第7話 尊すぎる天使と、酷すぎる惨状
白い皿に盛られた、ふわふわのパンケーキ。とろりと垂れる蜂蜜と真っ赤なベリージャム、そしてたっぷりの生クリーム。
蜂蜜が光を受けてきらきらと輝き、生クリームは雪のようにふわふわで、ベリージャムは宝石みたいに赤い。
「ほら、ルッカちゃん! 今日は特別仕様だよ!」
「…………」
目の前に置かれたごちそうを、ルッカは膝の上に小さく手を置いたまま、ただじっと見つめている。
「……食べて、いいの? 全部?」
ルッカは、フォークを持つ手が震えていた。食べ物を前にして震える癖は、きっと怒られた記憶のせいだ。アルテミアはそれに気付き、とびきりの笑顔を作る。
「もちろん! ルッカちゃんの分だもん!」
アルテミアの言葉に、恐る恐るフォークを伸ばすルッカ。小さく切った一口を口へ運ぶと───琥珀色の瞳が驚きで見開かれた。
「…………おいしい」
「よかった〜っ!!」
一口、また一口と夢中で頬張り始めるルッカ。
そのあまりの可愛らしさに、アルテミアとチセラは隣で悶絶していた。
(……可愛い! 頬っぺた落ちそう! もぐもぐしてる! 天使! 天使がパンケーキ食べてる!!)
口元についた蜂蜜を布巾で優しく拭いてあげると、ルッカは不思議そうに見上げてくる。
「……お顔、拭いてくれるの……?」
「そりゃ拭くよ、汚れちゃうもん」
「……そう」
小さな返事とともに、ルッカの頬にほんのりと温かな色が戻っていく。
食後、二人は手を繋いで廊下を歩いていた。
「ねえ、ルッカちゃん。好きな食べ物とか、好きな遊びってある?」
「……分からない。考えたこと、ない……」
(この子……好きって言葉を使ったことがないんだ……)
一瞬胸が詰まるアルテミアだったが、すぐに最高の笑顔を弾けさせた。
「じゃあ、これから一緒に探そう! 好きな色、好きな本、好きな場所……いっぱい探すの!」
「……そんなに?」
「そんなに! 約束!」
小指を絡めて指切りを交わす。ふと、ルッカの着ている服に目をやると、サイズが合っておらず袖や裾はボロボロに擦り切れていた。
「ルッカちゃん。新しいお洋服、買おうね。ドレスも、普段着も、靴も髪飾りも! いーーっぱい!」
「……私、可愛い服なんて……」
「可愛いよ! ルッカちゃんは世界一可愛い! お人形さんみたいだし、髪も瞳も、笑った顔も最高に可愛いんだから!」
「…………」
ルッカの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
自分の存在を丸ごと肯定された経験がない少女の心に、「大切にされてもいいのかもしれない」という小さな希望が芽生えた瞬間だった。
───だが、その温かな時間を切り裂くように、不快な声が響いた。
「まああら、これはこれは」
振り返ると、数人の侍女を従えた中年女性───メイド長のマルタが冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。
マルタは横目でルッカのボロ服を蔑むように見下ろす。
「相変わらずお手入れに手がかかるお子様ですこと。……新しい奥様もお見えになったのですから、そろそろご自分の身の程を理解していただきませんとねえ?」
「……っ」
「前妻様のお子は、どうしても“扱いづらい”のです」
ルッカの体が恐怖で小さく強張る。
アルテミアはその変化を見逃さなかった。
(あ? いま何て言った……?)
アルテミアは静かに、けれど確実にルッカを自分の背中に隠した。
「マルタさん。一つ確認してもいいかしら?」
「何でしょうか、奥様?」
「ルッカちゃんの衣服や食事の費用。それって公爵家の正規の経費ですよね? 違いますか?」
「……っ、それは……」
「公爵家の予算は十分に出ているはずなのに、なぜ令嬢の服がボロボロで食事もロクに与えられていないのかしら? ……もしかして、誰かが私的に横領していらっしゃるのかしら?」
にこにこと完璧な笑顔のまま、圧巻の論理武装で追い詰めるアルテミア。
「公爵家の予算を私的流用? それ、完全アウトですよね?」
瞳から一切の光が消えた「完全ブチギレおかんモード」の威圧感に、マルタの顔面は一瞬で蒼白になった。
「ではマルタさん、じっくり『帳簿合わせ』と『お話』をしましょうか」
元社畜オタクの鋭いロジックと怒りが炸裂する───公爵邸の害虫駆除タイムの始まりだった。廊下の奥で、メイドたちがざわめく気配がした。
嵐の前触れのように。




