03_呪いを確かめる
「あなたはおそらく、聖獣の領域に入ってしまわれたのでしょう」
ヨハンナはその推測に自信があった。だってこの近所にも棲んでいるのだ。聖獣が。
かの聖獣は狼の姿ではないが、文献で特徴などを詳しく確認したから間違いない。しかし騎士は、「信じられない」と驚きを隠せない様子だった。
「昔話などで聞いた事はあるが……伝説上の存在だと思っていた。聖獣とは実在するのか?」
鋭い目を見張った騎士に、ヨハンナは大きく頷く。
「いますよ、ちゃんと。ヴェルダー様が遭遇したのも、まさに聖獣だと思います。
……聖獣は縄張り意識がとても強いので、むやみに彼らの領域に立ち入ると、ものすごく怒ってしまうのです」
彼の呪いは、きっとそういう事だ。
────この世界には、聖獣と呼ばれる不思議な生き物がいる。
聖獣は神々の使いとされ、息をするかのごとく自在に魔法を操るという。
たいていは自然豊かな秘境に「領域」とよばれる縄張りをつくり、ひっそり暮らしているので、めったな事では人前に姿を現さない。
また、彼ら聖獣は、自分の住みかにふさわしい獣の姿をとる。山なら狼や鹿。湖なら魚、という風に。
だが姿かたちが違っても、ひと目で聖獣と判る際立った特徴がある。彼らはみな、全身が光を集めたかのような美しい純白の色をしているのだ。
カディス・ヴェルダーの話を聞く限り、彼が目撃した白い狼も聖獣で間違いないだろう。
そして神々の使いとされるだけあって、聖獣たちは人とは異なる摂理にしたがって生きている。
場合によっては、気にくわない相手の命を、即座に奪う事もあるのだ。
だから領域を侵してこの程度────ウサギの耳が生える、くらいの呪いで済んだのは、幸いと言って良い。
ただ……カディスの精神的ダメージは、小さくなさそうだが。
「呪いの性質を詳しく見てみたいので、そちらのウサギの耳にさわっても……よろしいでしょうか……?」
おずおずと尋ねると、カディスはカッと目を見開いて、喉の奥から「う゛っ」と変な声を出した。
「……さわらなければ……ダメなのか」
「ええと、はい。出来れば、お願いします」
直接さわった方が、呪いの性質は理解しやすい。
ふわふわのウサギの耳は非常に魅力的だが、下心なんて……ちょっぴりしかない。本当に。
「……お手柔らかに頼む」
カディス・ヴェルダーは、眉間に皺を寄せて重々しく頷いた。
「では失礼します」
ヨハンナは立ち上がって、カディスの背後にまわった。まっすぐに伸びた広い背中は、緊張して強ばっているように見える。
目の前にある真っ白なウサギの耳も、ふるふると震えて、寝た状態で頭にぺたりと張り付いていた。
何となく、屈強な男に無体を働いてるような気分になった。……複雑だ。
「それでは、はじめますね」
真っ白な毛に包まれた耳に、指先でそっとふれる。想像通り、ふわふわと柔らかい。極上の手触りだ。
優しく撫でると、カディスがビクリと身じろぎした。が、気づかぬふりをして、さわさわ……と指を動かす。
カディスの喉から、地を這うような低い呻きが漏れる。
ひぃ。こわい。
ヨハンナは今すぐ逃げたくなった。でも、ウサ耳……いや呪いに集中しないと。
魔女は目を閉じて、魔力を糸のように細く紡ぎ、少しずつ呪いの奥へと導いていく。呪いの核に触れてみると、それはキラキラと輝くような、とても綺麗で純粋なものだった。
思ったとおり……これは聖獣のものだ。魔獣とか、悪しき者の呪いではない。
ヨハンナは少しずつ呪いの性質を読み解いていく。
────そして。
「もういいですよ。ありがとうございました」
手を離して声をかけると、騎士は、ふううーーっと大きく息を吐き出した。
そんなに触られるのが嫌だったのだろうか。後ろから少しだけ見える彼の頬が、ほんのり赤くなっている。
男の後頭部を眺めながら、ヨハンナも小さく息を吐いた。その時、ふいに頭を過ったのは、
《……助けてもらって感謝はしている。だが、もううちには来ないでくれ》
幼馴染であった少年の、苦しげな拒否の言葉。それが耳の奥で木霊した。
────ああ、私は本当に迂闊だった。
ヨハンナはひそかに落ちこんだ。
カディスは身近に"緋炎の魔女"がいるから、と油断していたのもあったのだろう。でも、彼は魔女にさわられるのが嫌だったのかもしれない。
魔女。
それは、人外となった女たちの呼び名だ。
元は人間でありながら、何かのきっかけをもって強大な魔力を得た、人を超越する長命の者たち。
その寿命は三百年とも、四百年ともいわれる。
魔女とは異質であり、畏怖の対象だ。
中には、悪逆な魔女姫として名を残した者もいれば、光の魔女と呼ばれ、魔獣の大群から国を守った者もいる。
とはいえ、魔女と一口に言っても様々だ。人の世から隔絶して生きる者も多い。
見ての通りヨハンナもそうだ。山奥でひっそり生きるお一人様であり、大それた野望なんて一切持ち合わせていない。
しかしヨハンナがどうであれ、魔女という存在を拒否する者が一定数いるのは事実。それは仕方のない事だと思っていた。
そう。幼馴染と、自分の家族に拒絶されたあの日から。
とっくの昔に、異質である自分を諦観とともに受け入れていた。




