第十一話「悪意の予兆」
白鳥つばさ24歳。工学博士。
三体エレクトロニクスコミュニケーション勤務。
多数の顔写真が投稿されているForcebookのページを見て、上野川優乃は戦慄した。白鳥つばさには友人が多いようだ。投稿写真はどこかで飲んでいる写真や、海をバックにした旅の写真があり、どれも白鳥つばさを含めて多くの人間が写っていた。みんな笑顔で、楽しそうだ。海外で撮った写真もあるようである。古い言葉だが、優乃は思わず「リア充」という言葉を思い出していた。自分の写真をネット上に投稿するなんて、優乃には信じられなかったし、多くの人間と笑顔で接している姿は眩しくも恐ろしい。ときどきロックスターのような格好をしているが、彼女たちの中ではそれが普通なのかもしれない。リア充の常識は優乃には分からなかった。
特に気になったのが、白鳥つばさの笑顔の下にあるその大きな胸元だった。
「つ、強い……!」
思わず自分の胸を撫で、彼我の圧倒的戦力差にため息が出る。
いや、まだ成長中なのだ。
「ふふふ。なるほど。そういうことね」
優乃は一人つぶやく。
一晩中、SHOWのタイピングに付き合ってから、翌日連絡が取れなくなり、戻ってきたSHOWの意見が180度変わっていた。
タイピングをやめると言っていたはずなのに、いつの間にかSKY配列で暗黒タイピング大会に出ると言い出した。
タイピングを続けるのはいい。それは優乃もなんとなく分かっていた。SHOWがタイピングをやめるなんて不可能だ。
それはいい。
SKY配列で暗黒タイピング大会に出場するのもいい。
配列変更なんて楽しそうだ。
SHOWなら意外となんとかなる気もする。
そこまではいい。
しかし、それで女の家に泊まってくるのは断じて許せない。
だから優乃は調べ始めたのだ。
相手の女の正体を。
ネット検索をしたらあっさりForcebookのページが見つかった。
確かに魅力的な女である。しかし。
「リア充女に誑かされるなんて、SHOWらしくないよっ!」
SHOWにはもっとこう……鬱屈した日々を送った、ひねた態度で斜に構えて世の中を見ているダメダメ女子がいいはずなのだ!
と、優乃は信じていた。
優乃がさらに検索すると、SKY配列のホームページが出てきた。
製作者はもちろん白鳥つばさだった。
こちらには顔写真等はなかったが、白鳥つばさ自身の学者としての経歴が詳細に書かれていた。更にはSKY配列のQWERTY配列に対する優位性を示すデータもあった。
かなり分かりやすい。SKY配列のキータッチを覚えるための変な歌動画もあった。
やはりこの女、只者じゃない。
話を聞く限り、SHOWは白鳥つばさの家に泊まっただけで、何も起きてないようだ。
とはいえ、長いこと二人を一緒にさせておくのは得策じゃない。
今一度、白鳥つばさのこと、そしてSKY配列とQWERTY配列のことを知る必要があるかもしれない。
あるいは……と、優乃は白鳥つばさのSKY配列紹介のホームページを見つめて考えた。
彼女の活動を邪魔するのも手かもしれない、と。
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「なんでQWERTY配列になったのか? だって?」
放課後、優乃は教師の角倉宮子に質問しに行った。
自分から教師のところに行くのは初めてだった。
QWERTY配列になった経緯について、ネットでも調べてみたが、決定的なことは分からなかった。
宮子は大手IT業に勤めていたというから、もしかしたらと思って聞いてみた。
「うーん。いろいろな説があるのは知っているけど……よくあるのはわざと打ちにくく作ったって説だね」
「打ちにくく?」
「初期のタイプライタは機構が稚拙で、印字速度が速くなると印字棒がすぐに絡むという問題があって、これを解決するためにわざと速く打てないように決められたのが現在の配列であるってやつだ」
そんなことがあり得るのだろうか。
優乃の目線を感じたのか、宮子はうなずいた。
