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「フィアナは、夫人が苦手?」
不意に問い掛けられた言葉に、ユイは思わずキョトンとする。
何故そんな質問をされたのか理解できず、じっとテオを見つめてしまった。
「違う……人が、苦手」
そんなユイの反応を見て、言いたい内容が上手く伝わらなかったと思ったのだろう。テオは少しだけ眉をひそめながら、言葉を模索し始める。
「触れられる……のが、苦手?」
そう聞いた時のテオの表情は、どこか寂し気に見えた気がした。
もしかしたら、手を繋がれたり頭を撫でられたり、そう言う接触を伴う行動をされるたびに微妙な表情をしていたせいで誤解を生んだのかもしれない。
その可能性に至ったユイは、はっきり違うと断言できない内情もあってすぐに否定することができなかった。それを肯定と捉えたのだろう。テオの表情がさらに曇ってしまったことに気付き、罪悪感が心に広がっていく。
思えば、テオにはまだフィアナのことは話していない。今の彼であれば、フィアナの状況を話してもいいかもしれないと考えた。
彼は、フィアナの夫となる人物なのだから。
「私は……フィアナじゃない」
ウィスを撫でていた手を止め、俯いたたまま言葉を吐き出す。
「この体はフィアナのだけど、彼女の魂は深い場所で眠ってる。私は……そんなフィアナの体に憑依してしまった、赤の他人の魂なの」
「…………」
テオは沈黙を貫き、代わりとばかりに大人しくしていたウィスが顔を上げる。
唐突にそんなことを言われれば、誰でも言葉に詰まるだろう。フィアナだと思っていた人間は、フォルジュ家とは一切関係のない人間だったのだから。
「知ってた」
ポツリと呟かれた言葉に、ユイは思わず顔を上げてテオへ視線を向ける。
「知ってた。君が……フィアナじゃない、誰かだって」
「……何で」
「妖精は、好奇心旺盛、だから……色んな場所にいる」
以前、テオが話してくれた内容が頭を過る。
「子爵と夫人が……君を、違う名前で、呼んでるって」
例え他人の目がない場所で話していようと、妖精の姿は誰の目にも映らないし、当然声も聞こえない。
その声を聞き取ることのできるテオだけが、妖精が見聞きしたことを知り得ることができる。
「ユイ」
教えてもいないはずの名を、同然のように紡がれた。
「ユイって、言ってた」
「……私は、神代結。こことは違う、異なる世界で生きていた全く別の人間なの」
「そう、なんだ」
その一言で済ますには、あまりにも荒唐無稽な話のはずなのに、テオの瞳に疑心が宿る様子はない。それどころか、どこか穏やかな表情ですらある。
「やっと、聞けた。ずっと……呼びたかった」
呼びたいと思っていたなんて、どうして気付けるだろう。テオはいつだって傍にいてくれるが、口数は少ないし、彼から話し掛けてきてもその話に触れられることは一度もなかった。
「ユイ」
「……テオ様」
そんなに嬉しそうに、名前を呼ばないでほしい。
ユイはいつか、フィアナに体を返す前提で日々を過ごしている。アロイスやコーデリアはフィアナの姉として接してくれるが、本来二人からの愛情を享受すべきはフィアナであるはずだ。
当然テオからの好意も、受け取るべきはフィアナであるべきはずで。
それを、一時的に憑依したユイが享受していいとは思えない。
「テオでいい。様は、いらない」
「……でも」
「寝込んでた……時、呼んで、くれた」
呼び捨てにしただろうかと思考を巡らすが、あの時は朦朧としていたため自分が発しただろう言葉は曖昧で、しかし本人が言うのだからその通りなのだろう。
「テオって、呼んで」
「……テオ」
「うん」
嬉しそうな表情で、返事を返してくれる。
そんなテオに反比例するように、ユイは顔を歪ませる。
「ユイは、何が怖い?」
怖いと感じること。
それはフィアナがいなくなること。そしてユイが取り残されること。
そう思っていた。そうだと、思っていた。
「フィアナが消えるのは嫌。でも、フィアナが戻ったら、私は……どう、なるの?」
両手で顔を覆いながら、言葉にしてしまった恐怖に震える。
