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第十二話「不吉の月」


 昼休み、教室は大騒ぎになっていた。

 クラスメイト共用のSNS連絡グループがおかしな挙動をしているという。

 優乃は入ってないので我関せずと言った風に一人で弁当を食べていた。


「なによこれ! 私は何もしてないのに!」


 クラスメイトの一人が自分のスマホを見ながら半狂乱で叫んだ。


「とにかく! 電源を切って!」


 別のクラスメイトは言った。

 多くのクラスメイトは、連続で投稿されるSNSグループを眺めていた。

 写真が投稿され続けている。グループに入っているクラスメイトの写真だ。

 その写真は彼女の自撮り写真なのだが、その写真に写っている彼女は、すべて繋がり眉毛になっていた。

 彼女のスマホの電源が切れたようで、連続投稿は終わった。

 優乃は机の下でスマホを操作する。

 すると次は別のクラスメイトがまた写真を投稿し始めた。

 自撮りが繋がり眉毛になっている写真である。

 またクラス中が大騒ぎになった。

 電源を切るとまた別のクラスメイトだ。

 三人続いたところで、SNSグループの奇妙な写真投稿は終わった。

 写真を投稿された三人のクラスメイトは半泣きである。

 奇しくも三人は優乃に対して嫌がらせをしてくる三人であった。


「なんなのこれ……」


 三人は電源の切れたスマホを見つめて戦々恐々としていた。

 自分の手足も同然のスマートフォンが勝手に動いたのだ。

 さぞ怖いことだろう。

 ふっと、優乃は笑った。

 それを見咎めたのは、最初に写真をアップされたクラスメイトだ。

 視線が交錯する。


「――あんたね……!?」


 机の前にきて、仁王立ちで優乃に詰め寄った。


「こんなふざけたことして、ただじゃおかないわよ」

「なんのこと?」


 優乃は言った。

 他の二人もやってきて、三人で優乃を囲んだ。


「とぼけんじゃないわよっ! あんた以外にいない!」

「バカにしやがってっ! 殺してやる!」

「スマホ出しなさいよ。ぶっ壊してやるわ」


 三人は口々に言った。

 優乃は涼しい顔で、机の下から体操着を取り出した。

 それは体操着というより、ボロボロに切り裂かれた布切れだった。

 今朝、登校した優乃の机に置かれていた。

 体操着はいつもロッカーに仕舞っているが、これ見よがしに出されていた。

 おかげで昼食前の体育は見学する羽目になった。

 切り裂かれた体操着を見て、三人は僅かにひるんだ。

 優乃は反応を見て改めて確信する。

 やったのは彼女たちだ。


「別にいいじゃん。繋がり眉毛くらい。あそこはクラスメイトが見てるだけだし」


 優乃は言った。


「ポルノが世界に流れるより、よかったでしょ」


 優乃が流し見ると、三人は青い顔をして一瞬押し黙った。

 取り囲んだ少女たちはごくりとつばを飲み込む。


「……こいつッ!」

「やめな!」


 激発しそうな一人を、リーダー格の少女が制止した。

 最初に写真をアップされた少女である。


「もう……大丈夫なんでしょうね」


 恐る恐る、リーダー格の少女は言った。


「大丈夫だと思うよ。このまま何もしなければ、変なことにはならないはずさ」


 優乃はボロボロになった自分の体操服を、机の下にしまった。


「そう……なら、いいわ……」


 昼休みの騒動は、こうして終わった。

 彼女たち三人は、以来上野川優乃に関わるのをやめた。


   ---


 DDoS攻撃とDoS攻撃の違いは、複数IPでの攻撃である点だ。

 単一IPからの攻撃であるDoS攻撃は、特定IPからのアクセスを遮断すれば被害を止められる。

 しかし、マルウェアによって乗っ取った複数のIPから同時多発的にDoS攻撃を仕掛けるDDoS攻撃は、対処が非常に難しい。

 攻撃元が次々と変わるため、特定IPをブロックしても意味をなさないのだ。


「すごい規模……! 一体誰が……!?」


 解析を進めて、つばさは息を飲んだ。