「でもこれは都市伝説だと言われている。タイプライターが普及してQWERTY配列が出始めた当時、タイプライターには印字棒なんて機構はなくて、印字棒があるフロントストライク式タイプライターが発明されたのはそのあとなんだ」
宮子は続けた。
「わざと頻出単語を離したって説もあるけど、眉唾だね。QWERTYが英語向きの配列であることは間違いないけど、英語で多い連続文字である『e』と『r』や、『t』と『h』が近い位置に配置されているからね」
宮子は優乃の目を見た。優乃は思わず目を伏せてしまう。
「他にも『TYPEWRITER』って単語を一列で打てるようにって説もあるね。実際打てるから、冗談みたいな説だけど馬鹿に出来ない。でも一番有力なのは……」
優乃は再び顔を上げると、宮子と目があった。
宮子は片目をつぶってウィンクした。
「やっぱりタイプライタートラストの思惑かな。昔は各社バラバラだったキー配列だけど、そうなると投資のコストや値下げ競争で大変だからね。多くの人はキーボード配列なんて一つしか覚えたがらない。A配列やB配列、C配列が各社乱立して発売して、A配列だけ売れたら他は投資が完全に無駄になってしまう。だからここは一つ主要メーカーのキーボード配列はみんな同じにして、特許とって標準化して、配列以外のところで勝負しようぜってなったわけ。特許があれば新規参入のハードルも上がるからね」
確かに納得のいく話ではあった。
しかし、決定的ではなかった。
なぜQWERTY配列になったのか?
タイプライタートラストでメーカー各社が一つの配列に統合する優位性は理解できる。しかし、A配列、B配列、C配列があるなかで、QWERTY配列になったのは、どうしてなのだろう。
「あまり納得いかないかな?」
宮子が言うと、優乃はうなずいた。
「先生がわかるのはここまでかなぁ。ネットで調べてみるよ」
ネットで調べても教師が言うこと以上のことは多分書いてないだろう。
むしろ空でそれだけキーボード配列のことを語れる宮子の知識がすごいのだ。
大手企業の人間はみんなそうなのだろうか。
優乃は頭を下げて礼を言った。去り際、気になったことを聞いてみた。
「先生は……」
宮子は穏やかな顔で笑った。
「なんだい?」
「暗黒タイピング大会って知っていますか?」
宮子は不思議そうに目をぱちくりさせた。
「暗黒……なんだって?」
「知らないなら、いいんです」
優乃はそれだけ言って職員室を出た。
夕日の中で、相変わらず部活動に勤しむ生徒たちが見えた。
もうすぐ春休みだなと、優乃は思った。
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いつもの定食屋に、網走翔と白鳥つばさは集まっていた。
昼は定食屋だが、夕方からは飲み屋になるようで、食事だけじゃなく酒を飲む客も多かった。日の落ちかけた人々の喧騒で店内はざわついている。つばさはウィスキーを頼み、翔はビールを飲んでいる。とはいえ、つばさのペースで飲むのは危険すぎるので、翔は酒量をセーブしていた。すでに家でSKY配列のタイピング練習を二十万字分積んできた翔のからだにアルコールがゆっくりと浸透していく。
テーブルに並んだ料理の中で、翔は冷やしトマトをちびちびと食べながらビールを飲んでいた。
向かいの席から熱い息が吐き出される。
「はぁ~。ダメだったよ」
なにが? とは翔は聞かなかった。
そもそもこの会は、暗黒タイピング大会に向けての定期ミーティングという体裁である。
話す話題は仲間集めのことだった。
白鳥つばさはネットで募集した何人かのタイパー候補者たちに会ってきたのだ。
「やっぱり、出てくれないって?」
「出てくれないどころじゃないよ。あの人達、タッチタイピングもろくに出来ないし、やる気もないんだって。なんのために応募してきたのよっ!」
つばさはぷりぷりと怒っている。
アスパラのベーコン巻きをつまんで口に放り込んだ。
「映画を見に行こうとか、水族館に行こうとか。飲みに行こうとか。タイピングと全然関係ない話じゃない」
「そうだな……」
そんな気はしていたけど、やはりそうだったか。
タイパーは……と翔は思う。
タイピングは一人でできる競技だ。
