08_森の中
小気味よくリズムを刻む金槌の音が、森に響く。
強面の騎士団長は、明日には王都に戻るというのに、朝食のスコーンを大量に食べた後も、休む事なく納屋の修理に取り組んでいる。
精力的にあちこち直してくれた彼には感謝しかない。
井戸で水を汲み、庭の小さな畑に水を撒きながら、金槌の音に聞き入っていると……ふと音がやんだ。
どうしたんだろう、とヨハンナは首を傾げた。今のは少し不自然な間だった。
水やりをさっさと終えて、早足で納屋に向かう。すると、屋根の上でカディスが指を押さえて、眉を寄せていた。
「ヴェルダー様、大丈夫ですか?」
「ああ、大した事はない」
「でも、血が出てます」
ヨハンナは慌てて声をかけた。
彼の指先には血が滲んでいる。うっかり手を滑らせて、金槌で自分の指を叩いてしまったのだろう。
「ケガ、ですよね?傷に効く軟膏があります、それを塗りましょう」
「こんなものはケガのうちに入らぬ。舐めておけば治る」
いや、そういう問題じゃない。
「あの……菌が入ったら困りますし、どうか下りてきてください」
必死に頼むと、カディスは渋々、屋根から下りてそばに来た。
ヨハンナはいつもポケットに入れて持ち歩いている自作の軟膏とハンカチを取り出し、カディスの固くて大きな手を取る。
彼はまたビクウゥっとしたが、構わずにハンカチで血を拭って、赤くなった指先に軟膏を丁寧に塗っていく。
「……終わりましたよ。お大事に」
「かたじけない」
「いえ。私こそ、納屋の屋根まで直していただいて助かりました。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
顔を上げると、いつもはぐっと引き結ばれている騎士の口許が、わずかに弧を描いた気がした。
今のは、微笑んだのだろうか。
とてもわかりにくいけど……そうなら、嬉しい。
胸の奥がほっこりして、雲の上にいるようなふわふわした心地になる。
カディスの頭の上でそよそよ揺れているウサギの耳も、何となく喜んでいるように見えた。
++++++
昼食の時間になった。
今日のランチは、自家製クルミパンの薄切りに、ハムと野菜を挟んだサンドイッチ。デザートにはリンゴの蜜煮である。それから温かい紅茶を用意した。
今日も本当に天気が良い。
外で食事したら気持ちがいいだろう、と庭のテーブルセットに空色のクロスをかけて、その上にサンドイッチとデザート、お茶を並べていく。
「ヴェルダー様、昼食の用意ができましたよ」
納屋の修繕を一通り終えて、今度は井戸の滑車の調整をしていたカディスに、後ろからそっと声をかける。
彼は振り返って、相変わらず律儀に「ありがとう」と礼を言った。
最初は、声をかける事すら無理だと怯えていたヨハンナであったが、昨日から全然平気になった。
やっぱり慣れって大事。ウサギの耳に視線を固定しなくても、顔を見て話せるようになったし。
……とはいえ、ウサギの耳はかわいいので、ついつい目で追ってしまうのだが。
明日であの耳が消えてしまうと思うと、本当は寂しくて仕方ない。依頼だから、と言ってしまえばそれまでだが、それとこれとは別だ。
テーブルについて、二人は神に祈りを捧げる。
それから、サンドイッチをそれぞれ手にとって食べはじめた。
カディスの食べっぷりは相変わらず豪快だ。まず一口が大きい。ヨハンナが五分くらいかけて食べるサンドイッチを、ふた口くらいでぺろっと食べてしまう。
大皿にたくさん盛られていたサンドイッチも、ほとんどが彼のお腹に消えてしまった。
やはり、あの固そうな筋肉鎧の下には、食べ物を無限に吸いこむ異空間があるとしか思えない。
デザートまでしっかり食べて、ゆったり紅茶を飲んでいると、二人の足元に赤い小鳥が飛んできた。
ヨハンナはテーブルクロスの上のパン屑を集め、催促するように首を傾げる小鳥の前に、パラパラと落としてあげた。
小鳥は嬉しそうに小さく鳴いて、パン屑をつつきはじめる。
その様子をどこかで見ていたのか、他の小鳥たちも飛んできて、テーブルのまわりは急に賑やかになった。
いつになく穏やかに小鳥を眺めていたカディスは、ふと、何かに気づいたように魔女に声をかけた。
「魔女殿、一つ質問があるのだが」
「何でしょう」
「この小屋は強力な魔法結界で守られている、と"緋炎の魔女"殿は言っていた。だが小さな鳥であれば、その結界を通れるのであろうか」
……さすがは、歴戦の騎士団長。鋭い。
カディスの観察力に感心しながら、魔女は顔を綻ばせた。
「よくお気づきになりましたね。私の結界は、大型の獣や人間を制限していますが、小型の動物は行き来できるようにしてあるんです」
庭に植えたトマトやナスはミツバチが来てくれないと実がならない。それに、納屋の庇には、毎年小鳥が巣を作る。
彼らが巣作り出来なくなったらかわいそうだし、雛の成長を見守るのも、ヨハンナの毎年の楽しみだった。
ほかに、リスも時々やってくる。彼らはヨハンナの大切な隣人たちだ。
小鳥を眺めるヨハンナを見て、カディスはかすかに息を吐いた。
「……魔女殿は、ここでの暮らしを心から楽しんでいるのだな」
「そうですね。私には、森の暮らしが合ってる気がします……とても楽しいですよ」
「そうか」
深く考えずに思ったまま答えると、カディスの口許が、またわずかに弧を描いた。
けれど先ほどとうってかわって、少し寂しそうなのは気のせいだろうか。真っ白なウサギの耳も、ちょっぴり萎れて見えた。




