↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/12

第八章 息子は何も言わない

佐伯修一には、息子がいる。


名前は健太という。


二十四歳。大学を卒業して働き始めたばかりで、現在は一人暮らしをしている。


健太は、父親を嫌っているわけではない。


むしろ、尊敬している部分もある。


仕事を真面目に続け、家族を養い、住宅ローンを払い、五十二歳になった今も毎朝きちんと出勤する。


世間一般で言えば、立派な父親である。


ただし、ひとつだけ問題があった。


父親には、何十年も同じ話をする習性がある。


ブローニング・ハイパワー。


東京マルイ。


ガスブローバック。


健太は、この三つの言葉を幼いころから聞かされてきた。


誕生日の食卓でも。


正月の実家でも。


家族旅行の車内でも。


そして、テレビでエアガンの話題が出たときでも。


父親は、必ず話を始めた。


「東京マルイがな……」


その瞬間、健太は学習した。


ここから先は長い。


⸻


日曜日の午後、健太は久しぶりに実家へ帰ってきた。


玄関を開けると、父親がパソコンの前に座っていた。


「おう、帰ったか」


「ただいま」


「飯は?」


「まだ」


「じゃあ、何か食べるか」


「うん」


ごく普通の親子の会話だった。


健太がリビングに入ると、母親が台所から顔を出した。


「あら、健太。久しぶりね」


「うん。元気?」


「元気よ。お父さんは相変わらずだけど」


健太は父親を見た。


佐伯はパソコンの画面を見つめていた。


「父さん、何してるの?」


「調べものだ」


「何の?」


「……趣味のことだ」


健太は画面をちらりと見た。


東京マルイの公式サイトだった。


新製品情報。


更新なし。


健太は何も言わなかった。


もう驚く年齢ではなかった。


⸻


昼食のあと、佐伯は息子に尋ねた。


「仕事はどうだ?」


「まあ、普通だよ」


「普通が一番だ。若いうちは、いろいろ経験しておけ」


「うん」


「自分が本当に好きなものも、大事にしろよ」


健太は少し笑った。


「父さんは、ずっと同じものが好きだよね」


佐伯は胸を張った。


「好きなものが変わらないのは、悪いことじゃない」


「そうだね」


「世の中には、流行に流されて、次から次へと新しいものを欲しがる人間もいる。でもな、本当に欲しいものが何なのか、わかっている人間は強いんだ」


健太はうなずいた。


「うん」


佐伯は、少し誇らしげな顔をした。


自分の趣味が、息子に何かを伝えている。


そう思うと、悪い気はしなかった。


ただし、健太が何を考えているかまでは、わからなかった。


⸻


夕方、健太が帰る時間になった。


玄関で靴を履きながら、彼は言った。


「父さん」


「何だ?」


「ひとつ聞いていい?」


「何でも聞け」


健太は少し考えた。


「もし、ずっと欲しかったものが手に入ったら、どうする?」


佐伯は即答した。


「買う」


「いや、そうじゃなくて」


「買う以外に何がある?」


「……そうだよね」


健太は笑った。


佐伯は腕を組んだ。


「ただし、家計との相談は必要だ。大人だからな」


「うん」


「それと、製品の仕様も重要だ。価格だけで判断するのは早い」


「わかった」


「本当に欲しいものなら、待つことも必要だ」


健太は、今度は少し真剣な顔でうなずいた。


「……そうだね」


「何だ、急に」


「いや、何でもない」


健太は玄関を出た。


「じゃあ、また来るよ」


「おう。気をつけてな」


ドアが閉まった。


佐伯は、しばらく玄関を見ていた。


息子も大人になった。


いつの間にか、自分の知らないところで、自分の人生を歩いている。


当たり前のことだった。


佐伯は少しだけ寂しくなった。


しかし、その感情は長く続かなかった。


パソコンの前に戻ると、東京マルイの公式サイトを開いた。


新製品情報。


更新なし。


「……まだだ」


いつもの言葉だった。


⸻


その夜。


健太は自宅の机に座っていた。


ノートパソコンを開き、ホームページを眺めている。


画面には、いくつかの会社名が並んでいた。


健太は、しばらくその文字を見つめていた。


父親の声が、頭の中によみがえる。


東京マルイがな。


ガスブローバックでな。


ブローニング・ハイパワーがな。


健太は苦笑した。


「……本当に好きだよな」


特別な理由があったわけではない。


少なくとも、本人はそう考えていた。


ふと、机の端に置かれた古い写真に目が留まった。


幼いころ、父親に連れられて出かけた日の写真だった。


健太はしばらくそれを眺め、やがて画面に視線を戻した。


もう一度読む。


それから、ブラウザのタブを閉じた。


部屋は静かだった。


自分自身の将来もある。


自分の興味もある。


健太は椅子の背にもたれた。


「……さて」


小さく息を吐いた。


まだ何も決まっていない。


健太はパソコンを閉じた。


その夜、父親からメッセージが届いた。


『東京マルイの新製品情報、今日も更新なし』


健太は画面を見つめた。


そして返信した。


『そうなんだ』


しばらくして、父親からもう一通届いた。


『まだだ』


健太は笑った。


『うん。まだだね』


彼はスマートフォンを机に置いた。


まだ、何も知らない。


そして佐伯修一は、その夜もいつものようにパソコンの前に座っていた。


新製品情報。


更新なし。


「まだだ」


彼は満足そうにうなずいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。