⑻ 避けていた領域
週末、自宅へ帰ると明里が迎えてくれた。
「おかえりなさい」
……何かいつもと違う。
思いつめたような表情だ。
「どうした」
私は声をかけたが、明里は返さない。
こんな明里は初めてである。
ただ事ではない。
私は椅子に腰かけた。
沈黙が続く。
しばらくすると明里が私に言った。
「お話しがあります」
……まずい。
私の直感が伝える。
「……はい」
緊張が走った。
この話、対応を誤ると、取り返しがつかない。
「私、おじさんの、何でしょう」
明里は、今まで避けていた領域に踏み込んできた。
そう、その事は暗黙のうちに、お互い触れないようにしていた。
はっきりさせてしまうと、その先が見通せないからだ。
「私、このままおじさんを待ち続けて……いいの?」
ここで言う『待ち続けて』とは、私の帰りではない。
この先、おじさんと一緒になれるでしょうか? という意味だ。
怖いはずだ。
私の答え1つで、明里の明日が変わる。
相当悩んだあげく、踏み込んだ事が伺える。
私は答えた。
「それは、明里が卒業するまで、待ってくれと約束したはずだ」
私の答えに明里は下を向いて返した。
「このまま待ち続けるの……出来そうにありません」
私は一呼吸置いて訊ねた。
「……なぜ?」
「だって私、おじさんから信じられるもの、何も持っていません」
訴えるような口調だった。
そう、私は明里に対して、何も与えていない……体の関係も含めて。
それは、まだ明里が子供だからだ。
若い頃は将来を見通せない。
気の迷いかもしれない。
本当に私と、生涯を共に過ごせるのか?
明里は怯えた表情で目に涙を溜めている。
大きな覚悟が見て取れる。
私は無言のまま席を立った。
そして自分の部屋に入った。
リビングから、声を殺した泣き声が聞こえてくる。
私は引き出しから封筒を取り出し、リビングに戻った。
明里は戻って来た私に驚いた表情だった。
私はその封筒を明里に渡して言った。
「これを明里に預ける」
明里は封筒を受け取り、中から1枚の紙を取り出した。
その紙は、私の名前を書いた婚姻届け。
そして、記した届出日は、今から4年後の3月31日。
明里が大学を卒業する年である。
明里は震える手でその紙を掴みながら声を殺さずに泣いた。
このような泣き方、今までなかっただろう。
常に自分を抑えながら生きてきたような子だ。
私は、知らず知らずの内、明里を追い詰めていたのかもしれない。
そして、私は明里に、甘えていたのだろう。
次回:(第11章 終話)ダメーッ!




