第十四話「つばさとユノ」
タイパー狩り。
それは、QWERTY配列以外の配列支持者の間で、まことしやかに囁かれていた噂話だった。
暗黒タイピング大会が開催される以前から、話はあった。
QWERTY配列以外の有用な配列が台頭すると、彼らが現れる。
新しい配列の優位性に疑義を唱え、議論をかき乱し、新しい配列を用いるタイパーがいれば、徹底的に攻撃する。
偶然なのか、新しい流れへの必然なのか、そんなことが続いた。
匿名で現れる彼らの正体は分からない。
確かな意思を持って存在さえしているのかさえ、定かではなかった。
最速のタイパー集団だとも、脅威のハッカー集団だとも言われていた。
新しい配列を考える配列屋たちは、いつしか彼らのことをタイパー狩りと呼んだ。
新配列で有名になると、タイパー狩りが現れる。
タイパー狩りは、QWERTY配列以外の存在を認めない。
一種の都市伝説のようなものだと、白鳥つばさは考えていた。
そんな存在はありえないと。
新しい配列を消して回る存在がいるとしたら、進歩が止まってしまう。
技術の進歩は、変化によってもたらされるからだ。
時代の変化や、環境の変化、人の変化。
多くの技術が互いに磨き合い、より変化に適した技術が生き残る。
配列もまた同じ。適者生存だ。
今は、たしかにQWERTY配列が最大勢力である。
技術のロックインで、キーボード配列の変化は難しい。
人は一度覚えた配列をなかなか変えられないからだ。
百五十年前、QWERTY配列は最適だったのかもしれない。
適者生存で生き残った。
しかし、時代は流れた。
もはやQWERTY配列に人類のタイピングを委ねるときは過ぎ去っていると、多くの人は考えており、だからこそ、暗黒タイピング大会は開かれたのだと、つばさは思っていた。
違うのかもしれない。
それを良しとしない勢力がある。
「湯浅さんもそんなことを言っていたっけ」
暗黒タイピング大会は、すべての配列が横並びのレースじゃなく、QWERTY配列が優勝内定の出来レースであり、他の配列は形式を整えるためだけの当て馬であると。
つばさはパソコンの前に向かいながら、目を凝らした。
朝まで続いたDDoS攻撃がようやく止んだ。
結局の所、有効な対策は何一つ打てなかった。
今は正常にホームページが表示されている。
しかし、また攻撃されたらダウンするだろう。
これもタイパー狩りの仕業だろうか。
見ると、他の配列紹介サイトも正常に復帰していた。
暗黒タイピング大会に出場する配列を攻撃してきたということだろうか。
だとしたら、彼らの攻撃はまだ続くだろう。
SKY配列の白鳥つばさを狙ってきたのだ。
アクセス制限ファイアウォールを使ってサーバーダウンを防ぐのも手だが、突破されたら意味をなさない。きっと突破されるだろう。
彼らは白鳥つばさよりも数段上手のハッカーだった。
毎晩サイトを落とされていたら、新しい仲間にSKY配列を紹介することもままならない。
「なんとかしないと……」
敵が存在している。
ネットの海の水平線から、正体不明の敵が、明確な悪意をもって攻撃してきているのだ。かつて経験したことのない感覚に慄然とする。
敵の正体はともかく、現状に対処することは絶対に必要だった。
「……あ!」
つばさは時計を見上げた。
すっかり朝になっていたのは知っていたが、今日は朝から大事な予定があったのだ。
「いけない! 早く行かないと!」
今日はSKY配列に興味があるという女の子と朝から会う予定だったのだ。
SKY配列の仲間集めは、今一番大事なことだ。
仲間を集めなければ、暗黒タイピング大会に出場さえ出来ない。
仲間。
その言葉はつばさにとって特別な意味があった。
確かに友達はたくさんいた。
でも、志を同じくして、ともに共通の目標を目指して一緒に歩いていく人はいなかった。
仲良くなって、タイピングや配列の話をすると、みんな一歩引いていた。
祖父から教えられたキーボード配列の話を熱心にする子は、誰にも求められていないのだ。
仕方のないことだと思った。
いつしかリアルではタイピングやSKY配列の話をしなくなっていた。
網走翔に出会うまで、ずっとそう思っていた。
最初に酒を酌み交わした夜を思い出す。
思う存分話した。
話したいことを、話したいように。
あんな夜を共有できる仲間を、増やしたい。
ともに歩いていける仲間を。
「がんばらないとね」
着替えている時間も、化粧をしている時間もなくなっていた。
つばさは部屋着姿のままバッグを持って家を飛び出した。
走ること数十分、電車に乗ること十五分で、つばさは待ち合わせ場所の公園に到着した。目印にしていた噴水前のベンチにはまだ誰もいない。
待ち合わせ時間まではまだ十分以上あった。
「はぁはぁ。これなら……着替えてくればよかった」
珍しく走った疲れと、一晩中パソコンをいじっていた疲労でクラクラしてくる。
