第57話 ここが地獄
誰からの憧れでもある第二師団の団長と副団長に剣術を教わることが出来る。
そんな私は今、幸せの絶頂に立っている。
──と、思っていた時期が私にもあった。
「まずは体力を鍛えましょう。訓練場の端を10周走ってください」
「では、次にこの重りを付けてもう10周走ってください」
「次は全力疾走で10しゅ──」
「まだ走り込みから抜け出せないのですか!?」
淡々と「走れ」と言ってくるシンシア様に、流石の私も限界を迎えて吠えました。
「まだ話せるということは、余力が残っているということですね。追加10周です」
「──コフッ」
地雷を踏んでしまったことに、私は内心吐血した。
稽古が始まったと同士にシンシア様が言い出したのは、とても単純なことだった。
『剣を振り続けるには体力が必要です。なので、シェラローズ様にはまず初めに体力を付けてもらいます』
その理屈は納得するものだった。
剣は種類で異なるものもあるが、基本は重い鉄で出来ている。ずっと振り続けるには筋力だけではなく、体力も重要になってくる。その程度の知識はしっていたので、私もその時はまだ何も疑問に感じていなかった。
だが蓋を開けてみると、どうだ。
走り込みばかりが続き、100周を超えた辺りから数えるのも面倒になった。
──あれ!? もしかして心とプライドをズタズタに引き裂こうとしてます!?
と思ったが、彼女の真剣な表情を見てその考えは間違いだとわかり、そして同時に私は悟った。
彼女は──ただのスパルタなのだと。
思い返せば、バルクを含めた騎士達の反応が微妙だった。
私がシンシアに教わると知った瞬間から、彼らはおかしくなっていた。その理由は、彼女が『超』が付くほどのスパルタだと知っていたからこその反応だったのだろう。
では、シルヴィア様は?
どうした彼は平然とシンシア様を指南役に任命したのか?
それを考えた時、答えはすぐに出た。
彼らは『化け物』だ。化け物の考えは、常人には理解出来ない。シンシア様の提示する地獄のような稽古は、同じ化け物からしたら普通なのだ。だから彼は平然と、シンシア様を私に任せたのだろう。
「次は剣を持ってください。とりあえず素振り100回」
「う、ぅおおおおおおおおお!」
「脇が甘い。もっと引き締めて」
「うおおおおおおおおおおおおおお!!」
「素振りが終わっても休憩しない。グランド30周」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおりゃあああああああああああ!!!」
私はもう気合いに任せて言われること全てを忠実にやっていた。
──そこに考えは不要。
次々と襲いかかる地獄を受け止め、ただ終わらすことのみを考えて突き進む。
私の考えが入った瞬間、心がポキッといってしまう。そんな気がしたため、私は私を必死に抑え込んで稽古に没頭した。
「…………………………………………」
騎士が次々と訓練場を後にする中、私は何一つ動くことなく地面に横たわっていた。
体を動かそうとは思わない。そう思うことすら無駄だ。地に大の字になって横たわり、汗が身体中から滝のように流れ、自分が公爵令嬢として相応しくない、荒々しい呼吸をしていることをどうでもいいと思えるくらい、私の中では全てが虚無と化していた。
「──まさかこれを乗り越えるとは、シェラローズ様には素質があります」
パチパチと、拍手をしながら褒め言葉を口にするシンシア様に、私は反応を返すことはなかった。ジッと空を見つめ、悟ったように一言。
「空は青いのですね」
とても美しい雲一つない青空。
心を洗い流してくれるかのような、透き通った空。
ああ、素晴らしい…………、────。
◆◇◆
気が付けば私は、見知らぬソファの上で横になっていた。
「──気が付きましたか?」
投げ掛けられた言葉に振り返った私は、思わず小さな悲鳴をあげそうになった。出来るのであれば恐怖で転げ回りたいところだったが、少し動いた程度で声ではなく身体が悲鳴をあげ、私は動くことをやめた。
「シンシア、さま……」
私に声を掛けたのは、鬼──こほんっ、シンシア様だった。
「私、どうなっていました?」
「意味不明な言葉を呟いたかと思ったら、気絶していました」
「気絶……そうですか……」
1日目の稽古が終わったことに安堵して意識を失ってしまうとは、私も情けない──とは言わないぞ流石に。
あれは大人でもきつい試練だったと思うし、まず6歳の少女にやらせるようなことでもなかった。だが、私はやりきったのだ。その代償に気絶する程度、軽いものだろう。
「汗で酷かったので、眠っている間に湯浴みをさせていただきました。勿論、女性だけで行ったので心配なさらず。シェラローズ様のお召し物は現在洗濯中です。乾くまではこちらにあったもので我慢してください」
汗が乾いたような不快感を感じないと思ったら、湯浴みをしてくれたのか。どうりで洗剤の良い匂いがするわけだ。
しかも、服まで洗ってくれているとは、汗でびっしょりになった服を着たまま帰るのは嫌だったので、とても助かる。
「ありがとうございます……」
私は動けないまま、言葉だけで感謝を伝えた。
今は体の疲労で動けないが、明日になれば筋肉痛で動けなくなるだろうな。
稽古が週一で良かったと、本気で思う。
「……シェラローズ様、申し訳ありませんでした」
と、突然シンシア様が頭を下げ、謝罪した。
「いつもならば大抵の者はすぐに根を上げ脱落するのですが、シェラローズ様は次々とクリアしていく。それが嬉しく、そして楽しくなってしまい、つい色々と課題を与えてしまいました。そのせいで気絶までさせてしまい……本当に申し訳ありません」
シンシア様はスパルタではあるが、それ以上に真剣にこちらのことを考えてくれている。彼女は全ての物事に手を抜けないのだ。だから稽古中、常に真剣な表情で私の行動を観察し、限界を見極めていた。
きっと彼女の中では、私が力を付けるための道のりが、様々なビジョンとして浮かび上がっていることだろう。……それで誰もが根を上げるような試練になってしまうのは、彼女の性格が関係しているので仕方ない。
──だが、それで問題ない。
「私は感謝していますよ」
「……え?」
「最悪、接待のような剣術指南になるのではないかと心配していました」
公爵家の令嬢に傷を作ったら問題になってしまう……とかなんとか言って、終始手を抜かれる方が嫌だった。地獄のような稽古の方が、まだ彼女の本気が伝わってきて、挑んでいるこちらもやる気が出るというものだ。
「これからも、私にご指導の方お願いしてもいいでしょうか?」
「っ、私で、よろしいのですか?」
「はい。シンシア様でなければ、もう満足出来ません」
おそらく、彼女以上に私と本気で向き合ってくれる人はいない。
だから私は、彼女を指名する。
「よろしくお願いしますね、シンシア様」
「はいっ……こちらこそ、よろしくお願いいたします。シェラローズ様」