コンピューターさえあれば、一人で完結している。
修行僧みたいなところがある。タイピングはかつての自分との戦いだ。
人と対戦したくなっても、今の世の中対戦相手には不自由しない。
だからかもしれないが、タイパーは一人でいることを好む。
自分一人が満足にタイピングできればそれでいいのである。
変人ばかりである。これは自分の偏見かもしれないが。
少なくとも、わざわざ仲間を作りに行くという行為は、タイパーの性質とは合わない。
だからこそ、五人の仲間を集めるという暗黒タイピング大会が困難なのだ。
ましてや自分の配列を変えてまでタイピング大会に出る人間となると。
「翔くんはどうだった? 心当たりがあるって」
ユノはそんなタイパーたちの中でも特別だった。
同じレベルのタイパーであるというだけじゃない。
それ以上に近しいものを、網走翔は画面の向こうの生意気な存在に感じていたのだ。
「残念だけど、出てくれないらしい。暗黒タイピング大会の話をしたら、チャットを切られて、返事もくれない」
「そんなぁ。翔くんお墨付きの実力者だったんでしょ」
「実力的には、これ以上の味方はいないってくらいだ」
「説得は続けられそう?」
「何とかやってみる」
実際問題として、翔の知る限りユノ以上の味方はいないのだ。
出てもらわなければ、戦えない。
「私も、昨日また応募してくれた人がいたから、話を聞いてみる」
「……どんな人?」
翔は幾分の警戒を込めてつばさに聞いた。
「SKY配列に興味があるって。中学生の女の子らしいから今までの人たちとは違うと思う」
違うかもしれないが、中学生の女の子ではタイピングの実力には期待出来ないかもしれないと翔は思う。
「わかった。そっちはそっちで当たってくれ。俺も説得を続けてみる」
「うん。それとタイピング大会にも行こうね」
「そうだな。土曜日だったか」
「うん! かなりの大物が出るらしいよ」
つばさは嬉しそうに笑ってウィスキーを飲み干した。
「大物?」
翔はビールを飲む手を緩める。
「出場者の中に、あの『雷鳴のdenzi』と『神速のコールラウシュ』、『疾風のキョウコ』が出るって」
翔はビールを飲んで笑った。
何だその通り名。
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その日の夜。
飲んで家に帰ってきた白鳥つばさは、いつものようにパソコンを立ち上げて各種のニュースをチェックしていた。
ハーマンミラーのアーロンチェアーに腰掛けたつばさは、日本酒を開けてグラスに注ぐ。
流れるフィードを確認し、酒を飲んだ。
更に一日の仕事の整理と、明日への準備だ。
一通り終えたら風呂に入ってストレッチをしたらホットミルクを飲んで眠る予定だった。
しかしそこでつばさは奇妙なことに気づく。
自分のホームページが表示されないのだ。
友人との交流用のForcebookのページではなく、情報交換用のSNSでもない。SKY配列の詳細やデータが記されたホームページだ。
ブックマークから何度クリックしても表示されない。
通信環境を確認する。ネット接続は正常。
自分のホームページだけ、落ちている。
なにか、奇妙なことが起きている。
ホームページが置いてあるサーバーにピンを打った。
反応がない。
つばさは飲んでいた日本酒のグラスを置いて、更にキーボードを叩いた。
サーバーを調べてみると、過負荷によってダウンしていた。
直近のトラフィックを走査する。サーバー側のトラフィックが異常に増えていた。
一日でも数人しか訪れないつばさのホームページに、数万人分のアクセスが殺到していた。急激な過負荷によるサーバーダウンが原因だとわかった。
不自然すぎるアクセスの増加である。
酔いが覚めていく。
これは……。
「まさか……DDoS攻撃ッ……!?」
複数のIPから、悪意を持った第三者が、ホームページのサーバーに過剰な負荷をかけるサイバー攻撃だ。
表示されないつばさのホームページが、正体の見えない悪意の存在を物語っていた。
次回更新は8月26日を予定してします。
よろしくお願いします!