「少しだけ……寝ようかな」
つばさはタイマーをセットすると、公園のベンチに横になった。
まどろみからの眠気が一気に意識を包み込む。
一瞬だけ眠ったような気がしたが、すぐにタイマーが鳴った。
起き上がると、目の前には制服を着た少女が立っていた。
「白鳥つばさ……!」
少女は言った。
短い黒髪。制服姿の整った顔立ち。
なぜかその黒瞳からは深い敵意が滲んでいた。
とはいえ、自分の名前を知っているということは、待ち合わせの相手に違いない。
目覚めたつばさは気を取り直して名乗った。
「私は天才配列屋の白鳥つばさ! SKY配列で世界を救うために戦いましょう!」
SKY配列のために戦うと思うと、元気が湧いてくる。
つばさは手を差し出すが、少女は呆気にとられたように動かない。
少女は意を決したようにつばさを見据えて言った。
「ぼ、僕は天才ハッカーユノ! 今日はお前に言いたいことがあって来た!」
少女は腰に手を当てて、ビシッとつばさを指差していた。
目の奥の敵意が一層燃え上がったように見える。
何より。
「ハッカー……?」
つばさの頭が高速で回っていた。
朝まで続いたDDoS攻撃。相手は凄腕のハッカーだ。
新しい配列の前に現れる存在。
あの都市伝説。
タイパー狩り。敵。
SKY配列に応募してきた少女。敵意が浮かぶ少女の目。
何のために、何を言いに来たのか。
「まさかあなたが……タイパー狩りなの?」
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駅前公園の噴水前で、二人は互いをにらみながら言葉を交わしている。
「何を言ってるの? タイパー狩り? なにそれ。僕は」
優乃は肩をすくめた。
つばさは優乃の言葉に割って入る。
「……ユノさん。あなたは、SKY配列に興味があるそうね」
「そうだよ。でも興味があるというのは違うかもしれないね。方便ってやつさ。僕はSKY配列のことは知っているけど、君の仲間になりに来たわけじゃない」
それを聞いて、つばさは一つ頷いた。
「メールで話した内容と、随分違うみたい。今日は何のために?」
「僕は、暗黒タイピング大会に出るわけじゃない。言いたいことがあって来た」
「……知っているのね。暗黒タイピング大会を」
暗黒タイピング大会開催の情報は、ごく一部の関係者にしか出回っていない。
もちろん事前に伝えたりはしない。
「白鳥つばさ。君のことは、調べさせてもらったよ」
「……それで?」
「SKY配列のサイトは見せてもらった。ついでにForcebookも」
「別に隠してないわ。それくらい……サイトを見たの? いつ?」
「昨日の夜さ。よく出来たサイトだね。見やすくてセンスがいい」
昨日の夜までは、サイトは正常だった。
アクセスログを解析した結果、DDoS攻撃が始まったのはネットのゴールデンタイムと言われる22時からだ。
「それで、あなたがやったの……? DDoS攻撃を」
「……DDoS攻撃? なんのことだい? 僕は君に言いに来たんだ。白鳥つばさ。暗黒タイピング大会にSKY配列で出るそうだね」
「そうよ。世界を最高の配列に変えるために」
「SKY配列は確かに良い配列だよ。好きにするといい。個人的に興味もある。ただし……」
優乃はそこで言葉を区切った。
「タイパーに網走翔を誘うのはやめるんだ!」
「翔くんを……? なんでここで翔くんが出てくるのよ」
「ふっ。翔くんなんて気安く呼んでくれるじゃないか」
「そんなに気安いかしら……」
「気安いよ! 僕なんてまだ会ったこともないのに! あいつはネットの知り合いとはリアルで会わない主義なんだ!」
「そんなこと私に言われても……。快く会ってくれたわよ」
「嘘だよ! 色々と奸計を弄したって聞いてるよ!」
「奸計って……私だって色々と工夫しているだけで」
「だから! 君がそのデカイ胸でSHOWを誘惑してSKY配列に誘ったんでしょ!」
言われて、つばさは反射的に胸を押さえた。
「ななななっ。何言ってるのあなた! 翔くんは自分でタイパーになるって言ってくれたのよ」
「しかも飲み会のあとSHOWをお持ち帰りしたでしょ! 全部知ってるんだからな!」
「なぜそれを!? あれはその、色々あって飲みすぎちゃったから。一線は超えてないし」
優乃の勢いに、つばさは押され気味だった。
「当たり前だよ! もし一線超えてたら、こんなんじゃ済まないからな! 僕が出来る力を使ってありとあらゆる嫌がらせをしてやるんだから!」
「嫌がらせって……」
「君のSKY配列の悪い噂を自動書き込み拡散ソフトでネット上にばらまいたり! サイバー攻撃でサイトを二度と見られなくしてやったり! そういうのだよ!」
「サイバー攻撃……?」
「そうだよ!」
白鳥つばさの瞳が深く沈んだ。
「……やっぱりあなたは、タイパー狩りなの?」
