第6話 天使のような継娘との遭遇
「うん。私が新しいお母様だよ」
アルテミアはできる限り柔らかく微笑んだ。
目の前にいるルッカは何も言わず、大きな琥珀色の瞳でじっとアルテミアを見つめている。
五歳とは思えない静かすぎる視線。怯えているのに助けを求めず、相手の顔色を窺う立ち振る舞い。───期待すればするほど傷つけられてきたことを、その小さな体で知っているかのように。
(……画面越しで見るのとは、全然違う)
ゲームの立ち絵やスチルで何度も見たルッカ。けれど目の前にいるのは、闇落ちしたヒロインでも主人公でもない。ただ愛されることを知らない、小さく瘦せこけた女の子だった。
アルテミアが一歩踏み出すと、ルッカの肩がびくりと跳ねる。ルッカは、肩をすくめる癖がついているようだった。
叱られる前に身を縮める、習慣のような動き。
「ごめんね、急に近づいたら怖いよね」
「……怖く、ないです」
「そっか。でもね、怖かったら『怖い』って言っていいんだよ。怒らないから」
ふと部屋を見渡せば、玩具も絵本もぬいぐるみ一つない。公爵令嬢の部屋とは到底思えない殺風景さに、アルテミアの胸が痛む。
「……ルッカちゃん、お腹空いてない?」
「……パン、食べました」
「パンだけ?」
即座に脳内で警報が鳴り響く。
(五歳児の食事がパンだけ!? 五歳児にパンだけって何!? 前世の保育園の栄養指導でも絶対怒られるやつ!! ドレスの袖から見える腕も細すぎる……完全に育児放棄じゃない!)
アルテミアは目線を合わせるように膝をついた。
「私ね、さっき厨房でふわふわのパンケーキを焼いたの。甘くて美味しいやつ」
「……パンケーキ……?」
「うん。一緒に食べようか」
「……いいの? でも、勝手に食べたら……怒られるから……」
俯いて怯える小さな頭に、アルテミアの心がきゅっと締め付けられた。
「大丈夫。私が許可したんだから、誰にも怒らせないよ」
「……本当? お父様も……?」
「うん、絶対大丈夫!」
アルテミアが差し出した手に、ルッカの小さな手が恐る恐る重なった。あまりの小ささと儚さに、胸が潰れそうになる。
「……温かい。お母様の手」
ぽつりと漏らされた呟きに、アルテミアの脳内は大パニックを起こした。
(この子……こんなに小さな声で……どれだけ甘えたかったんだろう……。って、あれ? 待って!! お母様!? お母様って言った!? 出会って三分で!? 尊い!! 無理!! この子のためなら国だって滅ぼせる!!)
必死で尊さの爆発を抑え込み、優しく握り返す。
「なあに、ルッカちゃん」
「……お母様」
ふっと力みの抜けた小さな笑顔。それはアルテミアにとって、世界で一番美しい宝物だった。
「……あ」
厨房へ向かう廊下の途中、アルテミアが声を上げた。
「どうしたの、お母様?」
「蜂蜜! ジャム! 生クリーム! パンケーキにかける一番大事なやつ忘れてた!」
目を輝かせるアルテミアに、ルッカはぽかんと見上げた。
「……お母様、変なの」
「えぇ!? 変な人扱い!?」
「ふふっ」
大げさに胸を押さえるアルテミアを見て、ルッカの口から小さな笑い声が零れ落ちた。
その瞬間───陰で見守っていた執事ベルトランは、そっと目元を拭った。
長年この屋敷に仕え、怯えるルッカの姿ばかり見てきた。その彼女が、自分から手をつなぎ、声を上げて笑っている。
(この屋敷で、ルッカ様が笑う日が来るなんて……。……奥様。本当に、ありがとうございます……)
執事が陰で密かに涙を流しているとは露知らず、アルテミアの「おかんスイッチ」は完全稼働していた。
「さあルッカちゃん、トッピング全部乗せで食べようね!」
「……うん!」
初めて食べるふわふわのパンケーキを前に、目を輝かせるルッカ。
だが二人はまだ知らなかった。この幸せな時間を邪魔するように、ルッカを陰で痛めつけてきた悪徳使用人が迫っていることを───。廊下の奥で、誰かが舌打ちする音がした。




