第37話 政敵の家からの刺客・コルネリウス登場
その日の午後。 グラウエン公爵邸の重厚な玄関ホールに、一人の幼い少年が立っていた。
黒に近い濃紺の髪に、整った顔立ち。 そして───光を一切宿していない、冷ややかな黒い瞳。 年齢は六歳ほど。まだ幼気な少年であるにもかかわらず、その佇まいには大人顔負けの隙のなさがあった。
少年の名は、コルネリウス・フォン・エーデルシャイン。 グラウエン公爵家と長年激しく対立してきた、エーデルシャイン公爵家の跡取りだった。
「……」
コルネリウスは無言で屋敷の中を見回す。 豪華な調度品、磨き上げられた床、整然と並ぶ使用人たち。どれも自分の家と大差ない。だが、ここへ来た理由だけは決定的に異なっていた。
「コルネリウス様」
付き添いの従者が小声で呼びかける。
「本当にこちらへお入りになるのですか? グラウエン家は我が家とは……」
「分かっている。だからこそ確認するのだ。ゼノヴィス殿下を籠絡したという、あの女を」
コルネリウスは黒い瞳を細めた。
「噂が本当なら、我が家にとっても極めて危険な人物だ」
その時だった。
「まあ! お客様ですか?」
ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。現れたのは、黒髪のボブカットに琥珀色の瞳をした柔らかな雰囲気の女性───アルテミア・フォン・グラウエンだった。
「こんにちは。私はアルテミア・フォン・グラウエンです。あなたのお名前を伺ってもいいですか?」
「……コルネリウス・フォン・エーデルシャイン」
「あら!」
アルテミアの目がぱぁっと輝いた。
「エーデルシャイン公爵家の? わざわざ来てくださったんですね!」
「……なぜ嬉しそうなんだ。敵の家の者だぞ」
「敵?」
アルテミアは不思議そうに首を傾げた。
「大人同士はそうかもしれませんけれど、あなたは六歳でしょう? だったら、まずはお茶にしましょう」
「…………は?」
冷徹を誇るコルネリウスの顔が、初めて派手に歪んだ。
「僕は、お前を調べに来た。悪党だと証明するためにだ。怖くないのか? 僕がお前を告発するかもしれないのだぞ!」
「どうしてです? 悪いことをしていないなら堂々としていればいいですし、調べるならちゃんと見てもらった方が良いでしょう?」
あっさりと笑うアルテミアに、コルネリウスは絶句した。
(……変な女)
そこへ、「お母様ー!」と灰銀の髪をなびかせたルッカが走ってきた。アルテミアの腰へぎゅっと抱きつき、コルネリウスをじっと見つめる。
「お母様、だれ?」
「コルネリウス様ですよ」
「……怖い顔」
「君も大概だ」
「ルッカ、怖い顔してないもん!」
初対面からバチバチと火花を散らすふたりに、アルテミアは苦笑した。
「二人とも、せっかくですから仲良くお茶にしましょうね」
応接室。湯気の立つ紅茶の横に、アルテミアが焼き菓子の皿を差し出した。
「どうぞ。今日のお菓子です」
コルネリウスは手を伸ばさない。毒を警戒しているわけではない。だが、大人が自分に無償で何かを与えるなど、あり得ないと思っていたからだ。 しかしアルテミアは無理に勧めず、「置いておきますね」と優しく微笑むだけだった。
そこへ───。
「悪党女! 今日も来てやったぞ!」
ドカドカと勢いよく扉を開けて入ってきたのは、ゼノヴィスだった。
「……ん? エーデルシャインのコルネリウス!? なぜここにいる!」
「君と同じだ。調査だ」
「お前もこの女を疑っているのか! ならば仲間だな!」
「違う。僕は君ほど単純ではない」
「何だと!?」
一瞬で言い争いを始める二人の王子と貴公子。 その時、アルテミアはあることに気づいた。コルネリウスの顔色がどこか冴えない。
「……コルネリウス様。お腹、空いていませんか?」
「……空いていない」
即答。しかし次の瞬間。
───ぐうぅぅぅ。
可愛らしい音が室内へ響き渡った。
「「「…………」」」
「今の音は何だ!?」
「……知らない。僕ではない」
顔を背けるコルネリウスの耳先が、真っ赤に染まる。ゼノヴィスとルッカが「お腹がぐーって言った!」「お前だろ!」と容赦なく突っ込む中、アルテミアは「ちょっと待っていてくださいね」と微笑んで部屋を出て行った。
数分後。アルテミアが持ってきたのは───白い三角形に海苔が巻かれた、温かな『おにぎり』だった。
「お腹が空いているなら、お菓子よりご飯が良いでしょう? 温かいうちにどうぞ」
「……見返りは? 僕に何かを要求するのか?」
「要求なんてしませんよ。お腹が空いている子を見たら、何か食べさせてあげたいと思うだけです」
「……」
コルネリウスは戸惑いながらも、そっと小さな手でおにぎりを口へ運んだ。 ふんわりとした米の温かみと、絶妙な塩気。
「……おいしい」
ぽつりと漏れた小さな呟き。その黒い瞳に、わずかな光が宿る。
(……この子も、ゼノヴィス殿下と同じなんだわ)
強がって、突っぱねて、誰のことも信用できない。でも本当は───寂しいのだ。 アルテミアの「全自動おかん包容力」がおにぎりを通じてじんわりと浸透していく。
「おにぎり、もう一個ありますよ。食べます?」
「…………食べる」
素直にお代わりを受け取るコルネリウスに、ルッカも「お母様のおにぎり食べてるから、もう怖くないよ。また来ていいよ」と笑いかけた。
その様子を、廊下の陰から静かに見つめる人物がいた。ヴェンツェルだ。
「……チセラ」
「はい、旦那様」
「また一人……増えたな」
「お嬢様、また一人見事に攻略されましたね」
「……攻略?」
首をかしげるヴェンツェル。その眉間には深々と皺が刻まれていた。
(……アルテミアの周囲に、子供が増えすぎではないか? 私の妻の時間が、また削られる……)
無自覚な独占欲をモヤモヤと募らせる氷の公爵。 そして部屋の中では、アルテミアが前世のオタク知識を脳内でフル回転させていた。
(……ちょっと待って!? この子は乙女ゲーム『恋アル』でルッカちゃんの【もう一人の攻略対象】にしてゼノヴィス殿下のライバル、冷徹ツンデレのコルネリウスくん!? ゼノヴィス殿下の襲撃フラグが、まさか攻略対象を連れてきちゃうなんてー!?)
心の中で叫ぶアルテミアの横で、二個目のおにぎりを幸せそうに頬張る六歳の刺客。 政敵の刺客すらも胃袋と母性で撃ち抜いていくアルテミアの公爵邸ライフは、ますます賑やかさを増していくのだった。




