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ヤンデレ化阻止のために継娘へ愛を注いだら、公爵家が浄化されて冷血公爵まで無自覚に攻略していました  作者: 宮野夏樹
2章 悪妻、愛され妻になる

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第36話 ちびっ子ネットワークの伝播


 翌朝。朝靄が薄っすらと残るグラウエン公爵邸の正門前に、慣れた様子で一台の豪華な王家の紋章が入った馬車が停まった。


「おはようございます!  今日も悪党女の成敗に来たぞ!」

「おはようございます、ゼノヴィス殿下。本日もお待ちしておりました」


 元気よく馬車から飛び降りるゼノヴィスに、門番はもはや微塵も驚かない。 毎朝決まった時刻に現れる小さな第二王子は、すでに公爵邸の使用人たちの間で「また賑やかな常連客がいらした」と微笑ましく迎え入れられる存在と化していた。


 だが、大人たちが「微笑ましい王子の気まぐれ」と受け止めているこの異常事態は、子供たちの世界ではまったく異なる意味を持っていた。彼らの間で張り巡らされた情報網───通称『ちびっ子ネットワーク』を、凄まじい速度で駆け巡っていたのだ。




 王都のとある侯爵邸。美しく手入れされた広い庭園の片隅で、身なりの良い貴族の子弟たちがひそひそと身を寄せ合っていた。


「ねえ、聞いた?  ゼノヴィス殿下、毎日のようにグラウエン公爵邸へ通っているらしいよ」

「ええっ!?  あの敵対関係にあるグラウエン公爵家に?  成敗って言ってるらしいけど……」

「それって……絶対遊びに行ってるよね?」

「うん。お菓子食べに行ってるだけだよ」


 子供たちの無邪気な推察は、恐ろしいほどに真相を射抜いていた。 しかし、その噂話を少し離れた木陰から、冷ややかな視線で聞いている一人の少年がいた。


 黒に近い濃紺の髪に、光のない深く冷ややかな黒い瞳。 グラウエン公爵家と激しく対立する政敵・エーデルシャイン公爵家の跡取り息子、コルネリウス(六歳)だ。


(……グラウエン公爵夫人、アルテミア・フォン・グラウエン)


 コルネリウスの頭の中で、仕入れた情報が高速で交錯していく。 元々はマルキオ家から嫁いだ平凡な令嬢であり、冷血公爵ヴェンツェルの「お飾り妻」に過ぎないとされていた存在。だが、彼女が公爵邸に入ってからというもの、あからさまに周囲の様子がおかしい。


 頑なに心を閉ざしていた娘ルッカが笑うようになり、屋敷の使用人たちの殺伐とした雰囲気が消え、さらにはあのプライドの高い第二王子ゼノヴィスまでが、毎日のように攻略───いや、懐柔されているという。


(……くだらない噂だ。だが、あのゼノヴィスがそれほど通い詰める女なら……確認する価値はある)


「コルネリウス様?  どちらへ?」


 取り巻きの少年が不安そうに声をかける。コルネリウスは振り返りもせず、冷たく言い放った。


「グラウエン公爵邸だ。敵を知らずして警戒するなど愚か者のすることだからな」

「ええっ!?  た、たた大変です!  敵対公爵家ですよ!?」


 慌てる周囲を余所に、冷徹な六歳の刺客は静かに歩みを進めた。 その胸中に秘めたのは、幼子らしからぬ冷静な警戒心と───ほんのわずかな好奇心だった。




 一方その頃、グラウエン公爵邸の陽当たりの良い廊下。


「お母様ー!」

「わっ、ルッカちゃん!」


 パタパタと元気な足音を響かせて走ってきたルッカを、アルテミアは手慣れた動作でしっかりと抱きとめた。胸元にすっぽりと収まる小さなぬくもりに、思わず笑みがこぼれる。


「ふふ、今日も元気ですね。昨日はクッキーを作りましたけれど、今日は何にしましょうか?」

「悪党女!  今日こそお前を成敗してやるぞ!」


 その時、玄関のほうから屋敷全体に響き渡るような元気いっぱいの叫び声が届いた。 抱きついたままのルッカが、ぷくーっと不満そうに頬を膨らませる。


「また来た……お母様をいじめに来たの!」

「大丈夫ですよ。殿下は今日も一生懸命『調査』に来てくださったんですから」


 アルテミアは苦笑しながら、優しくルッカの頭を撫でて宥める。 そこへ、チセラが恭しく一礼しながら新しいお茶の準備が整ったことを報告し、その後ろからはヴェンツェルが静かで力強い足取りで歩み寄ってきた。


「……今日も来たか」

「あ、旦那様!  お昼、一緒に食べませんか?  チセラが旦那様の分も用意してくれたんです」

「……ああ、そうしよう」


 アルテミアの可憐な笑顔に向けられ、ヴェンツェルの氷のような表情が僅かに緩む。 相変わらず「妻の笑顔を他の男(ゼノヴィス)にとられたくない」という無自覚な独占欲を燻らせているヴェンツェルだったが、アルテミアに優しく誘われると一瞬で機嫌が直ってしまうのだった。


 そこへ、ドカドカと勢いよく応接室に乗り込んでたゼノヴィスが、ビシッと小さな指をアルテミアへ突きつけた。


「悪党女!  お前の弱点を見つけたぞ!  お前は子供に甘すぎる!  余が何をしても怒らぬではないか!」

「そうですわね」

「納得するな!  ほら見ろ、ヴェンツェルまで毒気が抜けて笑っているではないか!」

「気のせいだ」


 ヴェンツェルは速攻で完璧な真顔に戻ってみせた。 そのまるで打ち合わせでもしていたかのようなコントのやり取りに、アルテミアとルッカ、そして控えていたチセラまでが肩を揺らして吹き出してしまう。


(ふふ、毎日賑やかで本当に楽しいわ……)


 アルテミアは心からこの平和で温かな日常を噛み締めていた。


 ───だが、前世の記憶を持つ彼女のオタク脳は、まだ重大な事態に気づいていなかった。


 乙女ゲーム『恋するアルケミスト(恋アル)』におけるもう一人のキーパーソン。 ゼノヴィスのライバルであり、クールで冷徹な【もう一人の(ルッカの)攻略対象】コルネリウス・フォン・エーデルシャイン。


 ゼノヴィスの連日の襲撃という名のフラグ建築が、巡り巡ってついに新たな「超弩級のツンデレちびっ子」を引き寄せてしまっていたことに。


 そして、その冷徹なる政敵の少年もまた───アルテミアの無自覚な「全自動おかん包容力」と「極上手作りスイーツ」の前に、あえなく胃袋と心を撃ち抜かれる運命にあるということに───。

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