第五章 その話題は終了だ
佐伯修一には、学生時代から付き合いの続いている友人がいる。
名前は山本という。
山本は、ごく普通の男だった。
仕事をして、休日には家族と出かけ、たまに昔の友人と酒を飲む。趣味もあるが、それに人生を捧げているわけではない。
つまり、佐伯とは違う種類の人間だった。
土曜日の午後、二人は駅前の喫茶店で向かい合っていた。
山本はコーヒーを飲みながら、佐伯のスマートフォンを見た。
「また東京マルイ?」
「何が」
「さっきからずっと見てるじゃないか」
「確認してるだけだ」
「何を?」
「新製品情報」
山本は首をかしげた。
「お前、昔からハイパワーが好きだったよな」
「昔からじゃない。今も好きなんだ」
「はいはい」
佐伯は、軽く眉をひそめた。
この反応が気に入らなかった。
「何だよ、その『はいはい』は」
「いや、別に。そんなに好きなら、もう買えばいいじゃないか」
「何を?」
「ハイパワー」
佐伯はスマートフォンをテーブルに置いた。
「……話を聞いていたか?」
「聞いてるよ」
「俺が欲しいのは、東京マルイのガスブローバックだ」
「うん」
「そこが重要なんだ」
「そうなのか」
山本はコーヒーを飲んだ。
そして、何でもないことのように言った。
「ハイパワーのガスブロなら、もう出てるんじゃないの?」
佐伯の手が止まった。
店内では、食器の触れ合う音がしていた。
窓の外を、親子連れが通り過ぎていった。
佐伯はゆっくりと顔を上げた。
「……何の話だ」
「いや、だから、ハイパワーのガスブロ」
「聞こえなかったことにする」
「え?」
「その話題は終了だ」
佐伯は静かにスマートフォンを手に取り、東京マルイの公式サイトを開いた。
新製品情報。
更新なし。
山本は、そんな佐伯の様子を見ながら、しばらく黙っていた。
やがて、気まずそうに頭をかいた。
「まあ、お前がそこまで言うなら、いいけどさ」
「わかればいい」
「でも、ほかのメーカーのもので満足するっていう選択肢はないのか?」
佐伯は顔を上げた。
「山本」
「ん?」
「お前は、カレーが食べたいときに、ラーメンを出されたら満足するか?」
「いや、カレーが食べたいならカレーを食べるだろ」
「そうだ」
佐伯はうなずいた。
「俺も同じだ」
山本は納得したような、していないような顔をした。
「……そういうものなのか」
「そういうものだ」
佐伯はスマートフォンをしまった。
会話は終わった。
少なくとも、佐伯の中では終わっていた。
⸻
帰宅した佐伯は、書斎代わりにしている部屋でパソコンを立ち上げた。
東京マルイの公式サイトを開く。
新製品情報。
更新なし。
彼は画面を見つめた。
別に、焦っているわけではない。
発売日が決まっているわけでもないのだから、待つしかない。
待つことには慣れている。
五十二年も生きてきたのだ。
仕事では、上司の決裁を待った。役所からの書類を待った。住宅ローンの完済を待っている。健康診断の結果を待つ時間だけは、できれば短くしてほしいと思っている。
だが、ハイパワーは違う。
これは待つことそのものが目的なのではない。
いつか、ある日。
何の前触れもなく、東京マルイの新製品情報にその名前が現れる。
佐伯はその瞬間を想像した。
画面に表示される製品写真。
見慣れたハイパワーのシルエット。
そして、東京マルイのロゴ。
彼は椅子の背にもたれた。
「……いいな」
思わず声が出た。
まだ存在しない発表なのに、すでに感動していた。
そのとき、台所から妻の声がした。
「あなた、ちょっと!」
「何だ?」
「牛乳、買ってきてくれる?」
「わかった!」
佐伯は立ち上がった。
夢を見る男にも、牛乳を買う義務はある。
⸻
帰り道、佐伯はコンビニに立ち寄った。
牛乳を買い、ついでに雑誌の棚を眺める。
特に目的はなかった。
ただ、銃器関係の記事が載っていないか、無意識に目が探してしまう。
彼は自分の習性を自覚していた。
五十二歳。
会社員。
妻帯者。
そして、コンビニの雑誌棚でもハイパワーの情報を探してしまう男。
「……重症だな」
佐伯は苦笑した。
しかし、すぐに表情を引き締めた。
重症で何が悪い。
人間、何かひとつくらい、どうしても譲れないものがあっていいではないか。
家族を大切にする。
仕事もする。
健康にも気をつける。
そのうえで、東京マルイのハイパワーを待つ。
何も問題はない。
彼は牛乳の入った袋を持ち直した。
「まだだ」
小さくつぶやいた。
誰も聞いていなかった。
⸻
その夜。
佐伯は掲示板に書き込んだ。
〈佐伯五十二歳〉
今日、友人に「ハイパワーのガスブロなら、もう出てるんじゃないの?」と言われました。
すぐに話題を終了しました。
〈名無しさん〉
強い。
〈名無しさん〉
聞こえなかったことにするのは草。
〈名無しさん〉
佐伯さん、現実をシャットアウトしてるじゃないですか。
〈名無しさん〉
でも、東京マルイから出てほしいという気持ちはわかる。
佐伯は最後の書き込みを読み、ゆっくりとうなずいた。
そうだ。
わかってくれる人がいる。
それでいい。
彼は返信した。
〈佐伯五十二歳〉
皆さん、待ちましょう。
送信。
そして、いつものように公式サイトを開いた。
新製品情報。
更新なし。
佐伯は画面に向かって、静かに宣言した。
「まだだ。まだ東京マルイがある」
台所から、妻の声が飛んできた。
「その台詞、今年で何年目よ!」
「数えるな!」
佐伯の声が、家中に響いた。
妻は笑った。
佐伯は笑わなかった。
いや、ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。
パソコンの画面には、相変わらず新製品情報が表示されていた。
何も変わっていない。
今日も、何も変わっていない。
それでも佐伯は、明日も確認するだろう。
そして、明後日も。
東京マルイからガスブローバックのブローニング・ハイパワーが発表される、その日まで。




