第8話 おかんスイッチON! 悪徳メイドの登場
「では、少しお話をしましょうか」
アルテミアは、にこりと微笑んだ。アルテミアの笑顔は、まるで春の陽だまりのように柔らかい。だが、その瞳の奥には一切の温度がなかった。
怒鳴り声もあげず、眉間に皺すら寄せていない。むしろどこか楽しそうですらある。だからこそ、メイド長のマルタは不気味さにわずかに眉をひそめた。
「……お話、ですか?」
「ええ、ルッカちゃんのことについてです。衣服はボロボロ、食事は質素、使用人の手も回っていない。……公爵家の令嬢に対する扱いとして、ずいぶんと乱暴ではありませんか?」
「まあ」
マルタは口元に手を添え、薄笑いを浮かべた。
「幼いお子様ですから。多少の粗末さは仕方のないことでございます。先程も申し上げたとおり、前妻様のお子は……どうしても“扱いづらい”のですよ。まぁ、公爵家の内情もご存じない新参の奥様が、長年仕えてきた私どものやり方に口を挟まれるのは───」
「『内情』?」
アルテミアは首を傾げ、にっこりと笑みを深めた。
「公爵家の予算を、貴女が管理しているという意味ですか? 執事のベルトランさんではなく?」
「……え?」
マルタの表情が一瞬で凍りつく。
「私、数字を見るのが好きなんです。前世───あ、実家で貧乏男爵家の帳簿を預かっていたものですから。人は嘘をつきますけれど、数字は嘘をつきませんものね。数字は嘘をつかないって、前世の決算資料で学んだのよ!!」
アルテミアはゆっくりと立ち上がり、一歩踏み出した。
「令嬢に必要な衣服も食事も用意されていない。なのに、公爵家の『令嬢養育費』の支出は減っていない。……なら、その消えたお金はどこに流れているのかしら?」
「っ……! 何をおっしゃっているのか───」
「簡単な確認ですよ。公爵家の予算がどこへ消えているのか。そして……『躾』と称して食事を抜き、暗い部屋に閉じ込めていたのは誰なのか」
『暗い部屋』という言葉が出た瞬間、後ろでルッカの身体がびくりと跳ね、青ざめた。ルッカは、反射的に自分の腕を抱きしめた。寒さではなく、記憶のせいで震えているようだった。
アルテミアはその反応を絶対に見逃さない。
(───ビンゴ。横領だけじゃない、虐待までやってたわね。いえ、横領のために虐待をした………ってところかしら?)
胸の奥で煮えたぎる激怒。けれど、アルテミアは決して怒鳴らない。感情的になればルッカが怖がるからだ。
だからこそ、完璧な笑みを崩さないまま、声音だけを氷のように冷たく落とした。
「マルタさん。私、自分の大切なものを傷つけられるのが、ものすごく嫌いなんです」
「…………!」
「この子を傷つけた人間を、私は絶対に許しません」
圧巻の威圧感に、マルタが思わず一歩後退したその時───。
「奥様」
低い重厚な声が響いた。
廊下の角から現れたのは、モノクルの奥に鋭い光を宿した執事、ベルトランだった。
「ベルトランさん」
「お騒がせしております。……奥様、私から『公爵家の裏帳簿』と『これまでの不正』について、すべてご報告させていただきます」
「なっ……ベルトラン様!?」
マルタの顔面から血の気が完全に引いた。
執事はマルタを一瞥もせず、深々とアルテミアに頭を下げた。長年胸を痛めながらも踏み込めなかった悪徳使用人の排斥───その決定打を、この新しき奥様が作ってくれたのだ。
(……ようやく、この屋敷に光が差した)
アルテミアはルッカの小さな手をぎゅっと握り直し、最高の笑顔を弾けさせた。
「それではベルトランさん。公爵邸の大掃除、始めましょうか!」
廊下の奥で、メイドたちが一層ざわめく気配がした。嵐の前触れのように。




