30.名前
「おはよう、ねずみさん!」
日の出の明るさで目を覚ますと、私よりも一足早く起きていたマシロが爽やかな微笑みでこちらを見ていた。どうやら、私が起きるまで動かずに待っていてくれたみたいだ。
『おはようマシロ。待っててくれて、ありがとう』
目の前にあるマシロの頭を撫でると、マシロが嬉しそうに目を細める。大人になっても撫でられるのは好きみたい、かわいい。
『今日も一日頑張らなきゃ』
日課になっていた朝露の回収も、マシロが手伝ってくれたのであっという間に終わってしまった。本当は飲み水なら魔法でいつでも出せるからわざわざ回収しなくてもいいんだけど、ツイントレントも喜んでくれているし私は朝露の味が好きだった。なんとなくだけど、川の水とは違う不思議な甘みがあるのだ。
「ツイントレントさんたちの朝露は特別なんだよ」
『特別?』
マシロ曰く、ツイントレントの朝露には聖水と同じような効果があるらしい。死霊系の魔物なら退けることができ、飲むと短時間だが属性の耐性を上げる効果がある。ツイントレント自体が珍しい魔物なため、土地によっては高値で取引されているようだ。
『…結構貴重な代物だったんだ』
別に換金するつもりもないからいいんだけど。そもそも動物だから買い物も出来ないし。
「でも、いつか人間の町に行った時に役に立つかもね?」
マシロがくすくすと笑いながら、木の実の殻に入れた朝露を渡してくれる。
確かに、それはそうかもしれない。マシロが通訳してくれるから人間とも意思の疎通がとれるし、いつかは人間の町にも行ってみたい。私はともかく、ホワイトフェザーは聖なる使いともされてるらしいし。きっと人間から襲われることはないはずだ。
『いつか本当に行ってみたいね、人間の町』
リラさんたちみたいな、人間がたくさんいる町に。
私も少し前までは人間だったはずなのに、もう随時と長い間ハムスターとして過ごしているような気がする。人間が遠い存在に思えて、ほんのちょっぴり寂しいような気もする。でも、
『朝ご飯にしよっか』
「うん!」
私は、この生活が気に入ったのだ。マシロと過ごすこの時間が、大切なのだ。
私は朝ご飯用に出した木の実からルコの実とピコの実だけを選り分けると、それらを全てマシロのバッグへと入れた。いざという時に、いつでもHPとMPを回復出来るように。聖魔法が使えるからHP回復も出来るんだけど、いつでも魔法が使えるとは限らないし。念には念を、用意周到というやつだ。
「これも入れとく?」
マシロがまん丸の真っ黒な木の実を私の前に置き、首を傾げる。これはノールの実と言って、毒や麻痺などの状態異常を回復させる効果があった。うんうん、これもとっておいた方がいいはずだ。
「…これはどうする?」
今度はまん丸の真っ白なモールの実を置き、困ったようにマシロが尋ねてくる。モールの実には幻惑やバーサクなどの精神異常を回復させる効果があるんだけど…これ、キリないね?
きちんと鑑定したこともあって、実は意外と貴重な木の実や旅に役立ちそうな木の実がたくさんあることがわかっていた。でも、それらをあれもこれもと保管しているとあっという間にバッグは満杯になってしまうし、いざという時に欲しい効果の木の実を探せないかもしれない。保管するにしても、いくつかに種類を絞った方がよさそうだ。
『じゃあ、ルコ、ピコ、ノール、モールの実だけ保管して、あとは食べちゃおう』
マシロも身体が大きくなって、食べる量も増えたしね。木の実はいくらでも出せるけど、食べる分だけで十分だし。
木の実の選別を終え、ようやく朝食にありつく。うん、労働(?)の後の木の実は美味しい。
「それにしても、木の実はたくさんの種類があって、名前や効果を覚えるのが大変だね」
ヒキュイの実を啄みながら、マシロがうーんと唸る。
私は鑑定出来るからいつでも名前と効果がわかるけど、普通はこれを全部覚えなきゃいけないのか。昨日鑑定した木の実だけでも二十種類以上あったし、他の植物などの名前や効果まで覚えようと思うと途方もないはずだ。
『私がいつでもわかるから、大丈夫』
確かにそうだと、マシロが私を見る。どんどん頼ってね、マシロ。
私がドヤ顔をしていると、マシロがふと言い出しにくそうに話し始める。
「あ、あのね、ねずみさん」
『なぁに?マシロ』
マシロがもじもじするなんて珍しい。いったいどうしたのだろうか。
「ねずみさんって、名前はないの?」
『名前?』
そういえば、私には名前がなかった。誰にも呼ばれることがなかったので特に気にしてはいなかったけど、マシロが話せるようになった今は名前がないと不便かもしれない。私としても、せっかくならねずみさんじゃなくて名前で呼んでほしい。それなら、
『私に名前はないよ。よかったらさ、マシロが付けてよ』
「えぇっ?!」
驚いたマシロがくわえていたマキュイの実を落とす。そんなにびっくりしなくても。ツイントレントや戦ってきたスライムたちにも名前はなかったし、魔物はあんまり名前は付けないのかな?
「わ、私が付けていいの?」
『というか、マシロに付けてほしいな』
私だってマシロに名前を付けたのだ。私にも、マシロに名前を付けてほしい。
私が期待の眼差しでマシロを見ていると、マシロはうんうんと唸りながら頭を悩ませていた。少しすると良い案が浮かんだのか、ぱっと羽を広げた。
「フキル、っていうのはどうかな?」
『フキル…』
どういう意味かはわからないけど、なんとなく響きが気に入った。フキル。うん、フキル。なんだかしっくりくる気がする。
『うん、良い!』
──────────
《名前を「フキル」に設定しますか?》
うわ、急にきた。懐かしいな、この感じ。
《名前を「フキル」に設定しますか?》
あ、はい!フキルでお願いします!
《名前を「フキル」に設定しました》
──────────
久々にこのモスキート音聞いたな。でもこれで、私の名前がフキルになったはず。
「名前にしてくれた?」
『もちろん!』
私がハイジャンプでマシロの頭に跳び乗ると、マシロが嬉しそうに目を細めた。鑑定で自分のステータスも確認したけど、ちゃんと名前の欄がなしからフキルに変わっていた。
これで今日から、私はフキルだ。
『素敵な名前をありがとう、マシロ』
「ふふ、よろしくね、フキル!」
『ところで、どういう意味なの?』
「…フキルには、まだ内緒だよ」
いたずらっぽく笑うマシロ。何度尋ねてもはぐらかされてしまうので、私は一旦諦めた。一旦、だからね?
気になるのは気になるけど、今は嬉しい気持ちでいっぱいだからそれでいい。大切なマシロが付けてくれた、大切な名前なのだから。




