06_こわい、こわくない
念のため、と持ってきた剣。
それをいつでも抜けるように、カディスは柄に手をかけた。
頭の上では、愛らしいウサ耳が緊張を漂わせてピンと立っている。そのピリピリした背中に……小さな手がそっとふれた。
殺気だった騎士を宥めるように、"解呪の魔女"はかすかな声で囁いた。
「……ヴェルダー様、攻撃してはなりません。動かないで、じっとしてください。殺気も抑えていただけますか」
「…………わかった」
カディスは少し迷ったが、素直にヨハンナに従った。剣の柄からゆっくり手を離す。
自分よりヨハンナの方が聖獣に詳しい、と判断したのだろう。信頼してもらえたのは嬉しい。
騎士は続けて深呼吸した。荒ぶっていた殺気が静かに凪いでいく。
「そう、それでいいです。ありがとうございます」
はぁ、こわかった……
このひとの本気の殺気はヤバい。
魔女は胸を撫で下ろした。それから騎士の背中から一歩前に踏み出し、大きな角の生えた雄々しい白鹿と向かい合った。
「お久しぶりです、レオリアの森の聖獣様。"解呪の魔女"ヨハンナです。こちらは私の依頼人、カディス・ヴェルダー様になります。
私たちはベリーを摘みにここへ来ただけなので、どうかご容赦を」
深々と礼をする。聖獣は何かを言いたげに軽く首をかしげると、ゆっくりこちらに歩み寄った。
トコトコ、と二人に近づいた聖獣は、カディスの頭に生えたウサギの耳に顔を近づけ、フスフスとしきりににおいをかいでいる。
その間、カディスは言われた通りに少しも動かず、じっとしていた。内心緊張しながら、ヨハンナはその様子を見守る。
────時間が経つのが、ひどく長く感じられた。しかし、実際は、ほんの短い間だったのだろう。
ひとしきりにおいをかいで納得したのか、白い雄鹿はカディスから離れ、くるりと向きを変えると、蹄の音を響かせて木立の奥に消えた。
聖獣は去った。
それから、ゆっくり三十を数えたくらいの時間が経過して──
二人はどちらともなく顔を見合わせて、深く息を吐いた。
とりあえず、何事もなかった。
良かった……ヨハンナは心から安堵した。
────そして、ふと我に返った。
いま、視界の真ん中にあるのは、目が合ったら死んだ振りをしたいと常々思っていた、凶悪なカディスの強面である。
見る度に冷や汗をかいて震えてたのに。
まともに目が合ったら魂ぶち抜かれる、と思ってたのに。
真正面から、彼と向き合っている。
聖獣がいなくなって、安心して顔を見合わせてから、まるで吸いこまれるように、カディスの強面をじっと見つめている。
おぉ……慣れって偉大……!
ヨハンナは感動した。
ものすごく成長した気がする。
聖獣との遭遇が、とんでもなく強烈なインパクトだったのもあるだろうけど。
ヨハンナはぐっと拳を握った。
どんなに極悪な顔でも、彼はあくまで「人間」だ。機嫌を損ねたら何をするかわからない聖獣などより……全然……こわく……
いややっぱりこわい。
こわいけど…………前ほどではない。気がする。気がするだけかもしれないけれど。
それより、カディスの顔色がおかしい。
何となく赤いような……?
熱でもあるのかな。
「……ヴェルダー様、お顔が赤いようですが、熱があるのですか?」
「いや、体調は万全だ」
「本当に……?」
「本当だ。何なら、今から腕立てを千回やって、あの山に登ってもいい」
「いえ、そこまでしなくてもいいです」
体調が良いなら何より。
……見つめ続けるのも不躾だろうか。
そう思ったヨハンナは、不自然にならないように、そーっと視線を上げた。
緊張のせいなのか、カディスの真っ白なウサ耳はいまだ、ピンと直立していた。
さすがの騎士団長閣下も、突然現れた聖獣がこわかったのかな……
ヨハンナは同情した。
別の聖獣にとはいえ、「ウサ耳が生える」という理不尽な呪いをかけられたのだ。
どんなに強い騎士でも、人智を越えた存在に恐怖を抱くことはあるだろう。それなのに、自分を背中に庇ってくれた。
やはり、彼は騎士道精神に溢れたひとなのだ。
ヨハンナは彼の緊張を和らげようと、小心者なりに、ニコッと笑ってみせた。
するとカディスは、びくぅっと体を震わせた。
……何その反応。
気を取り直して、ヨハンナは騎士に話しかけた。
「こんなところで聖獣に会うなんて、びっくりしましたね……」
「本当にな……」
「本来、ここはさっきの聖獣の領域外なんです。あなたにかけられた他の聖獣の呪いが気になって、見に来られたのでしょうね。何もなくてほっとしました」
「……魔女殿の冷静な判断で助かった。感謝する」
律儀に礼を言われ、ヨハンナは慌てて首を振った。
「いえ、そんな大袈裟なものでは……あの御方は、ちょっとした顔見知りのようなものなんです。
私が小屋に住みはじめた時も、そうっと近くまでいらしてました」
……あの時は、ふと見た窓の外に真っ白な鹿がいて、度肝を抜かれた。目が合って向こうも驚いたのか、急いで森の奥に走っていったが。
あの聖獣は、「領域」近くに魔女が住み着いたのが気になって、こっそり見に来たのだろう。
聖獣に、結界をたやすくすり抜ける力があるのも驚きだった。さすが神の使い。
「……ふつう、聖獣って自分の領域から出たりしないそうなんです。でもかの御方は、好奇心旺盛でいらっしゃるようで」
「聖獣にも個性があるというわけか」
「ええ、おそらく」
そんなことを話しているうちに、聖獣との遭遇や、カディスへの凝視でざわついた気分も、少しずつ落ち着いてきた。
ヨハンナはふわふわしたウサ耳を見つめ、騎士団長に帰りを促す。
「……ベリーも摘み終えましたし、そろそろ戻りましょうか」
「ああ。帰りも籠は俺が持とう」
そう言って、カディスはヨハンナから籠を取り上げた。彼は本当に紳士的な男だ。
まともに見たら、気絶しそうなほど顔がこわいけれど──もし、カディスに恋人が出来たら。
カディスはその女性を大切にして、末永く幸せに暮らすのだろう。
ちょっとだけ。
いや、ほんのちょっとだけ。
カディスの恋人になる女性が羨ましい……とヨハンナは思ってしまった。




