⑹ 会社で朝食
金曜、朝6時、明里は天文研の観測旅行に出発する。
「気を付けて、いってらっしゃい」
「おじさん、私が帰ってきた時、この部屋は、このままだよね」
「なに言ってるの?」
「だってぇ」
明里はしばらく下を向いて、その後顔をあげて言った。
「行ってきます」
明里は振り向かず、玄関を後にした。
やれやれ、明里は何を心配しているのか?
私はその日、いつもより1時間早く会社へ向かった。
会社の勤務時間は、基本、9時~17時であり、前後1時間のフレックスタイムとなっている。
会社の食堂は、朝8時から10時まで朝食メニューが用意されており、それを利用する為だ。
会社に着いて荷物を置く為に、研究室に寄った。
すると、千広が既に出社しており、ホットプレートを分解掃除していた。
「あれ、佐伯さん、早いですね」
「あ、主任、おはようございます」
「いつも、こんなに早く?」
「いえ、この調理器具、いつも綾乃さんが綺麗に清掃してから帰られるのですが、たまには私もと思いまして、分解掃除しています」
「そうなんだ~ 私は食堂で朝食を取ろうと思って」
「そうなんですね」
「という事で、じゃあ」
そう言って、食堂へ向かおうとした時、
「主任!」
突然、呼び止められた。
「あの、本当に……私を受け入れて頂いて、ありがとうございました」
千広は、私に向かって、深く頭を下げた。
私は笑顔を向けて、「何を今さら」と言って、千広の左腕をポンポンとたたいた。
千広は、顔を染めて下を向いている。
「これからも、よろしく」
そう言って、研究室を出た。
……恥かし~
普通あの場面、女性の腕をポンポンと、たたいたり、しないよな~
千広の、きゃしゃで柔らかい腕の感触が、私の手に残っている……
ごちそうさまでしたっ!
私は食堂で、モーニングセットを注文した。
この時間、食堂を利用する人は、あまりいない。
小テーブルに1人で座って朝食を取り始めた。
すると、後ろから声を掛けられた。
「ご一緒しても良いですか?」
振り向くと、モーニングセットを御盆に乗せた綾乃が立っていた。
「あ、どうぞ」
綾乃が、左側に座った。
「研究室に入ったら千広さんがおられて、今、主任も出社されて、食堂へ行かれた事を聞きましたので、私も来ちゃいました」
「あ、朝食まだなもので、ここの食堂利用しました。綾乃さんも?」
「私はいつも朝食抜いてるのですが、今日は主任にお供したいと思いまして」
こっ、この流れ……気を付けよう。
慌てて話題を変えた。
「いや~朝食は少しでも、ちゃんと食べた方がいいと思いますよ」
「主任と二人っきりって、初めてですよね」
強引に話題を戻された。
「いや~、あ、社員旅行の時、綾乃さんがお酒注ぎに来てくれた時」
「あの時は、主任の同僚の方が何人もいて、あ、その時、撮って頂いた写真、私の待ち受け画面にしています」
私は蒼ざめた。
「あっ、そ、それはちょっと、他の誰かに見られたら」
「冗談です。私の待ち受け画面は、これです」
見せてもらった待ち受け画面は、ペットの子犬だった。
「あ~子犬飼われてるんですか?」
再び、話題を変えようとした。
「飼っているのは母なのですが、いつでも主任との写真に入れ替えられます」
再び、戻された。
しばらく沈黙が続いた。
そして、綾乃が真顔で言った。
「主任、水瀬先輩とは、どういったご関係でしょう?」
私はその時、無い頭をフル回転させた。
囲碁でいうと、10手先、20手先を考えて、次の一手、つまり次の一言を打たなければならない。
綾乃は、私の事を何処まで知っているのか?
私が大学生の子と同棲しているのを知っているのは碧だけだ。
しかし、碧と綾乃は、同じ大学の研究室出身。
二人で女子会とか言って、飲みに行って、そのような話題になって……
いや、碧はおしゃべりな女性ではない。
だめだ、判断する為の情報が少なすぎる。
しかし、沈黙すると、綾乃の想像を黙認した事になりかねない。
やはり、最初の一手は、探りを入れる事しか浮かばない。
「え?、何の話?」
あ~陳腐だ。
「なんか~水瀬先輩に主任の事きくと、すまなそうな顔して、何も話してくれないんです」
お~しっ、だいたい状況が掴めた。
碧は綾乃に、何も話していない。
……まてよ?
しっ……しまった!
これは、気付かない内に追い詰められている!
さっきの綾乃の言葉、『なんか~水瀬先輩に主任の事きくと……』この部分、スルーしてはいけない!
本来ならば、『え、私の何が知りたいの?』と返すのが普通だろう。
しかし、『私の何が知りたいの?』と返せば、碧が何故、何も話してくれないか……それは、私が学生の子と同棲している話しに行きついてしまう。
まずい、まずいぞ~。
話しの流れを大きく変えなければ。
私は考えたあげく、危険な賭けに出た。
「ええ? 水瀬さんと2人で、私の事を話題にしてんの?」
綾乃は、固まった。
よし、綾乃は私に誤解されたと思っただろう。
『陰で主任をネタにしている』
慌てて綾乃が言葉を返した。
「いえ、違うんです。そういった意味ではなくて……」
「そういった意味って?」
綾乃は俯いてしまった。
ここで、綾乃を追い詰めてはいけない。
「いや~お二人から話題にされて、光栄だな~」
その後、朝食を済ませ、研究室へ戻った。
私と綾乃が一緒に戻って来たのを見て……あれ?
千広さん……なんか、私をにらんでる?
「ふぅ~」
それは、千広に向けた碧の溜息だった。
今回のおじさん、たらし でした。
次回:(第9章 終話)流れ星に願いを込めて