優しさを知ってしまった。受け入れられる暖かさを知ってしまった。愛情を受けた時の満たされた気持ちを、幸せを知ってしまった。
(淡々と仕事と生活に追われて生きていただけだったのに……っ)
自分が欲しいと願っていた家族と言うものを、フィアナの体に憑依したことで知り得てしまった。
アロイスとコーデリアから愛情を受け取るたび、嬉しさと共に心が震えた。それと同時に恐怖が蓄積されていった。
そんな恐怖から目を背けるようにフィアナの体で生きるための努力を続けた。
ユイにできることは、将来のために精一杯努力して今後必要となるだろう知識や感覚を身に付けること。フィアナの意識が戻った時、生きる意志を失うことのないようにしてあげること。それが自分にできる全てだった。
(前向きに生きるには、それくらいしかできることがなかった)
将来どうなるか分からない自分のためより、フィアナのための努力であれば頑張れる。
だから誰にも甘えなかったし、甘えられなかった。
死にたくないと、切望してしまったから。
それを改めて自覚してしまい、罪悪感と恐怖で体が震える。
いつの間にか指先も冷え切っていて、自分を抱きしめるように腕を交差した。体温が下がったためかウィスの体温が異様に暖かく感じる。
「ユイは……」
名を呼びながら、テオの左手がユイの髪に触れる。
「頭を、撫でられるのは、嫌?」
「…………嫌じゃない」
「頬は?」
言いながら、今度はそっと頬に手を添えられる。皮膚を介して確かな温もりが伝わってきて、熱で魘された時に冷たいと感じたのは、自分が発熱していたからだったのだと今更気づく。
「……嫌じゃ、ない」
左手も添えられ、ユイよりも大きな手に頬を挟まれる。
「抱き締められる、のは?」
「…………」
嫌じゃない。
嫌だなんて言えない。
抱き締められた時の温もりは存在を認めてもらえたようで、どうしようもなく嬉しい。嬉しいからこそ、受け入れたくない。
「……テオっ」
「我慢、しないで」
ライラックの瞳の中に、隻眼の悲しい瞳をした少女の姿が映り込む。
「独りは、怖い」
そう言って、そっと抱き締められた。
「独りは、寂しいよ」
テオの言葉は、いつだって足りない。説明が足りな過ぎて、発せられた言葉が何を指して言ったものなのかを考えなくてはならない。
今の言葉もそうだ。
誰が一人で、誰が怖いと……寂しいと感じているのか、分からない。
テオ自身の経験からの言葉だと思うのに、まるでユイの心を見透かしたみたいに的確な言葉を向けられた気がした。
自分がどうなってしまうのかを考えると怖い。いなくなるかもしれないのに、愛情を受け取るのは寂しい。
まるで、そんな気持ちを指摘されたみたいだと考えてしまう。
そんなはずはないと、思うのに。
(フィアナを、支えて欲しかっただけなのに……)
まるでユイに寄り添うように抱き寄せて、背中を優しく撫でてくれる。その手付きは、咳に苦しんでいたユイを労わって撫でてくれた時と同じで、それが無性に涙を誘発する。
気付かれたくなくて、テオの胸に顔を埋める。
甘え方を知らないユイは、テオの服を控えめに掴むことしかできない。
「こわい……」
「うん」
「こわいよ……テオっ」
漠然とした恐怖に震えるユイを、テオはしっかりと抱き締める。
そんなユイにダメ出しをするように、膝の上で丸くなっていたはずのウィスはいつの間にか肩に移動していて、耳元ににゃーと言う声が届く。
こうするんだと言うように、項のところに顔を摺り寄せながらゴロゴロと喉を鳴らしている。
涙が瞳から零れることすら厭わずに顔を上げると、間近にテオの顔があった。
テオが眼帯で覆っているだけの左目から零れた涙を拭うと、反対側の涙をウィスに舐めとられる。そのまま頬をザリザリと舐められ続けると、若干の痛みとくすぐったさが我慢できずに頬が緩む。
「ふっ、くすぐったい」
首を反らしながらウィスの頭を撫でると、一鳴きしながら頭をユイの手に押し付けてくる。
「笑った」
間近で嬉しそうな声色と共に呟かれた言葉に驚き、再びテオと目を合わせる。
「笑って、たくさん」
