
『フィアナはここにいるじゃない!』
嗚咽しながら震える体に、せめて少しでも温もりが伝わるように強く抱く。確かにここに存在するのだと自分に言い聞かせるように。
『意識が……なくなっちゃう時、姉さまが自分の中に、入れてくれたの』
無意識下での救済だった。
フィアナが絶望に沈み消えゆく中で、結はその儚い魂を掬い上げて自分の心に匿った。
死んだはずのフィアナは、そうして結の心の中に辛うじて存在し続けることになったのだ。
『でも……もう、消えちゃう』
いくら匿われても、死した魂が生きた者の中で共存することは不可能だと、フィアナ自身がそう感じたから。
『そんな……っフィアナ』
『大好きだったの』
受け入れられないと拒絶しようとする結に被せるように、フィアナは言葉を紡ぐ。
『お父さまも、お母さまも、アリアも……っみんな、大好きだったの。でも、だから……もう、迷惑かけたくなかった……っ!』
視覚に異常を持って生まれたことで、両親が自責の念を抱いていることを知っていた。コーデリアが周りの大人に酷い言葉を投げかけられていることを知っていた。アロイスが仕事の合間にあらゆる治療法を探していることを知っていた。アリアや他の使用人達も、フィアナのために知らない所で助力してくれていることを知っていた。
それなのに、突然失われた光と同時に、張っていた気力がブツンと千切れてしまった。
日に日に狭まっていく右目の視界にも、じわじわと恐怖が膨れ上がっていた。
そんな時に足を踏み外して階段から転がり落ちた。それは確かに事故だった。しかし落ちた衝撃で折れた心は、全てを手放すことを選んだ。
頑張ることを、諦めてしまったのだ。
『……っと』
けれど、結に匿われながら垣間見た世界は。
『もっと……頑張れば、良かった』
結の心を通して見た世界は、自分の目で見たそれより、ずっと輝いていて。
『もっと、生きたかった……っ』
少しずつ結を信頼して、穏やかな表情になっていく両親の姿が嬉しくて。結を慕うテオの姿が羨ましくて。テオを見守るウィスの姿が、可愛らしくて。
もっと頑張っていれば、同じじゃなくても違う形で希望を見出せたかもしれないのに。
『生きたかったよ……っ姉さまぁ!!』
結の胸に顔を押し付けて泣きじゃくる幼い少女の慟哭は、結の心にも浸透する。
『フィアナっ』
生きて欲しかった。できることなら、生きて幸せそうに笑うフィアナを見たかった。アロイス達やテオと仲睦まじい未来を願っていた。
『あなたのお陰で、私は……本当の家族を持てた』
お互いの存在を煩わしいと振り払うような、冷めた家庭で育った。だからこそフォルジュ家の人達は、結にとって理想の家族そのものだった。
『フィアナ……あなたは、私のたった一人の妹よ』
『姉さま……っ』
どんなに願っても、どれだけ愛しても、フィアナの命は戻らない。本来なら、結が憑依した時点で既に決まっていたことでもあった。
それならせめて、その存在を忘れぬように。
『愛してる、フィアナ』
直接会うことは出来なくとも、この幼い少女は確かに唯にとっての妹であり、大切な家族だから。
『大好きだよ。私だけの、姉さま。だから……っ』
妹として愛してくれるのであればと、フィアナもまたそんな姉に強く願う。
『お願い、私の体で生きて』
銀灰色の瞳を涙で潤ませながら、妹の魂を失いたくないと葛藤してくれた姉に、願いを託す。
『私の代わりに、たくさん幸せになって。お父さまと、お母さまをお願い……っ』
泣きながらも結の頬に口付けを贈る。どうか姉に祝福がありますようにと祈りながら。
『ありがとう……フィアナっ』
どんなに謝っても足りないぐらい、罪悪感は溢れてくる。それでも、それを口にするべきは今ではない。柔らかい頬に同じように口付けを返しながら、心からの願いを言葉に込める。
『フィアナの来世が、希望に満ち溢れていますように』
闇の中に溶け込んでいくように、腕の中で姿が朧げになっていく。
最後に見たフィアナは、涙で頬を濡らしながらも愛らしく、幸せそうに微笑んでいた。
そんなフィアナを見守りながら、結の意識は眠るように途絶えた。
* * * *
波に揺蕩うように、意識が揺らいでいく。
悲しくて、哀しくて、そんな心が作り出したみたいに、暗闇の世界に身を委ねている。
『――――』
その時、何かの音が届いたような気がした。
『――見つけた』
聞いたことのない、声が響いた。
それは少年のような幼い声にも、青年のような落ち着きのある低い声にも聞こえる。その声が二重に重なって、一つの声として音を発しているような、不思議な声色だった。
『駄目だよ、ユイ』
そんな声が、結の揺らいだ意識を引き戻していく。
『テオを悲しませるなんて、許さないから』
どこか怒っているような、責められているような声に導かれながら、揺蕩っていた意識はゆっくりと浮かび上がっていった。
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