「だからさっきから何のこと言ってるのさ」
「それとも仲間内だとタイパー狩りという呼称じゃないのかしら」
「君は見かけどおりバカみたいだね。そんなの知らないって言ってるだろ」
優乃はつばさの金髪とピンクの髪を見て吐き捨てた。
つばさは考え込むようにあごに手を当てた。
「あなたは、ハッカーなの?」
「そうだよ」
「そしてSKY配列に翔くんが参加するのをよく思ってない?」
「当たり前さ。あと翔くんって言うな」
「暗黒タイピング大会を知っているのね?」
「配列変更をかけた大会だろ」
「タイピングは得意かしら」
「ほとんど負けたこと無いよ」
「DDoS攻撃ができるのかしら?」
「DDoS攻撃? 僕なら簡単さ」
つばさは目を閉じて、こめかみを押さえた。
くわっと目を見開く。
「やっぱりタイパー狩りじゃない!」
「なんでそうなるのさ!」
優乃はつばさと網走翔の関係に文句をいい、つばさは優乃をタイパー狩りと疑っていた。
二人の言い合いは、小一時間続いた。
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「大体君はSHOWに馴れ馴れしいんだよ! 変な格好してさ」
「言いがかりはやめなさい。私の格好はいつも普通よ」
「はっ。変人は自分のことを普通と思っているってのは、本当らしいね」
二人の言い合いは続いていた。
ジャージ姿の金髪ピンク髪の女と、制服姿の女子中学生がバチバチと争う様子に、他の通行人は遠巻きに眺めていた。
「とにかく! 白鳥つばさ! SHOWから手を引くんだ。それが身のためだ」
「脅しかしら? 穏やかじゃないわね」
「僕は本気だ。手を引かないならサイバー攻撃でサイトをダウンさせて、SKY配列の悪い噂をネットで書き込んでやる」
決意を秘めた優乃の言葉に、つばさは眉根を寄せる。
「そもそもの話だけど、ユノさん? あなたと翔くんとの関係は何なの?」
つばさに問われて、優乃はわずかに考え込む。
SHOWとはネット上で一緒にタイピングをしているだけの間柄だ。
互いの顔と名前も知らないと、SHOWは思っているかもしれないが、優乃はどちらも知っていた。調べるのは簡単だった。
でも、会ったことはない。
それは一線を超えていると、優乃は思っていた。
越えようとしたことは何度もあったのは事実だけれど。
二人はごく短い時間を共有しているだけだ。それで十分だった。
網走翔はパートナーだと、優乃は思っていた。
しかしそれは二人の関係を的確に言い表しているだろうか。
互いの関係は、互いがそうと認めなければ意味がない。
でも、少なくとも、上野川優乃と網走翔が共有している最低限の認識はあるはずだ。
それを言葉にするとすれば。
「仲間……だよ。僕と翔は、仲間だ」
言葉に出してみると、不思議としっくりきた。
網走翔は仲間だ。
タイピングの研鑽をする仲間であり、世の中を斜めに見る仲間だ。馬鹿話をする、仲間である。
つばさを見ると、それまであった瞳の中の猜疑の色合いが薄れていた。
じっと優乃を見つめている。
「仲間……。そうなんだ」
噛みしめるように、つばさは言った。
なにかに納得したように、つばさはゆっくり頷いた。
「翔くんの仲間なら、いい人ね」
つばさは初めて穏やかな笑顔を優乃に向けた。
どうにもやりにくいと優乃は思う。
つばさは優乃に向かって頭を下げると、手を差し出してきた。
白くきれいな手だった。
「疑ってごめんなさい」
出された手を見て、優乃は怪訝そうにつばさを睨んだ。
「なんのつもりだい……?」
「私も同じ。彼の、仲間よ。仲間の仲間は、仲間でしょう」
「僕はそんな陽キャの世界観を信じてないぞ」
優乃は握手に応じず、そっぽを向いた。
「それに、こっちも言わせてもらうけどさぁ」
優乃は言った。
「白鳥つばさ。君はSHOWのことをどう思っているんだい?」
ぐるぐると唸り声が聞こえてきそうな優乃の剣幕を、つばさは涼しげに受け流していた。
「翔くんは……」
つばさは遠い目をして、続けた。
「私の憧れよ。私に出来ないことをやってくれる、ヒーローだわ。だから、あなたが思っているような関係じゃないから、安心して。ともに同じ目標を目指す、大切な仲間よ。彼は」
そう言ってつばさはウィンクをした。
見透かされたような気がして、優乃は思わず赤くなってしまう。
「同じ翔くんの仲間として、あなたのことを聞かせてくれないかしら」
「僕は認めてないよ!」
文句を言う優乃に、つばさは踵を返してから振り返った。
「どうかしら、一緒にお昼ごはんでも食べない? もちろんおごるわよ。色々言い合って、お腹すいたでしょう」
「誰が……ッ!」
優乃が言い返すより先に、そのお腹がゴロゴロと鳴った。
つばさは楽しそうに笑った。
暖かい風が吹いていた。
次回投稿は11月3日を予定しています。
よろしくお願いします。