心からの笑顔が、目の前で花開いた。
「笑おう、ユイ。一緒に」
当たり前みたいに傍にいると、言われた気がした。
そんなテオに答えるように笑いたいのに、涙でどんどん視界がぼやけていく。嗚咽は止まらず、泣きたい衝動は膨らんでいく一方で、気が付けば声を出して泣いていた。
でも、今だけは許してほしい。
いつか消えるのなら、今だけは甘えさせてほしいと願った。
* * * *
「ごめん、テオ……」
両親が亡くなった時ですら泣けなかったと言うのに、こんなに泣いたのは初めてかもしれない。ユイは目を腫らしながらも別の意味で頬を染めた。
消えるかもしれないと言う恐怖が消えることはないが、それでもずいぶんマシになったように思う。
「目、赤い」
「ん……こんなに泣くと、思わなかったから」
心配そうに触れる指先に照れながらも、大丈夫だと返す。
そんなユイの膝元に戻ったウィスは、にゃーんと何かを訴えるようにユイの目を見つめる。
「ちゃんと、甘えろって」
「……甘える」
今まさに盛大に泣いたのに、これ以上どうしろと言うのだろう。そう表情に出ていたのか、テオは葛藤する様子を見て小さく笑う。反対にウィスは不満そうに尻尾をユイの膝に叩きつけてくる。
「触れたり、撫でたり、抱き締める……こと」
そう言うと、テオがまた嬉しそうに顔を上げて視線を向けてくる。
「してもらえる……のは、嬉しい」
そうだ。テオは今まで、家族とすら共に過ごしたことはないと言っていた。触れ合うことなど、当然なかったはずだ。
「僕はそれを、ここで……教えてもらった」
そっとユイの頭を撫でられる。まるでウィスに触れるような優しい触れ方なのに、不思議と暖かさが伝わってくるようだった。
「可愛い、愛しい。そういう……時に、するって」
何かを伝えたいと思う時、何かを分かち合いたいと思う時、誰かに肯定してほしい時。あらゆる感情の起伏に後押しされるように。
人は誰かの温もりを求め、誰かを必要とする。
「そうして、欲しいよ。ユイにも」
「…………」
そう言われてしまえば、そういうものなのだろうかと思ってしまう。
そして、さっき抱き締めてもらった時のことを思い出す。ユイはテオの服を掴むことしかできなかったが、本当は抱き返せば良かったのだろうかと。
のろのろと両腕を小さく広げるように、テオの方へ体を寄せる。それを見たテオは少しだけ目を丸くしながらも、すぐに優しく微笑みながら抱き締めてくれた。
テオの真似をするように、腰に回した手に少しだけ力を入れる。
不思議と先ほどよりもテオの体温を感じる。抱き返しただけなのに、心の奥まで温もりが伝わっていくようだった。
ユイが控えめな力で抱き返すと、さらにぎゅっと抱き締められた。
そうしていると、テオの膝の上にいたはずのウィスの鳴き声が耳元に届く。きっとまたテオの肩にでも飛び移ったのだろう。
「……暖かい」
それだけのこと。
たったそれだけの事のはずなのに、どうしてこんなに幸せを感じるのだろう。
「お母様に抱き締めてもらった時、こうすれば……良かったのかな」
あの時はこんなことをする勇気はなかった。縋ってはいけないとすら感じていた。
――いつか消える人間だから。
けれど、そもそもコーデリアは最初からユイの存在を理解した上で接していた。
アロイスもコーデリアも、最初からユイとフィアナを別の人間として慈しんでくれていた。この先フィアナがどうなるかも分からないと言うのに。
最初は仕方なく生きようとすら思っていたのに、気が付けば消えることに恐怖を抱くほどに死を恐れている。
フィアナが戻ってきた時、ちゃんとこの体を明け渡さなければならないのに。
(幸せを知って欲しいなんて、本当に残酷だわ……お父様)
知ってしまえば、こんなにも消えることが恐ろしい。
縋りたくないと足掻いていても、結局こうして甘えてしまった。優しさと暖かさを求めてしまった。
最初の頃のように望まれるままに命を手放すことは、今のユイには出来そうもなかった。
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