 DDoS攻撃では、不正にデータを盗んだり、改ざんしたりといったクラッキング行為はできない。単純にアクセスが殺到しているだけの状態だからだ。

 DDoS攻撃の動機の多くは、サイトダウンによるシンプルな嫌がらせにある。

 過去にはライバル企業に嫌がらせをしたり、政治的な抗議のために行われた例があるという。

 しかし、単なるSKY配列紹介サイトであるつばさの個人サイトに、大規模なDDoS攻撃が仕掛けられるなんて聞いたことがなかった。

 つばさは情報セキュリティが専門ではない。

 何とかログをたどって犯人のIPを特定しようとしたが、膨大なログに埋もれて検索が追いつかなかった。

 偶然狙われたとは、つばさは考えなかった。

 これほどの規模の攻撃である。意図的かつ攻撃的に、指向性を持って、つばさのSKY配列サイトが狙われたのだ。

 配列サイトを狙う動機は。

 暗黒タイピング大会に申し込んでから数日。

 あらゆるキーボード配列が集い、ディファクトスタンダードを決める大会。

 そこには多くの権力や利権が動くはずだ。

 勝てば勝者の配列に莫大な金が転がり込むだろう。

 ふと気になって、つばさはSKY配列以外の配列紹介サイトを検索した。

 他の配列も、当然暗黒タイピング大会には出るだろう。

 つばさは息を呑んだ。

 検索した3つの配列紹介サイトは、すべてダウンしていた。


「偶然じゃない……! 戦いはもう、始まっている……!」


 DDoS攻撃は、朝まで続いた。


   ---


 あの日から、日常は変わった。

 SKY配列で暗黒タイピング大会に出ると決めたその日から、網走翔の日々は熱を帯びていた。

 漫然と打ち続ける日々は終わったのだ。

 後ろ暗さを抱えたタイピングは過ぎ去った。

 毎日十万文字の打鍵に加えて、更に十万打鍵。運指の研究、タイピングクエストによる実戦。さらにキーボードの各キーのAPC調整を細かく行う。APCは各キーごとに反応する深さを変える機能だ。指から近いキーはわずかに深く、遠いキーはわずかに浅く。同じ感覚で打鍵を続けられるように。調整しては打鍵を繰り返し、研究しては調整する。全ては誰よりも速く精密な打鍵をするために。

 SKY配列の網走翔は、少しずつだが確実に向上していた。

 ニートの利点だと網走翔は思う。

 なにかに打ち込んだとき、邪魔するものがなにもない。

 とはいえ。


「さすがに疲れるな……」


 あまりやりすぎると腱鞘炎になるので、ちゃんと休憩しつつやらないといけない。

 健康を害してしまっては、戦い続けることは出来ないのだ。

 翔はキーボードをしまうと、軽く伸びをして、指のストレッチを行った。

 思い出して、ユノに対してメッセージを送ってみる。

 返信はない。まだ怒っているようだ。

 喧嘩するとしばらく返信がないのはよくあることだった。

 そのうちひょっこりと何食わぬ顔で返ってくる。

 時間を置くことも必要だ。


「飯でも食べに行くかなぁ」


 翔は財布とスマホをポケットに突っ込んで家を出た。

 幸いつばさに援助してもらった金があるので、食事代には困らない。

 さらにつばさとのミーティングでは基本的におごってもらっているので、近頃は意外と裕福な暮らしをすることができた。

 今日もおごってもらっていた。

 いいのかそれで! と思わないでもないが、深く考えないことにした。

 あまり考えると落ち込みそうである。


 深夜。アパートを出ると、外は星が瞬き、高い月が出ていた。

 何を食べるかと考えた結果、近所のラーメン屋に行くことにした。

 夜中でも営業しており、男一人で食べに行くとなるとラーメン屋か牛丼屋だ。

 目的のラーメン屋は、ニート時代はたまにバイト代が入ったときに行くくらい。翔にとっては高級な店である。今は金があるので贅沢してもいいはずだ。

 歩いて十分程の塩ラーメン専門店だ。

 暖簾をくぐると、店員の元気のいい挨拶が響く。

 翔は食券で塩ラーメンに味玉とチャーシューを追加トッピングする。

 贅沢! でも構わない!

