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第十一章 夢には派生型がある

佐伯修一、五十五歳。


東京マルイのガスブローバック、ブローニング・ハイパワー。


彼は今日も、公式サイトを確認していた。


新製品情報。


更新なし。


「……まだだ」


いつものことだった。


ところが、その日の昼休み、佐伯は思いがけない情報を目にする。


ハイパワーには、極めて珍しいフルオート仕様のカスタム個体が存在するらしい。


佐伯はスマートフォンを持つ手を止めた。


「……フルオート?」


彼は画面を読み直した。


セミオートだけではない。


フルオート。


一度その存在を知ってしまうと、頭から離れなかった。


もちろん、彼が長年待っているのは東京マルイの通常のガスブローバックモデルである。


そこは変わらない。


変わらないのだが。


「……派生型という可能性もあるのか」


誰も聞いていないのに、彼はつぶやいた。


1 新たなる知識


佐伯は、昼休みの残り時間を使ってハイパワーの歴史を調べた。


カナダ製のイングリス。


第二次世界大戦。


各国で使われた歴史。


中国向け仕様。


木製ストック。


珍しい実験モデル。


そして、フルオート化されたカスタム個体。


「奥が深い……」


佐伯は感心した。


自分は長年ハイパワーが好きだったつもりだ。


しかし、まだ知らないことがある。


知れば知るほど、欲しいものが増えていく。


これは危険だった。


通常モデルを待つだけでも、すでに生活の一部になっている。


そこに派生型の夢まで加わったら、どうなるのか。


佐伯は少し考えた。


「……楽しみが増えるだけだな」


危険性を認識したうえで、彼は前向きだった。


人間は、こうして自分に都合のよい結論を導き出すのである。


2 掲示板に新たな火種


佐伯は、いつもの掲示板に書き込んだ。


佐伯:ハイパワーには、フルオート仕様の珍しいカスタム個体も存在するらしい。


すぐに返信がついた。


名無しさん:知ってる。


名無しさん:今さらか。


名無しさん:それより通常版を待て。


佐伯は少しむっとした。


佐伯:もちろん通常版が最優先だ。ただ、将来的な派生型の可能性について考察することは無意味ではない。


返信。


名無しさん:まだ本体が存在しないのに?


佐伯はキーボードを叩いた。


佐伯:製品展開の可能性を考えることと、現在の発売状況は別問題だ。


数秒後。


名無しさん:お前、仕事でもそんな感じなの?


佐伯はスマートフォンを伏せた。


余計なお世話である。


……いや。


少しだけ心当たりがあった。


先日、職場で新しい企画の可能性について議論した際、佐伯は「まず実現可能性を整理しよう」と言いながら、実現した場合の五年後の展開まで説明していた。


田中に「佐伯さん、まず目の前の課題からお願いします」と言われたのだった。


佐伯は小さく咳払いした。


「……視野が広いのは悪いことじゃない」


誰も反論しなかった。


3 家族会議、再び


夕食の席で、佐伯は妻に話した。


「ハイパワーには、珍しいフルオート仕様もあるらしい」


妻は味噌汁を飲んだ。


「そうなの」


「通常のものとは違うんだ」


「そうなの」


「ただ、俺が待っているのは通常のガスブロだからな」


「そうなの」


佐伯は箸を置いた。


「……聞いているか?」


「聞いてるわよ。あなたがまだ買ってもいないものの話をしていることは」


「いや、歴史的な話だ」


「歴史の話なら、あなたが学生時代から待っている話も、もう歴史じゃないの?」


佐伯は固まった。


妻は何事もなかったように、焼き魚を食べていた。


「……それは少し違う」


「どこが?」


「俺の中では、まだ現役の話だ」


妻は笑った。


「そうね。あなたはいつだって現役だものね」


その言い方には、妙な説得力があった。


佐伯はそれ以上、反論しなかった。


ただし、心の中ではこう考えていた。


通常版が出たら、派生型への期待もまた始まる。


それは仕方のないことだ。


好きなものを好きでいるというのは、そういうことなのだから。


4 予約開始日のシミュレーション


その週末、佐伯はパソコンの前に座っていた。


公式サイトを確認する。


更新なし。


掲示板を確認する。


新しい書き込みあり。


動画サイトを開く。


ハイパワーの歴史に関する解説動画が表示されていた。


佐伯は再生した。


気づけば、一本、また一本と動画を見ていた。


時計を見る。


午後四時。


「……しまった」


本来なら、散歩に出かける予定だった。


医師から運動を勧められている。


妻にも「今日は歩くって言ったでしょう」と念を押されていた。


佐伯は立ち上がった。


そのとき、スマートフォンが鳴った。


掲示板の通知だった。


名無しさん:もし通常版が出たら、派生型まで待つ?


佐伯は画面を見つめた。


難しい問題だった。


通常版を買えば、長年の夢はかなう。


しかし、その先に別の可能性があると知ってしまった。


それでも、まずは通常版だ。


佐伯はそう決めた。


佐伯:通常版が出たら買う。派生型のことは、そのあと考える。


送信。


すぐに返信がついた。


名無しさん:その「あと」が一生来ない可能性もあるぞ。


佐伯は笑った。


「それでもいい」


彼はスマートフォンをポケットにしまった。


今日は歩く。


健康のために。


そして、いつか待ち望んだ製品が発売されたとき、元気に箱を開けるために。


……もっとも、箱を開ける前に深呼吸をして、血圧を測ることになるかもしれない。


佐伯は玄関で靴を履いた。


5 まだだ、そして明日へ


散歩から帰ると、佐伯は汗を拭きながら公式サイトを開いた。


新製品情報。


更新なし。


「……まだだ」


その言葉は、もう落胆のためのものではなかった。


確認の言葉だった。


今日もまだ。


明日も、まだかもしれない。


だが、いつか変わる日が来るかもしれない。


佐伯はスマートフォンを置き、冷たい麦茶を飲んだ。


五十五歳。


仕事もある。


家族もいる。


健康にも気をつけなければならない。


そして、待っているものがある。


彼は自分の生活を、悪くないと思った。


長年好きだったものを、今でも好きでいられる。


そのこと自体は、なかなか幸せなことなのかもしれない。


ただし。


「……フルオート版も、夢はあるよな」


妻が隣の部屋から叫んだ。


「まず通常版!」


「はい!」


佐伯は即答した。


そして、心の中で静かに付け加えた。


通常版が出るまで、俺はやめない。


派生型については、そのあと考える。


佐伯修一、五十五歳。


彼の夢は、少しだけ広がった。


東京マルイの公式サイトには、今日も新しい発表はなかった。

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