 深夜にも関わらず、まばらに客が座っている。翔はわくわくしながらカウンター席でラーメンを待っていると、隣席に客が一人座った。

 若い男だった。翔と同じ年頃か、少し年下だろうか。整った顔立ちをしており、パーマをかけた髪がサラサラとラーメン屋の熱気に揺らいだ。

 一瞥した翔と一瞬だけ目が合うと、にこりと笑った。


「ここ、おいしいですよね」


 話しかけられたことに驚き、翔は思わずどもる。


「そ、そうですね」


 イケメンは苦手である。


「評判の店だ」


 若い男は嬉しそうに笑い、追加トッピングの書かれたお品書きを見つめていた。

 それ以上話しかける気はないのか、若い男はスマホを取り出していじり始めた。

 翔は忙しく立ち働く厨房内の店員の様子を眺めた。

 手際よく麺を茹でて、器にスープを注ぎ、用意していた具をトッピングしていく様を、ぼーっと見つめる。

 程なくして、翔のラーメンが運ばれてきた。

 塩ラーメン味玉チャーシュートッピング。豪華絢爛だ。

 箸を割って食べるとき、ふと横を見ると、若い男は翔のラーメンを楽しそうに見ている。

 翔が食べ始めて、すぐに若い男にもラーメンが運ばれてきた。

 塩ラーメンの味玉チャシュートッピングだった。

 若い男は食べ始める前にスマホで写真を撮影していた。

 食事の写真をSNSにアップするのだろうと翔は思った。

 一通り撮影して満足したのか、若い男は箸を指に挟んで手を合わせた。


「いただきます」


 近頃礼儀正しいやつである。

 翔は気にすることなく、自分のラーメンを食べた。

 疲れた身体に熱々のラーメンは染みた。

 最高にうまいと言わざる得ない。

 透き通ったスープに塩と鶏ガラの旨味が凝縮されている。

 麺は細めんで、スープによく絡む。

 おいしく食べながらも、翔は視界の端で若い男がこちらの様子をちらちら眺めているのを感じていた。

 妙なやつが隣に来たものだと、翔は思った。

 ラーメンを食べ終えると、翔は器をカウンターに上げて、水を飲むと立ち上がった。若い男はまだラーメンを食べていた。レンゲに麺とスープと具をちょっと乗せて、ミニラーメンのようにして食べている。

 出るときに「ごちそうさまです」と店員に声をかけて、翔は店を出た。元気な挨拶がまた背中から返ってきた。

 翔は夜道をゆっくり歩いて家路につく。帰りにコンビニでお茶でも買っておこうか。五分ほど歩いてそんなことを考えていると、後ろから声がした。


「おぉぉーい」


 翔が振り返ると、先程ラーメン屋で隣席に座っていた若い男が、手を振りながらこちらに向かって声をかけていた。


「すいませぇぇーん!」


 慌てて走ってきた若い男は、翔の前に止まると、呼吸を弾ませていた。


「はぁはぁ。これ」


 そう言って、男がブランドもののバックから取り出したのは、一台のスマホだった。

 白い筺体にメタリックのケースがついている。


「テーブルに忘れてましたよ」


 それは網走翔のスマートフォンだった。


「あ、ありがとうございます」


 びっくりして翔はまたどもってしまう。

 情けない。


「よかったです。見つけられないかと思いましたよ」


 若い男は、はにかんだように笑った。


「わざわざすいません」


 翔は礼を言って自分のスマホを受け取り、ポケットに突っ込んだ。

 そこでふと、翔は奇妙な違和感に気づいた。 

 夜道の街頭に照らされた若い男の顔は、落とし主を見つけられて満足したようにほころんでいる。

 若い男は「それじゃ」と手を上げて踵を返すと、駆け出していった。

 走り去っていく男を見て、翔も手を振り返す。

 奇妙な違和感。

 翔はポケットに入れたスマホに触った。

 そうだ……。

 

 俺は、あのラーメン屋で、一度もスマホを使ってない。

 

 ポケットから落ちたなら、テーブルではなく、床にあるはずなのだ。

 それに、と網走翔は若い男の姿をよく思い出した。

 整った顔に、柔らかい笑顔、ゆるいパーマのかかった、切りそろえられた髪。

 湯気を出すラーメンを食べて、箸とレンゲを扱う若い男の指。

 網走翔は、相対した人間のタイピングスキルが、見た目でなんとなくわかる。

 翔は自分の感じた印象をはっきりと自覚し、空を見上げた。

 高い月が出ている。


 あの男は、タイピングが速い。

 それも、恐ろしいほどに――――。



次回更新は10月末を予定しています

中途半端なところで飛んでしまって申し訳ないです

お楽しみに!

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